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編集長インタビュー

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

編集長がゆく!

まずは自分で実際にやってみることが信条 相模屋食料 社長 鳥越淳司 

まずは自分で実際にやってみることが信条 相模屋食料 社長 鳥越淳司 

「出来ない理由を考えたり、他人の批判をしているくらいなら、そんな無駄なことは止めて、まずは自分に出来ることをやってみること」と鳥越は言う。大企業と違い中小企業には十分な研修制度やマニュアル本はないが、ゼロから自らが体験できるというメリットがある。無いことを嘆くよりもまずは実践が鳥越の信条だ。豆腐業界のニューリーダーに迫る。(聞き手は企業家倶楽部 編集長 徳永健一)

まずはやってみること

問 相模屋というと既成概念にとらわれないユニークな商品を作っていますね。ガンダムとのコラボである「ザクとうふ」が話題を集め知名度は全国区になりました。現在では、豆腐業界で圧倒的なトップメーカーとなり、業界をけん引する存在になっています。鳥越社長は創業家のご出身ではありませんね。相模屋へ入社する経緯から聞かせてください。

鳥越 前職は雪印乳業におり、勤務地として配属され群馬にやって来ました。そこで相模屋創業家の三女と知り合い、結婚して入社に至るのですが、普通に出会っていたら社長になっていなかったと思います。

問 三代目社長になる「きっかけ」があったのでしょうか。具体的に何があったのですか。

鳥越 雪印の新入社員時代は、皆と同じように『本社で大きな仕事して出世したい』という夢を持っていましたが、客観的に見ると地方の支店は出世コースではないことが分かりました。少し冷めた目で本社を見るようになり、夜は居酒屋で愚痴をこぼしていました。

 20代で血気盛んな頃でしたから、酔った勢いで一回り以上も年上である40代の課長に食って掛かり、『何であんたが課長で私が平の社員なんだ。私の方が仕事が出来るのにおかしいじゃないか』と今思えば大変失礼な大口を叩いていました。

 そんな当時、取引先の購買担当者であったフレッセイ社長の植木さんから、『そこまで言うのだったら、自分でやってみたらいいじゃないか』と宥められたのですが、当の本人の私は「なるほどそうか、自分で経営をしてみたい」と考えるようになりました。雪印の社長になりたいと思ったのですが、無理そうなので、それでは何が自分にできるかと考えました。

 当時は雪印の営業として乳製品を扱っていたので、植木社長に売り場の活性化を提案しました。自社製品だけでなく、他社の商品も巻き込んだプロモーションでしたので、隣で豆乳を販売していた後に妻となる創業家の三女を紹介して頂いたのが相模屋との縁となりました。

価値観の転換期

問 いつかは自分で経営をしてみたいという想いがあったのですね。前職時代で何か印象的な出来事はありましたか。

鳥越 創業家の江原家は三姉妹でしたのでどこかのタイミングで入社し、いずれは会社を継ぐという話ではあったのですが、そんな折、2000年に雪印で食中毒事件が起こり、現地の大阪に駈け付けお客様のところに謝罪して回りました。食品メーカーの人間として責任があると思い、この一件が落ち着くまでは逃げたくないと考えていました。それから2年後に「メグミルク」という新しいブランドで出直すことが決まった時に、これで役目は果たせたのかなと思い、雪印を退職し相模屋に入りました。この時の経験が私の考え方の大きな転換期になりました。

問 食料品は人が口にするものですから、作り手の責任は大きく、取り扱いが難しいですね。直接、顧客の家を訪ねて謝罪をするなど、大変な経験をされたのですね。

鳥越 サラリーマンをしていると日常が当たり前になっています。当然のように仕事があり、商品があり、マニュアルがあり、それらをルーティンでこなしています。春先になると新商品が出て、自分が作ったかのように客先で話をします。しかし、マニュアル以外のことは話せません。製造工程のことは知らなくても良かったわけです。知らないことに罪も感じませんでした。

 食中毒事件でお客様に一番聞かれたことは、「何でこんなことが起こったの?」という質問でしたが、答えられないことが悔しかった。これほど申し訳なく、情けないことはありません。大企業の歯車になりたくないとかそんな小さな話ではなく、商品を勧めるのであれば、責任を持って仕事をしたい。すべてのことを知っていて、何か起こったら自分で解決できるようになりたいと思うようになりました。

知識と実践は違う

問 なるほど、この経験があり鳥越社長は現場にこだわり、何でも自分でまずはやってみるという仕事観にたどり着いた訳ですね。2002年に相模屋に入社して、まず何から始めたのですか。

鳥越 午前1時から工場に入って豆腐作りから始めました。ありがちなのは、少し見ただけで豆腐の作り方が分かったというのは全く違います。なぜなら以前、私も牛乳の作り方を知っていましたから。牛から搾乳して、温度は何 ℃で保管してといったフローチャートで分かったというのでは全然ダメです。

 あの事故でそれを知っていたことが何の役に立ちましたか。ということで、工場に入ったら、必ず自分で豆腐作りをします。実際に毎日、豆腐を寄せていると美味しい豆腐の作り方が分かってきます。

問 豆腐作りの職人や先輩がコツを教えてくれるのでしょうか。

鳥越 誰も教えてくれません。大企業は研修制度がしっかり整備されており、広く教えてくれますが浅いです。中小企業は誰も教えてくれませんが、逆に自分で深いところまで実践できる可能性があるのは良い点です。

