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【核心インタビュー】クリーク・アンド・リバー社 社長 井川幸広 氏

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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懐深いカルチャーでプロを繋ぐ

懐深いカルチャーでプロを繋ぐ

劇場のような受付

(企業家倶楽部2019年4月号掲載)

東京・新橋駅から徒歩5分ほど、日比谷通りと新虎通りが交わるところに新しく建設された複合施設「新虎通りCORE」。昨年10月、そのビルの4~14 階にクリーク・アンド・リバー社がオフィスを移転した。「50 分野のプロフェッショナル人材を繋げたい」との志を胸に、新たなスタートを切った同社は、今後どのような展開を見せるのか。虎ノ門ヒルズが窓から大きく見える自慢の応接間で、井川幸広社長に今後の意気込みを伺った。
 聞き手:本誌副編集長 三浦貴保

ゲーム開発スタジオ 

器以上の仕事は来ない

問 昨年10月にオフィスを移転されたということですが、その狙いは何だったのでしょうか。

井川 会社の器を広げたかったからです。私たちは創業時から、3年ほどのスパンで引っ越しを繰り返してきました。その中で、器以上の仕事は入ってこないと気が付きました。器を大きくするのはトップの仕事です。器が大きくなれば、社員がそれに見合った仕事をしようと一層励む。その結果、オフィスが変わるたびに業績がポンと跳ね上がってきたのです。

 興味深かったのは、いつも効果が表れるまでに3~6カ月かかるのですが、今回は移転した直後に売上げが上がったことです。2年ほど前から「会社を移す」と社員には伝えており、積極的に新オフィスの完成予想図を見せていたからでしょうか。器が広がると気分も高まるのですね。みんな、よく頑張りました。

問 なぜこの場所を選んだのでしょうか。

井川 このビルが建つ新虎通りは、東京都がパリのシャンゼリゼ通りのようなオシャレな街にしようと力を入れている場所です。そのためクリエイターの人たちが集まってきており、我が社にも引き合いがありました。

 我が社は人が中心の会社ですから、彼らが働きやすい環境をいかに提供できるかが会社としての任務だと思います。様々な人が集まる都心で更なる躍進をと考え、今回の移転を決めました。

問 このオフィスの特徴を教えて下さい。

井川 まず、それまで別々のビルに入っていたグループ会社を、一つのビルに集約したことです。一元管理することで、テレビ、映画、WEB、ゲーム、VR、YouTubeと全てのメディアに対応できるようになりました。

 また、フリーアドレスを採用しました。各個人専用のデスクを持たず、好きなところに座ることができるため、接点のあまりなかった社員同士の会話も生まれています。多種多様な分野で活躍する人たちが、自然と交流を深める。結果として、生産性の向上に繋がると考えたのです。

 5階には、コミュニケーションスペースがあります。大人数が座れる大きなソファやファミリーレストランのようなテーブルがあり、思い思いの場所で昼食をとったり、話し合いをしたり、様々な用途で使用できます。更に、3カ月に一度はこのビルで働く全社員1500人が5階に集まり、朝礼を行っています。

企画ライブラリ

問 創業して今までに1番大変だと思ったのはいつですか。

井川 一番辛かったのは、創業1年目の時の引っ越しです。家賃が1万2500円のところから60万円くらいのところに移りました。その時は、売上げが上がらなかったら絶対に赤字になるという覚悟でしたね。それを乗り越えられたおかげで、器を大きくすることができました。

コミュニケーションスペース

プロが一生付き合えるサービス

問 最近伸びているのはどの分野でしょうか。

井川 クリエイティブとメディカルはずっと伸び続けています。クリエイティブの中では、テレビ、ゲーム、WEBの3つとも成長していますが、ゲームの成長が一番です。

 現在、クリエイティブ関係の派遣は約2500人、スタジオ常駐が約750人います。テレビに関して言えば正社員が600人弱もいますから、これだけ正社員のディレクターを抱えているところは他にないと思います。テレビ局よりも多いのではないでしょうか。

 他に伸びている分野で言えば、建築が挙げられますね。1級または2級建築士の方と共に、賃貸物件を手掛けています。車と一緒に生活できるガレージハウスやゴルフ好きの人が集うゴルファーズマンション。建築事業部にこういった案件が10件以上来ており、軌道に乗り始めたところです。

問 以前、井川社長は50分野を手掛けたいと仰っていましたが、現在はどれくらいの規模で行われているのでしょうか。

井川 現在、15分野で事業を行っています。毎年の登録者数は1~2万人ほど増えており、今では約23万6000人のプロと約2万2000社のクライアントにご利用いただいています。

問 これだけ多くの分野を手掛けている会社は珍しいのではないでしょうか。

井川 そうかもしれません。ですが、あくまで自分たちのやり方で進めているだけです。特段、他社との差別化戦略などは取っておりません。

 我が社では、日本の産業の約6割をカバーできるという考えから、50分野での展開を目指しています。多くの分野を手掛けることで、複雑なクライアントの要求にも対応できるようになるでしょう。しかし、対応できるだけのキャパシティも同時に大きくしていかなければならないため、むやみやたらには増やさない方針です。

 ビジネスの立ち上げ方自体は既に分かっていますから、あとは時間の問題です。焦って急展開するとサービスが劣化する。そうならないためにも、じっくり構えながら進んで行くしかないのです。その中で、各分野のデータを集めると共に、プロの人たちや業界からの信頼を勝ち取っていく必要があります。

