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【私の信条】/セコム取締役最高顧問(創業者)飯田亮

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

「事之将成 大胆不敵」

「事之将成 大胆不敵」

(企業家倶楽部2012年8月号掲載 2021年3月号再掲)

 「事未だ成らず、小心翼々。事将に成らんとす、大胆不敵。事、既に成る、油断大敵」

 これは勝海舟の有名な言葉で、人がことを成す場合の心構えを説いたものである。私は若い頃、この言葉に出会い、以来、座右の銘としている。

 説明するまでもないが、事業などを興す場合、まず小心翼々として緻密に計画を練り、どこかに抜かりがないか細心の注意を払う。しかし、実行するときは大胆不敵と思えるほど、思い切ってことを運ぶ。この時、恐れたり、逡巡してはならない。首尾よく事業が成功した時、あまり喜びすぎると、勝利の女神はするりと逃げるので、成功した時ほど慎重になり、油断しないようにする。勝って兜の緒を締めよ、というわけだ。
 
 私は1962年に友人の戸田寿一とセキュリティ・ビジネスを始めたが、日本に先例がないこともあって、独自の事業プランを練り上げた。外国には先例がないわけではなかったが、そういうものを調べると、モノマネに終わってしまうので、一切調べず、自分たちだけで理想のセキュリティ・ビジネスを考えた。小心翼々の計画作成だった。

 その結果、店舗や倉庫のカギを預かる。料金は3カ月間の前払制という当時の常識では考えられないビジネスモデルを発案した。「どこの馬の骨かわからない者に鍵など預けられるか」「料金前払いなど聞いたことがない」などとお客様には不評で、最初の6カ月間は1件も契約が取れなかった。それでも我々は顧客と一切の妥協をせず、粘り強く飛び込み営業を続けた。

 半年後から少しずつ契約が取れ始めた1963年の暮れ、大型商談が舞い込んできた。東京オリンピックの警備である。代々木の選手村を工事や整備の段階から警備してほしい、と言う。

 宣伝効果も期待できるので、引き受けることにした。ところが正式契約の段階で相手は「公的機関だから前金は払えない」という。こちらもギリギリの譲歩をし、「前金がダメなら、どんな非常事態になっても契約を履行すると一筆入れてほしい」。担当者はそれもできないと言う。

 そこで私はその場から当社の五輪担当者に電話をかけ、命令した。「おい、皆引き上げろ。前金を取れないから契約は破談だ。やめるぞ」。相手の担当者は狼狽し、すったもんだの末、1カ月の前金で契約を交わすことになった。ことまさに成らんとす、大胆不敵である。

 機械警備の移行の時も、今から考えると大胆不敵だった。契約が順調に増えるにつれ、いずれ社員数は10万、20万人と増え、管理が難しくなると思った。そこで、感知器(センサー)と通信回路を利用した遠隔監視の機械警備システム「SPアラーム」を思い付いた。1964年のことだ。
 
 しかし、SPアラームの普及は遅々として進まない。6年後の1970年、巡回警備2000件、一方、機械警備は500件に過ぎない。そこで、私は大勝負に出た。「今後、巡回警備の契約は増やさない。営業はSPアラーム一本で行く」と約30人の幹部に宣言した。皆青ざめたが、やるしかないと機械警備の営業に挑戦した。

 その結果、翌71年末の機械警備の契約件数は5116件と前年の3.7倍に急増、逆に巡回警備は26%減となった。大胆な決断が吉と出た。しかし、油断は禁物である。勝海舟の教えを守り、「いまだ吉田口だ」と気を引き締めている。

  ※セコムグループ、社員数64,143人、グループ企業183社、連結売上高役1兆600億7000万円(2020年9月末現在)

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