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【『論語』を実践に活かす】公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館理事長 安岡定子

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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吾日に吾が身を三省す

(企業家倶楽部2021年9月号掲載)

 孔子の思想の根本には仁と合わせて、もう一つ大切なものがあります。それは自ら省みることです。優秀で若い弟子・曽子の言葉には、孔子の教えが凝縮されているように感じます。

 曽子(そうし)曰(い)わく、吾(われ)日(ひ)に吾(わ)が身(み)を三省(さんせい)す。人(ひと)の為(ため)に謀(はか)りて忠(ちゅう)ならざるか。 朋友(ほうゆう)と交(まじ)わりて信(しん)ならざるか。習(なら)わざるを伝(つた)えしか。

 曽子が言った。「私は日に何度も自分の行いを省みる。人の相談相手をする時に真心を尽くしていただろうか。友人との付き合いで誠実だっただろうか。自分が習ったことを、まだ理解できていないのに、人に伝えたり、教えたりしていないだろうか。」

 省みるという表現から、反省という言葉を思い起こす方もいらっしゃると思います。確かに過去の言動を振り返るという点では同じですが、反省はどちらかというと失敗や過ちについて検証し改めるという意味合いが強くなります。省みるは、全てのことを振り返り、成功も失敗もきちんと分析するという意味になります。自分の言動に責任を持つからこそ、振り返り、分析し、改めることができるのです。しかるべき地位にありながら、見通しを持たない人はいないでしょう。同時に振り返ることも、実は非常に重要です。人は逆境の時には真剣さ、慎重さが増し、過去の事例を参考にすることもしますが、順境の時には慢心しがちです。特に順調に事が進み、更に成果が出れば、省みることを忘れてしまいます。その危険性を孔子は指摘しています。何気ない日々の振り返りから特別な事案の検証までを、省みるという言葉で表現しました。

 渋沢栄一氏はこの曽子の言葉について以下のように言っています。

 「余は曽子のこの言がもっとも吾が意を得たりと思い、一日に数度吾が身を省みるというまでには参らずとも、夜間床につきたるのち、その日になしたることや、人に応援したる言説を回想し、人のために忠実に謀らねばならぬ、友人には信義を尽くさねばならぬ、また孔夫子教訓の道に違う所なかりしやを、省察するに怠らぬつもりである。もし夜間これをなさざりし時は、翌朝前日の行動を省察することとなせり。余が家族にもつとめてこれを行わせるようにしておりますが、今日の人にはこの心掛けが少ないように見える。・・・」

 日々を振り返る習慣が身につけば、それはビジネスの様々な場面にも生かせます。ちょっとした変化や違和感、軌道から外れていることにも早く気づけます。それらを初期段階で把握できれば、修正する余裕もあり、大きな失敗や損失を防げるでしょう。また業務のことだけではなく、人材育成など人間関係にも活かすことができます。自分の発言、指導方法などが相手にどのように伝わっているのか、相手の気持ちを察しているのか。多くのテーマもその都度振り返っておけば、それが将来につながることになります。良い習慣は、単に個人にとってだけではなく、組織にとっても大きな財産なります。

 『論語』には次のような章句もあります。

 子(し)曰(のたま)わく、 三人(さんにん)行(おこな)えば、必(かなら)ず我(わ)が師(し)有(あ)り。

 其(そ)の善(ぜん)なる者(もの)を択(えら)びて、之(これ)に従(したが)い、其(そ)の善(ぜん)ならざる者(もの)にして、之(これ)を改(あらた)む。 先生がおっしゃった。「三人で行動すれば、その中に必ず自分が学ぶべき師がいる。その中の善い人を選んでそれを見習い、善くない人を見ては、わが身を振り返り改めるからだ。」

 これも有名章句の一つです。複数の人と行動を共にする時、その集団の中には、良いお手本となる人、一方悪い例として挙げられる人がいます。両方が存在しますが、私たちは良い人物、良い事例に目が行きます。特に成功例には心惹かれます。でも肝心なことは、悪い例に触れた時に、まず自分に重ねて省みることです。自分も同じことを過去にしていたのではないか、あるいはこれからの自分言動は、本当にこれでいいのか、と考える材料にすることです。誰でも自分には甘くなりがちです。そこを律していけるかが、将来の大きな差を生むような気がします。

 「人の振り見て我が振り直せ」という諺は、まさにこの章句の教えと重なります。先人の教えは時代や国を越えて、根本は同じなのだと実感します。

 もう一つ、省みることを言っている章句があります。

 子(し)曰(のたま)わく、賢(けん)を見(み)ては斉(ひと)しからんことを思(おも)い、不賢(ふけん)を見(み)ては、内(うち)に自(みずか)ら省(かえりみ)るなり。

 先生がおっしゃった。「優れた人物を見ては、自分もこのような人になろうと思い、よからぬ行いをする人を見ては、自分もこのようではないかと反省する。」

 この章句は、先に紹介した二つの章句とほぼ同じ内容です。表現はこの章句が最もシンプルで分かりやすいですね。優れた人物に出会った時は、羨望や畏敬の念を抱き、そこから自己の努力につながります。よからぬ人物を見た時には、批判や嘲笑だけで終わってしまう場合が殆どと言えるかもしれません。自分の愚かさ、浅はかさを心配しなければいけないですね。

 省みるためには謙虚でなければなりません。謙虚とは自分の未熟さに気づいていることです。そして自分の未熟さを認められるのは、素直な心があるからでしょう。大事を成すのも、小事を積み重ねるのも、その基となるのは自ら省みることなのです。


P r o f i l e 安岡定子 論語塾講師、公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館理事長 1960年東京都生まれ。二松学舎大学文学部中国文学科卒業。陽明学者・安岡正篤の孫。現在、「こども論語塾」の講師として全国各地で定例講座を行い、子どもや保護者に論語の魅力を伝えている。また大人向け講座や企業セミナー、講演にも力を注いでいる。『心を育てるこども論語塾』『仕事と人生に効く成果を出す人の実践・論語塾』(以上ポプラ社)、『子や孫に読み聞かせたい論語』(幻冬舎)、『新版 素顔の安岡正篤』『壁を乗り越える論語塾』(ともにPHP 研究所)『ドラえもんはじめての論語』(小学館)など著書多数。

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