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【緊急レポート】経済学者 竹中平蔵

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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地図ではなくコンパスを持て

地図ではなくコンパスを持て

『世界大変動と日本の復活 竹中教授の2020年・日本大転換プラン』

竹中平蔵 著 講談社+α新書(840円+税)

(企業家倶楽部2017年4月号掲載)

イギリスのEU 離脱やトランプショックによって揺れ続けている世界情勢を前に、日本はどのように立ち向かわなければならないのか。小泉純一郎内閣で経済財政政策担当大臣、郵政民営化担当大臣などを歴任した竹中平蔵氏は、今こそ日本再建のチャンスと説く。政治を知り尽くした経済学者が掲げる成長戦略に迫る。

民主党政権は予防接種だった

問 米国第一を掲げるトランプ大統領が就任し、アメリカの政策の輪郭がはっきりしてきました。イギリスのEU離脱の影響もまだ根強く残っていますし、過激な発言を繰り返すフィリピンのドゥテルテ大統領も高い支持率を維持しています。世界が右に傾き始めていて、2017年はまさに大変動の年になりそうですね。

竹中 右と左の対立ではなくて、上と下の対立だと論じている方もいらっしゃいます。今、世界で起こっていることの原因は「社会の分断」にあるというのです。IMFのチーフエコノミストや、インド準備銀行(中央銀行)の総裁を歴任したラグラム・ラジャン氏は自著『フォールト・ラインズ』(2010年)の中で「現在の世界を見渡してみると格差に代表される様々な断層があり、越えることができない断層が人々に絶望感を与えている」と指摘しています。私はこの分析は当たってしまったと思います。

問 その分断がトランプ大統領を生んだのでしょうか。

竹中 その通りです。分断によって生活や心が荒んでいる一部の人々が、どこかで悪者を作り上げる。アメリカではメキシコの移民が悪いと考えるようになりました。そこで、「壁を作りましょう」と言ったトランプ氏が支持を得たわけです。イギリスのEU離脱も本質は同じこと。極端な大衆迎合主義(ポピュリズム)が今の政治を作っています。これは程度の差こそあれ、世界中で見られていることです。

問 在日特権や生活保護の問題など、日本でも弱者の方が強い場合があります。不満に思っている国民も少なくありませんから、トランプ現象が起こる土壌はどこにでもあるのですね。

竹中 世界的に見れば日本の分断はまだ小さい方ですが、それでも荒んだ議論が増えています。実際に日本のテレビが人民裁判のようになっているでしょう。顕著だったのは舛添前東京都知事の政治資金問題です。もちろん彼は悪いことをしましたが、四六時中テレビで報道するほどの問題ではありません。今度は豊洲の盛り土問題を挙げ、東京都や昔の知事たちを吊し上げているわけです。

問 メディアもスポットライトを当てるところを間違えてはいけません。

竹中 日本には幸運なことに、ポピュリズムに対する強力な歯止めがあります。それは民主党政権の失敗です。民主党政権の3年間で、変な人に政治を任せたら大変なことになることを国民は学びました。医学者のエドワード・ジェンナーが小さな腫瘍を作って抵抗力をつけたのと同じように、あの失敗は予防接種だったと言えるでしょう。そういった意味では民主党政権の貢献は素晴らしい(笑)。

発明ではなく変革を

問 本書の中では「スイッチング」という言葉が頻繁に出てきますが、どのような意味でしょうか。

竹中 今までの方針や方法を大胆に変えること、すなわち大転換です。私は企業の設備投資に関する分析を行っていた時に、スイッチングという言葉に出会いました。企業が設備投資をするか否かは、様々な要因を総合的に判断して決定します。例えば、景気が良い時はシェアを伸ばすために売上げの増加を重視しませんか。一方で不況の時はコスト削減を意識するでしょう。その時に応じて重視する要素が異なるはずです。
 これは人生設計も同じです。今は子どもの受験が控えているため労働時間を短くして家にいたい方も、子育てが落ち着いたら老後資金のために残業をして稼ぎたくなるかもしれません。家族やお金のことを常に考えていても、状況に応じて重視する事柄の割合は変わっていくものです。
 今まで日本は安全・安心を重視してきました。素晴らしいことですが、今は新しいチャンスを取り込むために成長する方向にスイッチングする時ではないでしょうか。今までの延長線上では大きな変化を乗り切れません。

問 様々な産業が動いていますね。例えば通信では、次世代通信規格の5Gをオリンピックに向けて開発中です。成功すれば日本がインフラを確保し、世界をリードすることができます。

