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【私のターニングポイント】ホットランド代表 佐瀬守男

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

乗り越えられない壁はないことを東日本大震災で学んだ

乗り越えられない壁はないことを東日本大震災で学んだ

(企業家倶楽部2018年1・2月合併号掲載)

 私のターニングポイントはなんといっても東日本大震災での経験です。北関東と東北に100店舗ありましたが、ほとんど営業出来ない状況。特に石巻は被害が大きく、社員の安否もわかりませんでした。3日後に石巻店の店長から「家族は流されて自分一人が避難所にいるが、とにかく寒い。ビスケットしか食べていないので、たこ焼を届けて欲しい」と連絡がありました。「すぐ行くよ」と、1週間後には「銀だこカー」で駆け付けました。

「銀だこカー」で年に50回はボランティア活動を実施していますが、石巻はあまりにも悲惨で、言葉も出ないほどでした。1000人ぐらいの人が並んでくれたが、200~300食しか対応できず、自分たちの無力さを感じました。

 何をどうすればいいのかと皆で悩んだ末、私たちに出来ることは、笑顔を作ることだと思った。瓦礫と化した石巻で店をやろうと、取引先や関係者に声をかけ、震災から100日後に「ホット横丁石巻」を出店しました。

 フードトラック20台を改装、スタッフ40 名が現地に住み込み、一緒に仕事を覚えてもらいながら、銀だこ、ラーメン、焼きそば、居酒屋など10業態をつくり、100人の雇用を生み出しました。

 震災以降初めて笑ったと多くの方に感謝され、作ってよかったと。夜になると光が灯るのはそこだけで、みんなが集まってきて、「無事でよかった」と喜ぶ姿を見て、店があることでホッとした気持ちになってもらえる意義を改めて実感しました。

 しかし夏場はいいが、冬になると寒さは想像以上で、暖房費はかさむし、100人の雇用を維持するのは大変でした。スタートしてまだ2~3カ月なので、ここで諦めるわけにはいかない。そこで、石巻に会社ごと移して本気で頑張ろうと、本社を移転しました。

「ホット横丁」は1000日で区切りをつけました。3年間、採算度外視でやった結果、もっと力のある会社にならないとお役に立てないという結論に至りました。そこで株式上場を目指そうと準備。おかげで1年後の2014年に株式上場を果たすことができました。

 3年間、心もお金も力も出し尽くしたが、得たことは大きかった。水もない、電気もない、お客も来ない石巻での体験で、当たり前の尊さが身に染みました。何もないところで、何かを生み出すには、アイデアを出し行動しないと前に進まない。これを皆で経験したことが財産となりました。あのときの経験がなかったら、1年で上場はできなかった。みんなが一枚岩になればすごい力になる。今も色々問題がありますが、乗り越えられない壁は無いということを石巻で学びました。

 今、コーヒーの店や、キッシュの店などを展開していますが、改めて「築地銀だこ」のブランドの強さと、関わる人間の絆の強さを実感しています。10月には浅草に、石巻でやったようなホット横丁を出店。もつ焼きや鉄板焼き、てんぷら屋などを一カ所に並べ、大変好調です。18年の春には、このフォーマットでアメリカのロサンゼルスに出店しようと準備しています。そしてこれを色んな国に展開したいと夢を描いています。

 もう1つのチャレンジは、冷凍たこ焼の製造です。桐生に工場を拡張、銀だこブランドのたこ焼やコールドストーンのアイス、銀のあんのたい焼など、冷凍食品をご家庭でレンジアップして食べていただこうというわけです。これは全くの新規事業ですが、新しい柱に育てていきたいと考えています。

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