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【第14 回 企業家賞 記念講演録】クロスカンパニー社長  石川康晴 氏

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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クロスカンパニーの挑戦

クロスカンパニーの挑戦

(企業家倶楽部2012年10月号掲載)


 今日はクロスカンパニーのこれまでの軌跡と、挑戦の事例についてお話いたします。まず自己紹介をしますとポイントは三点。私は社長であり、岡山大学経済学部在学中の大学生であり、内閣府男女共同参画会議議員。つまり変わった経営者です。売上は12年度見込みで720億円、経常利益100億円を目指しています。製造から販売を一貫したシステムで行なうSPAで、国内外に470店舗を抱えています。子会社は台湾、中国、アメリカなどチャネルで23か国あり、これはユニクロより多いです(笑)。

 私は子供の頃からバーゲンで小遣いを全部遣うほど洋服が好きで、14歳のときに「洋服屋になりたい」と決意。23歳でクロスカンパニーを創業しました。これが第一の挑戦です。最初の店はわずか4坪。ホームセンターでカーペットを買い、3000円で中古のレジを買いましたが、レジ台は粗大ゴミから拾ってきたもの。ハンガーは100円均一ショップで300本買いました。一人で立ち上げたから買いつけも経理もやりましたが、給料は1万円。1日の小遣いは300円なので、コンビニ弁当を昼と夜半分ずつ分けて食べました。

 初年度の売上は4000万円。2期目に社員を入れようと考え、いろいろなアパレル経営者に話を聞いたところ、全員が「人材は調整弁」。でも若かったためもあるのでしょう、私は「それじゃ人材欠乏状態になる」と考え、社員は最初から全員正社員を貫きました。これが第二の挑戦です。その後、1億から2億へ、4年目で4億円へと順調に成長し、「自分は天才かも」と勘違いした私は社員に宣言しました。

「東京へ行く。服の単価は上げていく」。

 それを聞いて社員が大量に退職しました。「なぜ俺の考えがわからないんだ? そんなヤツはとっとと辞めろ!」。そんなふうに思っていた私はある日、店のレジの下から、ある退職した社員が知人に宛てたらしい手紙を見つけました。『私は会社を辞める。なぜなら社長がバカだから。売れない商品を持って代官山へ出ていくなんて間違いなく会社はつぶれる』。その手紙を読んで非常に落ち込みました。

 そこで逆さまから考え直して決めたのが「高価格でなく低価格」「ヨーロッパで買いつけるのではなくSPA」「モードからベーシックへ」。こうして生まれたのが「アース」だったのです。99年のことでした。

 この「アース」のCM戦略も大変な挑戦でした。当時、売上16億円のブランドに12億円の宣伝費をかけることには社内も反対でした。でもCMを打つことで社員がプライドを持ち、モチベーションが上がればホスピタリティもアップするはず。そう考えて決断したんです。 

 宮﨑あおいさんを起用し、洋服そのものよりもブランドイメージを強調したCMには「何のCMかわからない」などクレームもたくさん寄せられました。CMでは宮﨑さんが「ミサイルほどのペンを片手に…」と歌っているのですが、「北朝鮮のミサイル問題をどう考えているのだ!?」なんて批判もありました(笑)。でもクレームの多いCMは、いいCM。結果は前年比133%の成長となりました。

 私は今、月のうち1週間ずつ東京と岡山で仕事をし、残りの2週間は上海在住です。昨年8月に現地法人を設立し、アパレルには珍しく初年度から黒字を出せました。アパレルではいくら仕掛けても韓国、欧州勢に負けてしまう中国でのビジネスモデルを成功させるため、自ら住むことを決めたのです。もともと立てた戦略を、マーケットを見ながら微妙に変えていく創発戦略のためですが、私自身、中国での生活を楽しんでもいるところです。

 そんなクロスカンパニーの特長の一つが女性の活用。中間管理職のうち女性は40%。女性人事委員会を設け、女性の目線を大切にし、集約して経営を行なっています。さらにCSRにも積極的に取り組んでいます。東日本大震災のあとには被災者180名を雇用しました。また中国の砂漠での植林など環境活動にも力を入れています。私のこうした挑戦の源は「論理性」「創造性」「行動力」「胆力」。また経営者の大切な概念とは「人柄」「社会」「経済」。リーダーはこれらをバランスよく保ちながらマーケットへ向かい、努めていくべきだと思うのです。

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