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【編集長インタビュー】ドクターシーラボ 取締役会長 城野親徳

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

人の100倍頭を使って10倍汗をかいて3倍行動する

(企業家倶楽部2008年12月号掲載)

「アクアコラーゲンゲル」の大ヒットによりドクターズコスメの第一人者の地位を築いたドクターシーラボ。しかし、化粧品業界には内外の大手メーカーがひしめいている。大手企業の仲間入りを果たすため、「10年以内に年商1000億円を達成したい」と決意を示す城野会長は「人の100倍頭を使 い、10倍汗をかいて、3倍行動する」と“熱湯経営”の継続を明らかにした。(聞き手は本誌編集長 徳永卓三)

シロノクリニックからスタート

問 皮膚科を専攻されたのはどんないきさつからでしょうか。

城野 父親が外科医だった影響で、最初は慶應義塾大学医学部を卒業してから救命救急外科へ行きました。外科自体は非常にやりがいのある仕事だったんです。教授たちはオペ後、「あと頼むね」とポンと私の肩をたたいていなくなっちゃうんですよ。そうするとアフターケアは城野と言われて、オペ後のおばあちゃんの手を握って「痛いのはあと3日ですから、僕と一緒に頑張りましょうね」と励ますと、謝礼をはずんで下さる方もいましたね。

 しかし、その当時外科医が日本に5万人くらいいて、その中で自分が新しい価値を創造していくというのはかなり大変なことだと思いました。また将来性をみても、おそらく外科医は必要なくなる時代が来るだろうと感じたんです。実際に昔は盲腸や胆石は手術をしたけれど今はしないで治したり、簡単な癌だったらレーザーで切り取ってしまったりと、外科医というのは昔のような花形ではなくなっていました。その中でまだ開拓されてない分野を考えたら、アメリカで活発になりつつあった皮膚のレーザー治療だったんです。当時はまだレーザー医学専門の先生も数人しかいなかったので、数少ない日本のレーザー研究施設に入り、約5年間勉強しました。

問 初めはシロノクリニックからスタートされましたね。

城野 日本で勉強した後、約1年間、本場のアメリカに留学した時にいろんな施設を見てこれを日本に持って帰ったんです。そしてその1年後の1995年に日本でほぼ初めてとなるシミ・あざ・ほくろをレーザーで治すクリニックを始めました。当時はシミよりもお子さんのあざなどを治してほしいという方が多かったです。自分の子供にあざがあったりすると、お母さんが病気になったり、責任を感じて自殺する事件もあるくらいですから。皮膚のあざ1つでも心の問題にも関するかなり深刻なことなんです。

米国ではドクターズコスメが40%

問 その後ドクターシーラボを設立されたんですね。

城野 アメリカに留学していた95年頃は、化粧品を医者のところで買うドクターズコスメがブレイクしていたんです。そこで日本で自分が先頭切ってやってみたら成功できるかなと。タイミングとしては3年早すぎると失敗しますけれど、ちょうど1年前くらいで、半歩先を先取る形になりました。

問 医者でありながら東証1部の上場企業の経営者であるというのは珍しいケースですね。

城野 そうですね。慶應医学部を卒業して一部上場企業の社長、会長になった人というのは百何十年の歴史の中で初めてとお聞きしました。でも自分自身は何の抵抗もなかったんです。自分がクリニックで患者さんを1日で見られる人数は限られていますから、自分の学んだ技術をもっと多くの人に商品として発信したいと思ったときに、ドクターズコスメのスキンケアという延長がありました。

問 ドクターズコスメは米国ではどれだけ普及しているのですか。

城野 米国のスキンケア市場の40%はドクターズコスメです。日本はまだ7%程度ですが、これからこの比率は増えて行きます。女性は本能的に「この商品は誰が作っているか」ということに敏感ですし、その商品が出来るまでのストーリー性を大切にしています。ドクターズコスメが普及している背景には消費者の意識の変化があります。

患者さんが自分の教師です

問 確かに、農産物一つとっても、スーパーでは生産者の名前を顧客に知らせる所が増えていますね。

城野 例えば、女性の方がどこかの婦人科に相談する時、院長先生は男性か女性か、どんな考えを持っているかなどを調べる時代になりました。食に対する不安、環境問題、住環境など周りを見れば、信用できないことばかりになっています。そういう状況では作り手の顔が見れるという安心感が大切になってきます。

