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| GMO熊谷正寿会長兼社長 |
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企業家賞「ネットインフラ構築賞」を受賞したグローバルメディアオンライン会長兼社長の熊谷正寿氏。「すべての人にインターネット」「ニッポンの『インターネット部』を目指す」を合い言葉に、九五年からインターネット事業を開始し、安いレンタルサーバーとウェブサイトが簡単に持てる「独自ドメイン」を提供。すべての人が求める「情報」に関するソリューションを構築した。そのGMOを率いる熊谷会長が常に携帯しているバッグのように大きな手帳は有名である。先頃『一冊の手帳で夢はかなう』という著書を発表した同氏は実際、その手帳に夢を託し、それをひとつずつ実現してきた。渾身の著書と同じタイトルの講演で、その手帳に込められた秘密と可能性を明らかにする。
21歳にして社会人、夫、父、学生の四役に苦しんで
私は今年四十一歳ですが、二十年前、二十一歳の頃の手帳にまつわるある出来事をお話したいと思います。十七歳で高校を中退し、父の仕事を手伝っていた私は当時、一人四役の忙しい毎日を送っていました。働く社会人、二十歳で結婚した妻の夫、二十一歳で生まれた娘の父親、そして通信制の放送大学の一期生・第四号の学生という四役です。
しかも父は「どの企業でも一流大学を出た人達が夜遅くまで働いている。お前は頭が悪いんだから、一番安い金で一番長く働け」。金も時間も夢や希望もない「三ない状態」でした。友人達は大学生で時間はたっぷり、金もほどほどあって楽しくエンジョイしています。自分で選んだ人生、後悔はしていませんでしたが、正直言って「何かが違う。苦しい」という気持ちでした。
その頃、あることをしてみたらスーッと胸が晴れるのに気づきました。それは僕が「三つのアクション」と呼ぶ一番目のものでした。当時からメモ魔だった僕は一冊の手帳「夢手帳」に将来したいこと、こうありたいことなどの夢や目標を書き出してみたのです。つまり「夢のリスト、やりたいことリスト」です。その夢のひとつが「平行な家に住みたい」でした。
当時、私は江戸川橋にあった築数十年の同潤会アパートに住んでいました。この家は鉄でなく松の杭が地下水で腐って傾いていて、低い方に頭を向けて寝ると頭に血が昇るし、娘がこぼしたミルクは低い方へサーッと流れる始末でした。そんなある日、妻が泣きながら「もっといい所に住みたいからアルバイトに行く」と言い、椿山荘のウェイトレスとして働き出しました。「こりゃいかんな」と思い、「平行な家に住みたい」と手帳に書いたわけです。
そんな夢を書き連ねているうちに、夢が何ページにも増えていきました。それは目をつぶっても映像として思い浮かべられるくらい詳細なものになっていったのです。すると「待てよ。書いてはみたけど、お前は結局、何をしたいんだ?」という疑問が自分の中で湧いてきました。そして次のような結論に至ったのです。「私にとっての幸せとは心の平和、満足感、目標達成した時の喜び」「私にとっての成功とは、物、心ともに豊かで、自分も含めて周りの人に笑顔でいてもらうこと。他の人のためになりながら、自分の思った通りの人生を全うすること」。
人生年表を作って35歳までの夢を書き込んでいった
人生は考えるよりアクションが大切です。私の次なるアクションは、夢手帳に「夢・人生ピラミッド」という図を入れることでした。これは夢をピラミッド状の図に転記したもので、つまり夢をジャンル別に分けて優先順位をつけたものです。私が夢の中でも一番大事だと考えるものは健康です。健康でなければ夢の達成もできません。次に大切なのは心のあり方・精神面。そして知識のあり方・教養面。健康でいい人なだけでも、健康で知識はあるが人とうまくやれない人でもなく、健康で豊富な知識を持ち、かつすべての人とうまくやれる開いた心を持った人になる。それを「基本レベル」としてピラミッドの一番下の段に置きました。
