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【緑の地平vol.7】 三橋規宏 千葉商科大学名誉教授

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

放射能汚染を抱えた日本の将来

(企業家倶楽部2012年6月号掲載)

原発安全神話崩壊で混乱

 「原発の安全神話」に洗脳されていた私たち日本人にとって、東京電力福島第一原発事故は、悪夢のような出来事だった。破壊された原発からは大量の放射性物質が飛散し、原発周辺の住民は避難を余儀なくされた。汚染された畑や森、住宅、学校の運動場、さらに大小の河川や海水などの被害は深刻で対策は簡単には進まない。放射能汚染という忌まわしい問題と私たちは今後かなり長い期間付き合っていかざるをえない。だが安全神話に浸りきっていた私たちには、放射性物質や放射能汚染などに対する基礎知識がほとんどない。用語の理解などゼロからのスタートという情けない状態に追い込まれてしまったのである。だが嘆いていてもはじまらない。放射能汚染と共存していかなくてはならない日本の将来を考えるためには、いくつかの基本用語をまずしっかり理解しなければならない。

 放射性物質とは、放射線を出す物質のことで、放射能とは放射線を出す能力のことである。放射能は時間が経つに連れてその能力が低下する。能力が半分になる期間を「半減期」と呼ぶ。今度の事故で大量に放出されたヨウ素131の半減期は約8日、セシウム137は同30年だ。放射線による被ばく量(被ばく線量)が多くなると人体に様々な悪影響を与える。最も健康への影響が懸念されているセシウム137の場合は、半減期が30年と長いので、被ばくによる健康への影響も長期にわたるため、万全の対策と注意が必要になる。

放射性セシウムの食品新基準4月1日からスタート

 厚生労働省は、4月1日から食品中に含まれる放射性セシウムの新基準をスタートさせた〈表参照〉。昨年3月に策定、実施した暫定基準は甘過ぎて、健康対策としてとても信用できないとの苦情、批判が続出した。新基準は、それに応えて策定されたもので、暫定基準の4分の1から20分の1に数値を引き下げるなど厳しく設定された。これでようやく、チェルノブイリ原発事故後、ウクライナ政府が過去の経験を生かして97年に定めた基準値に近い数値になったが、「遅きに失した」の感は否めない。もし1年前にウクライナ基準を参考に厳しい基準値を定めていれば、国民の食品に対する不安や警戒心はこれほど大きくならないで済んだのではないか。

 食品の放射能汚染を理解するためにもうひとつの厄介な用語は、ベクレル、シーベルトといった聞きなれない単位である。ベクレルは放射能の強さを示す単位で、通常1キログラム当たりの強さとして表示される。シーベルトは放射能による人体への影響を表す単位だ。

 新基準では、放射性セシウムの年間許容被ばく線量を1ミリシーベルト(暫定基準では5ミリシーベルト)に設定している。設定に当たっては、まずすべての人が摂取し、代替が難しい飲料水について、世界保健機構(WHO)の水道水の基準に合わせて10ベクレルに設定している。暫定基準は200ベクレルだったので、20分の1である。暫定基準がいかにゆるゆるであったかがわかるだろう。
 10ベクレルの水を1日2リットル、1年間飲み続けると、被ばく線量は0.1ミリシーベルトになる。許容線量の1ミリシーベルトから飲料水の0.1ミリシーベルトを除いた0.9ミリシーベルトを一般食品に割り振るという方法で一般食品の許容できる線量を決めたのが今度の新基準の特徴である。

 その結果、野菜や穀類、肉、魚、卵などの一般食品は100ベクレル(暫定基準値500ベクレル)、子どもが多く飲む牛乳や乳児用食品は50ベクレル(同200ベクレル)などとなっている。一方、一部食品は混乱を避けるため、経過措置がとられている。

内部被ばくで子どもたちの健康被害が目立つ

 ところで、被ばくについては、外部被ばくと内部被ばくがある。体の外側にある肌などの被ばくが外部被ばく、食品や空気の吸い込みなどによって放射性物質が体内に取り込まれて被ばくするケースが、内部被ばくだ。もちろん内部被ばくの影響の方が深刻である。

 体内に取り込まれた放射性ヨウ素やセシウムが遺伝子の近くに滞留すると、遺伝子(DNA)を破壊する。生物は進化の過程で壊れた遺伝子を修復させる優れた自己修復機能を備えている。しかし大量の被ばくをうけると、修復にミスが生ずる。これが突然変異である。ミスが修正されずに細胞が増え続けると、ガンなどの様々な病気の原因になる。放射性ヨウ素のように半減期が8日と短いものでも、その間にDNAが破壊されれば、破壊されたDNAが増殖を続けるため、ガンなどにかかりやすくなる。

 分裂の盛んな細胞を多く持つ赤ちゃんや子供が被ばくすると、傷ついた遺伝子を持つ細胞がどんどん増えるため、その影響は大人と比べ非常に大きくなる。チェルノブイリの原発事故で放射能をあびた子どもたちの甲状腺がんの発症率を14歳以下と15?18歳で比較すると、14歳以下の子供の発症率が圧倒的に高くなっている。甲状腺がんの発生までには、被爆から数年の歳月がかかるので、福島で被ばくした子供たちが心配だ。

 また、被ばくによる病気も、日本では、ガンや白血病ばかりが強調されているが、被ばくによる病気はもっと多方面に及んでいる。チェルノブイリのケースでは、ガンや白血病は全体の1割程度で、心臓病が最も多く、脳血管病、糖尿病、免疫力の低下など様々な病気が発生している。

転地療法など万全の対策を

 私たち日本人は、これからかなり長い間、放射能汚染と付き合っていかなければならない。内部被ばくによる病気も多岐にわたる。「ガン、白血病以外は放射線被ばくによる病気ではない」などと簡単に結論を出すべきでない。チェルノブイリの症例などを参考にして、放射能汚染が健康に与える直接、間接の影響、様々な病気の因果関係などを総合的に調査、研究し、政府は国民の健康安全、維持のために最善の努力をすべきである。

 特に、放射能汚染の被害を受けやすい赤ん坊や子供の健康対策には、予防対策が大切だ。放射能汚染については、人間の生物学的半減期がある。細胞分裂が活発な1歳児は13日、5歳児30日、10歳児50日、15歳以上は90日?100日などとなっている。赤ん坊や子供の半減期は短いので、汚染地域にいる子どもたちは、1年の間に定期的に汚染されていない安全な土地に数週間から数カ月転地できるような制度ができれば、子供の健康保持に大きな効果が期待できる。

 放射能汚染と今後長く共存していかなくてはならない時代を迎え、政府は、チェルノブイリの教訓などを踏まえ、安全な食糧確保と健康維持、汚染表土やがれきなどの適正処理・管理など国民の不安を解消するために万全の対策を講ずるべきである。

三橋規宏 (みつはし ただひろ)

経済・環境ジャーナリスト 千葉商科大学名誉教授1964 年慶応義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、論説副主幹などを経て、2000年4月千葉商科大学政策情報学部教授。2010 年4月から同大学大学院客員教授。名誉教授。専門は環境経済学、環境経営論。主な著書に「ローカーボングロウス」(編著、海象社)、「ゼミナール日本経済入門24版」(日本経済新聞出版社)、「グリーン・リカバリー」(同)、「サステナビリティ経営」(講談社)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「環境経済入門第3版」(日経文庫)など多数。中央環境審議会臨時委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長など兼任。

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