• トピックス
  • 企業家倶楽部
  • バックナンバー
  • 企業家チャンネル
  • 私の注目ニュース
  • 新商品コーナー

トピックス -企業家倶楽部

2012年05月28日

第3部 編集長インタビュー 世界で活躍する投資銀行をつくりたい エイチ・エス証券社長 澤田 秀雄

企業家倶楽部2006年1・2月号

「ベンチャー企業のためのベンチャー証券会社」を経営理念に掲げ、金融業界に旋風を巻き起こしているHS証券。同社を率いる澤田秀雄は「企業規模でHISを追い抜き、世界で活躍する投資銀行をつくりたい」と壮大な構想を語る。

(聞き手は本誌編集長 徳永卓三)



■全役員が反対した証券参入

問 一九九九年一月に協立証券(現HS証券)を買収された経緯から伺いたいと思います。「買ってくれないか」という先方からの要望を何度かお断りしたそうですね。


澤田 当時は山一證券が倒産するなど証券不況で、山一證券の完全子会社だった協立証券も潰れる寸前でした。ただ協立証券は証券関係の免許を 全部持っていたんです。そこでM&Aを手がける企業の担当者が僕のところに来て、「このまま潰すのはもったいないので、ぜひ引き受けてくれないか」と言い ました。僕はHISでいくつかのM&Aを成功させている経験がありましたから、「澤田さんだったら、やれるんじゃないか」とうまくおだてられたんです。た だそのころスカイマークエアラインズなどの新事業に手を出し始めたばかりだったので、断りました。

 すると数ヵ月後に「もう時間がありません。そろそろどうですか」とまた来られたんです。「それでは一回役員会にかけてみます」ということで、役員 会で話したら、全役員が「ちょっと待ってください。金融はまったく違う業種じゃないですか」と猛烈に反対しました。僕もほっとしましたね。全員がオーケー を出すようなイエスマンばかりではHISは危ないと思ったからです。

 ということで、「一度役員会にかけたけど、全員反対だから、申し訳ございません」と断りました。ところがしばらくすると、また来られた。僕は三回来られると弱いんです。そこでつい「わかりました」と言ってしまい、個人で買った。そこから地獄が始まりました。



■システムトラブルで金融の怖さを知る

問 どんな地獄だったのでしょうか。

澤田 僕が協立証券を買ったことを聞きつけて、得体の知れない人たちが数多く挨拶に来たんです。「今度、使わせてもらうからね」と言うので、こちらも手数料が頂けると思い、「ありがとうございます」と頭を下げていました。ところが、彼らはひどかった。株をたくさん買って、損をしたら代金を払わないで逃げてしまう。それでかなりの損をしました。だから多くの人に「金融なんかに手を出して」と言われました。金融って怖いなと思いましたよ。


問 そこからどう挽回したのですか。


澤田 インターネットが普及しつつあったので、インターネットの取引システムを大至急導入しました。他社に先駆けてネットの信用取引を始めたら、月に数千件と一気に口座が増えていったんです。一時はインターネット専業証券の松井証券さんを抜きかけました。ところが、そこでコンピューターがパーンと弾けたんです。売り買いが一時的にぐちゃぐちゃになりました。もうわけがわからなくなって、てんてこ舞いです。この株は売られたのか、買われたのか、儲けたのか、損したのか。それを紐解くのに一カ月くらいかかりました。


問 どの企業のシステムを導入していたのですか。


澤田 ある金融系のシステム会社です。大手のシステムなので安心していたら、それがあまりよくなかった。「システム会社が悪い」と僕は思ったので、彼らを訴えたんです。ところが向こうは一流の弁護士を揃えて、「裁判で戦っても君たちは勝てないよ」という感じで我々の前に現れました。


問 結果はどうなりましたか。


澤田 長期に渡って、調停で争いました。これが最終的に和解しましたが、その間、一年半ほど入れ替わり立ち代わり検査され、行政処分で営業停止を受けてしまったんです。そのおかげでインターネット取引で他社より十馬身ほど後れを取りました。あのときシステムがまともに動いていたら、今ごろ何十億円もの利益が出ていた。今頃ネット証券で三本の指に入っていたはずです。



■協立証券の買収後も赤字が続く

問 その当時は、赤字が続いていたようですね。


澤田 買収前からずっと赤字だったのですが、このトラブルで年間六億円の後、十四億円の赤字になりました。僕はそのときちょうどHISで海外視察の仕事があったので、海外に旅立ちました。検査官は「社長がいないとは、どういうことだ。いつ帰って来るんだ」と怒っていたそうですが、我々のスタッフに聞いても、誰も社長が二カ月旅行に行っているとは思ってないので「いや、わかりません」と答えていたそうです。