問 商品開発に当たりどのような事に注意されていますか。

城野 自分が開業したり会社を作っていく過程において、こういうのが売れるだろうと商品を作ったのではなくて、女性の患者さんにどんなスキンケアをしたいとか、どんなものに信頼感を求めているかというのを教えていただきながら開発しました。つまりその時の患者さんたちが自分の教師なんです。私たちが自信をもって商品を送り出せるというのは、やはり開発したものを使用している患者さんを目の前で見て観察しているからなんです。

50年愛され続ける商品に

問 そうして開発したアクアコラーゲンゲルは発売以来、1000万個以上売れていますね。

城野 業界の常識として聞きたくなくても入ってきてしまうものがあります。例えば化粧品サイクルは3年だとか、10年間売れ続けたものはないとか。ただ自分がそうだよねと言ってしまうとなかなかそれに対してポジティブな手を打てなくなるので、自分は自分でいい道を産出していこうと考えています。例えば販売戦略にしても、次はこれ、次はこれという風に、ファッション業界のようなファッショナブルな化粧品の展開ではなくて、先祖代々使われている軟膏のように、10年~50年愛され続ける商品にしていきたい。そのためには人の100倍頭を使って、10倍汗をかいて、3倍行動しようと常に思っています。

問 アクアコラーゲンゲルがこれだけ人気になっている秘密は何でしょうか。

城野 自然治癒力をテーマに置き、肌をご自身の力で強くしてくということに共鳴して実感していただいていることと、5段階必要なスキンケアをこれ1本にまとめたことです。周りの代理店とかプランナーのような方々はことごとく「化粧品というのは機能を5つに分けて売るから5倍売り上げがつくんですよ」て言ってくるのですが、私は普通だったら3人しか買ってくれないのに10人買ってくれれば十分採算が取れるし、1本だけというのを患者さんや女性が望んでいると思ったんです。

問 5段階のところを1段階に縮小したというのは、発想の転換だったんですね。

城野 かなり勇気のいる行動でしたが、自分の男性としてのDNAに5つ塗らなきゃいけないという常識がなかったんです。

明確な目標を定める

問 私も御社を取材するまで、女性の化粧がそんなに手が込んでいるとは知りませんでした。

城野 男性で(化粧に対する)常識がなかったから、プレーンな発想で考えられたと思います。社員にもよく言うのです。「目標を定めなさいと」。目標がなければ、戦略が立てられない。戦略がなければ、動けない。逆に言ったら、お客様はどんな商品を望んでいるか。スキンケアは何のためにするのかですよね。肌を保湿するためのものです。それなら5段階も要らない。

問 業界の常識に捉われないことですね。ところで、化粧に対する女性の考え方はこの10年で変わりましたか。

城野 変わりました。化粧品に対する要望が多様化しています。一方ではスキンケアに対し、病的なほど貪欲になっているお客様もいれば、他方ではスキンケアが困難なほど敏感になっている方もおられます。その分、大ヒット商品が出なくなりました。音楽のCDと同じで、中ヒット、小ヒット商品が多くなりました。その代わり、ジャンルは増えています。

問 そうした中で、御社はどんな戦略を取られたのですか。

城野 スキンケアの種類が増えている中で、敏感肌を通り超えた超敏感肌、例えばアトピー性皮膚炎とか肌トラブルが本当に深刻な方々に対しては、防腐剤を使わないゲルを提供していったり、普通のスキンケアを飛び越えたような効果を実感したいと思う方にはスペシャルメディカルコスメみたいなものを提供したりして、大手の化粧品会社ができないことを我々は細かく対応しています。そのおかげで年間20~30%の右肩上がりの成長ができていると思います。

問 細かく対応できるのはどうしてなのでしょうか。

城野 私たちの業務体質のスタイルは現場主義で、私のクリニックの患者さんや新入社員が行う店頭研修でのお客さんのカウンセリングにより、本当の意味で顧客のニーズを知る解決策を導きだして戦略を立てているからです。