 唯一教えてくれるポイントがあり、それは自分で考えてやってみたが失敗した時です。失敗すると担当者の責任になるので、「おいおい何やってんだよ。ここはこうするんだ」と教えてくれます。たくさん失敗するとその人は真っ青になって教えてくれましたね。

 職人の世界は、独特の感性で伝えるので理解するのが難しいのです。「こうするだろう。するとボワーっと上がってくるだろう」って言われても初心者は分かりませんよね。そうこうしながら、自分で豆腐屋を開けるくらいにまでなりました。中小企業で「何でも教えてください」では通用しません。

事業再生の肝

問 鳥越社長が入社された2002年当時は売上高が28億円でした。現在はその10倍以上の売上げ318億円と事業規模が拡大しています。その成長力のひとつは赤字に陥った同業他社をグループ化していることだと思います。そして、グループ化した企業を見事に黒字化していますが、事業再生のポイントはどこにあるのでしょうか。

鳥越 再生案件は簡単なことではありません。最初に現地に足を踏み入れる瞬間の雰囲気は暗く、飲まれないようにどうやって明るくするかいつも考えています。

 まず、出来ないことはそのままにしておけばいいので、出来ることから始めようと伝えています。しかし、何故か出来ないことばかり言います。仲間内で謝っても仕方がありません。時間の無駄です。「今日は何が出来た。良かったね」と「良かった探し」をする方が場が明るくなります。

問 出来ない理由をいくら上げても経営が改善するわけではありませんよね。それよりも出来ていることに目を向けるわけですね。シンプルで分かりやすいです。

鳥越 経営が傾く会社は最後にはコンサルや銀行が入ってきて、「ダメなところを管理しなさい」というので、管理病になっています。しかし、究極の管理とは、管理するものがないことです。新たにバルブを付けるから管理しなければならなくなる。何か黒い点が付くから検品しなければならなくなる。変なものが流れてこなければ、そもそも管理する必要がないわけです。余計なことをするから管理が必要になるのです。

問 優先順位を付けて、やらなくていいことを決めてあげることが重要なのですね。目から鱗が落ちるような思いです。それで業績は上向くのでしょうか。

鳥越 未練は捨てて、無駄なものは思い切って捨てよう。そんな話をすると皆いろんなものを捨て始めます。すると当たり前ですが、どんどん管理コストも下がります。品物もシンプルに流れてくるようになり、品質も安定します。

 そこで始めて、「美味しいものを作ろう」となります。歩留まりや生産効率のことを考える必要はありません。ロス率のことも忘れて、「今日は美味しい豆腐が作れたかどうか」だけを考えて仕事しようと。

 その結果はどうなると思いますか。美味しいものを安定させようとし出します。必然的に歩留まりも良くなり、生産性は高くなるのです。卵が先か鶏が先かではなく、私の役割はどちらが先か明示することです。

問 世の中には事業再生のプロがいますが、相模屋流のモノづくりのノウハウがあるのですね。これまで6社の事業再生に成功している理由が分かりました。それで必ず現場に入っていき現状を把握する必要があるのですね。

鳥越 最初に当社に入った時に豆腐作りをしているので、職人と話をすれば、どの様な作り方をしているのか分かります。それぞれの会社で新しい製造法があります。特性があるので一つひとつ勉強していきます。良いところを残し、伸ばしていきます。

 しかし、とかく経営が傾いてくると本来残さないといけない独自技術の部分を端に追いやってしまい、生産効率をど真ん中に持ってきて、管理病になっているのです。本来しなければならない、目利きが機能していないことが問題です。

工場は生き物である

問 再生案件で関西と関東を往復したり、月曜日は本社で試食会、午後から必ず工場を視察されるそうですね。何でもパッケージのデザインも自ら手掛けると聞きました。休む暇もなく飛び回っていますね。

鳥越 仕事が趣味ですから。週に一度、工場を回るのを続けていると「社長は月曜に来るぞ」と分かります。月曜日がテスト日なのですね。すると「月曜に向けて直しておこう」となる訳です。工場は生き物ですから、いくら綺麗にしているといっても何かしらチェックポイントは出てくるものです。気付いたら iPhone で写真を撮り管理職全員に送れば5分で終わりです。そのためにメールや会議をしていたら時間がかかり、鮮度も落ちると社員の情熱も落ちますので、直すのは後回しになってしまいます。

 これを続けていると、「ここを改善したので見て下さい」と待っている人が出てきます。イソップ物語の「北風と太陽」ではないですが、指示や命令でさせるのはなく、「月曜になったら社長が来るからね」と皆で声を掛け合って見直してくれた方がいいのです。だから他の曜日に行ったりといった抜き打ちなんてしません。指摘ばかりしていたら嫌になってしまいます。見て欲しいと思うようになる位改善できて、実感できるようになったらいいですね。その結果、褒められたらこの上なく嬉しいことです。これが私なりの工場マネジメントなのです。

問 将来のビジョンについて聞かせてください。

鳥越 「おとうふ」を世界の人に広めたい。食卓の名脇役と言われてきましたが、必ずこの場に必要な人にしていきたい。大豆は今、Plant Based Food(植物性食)として、世界で広がってきているので、主役になれると思います。このビッグチャンスに、私たちは中小企業だから勝てませんなんて、指をくわえてみている訳にはいきません。大企業と戦っていくのは、「小が大に勝つ」なので、日本的で楽しいと思います。

(企業家倶楽部2021年5月号掲載)

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