MAGAZINE マガジン

【第13回 企業家賞 記念講演録】スギホールディングス代表取締役会長 杉浦広一 氏 スギホールディングス代表取締役副社長 杉浦昭子 氏

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

かかりつけ薬局への歩みと挑戦

かかりつけ薬局への歩みと挑戦

(企業家倶楽部2011年10月号掲載)

第13 回企業家賞記念講演録

 かかりつけ薬局への歩みと挑戦

 スギホールディングス代表取締役会長 杉浦広一 氏

 スギホールディングスの本社は愛知県安城市三河安城町にあります。東京から新幹線のぞみ号に乗り1時間半ほどすると、「只今、当列車は定刻通り三河安城を通過いたしました。あと10分で名古屋です」という車内アナウンスが流れます。その三河安城です。

 1976年、妻の昭子とともに町外れに、わずか16坪のスギ薬局(現スギホールディングス)を創業し、以来34年、二人三脚で働いてきました。夫婦どちらが欠けても今はありません。現在は私が代表取締役会長、昭子が代表取締役副社長を務めています。東証へ上場した時も「夫婦で“代取”は異例」と言われたものです。

 これまでの34年間、特別話し合ってはいないものの、我々夫婦が守ってきたことが三つあります。それは①公私混同をしないこと、②たとえ意見が違っても互いの考えを尊重すること、③ずっとチャレンジを続けること。特に大切にしてきたのが三つ目の「チャレンジ」です。このチャレンジ精神の下、34年間があっという間に過ぎていきました。

 スギホールディングスには二つの大きな転機がありました。それは「アメリカ視察」での感動と、パブリックカンパニーになる責任を自覚した「上場」です。一方、個人・杉浦広一にとっての大きな転機はといえば、まず76年の創業時に好きなゴルフを止めたこと。多店舗展開を目指すならゴルフとの両立はできないと思ったのです。さらに00年のナスダック上場時には、日課のようになっていたスナックやクラブでの夜の付き合いを止めました。

 つまり“昼のクラブ”と“夜のクラブ”を止めたわけ(笑)。こう言うと、「何て気の毒な、かわいそうな男だ」と思われるかもしれませんが、仕事しか趣味のない男が一人や二人いても悪くないのではないでしょうか。

 私たちは患者様やお客様一人ひとりと向き合う「かかりつけ薬局」として20年には3000店舗、売上高1兆円を目指します。これがスギホールディングスの次なる挑戦です。では次に、CSR担当の昭子がお話しいたします。

 スギホールディングス代表取締役副社長 杉浦昭子 氏

 私は19歳で広一に出会い、3回目のデートでプロポーズされました(笑)。そして明治生まれの曽祖母、大正生まれの祖父、昭和ひとケタ生まれの祖母を含む大家族の杉浦家に嫁いだのです。「薬局をやる!」という夫の思いを受け止め、大学を卒業した年の12月に二人でスギ薬局を創業しました。 

 スギホールディングスでは、乳がん検診の早期受診と治療を推進するピンクリボン運動に力を入れています。先進国の中で最も乳がんの死亡率が増えているのは日本ですが、中部は特に乳がん検診の受診率が低いのです。その受診率を何とか上げたいと、啓発のための講演会やチャリティ企画、バッジ販売などを実施しています。さらに地域貢献として、施設での化粧ボランティアやプレママ(妊婦)セミナーも行っています。

 一方、東日本大震災に際してはスギ薬局グループ全7社から寄付金1億円、店頭募金4000万円弱を寄付いたしました。また内定取り消しにあった被災者の雇用対策として、新入社員130人とは別枠で、最大で150名を採用することを発表しています。

 こうしたCSRも私たちスギホールディングスの使命として、これからも積極的に取り組んでいくつもりです。どうもありがとうございました。

一覧を見る