問 御社に登録されている「プロ」とは、どのような方なのでしょうか。

井川 我が社が対応できるプロは、知的財産を持っている方です。私たちが目指すのは、その業界のコアとなるような事業モデルを作ること。そのため、技術はあっても知的財産がない方に仕事を紹介するのは得意ではありません。例えば、医療関係で言えば看護師は扱っておらず、医師を扱っています。

 その他に、「世界中で活躍できる職種である」、「その人にしかできない仕事である」といった点もプロの条件として重視しています。一人ひとりのプロの生涯価値を上げ、一生付き合っていけるサービスを作っていきたいと思います。

事業ドキュメンタリーを作る

問 井川社長のターニングポイントはいつ頃だったのでしょうか。

井川 フリーランスの映像ディレクターを辞め、起業した1990年です。ただ、今もディレクター時代と行っていることはさほど変わりません。それまで私は、ドキュメンタリー作品を多く手掛けていました。今はそのドキュメンタリーを、テレビではなく事業で表現するようになっただけのこと。1作品90分のドキュメンタリー番組から、20年、30年の事業ドキュメンタリーへ。時間軸が違うだけで、本質は何も変わらないのです。

問 ディレクター時代も今も本質は同じとは面白いですね。

井川 創業までのルーツと言えば、最近、社内で演劇事業部による「企業史演劇」を実演しました。これは、我が社の創業経緯を基に台本を作り、20分ほどの劇にしたものです。重要人物は役者の中から本人に似ている人をキャスティングし、2日間で計6回、社員の前で披露しました。至近距離で行いますからなかなか迫力があり、涙を流す人さえいたほどです。

 この企業史演劇が思いのほか好評だったため、今はビデオとVRをつけて一般向けに販売しようとしています。もしかしたら、これは企業家倶楽部と組んだ方が良いかもしれませんね。

問 それは面白そうですね。大きい会社になればなるほど、創業の経緯は忘れられがちですから、会社を知る良いきっかけになると思います。

井川 その通りです。今回の好評を受け、今後は他の会社の企業史演劇も作っていきたいと考えています。社史を作っている会社は多いですが、それではなかなか心に残らない。演劇の方が、印象付けられると思います。現在、1本500万円で売り出したところ、引き合いが来始めました。ゆくゆくは、ソフトバンクグループやファーストリテイリングのような大企業の企業史も扱ってみたいですね。

情熱は歳を取っても衰えない

問 社員を採用する時、重視しているポイントはありますか。

井川 経営領域での採用については、「我が社のカルチャーに合う」と思えばまず採用しています。昨年から今年にかけて70人くらい中途採用をしていますが、クリエイティブ関係出身の人ばかりではありません。キヤノン、日立、東芝、三菱商事など様々な分野から来ています。彼らは元々執行役員クラスの人材ですから、自分の持つ能力が分かっている。その能力で、我が社の営業資産を用いて何ができるか提案してもらうのです。ですから、面接であって面接ではありません。カルチャーに合って優秀な人なら採る。活躍してもらう場所は、後から考えるようにしています。

問 御社のカルチャーとは何でしょうか。

井川 チャレンジ精神があること、パッションとロマンを持っていることです。年配の人の中にも、若者に負けない情熱を持っている人がいます。エネルギーがある人に年齢なんて関係ない。60歳を超えて採用した人だっています。

 だからこそ、会社としてはそういった人たちが力を発揮できるくらい懐深いカルチャーを作れるかが勝負どころです。様々な分野で成功体験を持つ人たちが次世代に自らの経験を伝え、新たな原動力となる。経営の成功法を社長一人しか教えられないのでは、全然厚みがありませんよね。一つの畑に一種類の種しか蒔かなければ、何かあった時に全て枯れてしまいます。色々な成功を学んで、雑草のように力強く若い人たちが育って欲しいと思います。

問 井川社長の夢をお聞かせ下さい。

井川 大きく3つあります。まず、定年なく働ける環境を作ること。ここで働いているプロの人たちは、仕事が生きがいみたいなところがあります。それを定年で区切ってしまってはもったいない。その人たちのエネルギーを十分に活かせる会社を作っていきたいです。

 次に、グローバルに働ける環境を整えること。現在、ロサンゼルスに設立した会社で弁護士出身の人が社長になり、世界中の弁護士を繋ぐプラットフォームを作ろうとしています。また、中国や韓国では多くの日本の雑誌や書籍の版権を我が社が持ち、日本の作家が世界でも活躍できるような場を作ることに取り組んでいます。どの分野でもトップクラスの人たちは、日本・海外を問わず仕事ができます。我が社がそんな彼らを支える仕組みをしっかり築き上げて行こうと思います。

 そして、若い人たちへ能力や経験の伝授を最大限に行っていくこと。年配の社員が培った経験は、我が社の生命線です。それをいかに伝えて次に活かしていけるかが、会社として力を入れなければならないところです。

問 以前、若い人たちを船に乗せて、世界を回る研修を行いたいと仰っていました。

井川 それも実現したいですね。50分野を学んでいる世界中の学生を集めて、教育する。10年くらい続ければ、約1万人が各国の要所要所に入ります。民族、政治、国を越えて我が社のマインドが全世界に広がって行くイメージです。今後も邁進して参ります。

P R O F I L E 井川幸広(いかわ・ゆきひろ)

1960年佐賀県生まれ。毎日映画社撮影部に勤めた後独立、ドキュメンタリー番組等のフリーディレクターとして活動。90年 クリーク・アンド・リバー社を設立。2000 年6月ナスダック・ジャパン(現JASDAQ)に上場。クリエイター・エージェンシー事業をはじめ、医療、I T、法曹、会計分野にも進出。2016 年8月、東証一部に上場。2017年、第19回企業家賞受賞。

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