問 どこの国に行っていたのですか。


澤田 HISの海外支店を中心に全世界をまわりました。欧州や南米に行ったり、滝を見に行ったりしたのですが、本来なら海外に行ってなんかいられない時期です。マスコミの論調もきつくなり、僕も社員も疲れていました。このままではどんどん疲労し、頭の回転も落ちてきますから、「捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」の心境だったんです(笑)。


問 リフレッシュになりましたね。


澤田 パワーは蓄えました。でも帰ってきたら、僕だけが元気で、スタッフはフラフラでした。HISは三千人規模で組織が整っていたので、僕が二カ月いなくても二ケタ伸びたんです。ところがHS証券は社員の三分の一が辞めていました。しかも自己資本比率が一五〇-一六〇%くらいになっていた。一〇〇%を切れば、営業停止になる可能性が出てくる。「どうしたら助かるんだ」とスタッフに聞いたら、「増資するか、誰かに寄付してもらうしかありません」と言う。これはもう金持ちのベンチャー企業家に頼って増資するしかないと思いました(笑)。彼らを口説いて資金を集めました。それで自己資本比率は一気に二九〇%ぐらいに上がりました。「よし、これで大丈夫だ」と思ったのですが、数カ月後にはまた一五〇%に近づきはじめました。赤字が続いているから、当然です。「これはやばい」と思いました。そこで最後の手段を使いました。


問 どんな手段ですか。


澤田 寄付ですよ。僕が自分の資産から二十億円分の株式を寄付しました。それから気合が入りましたね。HISの社長から会長に就任し、HS証券の社長を真剣にやろうと覚悟しました。HISもちょうど若手社員が育っていましたから、彼らに権限と責任を任せたほうがいい時期だったのです。



■大改革が奏功し黒字化と上場へ

問 社長に就任して、どのような改革を行ったのですか。


澤田 まず役員を変えました。協立証券出身の役員は真面目に仕事をしてくださる方たちでした。ただ大会社の子会社でしたから、言われたこと しかしませんし、新しいことにチャレンジしない。そこで思い切って、外部から若手を呼んで、すべての役員を変えました。次にありとあらゆる経費を見直しま した。例えば協立証券のような歴史の長い会社は様々な協会に入っていて、会費をたくさん払っています。そこで意味のない会費はすべて辞めさせました。する と見事に月間二億円の経費が一億六千万円前後まで下がった。続いて、「一円でもいいから黒字にしよう」と決めました。ずっと赤字の会社でしたから、黒字の 癖をつけさせようと思ったんです。一円でも黒字ならば、自己資本比率も下がらないし、絶対に潰れません。そしてついに、二年位前の年初に赤字を脱して、月 間黒字になりました。スタッフはそれまで「会社は伸びないし、赤字は当たり前だ」と思っていましたが、黒字化することで「赤字の会社がやり方次第で黒字に なる」と気がついてくれたのです。それからずっと黒字が続いています。


問 黒字化した後の目標は。


澤田 「上場を目指そう」と宣言しました。やはり夢がなければ、力が出ません。ただいまさらインターネット取引で追いかけるのは大変です。 そこで主幹事を引き受けて、ベンチャー企業の上場をお手伝いし、我々も上場しようとスタッフに言ったんです。さすがにそのときは「潰れかけている会社が上 場したり、主幹事をできるのか」と誰もが疑いました。というのも当時、他のネット証券会社が一度、上場の主幹事に挑戦して、失敗していたんです。だから イー・トレード証券であろうが、松井証券であろうが、中堅の証券会社はどこも手を出さなかった。「主幹事は無理だ」と誰もが言いましたよ。でも僕は「無理 かどうかではなく、とりあえずやろう。どうしたらできるのかをみんなで考えよう」と伝えました。そして主幹事の引き受けや審査ができる人材を集めて、上場 をめざすベンチャー企業を探していったんです。



■初の主幹事でトラブル発生

問 ところが、最初に受け持った主幹事でトラブルが起きましたよね。


澤田 もう大変でした(笑)第一号案件の上場主幹事で、順調に進んでいたんです。審査も無事通りました。通常、上場のお手伝いは証券会社が 一社で行うのは大変ですから、主幹事、副幹事、幹事団で組みます。ところが、その幹事団が上場申請後に八社中五社降りてしまったんです。


