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【第12 回 企業家賞 記念講演録】企業家賞 サイクルライフ提案賞 あさひ社長 下田 進 氏

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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サイクルライフを提案するあさひの挑戦

サイクルライフを提案するあさひの挑戦

(企業家倶楽部2010年10月号掲載)

日本一の自転車専門チェーンである、あさひ。2010年度第12 回企業家賞サイクルライフ提案賞を受賞した下田進氏が「創業の理念」や「自転車に対する思い」、「これからの夢」まで、すべてを熱く語った。

日本人のサイクルライフの質を上げるために役立ちたい

 あさひは街の自転車屋さんです。元は私が22歳で開いた16坪の玩具店でしたが、3年たってもまったくお客様が来ませんでした。そこで自転車販売を始めようと、金もないのに大阪の堺から10台だけ自転車を仕入れ、商売を始めたのです。当時、堺は近郊に部品屋が並ぶ自転車の生産地でした。その頃は自転車が商用車として売れた時代で、値段も高かったため、修理・販売をしていれば十分メシが食えたのです。ところが昭和40年代になると、GMS、のちのホームセンターが自転車販売を開始。自転車小売店の数は激減し、堺の部品屋も物作りができなくなったのです。当然あさひも立ち行かなくなりました。これが二度目の挫折です。

 そこで10年目にして、もう一度勉強し直そうと思い立ち、GMSが手をつけていないサイクルスポーツを始めることにしました。それから一生懸命仕事をして一つの店を切り回し、知識や技術もやっと及第点かと思えた頃には43歳になっていました。当時はプロショップで競技者やマニアなど限られた人が自転車を買う一方、GMSなどでは自転車がセルフサービスで安く売られていました。それを見て思ったのです。「果たして自転車が雑貨のように売られていいんか? 自転車は乗り物なのだから安心・安全が確保されなきゃあかんのじゃないか?」と。

 折しも時代はバブル。衰退産業と言われていた自転車業界には若い人は来てくれません。だから人作りをしながら、若者が入社してくれる魅力ある店作り、会社作りを考えました。そこで必然的に100坪の大型店作りをしたところ、お客様の支持を得られ、成功することができたのです。今でもあさひの強みは商品力と店舗力、そして人間力。しっかりした技術と知識、フレンドリーで親切なサービスを行なう自転車屋を目指してきた成果です。

 私のことで言えば、若い頃は知恵を使いながらガムシャラに仕事をしてきましたが、50歳を過ぎてからはあまり仕事で悩まなくなりました。儲かるか儲からへんかや損得はあまり判断基準になりません。それでは何が基準になるのか。それは、そのことが正しいか正しくないか、いいことか悪いことかです。それを判断基準にしてから、お客様や社会、社員に対しても、物事を迷わずジャッジできるようになりました。その結果、お客様や社員の支持も得られて正々堂々と仕事ができるようになったのです。

 私の願いは、自転車を楽しく生活の一部にしてもらい、日本国民のサイクルライフの質を上げること。それを絵に描いたような理想のシーンがあります。それはお父さんのクロスバイクを先頭に、女の子、お兄ちゃん、お母さんが自転車で公園を走る姿。お兄ちゃんの自転車の前かごには野球のグローブかサッカーボールが入っていて、それで公園で楽しく遊び、またみんなで自転車に乗って帰るのです。小さい女の子にはお父さんが補助輪をはずして乗り方を教えるかもしれません。そんな風景に自転車屋として役立てたら素晴らしい。そんな思いが常に心の中にあります。

花が咲き、実がなった今こそ初心に返る「第二創業期の年」

 私は、起業は誰にでもできると思っています。でも条件がある。それは仕事に対する責任感を持ち、知恵を使って、人の倍もよく働くこと。あふれるような想像力があること。自己中心的でなく、人の喜びを自分の喜びとするサービス精神とチャレンジ精神があること。ぎょうさんありますが、一生懸命仕事をしているうちに、筋道がピーンと見えてくる。いいかげんにしていては、それは見えてきません。そもそも仕事って面白いですよ。私は辛いと思ったことはありません。22歳で玩具店を開いたあと、人っ子一人来ないのにじーっと待っていた時は確かに辛かった。逆に自転車店を始めてからどんどんお客様が来てくれると、仕事量が増えて体が辛くたって、苦しさなんかまったくありませんでした。

