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【トップに聞く】中央土地社長 勝田忠緒

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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都心特化の哲学を胸に成長し続ける

都心特化の哲学を胸に成長し続ける

(企業家倶楽部2016年1・2月合併号掲載)

 

都心に特化して不動産賃貸業を営む中央土地。創業70周年を迎え、東京駅周辺に巨大商業施設を建設するなど存在感は増すばかりだ。変化し続ける時代の中で成長できた要因は何なのか。その根底には、親子二代に渡り受け継がれる不動産哲学があった。激動の時代を駆け抜けてきた同社の勝田忠緒代表に、不動産業への想いから今後の展望まで聞いた。
(聞き手:本誌編集長 徳永健一)

創業70周年の記念事業

問 創業70周年を迎えるそうですね。今回、日本の玄関口、東京駅八重洲北口からすぐの好立地に新しいビルが完成しました。ガラス張りのスタイリッシュな外観が人目を惹きますが70周年の記念事業でしょうか。

勝田 本社ビルをそこに移す意図もありました。ところが、工事が始まってすぐに「ある上場企業がテナントとして一括で借りたがっている」という話が出たのです。その会社とは、地方顧客が減る中で都心特化の方針を打ち出したヤマダ電機です。今後のビジネスの中心となる旗艦店をどうしてもセントラルパークビルに置きたいと言ってくださいました。確かに、東京駅周辺なら立地的には申し分ない。我々も最初はお断りしていましたが、ヤマダ電機の熱意に押されて、最終的にはテナントとして一括でお貸しすることに決めました。

問 ヤマダ電機がこれまでにない最先端の品揃えや都市型のライフスタイルをコンセプトにして力を入れている店舗だそうですね。場所柄、国内だけでなく、海外からのお客も増えそうですね。

 中央土地という社名の由来を教えていただけますか。

勝田 由来は、人が集まるところで商売をすべきだという先代社長の不動産哲学にあります。日本で人が集まる場所と言えば東京なので、東京駅周辺でビジネスをすればチャンスがあると考えたのでしょう。その哲学に基づき、現在まで都心に特化してビルやマンションを建設してきました。

 先代は、「景気の良い時には、都心から離れた地方の衛星都市でもそれなりにビジネスは成り立つ。しかし、いざ景気が悪くなると地方からビジネスが衰退する。その点、東京駅周辺は景気の良し悪しに関係なく人が集まって商売をする場所だ」と言っていました。我々はその理念を忘れず、現在も千代田、中央、港の都心3区を中心にビル事業、都内有数の高級住宅地である麻布や赤坂などでマンション事業を展開しています。

賃貸は不動産業の王道

問 1990年代のバブル期には不動産の資産価格が上昇を続け、これを売れば大きな利益を得ることができました。勝田社長は当時の風潮をどう見ていましたか。

勝田 私はその頃、大学を卒業してアメリカに約1年行っていました。おかげで、外から冷静に日本の状況を見ることができたのです。正直、国内で不動産の値段がどんどん上がっていた時も、これが永遠に続くわけはないと思っていました。一部の銀行は、物件を見もせずに取引先の不動産会社に電話しては、物件を買うお金を貸しつけたと聞きます。その中で、中央土地は拡張路線を採らずにじっとしてバブル崩壊の難を逃れました。

問 冷静ですね。良い流れに便乗したくなるのも人の気持ちだと思いますが、勝田社長は慎重派なのですか。

勝田 そうですね。ただ、じっとしているのも勇気ですよ。不動産業界の中でバブル崩壊後にほとんど全滅したのが、分譲業だけで大きくなった会社です。建築した不動産を区分けして販売する分譲業は確かに儲かります。ただ、一つ物件を売って利益を得ても、次の物件を開発するためにすぐ投資しないといけない。それには多額の費用がかかるし、その間に税法や建築基準法が変わると大きな影響を受けます。開発中に不動産の価値がどんどん下がってしまう大きなリスクもあるのです。

 一方で、我々の会社は賃貸業が中心です。賃貸業は、最初は苦しくてもビルを1つ建てれば、月々一定の賃料収入を得られる。またビルの一部を本社として使って、不況で資金が必要になったらそれを担保に金融機関から融資を受けることも出来ます。それによって会社も家族も守れるのです。先代は「賃貸は不動産業の王道だ」と言っていましたが、その通りだと思います。大手は別ですが、中堅企業は分譲業だけで成長するのは難しい状況になったでしょう。
 
34歳で社長業を継ぐ

問 勝田さんは社長になる前、別の会社に勤めていたそうですね。中央土地に入社したのは、やはり社長業を継ぐためですか。

勝田 そうですね。自分が長男でしたから、いずれ継がないといけないという思いはありました。アメリカから帰って来た後は、嘱託社員として不動産業を勉強しようと思い、三菱信託銀行で働いていました。