問 仕組まれているかのようですね。


澤田 証券会社も心配ならば一カ月前に降りればいい。それなら僕も承知します。でもそんなことを言っても仕方がありません。乗るのも降りる のも権利は彼らにある。我々は訴えることもできず、まるで犬の遠吠えでした。僕も金融の専門家ではないので、どうしたらいいのかわからない。しかし一社で 株を売れないから幹事団を組むわけです。株がすべて売れれば、幹事社は一社でも問題ない。たとえ売れなくても、我々が全額引き受ければいい。そこで第一号 案件の株がもし売れなかったら、僕が全部買い取ることも辞さないと覚悟を決め、上場を敢行することにしました。結果的に株はすべて販売できたので、とても 嬉しかったですね。



■HISを抜こう

問 「金融のコングロマリットをめざす」と宣言されていますが、その思いを強くされたのはどういう理由なのでしょうか。


澤田 数年前はスタッフも疲れていましたし、ボーナスもほとんど出ない状態でした。でもせっかくみんなが力を合わせて頑張っているので、「なんとかこの会社をよくしよう」と思った。そこで社員に「何を目標にしたい?」と聞いたら、「HISを抜きたい」と言い始めました。「バカなことを言うなよ」と思いました(笑)。HISは四千人前後の社員がいて、利益も何十億円と出ていますし、海外旅行の販売実績(二〇〇三年度)では業界二位です。しかも東証一部に上場しています。かたやHS証券は当時、赤字を脱しただけの会社です。「冗談だろう」と思いながらも、「よし、やってやろう。経営計画をもう一回、立て直そう」と思いました(笑)。


問 澤田さんらしいですね(笑)。なぜ社員の方たちはHISを抜きたかったのでしょうか。


澤田 当時、HS証券がHISの子会社でしたので、連結上迷惑をかけているという気持ちがあったんです。ちょうどHISが東証一部上場に行くときだったので、赤字のHS証券はグループの問題児でした。HISしか知らなかった僕は、子会社にはこういう悲哀があるのだと初めてわかったんです。誰もが悔しかったみたいですね。そこで「よし、じゃ、三年でHISを抜こう」と決めました。


問 たったの三年ですか。


澤田 そうです。「どうしたらHISを抜けるのか」を真剣に考えました。そしたらモンゴルのハーン銀行の買収話が来たんです。ハーン銀行はモンゴルで三本の指に入る銀行で、いよいよ国営から民営に変わる時期でした。「よし、安く買えるなら、買おう」と参戦したら、八億円ほどで買収することができた。日本で買ったらその十倍はしたでしょう。ハーン銀行はゲルみたいな店舗も合わせて三百五十店舗ありました。そのときHISの店舗数は約二百六十店舗だったので、「やったね、店舗数で抜いたじゃないか!」と。


問 面白いですね。


澤田 「ひとつずつ抜いていこう」という戦略を立てました。ハーン銀行は従業員が二千人、HS証券は百八十人で、合計二千百八十人。あと千人規模の企業を買収すれば、人数でHISを抜くことができる。そこで目をつけたのがオリエント貿易でした。この一千人規模の会社を買収することで、三千人規模になったのです。そして〇五年七月に二千人規模の九州産業交通を落札しました。これはHISとの連合ですから、半々に分けて一千人。これで合計四千二百人になり、HISに並ぶことになりました。

 同時に「上場後は時価総額で抜こう」と目標を立てました。当時、HS証券は時価総額が五百億円で、HISは七百~八百億円でした。それが今では千二百億円となり、HISを抜いたんです。今期の目標は利益で抜くことです。HISはお客様に航空券を安く提供することがポリシーですから、あまり大きな利益を取ることはできません。それでも六十億円はいくでしょう。その六十億円を抜くのが今期の目標なのです。


問 まだ抜いていないものは何がありますか。


澤田 順位ですね。HISは海外旅行の航空券販売の業界二位、旅行業界全体でも五、六番目です。HS証券は証券業界で十数位ですから、まだまだ下っ端です。でも、たった三年でHISと肩を並べるくらいになった。僕も最初は冗談でしたが、目標と計画は大きいほうがいいと感じましたね。




■ハーン銀行で中国大陸に進出

問 今後はどのような目標を掲げているのですか。


澤田 HS証券はやっと中学生になったばかり。はやく社会人にしたいです。


問 社会人のイメージはどういうものですか。


澤田 僕がいなくても育つ会社になれば、社会人といえますね。まだできたばかりのグループ子会社がそれぞれ成長し、コラボレーションできる こと。個々でいうと、今申請している損害保険の元受会社は今期中の認可を目指しています。日本の損保会社は東京海上や損保ジャパンを筆頭に二十社程度で、 外資も合わせても四十五社くらいしかない。ベンチャー企業はどこも挑戦していないのです。非常に狭い業界ですが、その分面白みがあるので、我々が挑戦し、 軌道に乗せていきたいですね。


