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トピックス -企業家倶楽部

2012年05月28日

常識を打ち破り世界企業を目指す/ジェイアイエヌの21世紀戦略

企業家倶楽部2011年1/2月号 ジェイアイエヌ特集第1部





メガネ業界はこの10年間で市場規模が6000億円から4000億円へと縮小傾向にある。そんな中に光り輝くベンチャー企業がある。低価格でファッション性を兼ね備えたメガネのSPA(製造小売業)型企業。『メガネのユニクロ』と評されるジェイアイエヌは、異業種からメガネ業界へ進出を果たしてから僅か10年で販売本数日本一に躍り出ようとしている。経営上のピンチがある度にそれをチャンスに変えてきた社長の田中仁は、「メガネ業界は潜在的に1兆円の市場規模がある。近いうちに1000億円企業になり、世界企業を目指す」と大きなビジョンを描く。(文中敬称略)



■アイウェアで世界を変えたい

2010年11月19日、東京・JR葉原駅直結の「アトレ秋葉原1」にオープンしたジンズアトレ秋葉原1店は通勤途中のビジネスマンを中心に朝から男性客で賑わっていた。手伝いに来ていたオープニングスタッフも接客に回るが間に合わないほどの盛況振りで、レジ前には行列ができていた。同フロアには、ユニクロ、靴のABCマートが隣接し、客足が絶える様子はない。


■アイウェアで世界を変えたい


この店を運営するのは、新興市場ジャスダックに上場するジェイアイエヌ。同社は2009年5月、メガネ業界の常識を打ち破りレンズ追加料金なしの新料金体系(4990円、5990円、7990円、9990円)の価格改定を打ち出した。続いて9月には「J!NS」(ジンズ)に店名統一し新ロゴに変更。さらに売上げの10%に当たる10億円を投下し、人気俳優のオダギリジョーと栗山千明を起用し、「私は、軽い男(女)です」という奇抜なテレビCMを中心にした積極的な広告戦略で知名度を一気に上げている。「メガネの常識を打ち破り、世界を変えたい」「今期は販売数で230万本になり、日本一になる。今は経営をしていて楽しい」、社長の田中仁の顔には自信がみなぎっている。急激に業績を伸ばし、2010年8月期の売上高は106400万円(前年比42・6%増)、経常利益は6億円(同371・2%増)と大幅な増収増益となった。
 
 ジェイアイエヌは1988年会社設立から服飾雑貨製造卸をしており、異業種からの参入であったため、古くからあるメガネ業界の常識に囚われることなく自由な発想ができるのが強みだ。これまでのメガネ業界は客単価が3万円というのが当たり前だった。メガネは視力補正器具とされ、高額なため頻繁に購入される商品ではなかった。そこにビジネスチャンスが生まれた。ジンズ1号店が福岡・天神にオープンした2001年頃からスリープライス同様の格安メガネ業態が誕生する。価格が下がると視力補正器具からファッションとしてのニーズが生まれた。格安メガネの歴史はそのままジンズの歴史でもある。
 
 2009年9月に発売開始されて以来、レンズ追加料金なしの4990円から購入でき、重さ10グラムしかない軽い掛け心地が受け、累計販売90万本のヒットを飛ばし続けるエア・フレーム。スイスで医療器具用に開発された超軽量弾力素材を使用。掛け心地に徹底的にこだわった最新のメガネが誕生した。エア・フレームはこれまでメガネの定番とされた黒やブラウンといったシックな色だけでなく、カラーバリエーションが豊富で老若男女問わず幅広い客層の目を引く。今日ではジンズの看板商品に成長し、全体のメガネ販売本数150万本の半分に当たる。「ユニクロを代表するフリースのような位置付けにしたい」と田中は言う。実際に週末の店舗を訪ねるとエア・フレームを求める客で店内はごった返す。スタッフは受付から視力測定、レンズ加工、フィッティング(微調整)、会計と休む暇がないほど繰り返し接客している。文字通り、目が回るほど多忙だ。
 
 12月3日に発表された11月度月次売上状況でも、引き続きエア・フレームの販売が好調で既存店売上高は対前年比で108・4%、全店ベース135・3%であった。この集客力がジンズの魅力で、新しい商業施設が出来るとデベロッパーから出店の要望が多く舞い込む。11月末現在の店舗数は87店舗、社員数は796名にのぼる。従業員の平均年齢は26・9歳と若さ溢れる会社だ。
 
 メガネの企画、製造、販売といった各工程で既存のプレイヤーにないアクションで旋風を巻き起こす。これぞゼロから1を作る企業家のなせる業といえよう。既存のやり方や枠組みからは新しい事は生まれない。後発組の強みを活かした戦略が効を奏している。「メガネ業界にこれまでにないイノベーションを起こし、業界全体の活気を盛り上げたい」と田中は自らの思いを語る。2011年8月期は、売上げ150億円、経常利益10億円を見込む。田中は現在、最も脂が乗っている企業家の一人だ。



■ユニクロ柳井会長との出会い

なぜ、田中は粗利率の高い魅力的なビジネスモデルを捨ててまで、レンズ追加料金なしの市場最低価格を打ち出したのか。それは、ある企業家との衝撃的な出会いがあったからだ。

「最後に私の話をさせてください」
 
 2010年10月13日、東京・表参道ヒルズで開催されたジェイアイエヌの長期ビジョン発表会でスピーチした田中は静かに語り始めた。今から2年前の2008年12月、田中が経営の師と仰ぐファーストリテイリング会長兼社長の柳井正に初めて面会した時のことを振り返る「あなたは何のために事業をしていますか。あなたのビジョン、志は何ですか」、柳井のシンプルかつ経営の本質を突く問い掛けを前に、今まで経営者として志が足りなかったことに気が付き、愕然とした。
 