売上高1000億円を目指す

問 今後の事業展開についてお聞きしますが、今後はどんなところに力を入れていきますか。

城野 第一段階としては国内の売り上げ規模を安定させ、売り上げ1000億円にすることです。やはり大手の仲間入りをし、会社の長期安定のためにはそれなりのスケールメリットが必要です。また海外進出をして、欧米に負けないグローバルカンパニーにしていきたいと思っています。

問 1000億円の売り上げを達成するのはいつ頃とお考えですか。

城野 自分の気持ちとしては5~10年くらいにはと思っています。

問 1000億円を達成するためにどんな手を打っていく予定ですか。

城野 数字の理屈があって、例えば1ブランドの売り上げの限界値として過去に500億円売ったものがあっても、1000億円行ったブランドはないので、3つのブランドを500億円ずつ売った方が効率よく会社としても達成できる。1つのものにこだわりすぎず、高級ブランドコスメもワンブランドとして育てていこうと思っています。

問 では、高級ブランドはジェノマー、中間帯がアクアコラーゲンゲル、若い人向けがラボラボになるわけですね。

城野 ラボラボ対象の若い方はコンビニなどが主力の購入ポイントになると思います。現在3500店舗くらいでラボラボが買えます。中間層のアクアコラーゲンゲルになると30~40代のお客様で、忙しくてなかなか買い物に行けないお母さんが通販で購入したり、百貨店できちんと説明受けて買いたいという世代が多いので、ここは店頭販売、通信販売をメインに力を入れています。

テレビCMをやめちまえ

問 ネット戦略にも力を入れ始めましたね。

城野 実は今年の始めに自分は、「テレビCMをやめちまえ」という大号令を発しました。半分本気で半分脅しで(笑)。何を示唆しているのかというと、これからは広告宣伝ではなくてPRの時代だということです。ネット戦略としてはホームページ(HP)などの単純なことではなくて、究極はお客様にシーラボ直通のUSBが繋がるカメラを送り、それを繋ぐとパッと画面から「いらっしゃいませ。ドクターシーラボの山田でございます」というところから始まるビジネススタイルを作ったらいいのではと思っています。さらにそこに24時間皮膚のドクターがいて「先生ここがこうなんです」「もっとアップにしてみて。うちの商品だったらあれを使うといいよ。江戸川区に住んでいるんだったら一応明日近くの山田病院に行っておいで」とか、そういうサービスがあったら喜ばれますよね。ネットというメディアを通じて新しい価値観の提供は最重要ツールとしてみています。

問 テレビCMをやめちまえとおっしゃったんですか。

城野 僕はテレビの将来に疑問を持っています。今のテレビ業界は朽ち果てていくことを知らずにふんぞり返っている。生き残るのはBS放送だけですよ。今はテレビCMやっているから商品を買いたくなる時代ではないので、早くテレビCM依存症から脱却していかないといけないと社内では言っています。

問 現段階のネット戦略はいかがですか。

城野 好評を頂いているドクターシーラボのコミュニティーがあり、その中にお母さんだけのママコミュニティーサイトを作ろうという動きは始まっています。心のケアも含めた肌トラブルを気軽に相談できるお母さんたちだけのサイトです。

問 美しい肌は全世界の女性の願いです。アクアコラーゲンゲルを世界中で売る計画はおありですか。まず、中国は有望市場と思いますが。

城野 将来かなりの市場であることは間違いありません。中国は人間にたとえたら、15歳くらい。まだまだ知識を取り入れてくるし、まだまだ大人に成長する頃です。日本は、60歳で、会社では役員とか重鎮といったところです。向かってくる若い者に対しては「まぁそれでもよしとしよう」としたりという感じです。でもそれはそれで世界の中では重要な役割ですよね。その中で実際日本の企業が中国に10社行き、黒字を出して成功している会社はおそらく10%未満。物を売る前にブランディングして、中国でどうアピールしてくかの戦略を立てないといけません。アグレッシブさと、ビジネスでのしつこさは日本人が到底及ばないものがありますし、戦略なくして容易に勝てる国ではありません。まだ中国戦略で8割勝てるところまでいかないので、当面は香港、台湾、シンガポールとかあまり風呂敷を広げずに基盤を作ります。