竹中 そうなるといいですね。しかし「次は取れる」という話は何度もありました。にもかかわらず、日本は負けてきた。それはインベンション(発明)とイノベーション(社会の変革)は全く違うからです。トーマス・エジソンが偉大である理由は、電気のメカニズムの開発という発明をしたからではありません。実際に会社(現在のGE)を作ってニューヨークに電気を売り、イノベーションを起こしたからです。日本はパーツで良いものを持っていても、システム化するのが苦手です。
 自動運転車を見ても、確かに日本のセンサーは優れています。しかし、道路交通法で「車の運転は人が行うもの」と定められているため、公道で実験できません。これではイノベーションは起きない。日本はそういった弱さが克服できていません。

問 確かに日本は規制に縛られすぎています。ご著書でも特区の話をされていますが、もっと柔軟に対応しなければいけませんね。

竹中 仕組みを作るしかないと思います。例えば、ビッグデータを活用したいと思ったら、どうすれば良いか。アマゾンは一企業として取り組んでいます。データ大国のエストニアは国として整備しましたが、これは人口120万の国だからできたことです。日本はどちらにも当てはまりません。それでもこの流れについていかなければならない。他国は知恵を絞り始めました。

例えばイギリスは「レギュラトリーサンドボックス(規制の砂場)」を作りました。これは「子どもが自由に砂の形を変えるように、自由にしていい場所」ということ。規制が一切ない特区です。シンガポールも同様に規制がない特区を作りました。日立はフィンテックに関する日本でできないような実験をシンガポールでしています。

問 こうした施策は日本でも導入できますか。

竹中 例えば、先ほどの自動運転車ならば、東北の一部などで制約がない区画を作れば良いと思います。地方の運転手不足は深刻です。自動運転は危ないと言われますが、高齢者が運転する方が危ない場合もあります。自動運転が危ないという主張は、日本人が思考停止に陥っている典型でしょう。

問 不幸な事故もテクノロジーで解決できますね。

意志の楽観主義

問 先生に教えていただいた名言ですが、哲学者アランの「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」という言葉が好きです。未来を悲観する必要はありませんが、実際に世界は大きく動いています。日本はどのように世界と向き合うべきでしょうか。

竹中 アランの幸福論と矛盾するようですが、ドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーの「チャンスを待て、しかし時を待つな」という言葉があります。来るチャンスに備えて準備をして挑むことと、ただじっと時が過ぎるのを待っていることは異なります。チャンスは天から降ってくるものではなく、自分で掴みにいかなければならない。時代認識を踏まえた積極性が重要です。チャンスを意識して一歩踏み出さねばなりません。1970年頃に米国務長官を務めたキッシンジャーも「チャンスは貯金できない」と言っています。

問 「幸運の神様は後ろ髪がない」も同じですね。目の前に来たら、掴まなければいけない。

竹中 トランプ政権一つとっても、様々な問題を抱えていることは事実ですが、チャンスの面もあります。要はどう捉えるか次第です。例えば、法人税減税も叶うでしょう。アメリカが半分にすれば日本も続けば良い。財源が無いと言われていますが、見逃している社会保険料を徴収すれば数兆円が生まれます。話は簡単で、歳入庁を作ればいい。そうすれば、法人税の税率も半分とは言わなくても3分の2くらいにはできるのではないでしょうか。

問 トランプ政権は国民にインセンティブを支払い続けなければ維持できませんから、やらざるを得ない部分もあるのでしょう。トランプ氏は実業家ですから、要望を押し付けるだけではなく、どこかで調整してくると思います。

竹中 アメリカの学者が言っていましたが、トランプ政権は「各論の政権」です。太平洋の安全保障や世界の自由貿易のことを考えているわけではありません。「とある州のある人が困っているから助ける」「この産業が低迷しているから対策を打つ」というだけ。だから日本もそれに合わせて各論を助けるための日米関係を築けばいい。

問 一つずつ問題を片付けていくということですね。

竹中 その通りです。所得再配分を無視してしまったために寄ったシワを、アメリカと一緒に伸ばしていけば良いのです。その上で日本の立場として、しっかりと希望を伝えればいい。最後にマサチューセッツ工科大学のメディアラボに掲げられている標語の一つ、「コンパス・オーバー・マップ」をご紹介します。今まではいわゆる大企業に入れば安定するという人生の地図を持っていました。しかし、これからは専門性や確固たる信念といった、コンパスのように道筋を示すものが重要になります。

問 日本再建のチャンスになりそうです。ありがとうございました。

P r o f i l e

竹中平蔵(たけなか・へいぞう)

1951年和歌山県生まれ。73年一橋大学卒業後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。ハーバード大学客員准教授などを経て、2001年小泉内閣に初入閣、04 年参議院議員に初当選。06年政界引退後、慶應義塾大学教授・グローバルセキュリティ研究所所長就任。14年国家戦略特区の特区諮問会議のメンバーに就任。16年4 月東洋大学教授に就任。

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