 こうしてやってきたあさひでは20年前に撒いた種が若木に育ち、やっと今、花咲き、実がなる状況を迎えました。まさに今年が「第二創業の年」です。企業は創業期には大きな失敗をしないものです。失敗したとしてもたかがしれています。それは何事も慎重に一生懸命考えるからでしょう。それより危ないのは、今のあさひのように花が咲き、実がなった豊かな時期。こういう時に20年後の崩壊の種が撒かれます。金が入る、利益が上がる、人がやって来る、こうした時期に悪い種が撒かれるのです。それは恐れがなくなるからでしょう。だからもう一度、創業時の気持ちや恐れを持って、次なる大きな飛躍につなげなければなりません。

 考えてみれば、私という普通の人間がたまたま自転車に出会い、一生懸命仕事をして、それなりのことはできました。人の命には限りがありますが、それをフルマラソンに例えるならば、会社というものはリレーです。これからの20年を実りあるものにするために、若い社員に仕事に対する考え方や、自転車への想いなど大切なことをしっかり伝え、バトンタッチをしなければなりません。心がまえを伝えてくれる人を育てるということです。これは親子でも同じですね。余談ですが、子供に物事への対処法を教えるのは大切ですが、あまり金を残したらあかんのではないでしょうか。子の自由を奪いますからね。そもそも人生は闘いであり、自分で工夫をしながらやり遂げていくものです。だから私は節税もしないし、税金もしっかり払う。子供にもあまりお金は残さんとこうと思います(笑)。

 さて一番のオールドビジネスといわれた自転車ですが、21世紀になると運よく環境や健康、スポーツなどが注目され、見直されるようになりました。これはいい職業に就けたな、と感謝しています。世界がこういう時代になったからこそ、自転車は乗り物として素晴らしい商材になり得たのです。

 嬉しいことに自転車が流行っている昨今ですが、私が危惧しているのはマナーや駐輪場の問題です。戦後60年間、自転車は衰退産業であったためか、国の施策や法整備は遅れています。「自転車はどこ走ったらええんや?」と思うことがしばしばだし、人や車との関係も心配です。一方、ヨーロッパでは道路が整備され、車も人も自転車も法整備の下で、安全に通行しています。日本でも安心・安全に自転車が乗れるよう、国にはぜひともインフラ整備や公共投資をしっかりしてほしいと思います。また自転車に乗る人も例えば左側通行など、みんな一緒にしっかりマナーを守ってもらえたら嬉しいですね。

 世界ではとっくにイデオロギーの壁が取り払われ、みんなが同じ価値観で動き出しています。そういう意味では世界は一つ。ビジネスでも世界で勝てなければ日本で勝てないし、日本で一番であっても世界では負けるかもしれません。グローバル化とはそういうことでしょう。あさひでは先般、北京第一号店をオープンしました。これからアメリカやヨーロッパへも進出を考えています。「世界のあさひ」になれるように頑張っていきます。自転車をもっと愛される素晴らしい乗り物として世の中に位置づけ、世界の人々にも喜ばれる自転車店を作り続けたい。みなさんも近所であさひを見かけたら、ぜひともよろしくお願いいたします。

P r o f i l e

下田 進 (しもだ すすむ)

1948年1月12日大阪府生まれ。1966年府立旭高校を卒業後、玩具卸の仲村商店に入社。1968年父とともに旭玩具製作所を共同経営。1970年代初めに自転車販売を始める。1975年取締役。1992年から現職。自転車専門店「サイクルベースあさひ」を全国に約200店舗展開、自転車業界の「 ユニクロ」としてSPA(製造小売)モデルを確立する。2007年に東証一部に株式を上場、自転車専門チェーンで国内最大手に成長した。今年5月には中国・北京に海外1号店の進出を果たす。

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