 それから3年ほどして中央土地に戻ったのですが、わずか1カ月後に先代社長だった父と喧嘩して飛び出すことに。その後はずっと他の会社にいたのですが、先代が亡くなったことで最終的に社長業を継ぎました。私が34歳の時です。

問 その年齢で不動産業を営むのは大変だったと思います。

勝田 社長就任当初は、こんな若造に社長が務まるかという雰囲気がありました。私自身は、1人で先走ったような結論は出さず、先輩や友人の意見を広く聞きました。でも、最後は自分で決断しないといけませんから、100%正解かどうかは分からなくても周囲が出来る限り納得できる最大公約数を考えて判断しました。

ゴルフ場開発で失敗

問 社長に就任されてから最も苦労したのはいつですか。

勝田 1993年にゴルフ場を開発した時ですね。ゴルフが好きで多くのことを学んだので、ゴルフを通じて若者の情操教育に役立つ場所を提供したいと思いました。私の信条である「夢を興(おこ)し、浪漫を求め、空間を創造する」という言葉とも重なる部分があったと思います。

 ただ、当時はゴルフ場に関する規制が緩かったために様々な問題が横行していました。例えば、土地を確保するだけなら地主に対して100%の費用を出す必要はなく、1割の手付金を払うだけで開発許可の同意書がもらえました。我々の場合も、開発を頼んでいた業者がそれを利用して、なんと弊社の資金を使ってゴルフ場をもう一つ作ろうとしたのです。

 結局、これが原因で開発を諦めることになりました。しかし、土地は既に買ってしまっている。結局それは売却したのですが、買値の何十分の一の値段にしかなりませんでした。その結果、数百億円規模の開発資金の約半分を失ってしまったのです。それでも、幸運なことに中央土地の業績自体は好調だったので、損失を他の部分でカバーすることが出来ました。やはりゴルフ場は儲ける場所ではなく楽しむ場所ですね。

前向きな失敗は許す

問 人材や社員教育の面では、理想の社員像をどう考えていますか。

勝田 不動産業に携わる人は、法律も会計学も知らなければなりません。あと、大事なのが心理学の知識です。取引をする際は、相手の気持ちを汲む必要があるからです。私も不動産売買の法人仲介をしたことがありますが、売り手は少しでも高く売りたい、買い手は少しでも安く買いたいと考えます。互いに利害がぶつかり合う意見を言うので、仲介人はそれを相手方に直接言ってはいけません。余裕を持って双方と折り合いをつけるためには、心理学の知識が役立ちます。その意味で、不動産はあらゆる学問の集大成だと思っています。

問 では、それらの学問に精通した社員を育成しようとお考えですか。

勝田 それも大事ですが、社員には人の痛みが分かり協調性を持って仕事ができる人間になって欲しいと思います。また私は、社員たちに「挑戦した結果の前向きな失敗はいくらでもカバーする。だから、失敗を恐れずにチャレンジ精神を持つことが重要だ」と言っています。

問 ご自身の後継者についてはどのようにお考えですか。

勝田 私なりに中央土地の今後の展望を考えて、ある時期が来たら社長職を譲らなければならないと思っています。

問 勝田社長にはご子息が二人いらして、御社に勤務していますね。普段はどんなお話をされていますか。

勝田 息子たちにはもっと私に思いをぶつけてこいと言っていますが、なかなかそうしません。ただ、少しずつ権限を委譲して当事者にすることで、彼らも成長してくれることを期待しています。その狙いもあって、長男を4月から専務にしました。後継者に関しては、企業外の方に承認してもらう意味でも、一歩ずつ段階を踏む必要があると思います。

ホテル事業やシェアハウスにも関心

問 今は不動産業界にとって良い時代ですか。

勝田 金利は安いですし、悪い時代ではないと思います。最近は大手の不祥事があり一時的に環境が悪くなっていますが、それも来年の春頃から少しずつ良くなるでしょう。我々の事業でも、賃貸料は上がってきています。ただ、今後の需要はハイテクビルと古いビルに二極化されて、その中間を扱う業者が少し厳しくなると考えています。

問 今後の事業展望を教えていただけますか。

勝田 不動産業でもビルの賃貸だけではマンネリ化します。ビジネスの幅を広げる意味ではホテル事業もできますし、賃貸マンションを改装して時代のニーズに合ったシェアハウスにするのも面白いと思います。

問 可能性はどんどん広がりますね。本日はありがとうございました。


Profile 勝田忠緒(かつた・ただお)

1943年東京生まれ。67年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。三菱信託銀行不動産部、三井信託銀行不動産部を経て、78年中央土地代表取締役に就任。日本橋ロータリークラブ在籍20年、国際ロータリー2750地区地区役員、東京都不動産のれん会代表を務める。

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