そういう三つの要素を持った人間であれば、仕事など社会生活、家庭生活などプライベートもうまくいきます。これを「実現レベル」として、ピラミッドの二番目の段に置きました。それが実現すれば、物やお金など経済的・物質的なものは結果的についています。それがピラミッドの一番上の段にくる「結果レベル」です。そしてキーワードは「全人」。これは中曽根康弘元首相が「すべてのバランスが取れた人」という意味で言ったもので、私の好きな言葉です。この「夢・人生ピラミッド」を使って、私は膨大な夢を整理して書き出し、優先順位をつけたのです。
さらに私が行ったアクションは、「人生年表(未来年表)」をつけることです。これは縦軸に「健康」「教養・知識」「心・精神」「社会・仕事」「プライベート」「経済・物・金」という六つの要素を置いたもの。横軸には「今」「将来(夢)」「差」という項目があり、それに正直に今の自分の姿や将来の夢、そのギャップを書き込みます。さらに横軸は二十歳から二十一歳、二十二歳……と三十五歳までの年齢の欄があり、それにそのときどきの夢や目標を書き込んでいくわけです。
私はこの年表を夢手帳にはさんで持ち歩き、暇さえあれば眺めていました。さらに会う人ごとにその内容を話したのです。その具体的な内容とは、たとえば「健康」なら「強靭な体力を持って百歳まで活動する」。この目標があったので二十代の頃から毎年二回人間ドックに入り、病気を早期発見して事なきを得たこともあります。
また「心」なら「自分より能力の高い人と過ごせるような精神を身につける開いた心」。「教養」は「自分より能力の高い人と働ける程度の教養を身につける」。「プライベート」は「家族と快適、楽しく幸せに」。「経済・物・金」は「必要とし、ほしいと思う富が自分にふさわしいか考え、その考えを尊重すること」。そして「社会・仕事」が、まさに「何かの分野で一番の青年実業家になりたい」でした。それを通じて、自分の生まれてきた証を残したい、社会に貢献したいということです。そのためには業種・業界にこだわらない、また一位になれないことはやらないということも決めました
経営で最も大切なのは会社の"夢"をはっきりさせること
私は経営において一番大切なことは会社と創業者が持っている夢をはっきりさせること、つまり社会生活を何に捧げるのかをはっきりさせることだと思います。GMOが掲げる「スピリットベンチャー宣言」もここから生まれました。
その「夢・志・理念(人生を何に捧げるか)」は「インターネットのインフラ、サービスインフラ、すなわち場の提供にかかわる事業で圧倒的一番になること」です。私は“一番"には二つあると思います。二位、三位と大差ないのは“なんちゃって一番"。でも私が目指すのは一強。二~七位が合併しても追いつけない圧倒的一番です。
また「ヴィジョン(宝の山はどこにあるか)」は「インターネット革命が進行する中でネットのインフラ、サービスインフラ、すなわち場の提供に経営資源を集中し、多くのファンの『笑顔』『感動』とその結果として大きな利益を生む」。金で集まる人間関係はもろいもの。また「安い」という理由だけで集まった客は、もっと安いものを見つければ離れて行ってしまいます。
さて、私の「人生年表」の一番最後、三十五歳のところの夢には「上場する」とありました。そして私はその三十五歳を四十日だけ過ぎた九九年八月二十七日、国内の独立系インターネットプロバイダーとして初めてジャスダックに上場したのです。野村総研調べによると、上場企業になるのは十年間でわずか一千万分の十七の狭き門。それが達成できたのは「夢の手帳」に書いて眺め続けたからこそ。その中の「夢リスト」「夢・人生ピラミッド」「人生年表」がなかったら、今の会社はなかったに違いないと痛感しています。手帳にものを書く習慣が私の夢を実現してくれたのです。
では、最後に私の一番好きな言葉を紹介しましょう。
夢あるところに行動がある
行動は習慣を作り
習慣は人格を作り
その人格は運命を作る
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