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【『論語』を実践に活かす】公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館理事長 安岡定子

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

遠き慮りなければ

(企業家倶楽部2021年11月号掲載)

 論語』の章句は、それぞれに味わいがあり、深く心に響いてくるものが多数あります。その中でも「人(ひと)にして遠(とお)き慮(おもんぱか)り無(な)ければ、必(かなら)ず近(ちか)き憂(うれ)い有(あ)り」は、私たちに多くの気づきを与えてくれる章句と言えます。
 人として生まれたからには、見通しを持たずに生きているということはないと思うが、もし先のことを考えずに過ごしているとしたら、近い将来、必ず困ったことになるだろう、という意味です。遠き慮りは将来を見通した考え方を表します。解説を聞けば納得、その通り!と思える内容ですが、果たして私たちは実際に明確な見通しを持って仕事をしているでしょうか。その日の予定や業務に追われて一日が終わってしまうということがよくあります。そのような時には、この章句を思い出して、少し立ち止まって将来に目を向けることをしてみたいですね。
 見通しを持って仕事をする。たとえば1年後のあるべき姿を描いたら、どのようにそれを達成していくのか。逆算して半年後、3か月後、1か月後はどのようになっていなければならないか、と自分に引きつけて実行してみる。見通しを立てていれば、進捗状況を把握しやすくなります。予定通りに進まない、途中で突発的なことが起こる、そのような時にも迅速に対応することができます。
 リーダーと言われる立場の人は、見通しを持つだけではなく、後輩に見通しを持たせてあげることも大きな役割になります。それぞれのステージに合ったアドバイス、導き方、見守り方が必要です。
 将来像、目指すものを共有できれば、組織は強くなります。軌道修正する時、業務内容を加減、スピードアップする時。様々な場面で意思疎通がスムーズにできます。仕事の成果や数字は認識できても、意思の疎通、見通しの共有というものは目に見えず、確認が難しいものです。だからこそそこに注力することも大事にしたいですね。いざという時には、技術や知識よりも、仲間との理解や連帯感が問題解決に大きな力となるはずです。

 渋沢栄一氏はこの章句を次のように解説しています。
「この教訓は、一身にも、一家にも、一国にも通じて必要なものだ。目の前のことばかり着目して先々のことを考慮せず、今日のことばかりあくせくして後々の計画をいい加減にしてしまうと、心配ごとがたちまち足もとに生じてくる。これは人にしろ、家にしろ、物質的な面でいえば勤勉や貯蓄、保険、衛生が当てはまる。精神的な面では教育、自分磨き、安心、信仰の必要性を意味する。また国においては、この上さらに外交や国力増進、国防の必要性がこれにあたる。」(渋沢栄一の「論語講義」守屋淳編訳 平凡社 より)
 渋沢氏が広い視野に立って物事を見ていることがわかります。そして見通しを持つことは企業や組織にのみ必要なものでないこともわかります。

 今、私たちは大きく変化する社会に生きています。変化が大きいだけではなく、そのスピードも一気に増しています。大量に生産し大量に消費する。常に新しいもの、便利なものを生み出していく。その先には物質的飽和状態がやってきて、さらには環境破壊という問題にも発展しています。従来の考え方の転換をせざるを得なくなりました。SDGsは望ましい社会の在り方を明確にし、人類が共有すべきものとして提言されました。
 『論語』には「先人たちの生き方や考え方を学んで、将来に活かす」という意味の章句があります。以前にもご紹介した有名章句「故きを温ねて新しきを知れば、以って師と為るべし」です。先人たちや先輩たちの思考や行動を、私たちの将来に活かすと言っても、これだけ変化が激しく、価値観も多様化する中で果たして過去の事例が役に立つのか、と疑問に思う方も多いでしょう。しかし2500年もの長きに言葉が残ってきたことには理由があります。過去を参考にして、それぞれの時代の人が工夫や応用を加えていたのです。総ての問題解決に有効な公式もhow-toもありません。過去の事例がそのまま当てはめられることはないでしょう。だとしたら今、私たちの応用力や創造力が重要になります。

 渋沢氏はこの章句を次のように解説しています。
「さて世の中を見ると、新しい学問を追うと、古典や伝統を忘れて着実さを欠きがちになる。これに反して古典や伝統ばかりにこだわっていると、新しい学問に疎くなって、前例主義に流れ、偏屈になりやすいのが古今万人の通弊である。今日もっぱら欧米の新しい学問にのみ没頭して、東洋二千年の道徳学を忘れ去ってしまうのは、その弊害のもっともはなはだしいことだ。
 若い皆さんは、この間の事情によく心をとめて、新しい学問を追っても古典や歴史を忘れないようにするのと同時に、古典や歴を学んでも新しいものを取り入れる気持ちを失わず、古典や歴史から新しいものを学びとらなくてはならないと思う。」(渋沢栄一の「論語講義」守屋淳編訳 平凡社 より)

 渋沢氏の考え方のバランスの良さがうかがえる言葉です。古典は大事だが、それだけに固執し、そのまま実践してもうまくいかないことを、既に言い放っています。過去の人々は、まさに古典をこのように使いこなしてきたのでしょう。だからこそ言葉が語り継がれて、残っているのです。
 志を持つこと、私益より公益が優先すること、そして何よりも仁―誠実さ―を大事にすること。孔子の思想の根底にあるものは、とてもシンプルで明解です。日本国内から世界に視野を広げ、多様化にも対応しなければならない時代になりました。問題解決には複雑な要素が重なり合い難しい場面もありますが、解決の一歩は個人から始まります。孔子の説いた原理原則を皆が共有することが重要です。古典に親しみ、それを仕事だけではなく、人生にも活かせたら素晴らしいですね。


P r o f i l e 安岡定子 論語塾講師、公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館理事長 1960年東京都生まれ。二松学舎大学文学部中国文学科卒業。陽明学者・安岡正篤の孫。現在、「こども論語塾」の講師として全国各地で定例講座を行い、子どもや保護者に論語の魅力を伝えている。また大人向け講座や企業セミナー、講演にも力を注いでいる。『心を育てるこども論語塾』『仕事と人生に効く成果を出す人の実践・論語塾』(以上ポプラ社)、『子や孫に読み聞かせたい論語』(幻冬舎)、『新版 素顔の安岡正篤』『壁を乗り越える論語塾』(ともにPHP 研究所)『ドラえもんはじめての論語』(小学館)など著書多数。

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