問 化粧品以外にも進出されていますね。

城野 今、化粧品事業の売り上げは全体の95%で、これから1000億円?2000億円という壁に向かっていく時には、化粧品とシナジー効果の高い多角化は必要になってくると思います。特に健康食品はもっと力を入れていけば、売り上げの15~20%をつくっていけるでしょうね。化粧品で300億円売り上げているとしたら、当社は200万人近い顧客をつかんでいるでしょうから、200万人のうちの10%に、例えば5000円の健康食品を買ってもらいますと、売り上げが10億円になります。おそらく300億売り上げのときの30億円の健康商品をつくるのは無理がない。

問 非化粧品の売り上げは1000億円の場合はどのくらいを考えていますか。

城野 だいたい10%くらいですね。今は約3億円の売り上げなので、ぐっと伸ばしていきたいです。

独自の医療関係で社会貢献していきたい

問 今ドクターシーラボの会員が420万人いて、ラボラボの会員40万人と合わせて460万人のシーラボファンがいます。これからもっと増えていきますか。

城野 会員数は増えていってほしいのですが、どれだけ近いコアな会員さんをたくさん育成できるかということが1つのポイントになります。

問 ラボラボを2003年12月に発売されて、1年後に在庫の山ができたとお聞きしましたが、このときの会長の心境はどんなものでしたか。

城野 「過去の成功体験に頼ってはいけないよ」と人に言っていたくせに、自分で同じ間違えを犯してしまったなと。アクアコラーゲンゲルと同じやり方でターゲットが低いため、値段を安くしてちょっと成分を薄くして、これでいけるでしょと高をくくっていたのですが、ビジネスはそんな甘いものではなかった。20代の人たちに対してラボラボが、「なるほどな」と刺さるものがなかったんでしょうね。結果でいくと10億円近い在庫の山ができました。

問 その時の打開する決めては何だったんでしょうか。

城野 まったく認識を新たにして、その世代が求めていることを知り、原点に戻るということです。その世代の人たちがどんな商品を求めているのかを洗い直したわけです。自分たちが良いと思っていることを教えてやるとか押し付けていくみたいなことは、その世代は全く望んでいないんだということが分かりました。だから学校の先生って嫌われちゃうんですね。世代が違うと色々違う。若い人が毛穴に悩んでいることが分かり、ラボラボを毛穴ケアの商品として打ち出し、若い世代の支持を得ました。

熱湯経営で挑む

問 ところで、社内では、"熱湯経営“を標榜されているそうですね。

城野 病院行くとぽかんとした感じなんですけど、ビジネスとなるとやはり常に明日の生き残りをかけた競争です。ゼロから会社を立ち上げてきたので、古臭いんですけど気合いとか根性とかいう言葉が大好き。ちょうど216億円程度売り上げの会社ですので、ここを乗り越えた企業というのは比較的長期に上がっていく傾向から、当社も3年後から5年後に向けた成長が重要です。

問 それで、熱湯経営を今後も続けられるわけですね。

城野 人に言われたことではなくて、目標をもって、戦略を立て、自ら学んで成長してくことは最高のあなたの報酬だと気づいてほしいです。自分が10年やってきて絶対失わないものは、会社を広げていく経験であり、ビジネスを通して自分の成長を楽しめたことなので、そういうことは後に続く全社員に覚えておいてほしいです。

問 城野会長の将来の夢は何ですか。

城野 社会貢献していきたいと思っていますが、どうせなら人と同じような半端なことはしたくない。自分が作ってきた会社を残していきたい、形を残していきたいので例えば後進国にドクターシーラボのマークがついた病院を作ったりしたい。医療をバックボーンにした社会貢献をしていけたらいいと思っています。

P r o f i l e
城野親徳(しろのよしのり)
1963年生まれ。慶應義塾大学医学部卒業後、88年に大学病院で外科の研修医として勤務。その後皮膚科へ専門を移し、レーザー治療研究を始める。95年皮膚科クリニックを開業し、99年に株式会社ドクターシーラボを設立。02年取締役会長に就任。2008年度第10回企業家賞授賞。

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