問 生保はこれからですか。


澤田 考えていますが、焦って参入すると、よくありません。参入する場合は、新しく立ち上げるか、M&Aをするかのどちらかになるでしょう。


問 銀行はどうですか。


澤田 買収するのが早いのですが、銀行の値打ちは上がっていますから、高い買い物になります。M&Aをするのには相当、力仕事になります ね。将来は新しい銀行を立ち上げるのか、モンゴルのハーン銀行を発展させるのか、どういう形でやっていくかはまだわかりませんが、いずれ参入したいとは 思っています。


問 ハーン銀行はどのように展開していきますか。


澤田 中国進出を考えています。中国の奥地であるモンゴル自治区から攻めて、一千店舗を展開したいですね。それが終わったら、日本を攻めるつもりです。さらにロシアにも向かっていきます。その後は欧州ですね。十年くらいはかかると思います。

IPOの引き受けを100社手がけたい


問 HS証券はベンチャー企業のIPO(新規上場)に力を入れていますね。


澤田 目標は五年以内に合計で百社の上場を手がけることです。そのうち十社が世界的な企業になってくれたら嬉しいですね。そのための支援や アドバイスをHS証券が担っていきたい。一緒に育っていきたいと考えています。これから上場する企業は特に面白くて、アジアに進出するような世界的な企業 も出てきますよ。そのときはモンゴル銀行がお手伝いしたいです。ただ引き受けの数だけを追うつもりはありません。いい企業が上場することで、世の中のため になっていくことが大切です。そういう志の高い企業を選んで、上場させたいですね。



■世界規模の投資銀行をめざす

問 HS証券グループを拡大していくための課題は何でしょうか。


澤田 たったひとつ。優秀な人材がもっとほしい。必要とする人材がどんどん集まれば、HS証券はやり方次第でものすごく大きくなる可能性があります。もしかしたらHISの百倍の規模になるかもしれません。HISはどれだけ頑張っても何千億円という利益は得られない。でも金融は何兆円もの利益を稼ぎ出せるかもしれない。儲けることだけが目的ではありませんが、どの国に行っても金融が首都の一等地にビルを持っていますよね。この二年半の経験で、「金融は資本主義の中枢だ」と感じています。もちろん僕は旅行が好きですし、事業としても旅行業のほうが好きです。やはり平和産業ですからね。

 でもHISは二十五年もかけて今の規模にしたのに、HS証券がわずか三年ほどで抜こうとしています。金融業の利益や時価総額は半分が虚像だとは思いますが、それでもHISの時価総額を抜いてしまいました。金融業界はお金を儲けたり、事業のダイナミック性を感じることができます。いいか悪いかは別にして非常に面白
い業界ですね。


問 将来、日本は投資大国になるのではないでしょうか。


澤田 まさにそうなると思います。金融の中で最も期待できる分野は投資銀行です。今後はアジアと共存共栄する投資銀行が力を持ってくるでしょう。僕はHS証券を欧米に負けない世界で活躍できる投資銀行にしていきたい。そうなれば、ものすごく面白くなってくると思います。

 

(プロフィール)澤田秀雄(さわだ・ひでお)1951年2月生まれ、大阪府出身。高校卒業後、73~76年、旧西ドイツマインツ大学経済学部に留学。80年インターナショナルツアーズ(現エイチ・アイ・エス)を設立。格安航空券販売を中心にパッケージ旅行の販売を手掛け、急成長する。95年株式を店頭公開。96年スカイマークエアラインズを設立、98年35年ぶりに国内航空業界に新規参入を果たす。99年協立証券を買収し、エイチ・アイ・エス協立証券(現エイチ・エス証券)を設立。2002年エイチ・アイ・エス東証2部上場。2004年6月エイチ・アイ・エス会長に就任。2004年10月エイチ・アイ・エス東証1部上場、エイチ・エス証券大証ヘラクレス上場。モンゴルのハーン銀行、ホテルウォーターマークなど多様な事業を展開する。規制に守られた業界の壁を次々と打破していく、日本を代表するベンチャー企業家である。



コメントをシェア

骨太対談
 
コンテンツメニュー
企業家賞
企業家倶楽部企業家大学
Page Top