 2008年9月に起こったリーマンショック以降、世界的な景気後退の中、ジンズの既存店売上げは下がり続けた「これまでのビジネスモデルが通用しないのではないか」、田中の危機感は募るばかりだった。藁をも掴む思いで、柳井に面談を申し込んだのだ。株価は50円を割り込み一時39円まで下落した。「この株価は御社に将来性がないと思われているのですよ」と柳井から厳しい言葉を頂いた。

 柳井との面談後、会社に戻った田中は顔面蒼白で覇気がなく、スタッフも心配するほどだった。田中は心の動揺が収まらずに2日間本当に体調を崩してしまう。しかし、この時にどん底に突き落とされたことで、これまでの自分のビジネスを振り返るよい機会となった。
 
 2日間の休養の後、田中の行動は早かった。田中は柳井との面会後の2009年1月7日、会社の進むべき方向について大きく舵を切るため役員を熱海に集め合宿を行った。以前から連日のように仕事帰りに立ち飲み屋で経営会議を開き、役員とは普段から危機感を共有していたことも幸いした。これまでと変わらなければならないことは経営陣の間では認識済みであった。論点は1つ。ジェイアイエヌの事業価値は何かを再定義することだった。ぼやけていた事業価値の輪郭に焦点が合っていった。
 
 最終的に新しい事業価値を『メガネをかけるすべての人に、良く見える×良く魅せるメガネを、史上最低・最適価格で、新機能・新デザインを継続的に提供する』と定めた。「事業価値を再定義してからが、企業家としてのスタートだったと思う」と田中は言う。
 
 壇上の田中は、スタッフへの感謝の気持ちを伝えようとしたところで言葉が詰まった。目頭には熱いものが浮かんでいる。このハートの熱さが魅力だ。「今まで支えてくれたスタッフ・・・、家族に申し訳ない気持ちが湧き出てきて・・・、不甲斐ないと思いました」



■圧倒的な高品質と価格を目指す

幸運なことに役員合宿後、再度柳井の講義を受講する機会に恵まれた。「オンリーワンでは世界を変えられない。ニッチでは世界企業になれず、経営は王道を行くしかない」、講演中の90分間、柳井の言葉が田中の心の弦を激しく弾き続けた。「一番前列で柳井会長の話を聞きながら、泣くのを必死に堪えていました」、田中はその日のことを告白する。
 
 役員合宿で事業価値を定め、それに照らし合わせてみるとこれまでの料金体系も店名も店舗の内装も違って見えた。これまでは20代、30代のハイセンスなファッション性を追求する人たちに向けて商品開発、店舗作りをしていた。しかし、それでは世界を変えられない事が分かった。自宅に帰り妻が作ってくれた温かいカレーうどんを食べると抑えていた感情が溢れ出し、涙が止まらなかった。
 
 柳井は事業価値の他にも助言した。「ただ安いだけでは安かろう悪かろうになってしまう。事業をするからには、圧倒的に高品質な商品を提供しなければならない」
 
 ユニクロの製品を見れば理解できる。素材メーカーと繊維から企画し、ヒートテックやブラトップといった新しい技術を取り入れた新商品を開発し、圧倒的なコストパフォーマンスでヒットを飛ばしている。商売は他を圧倒する品質と価格にこだわることが重要なのだ。田中は柳井が執筆した書籍「一勝九敗」を再び手に取り読んでみると、答えがそこに書いてあった。数年前に読んだときには気付かなかったことが、時を経て視点が変わると書いてある全てのことが腑に落ちていく感覚だった。
 
 それから4カ月後の2009年5月、業界を騒然とさせる戦略に打って出た。薄型非球面レンズを追加料金なしの標準搭載した新料金体系「NEWオールインワンプライス」を導入し、9月には店名をジンズに統一した。同時に戦略的商品エア・フレームを販売開始し、勢いを付けた。「2年前のシックな内装に比べ店内も明るくなり、エア・フレームを発売した事により客数も増えました。店長から大変な状況であることは聞いていたので、乗り越えられたことが嬉しい」(豊洲店スタッフ)
 
 田中は新商品の企画、店舗開発にもこだわり続ける。モニターや知人からの意見をすぐに持ち帰り開発担当者に仕様変更を伝える。店舗の設計においてもギリギリの段階でも変更を指示する。「社長の田中が一番顧客目線なので、最終的には変更した事が理に適っている」と店舗開発チームマネージャーの一戸晋は言う。「中途半端はよくない。いつでもフルスイングを心掛ける」が田中の信条だ。圧倒的に高品質で低価格を実現するには、普段からの些細な事の積み上げが必要になる。トップ自ら言い続けることで社員の意識も変わってくる。
 
 具体的には、日本人に最も適した掛け易さを追求した結果、鼻パッドの形状やフレームのサイズを改善。店舗の什器もお客とスタッフが使いやすい形状を計算し独自開発している。「店はまだまだ良くなるし、今は進化の途中。今後も新しい挑戦をしていきたい」と店舗作りはトライアンドエラーの繰り返しという。「事業価値という根っこが決まれば、そこから派生する業務は迷わない」と田中は話す。
 
 その後、柳井も田中の事を気に掛けている。「人の話を正しく理解できる経営者は驚くほど少ない。田中社長のいいところは素直なところ。良いと気付いたらすぐに実行できる経営者」と評している。田中は社内でも同様である。中途採用の矢村功は転職初日の午前中に朝礼で挨拶を済ませた直後に「既存店の売上げが落ちているけど、どうればいいか」と田中に質問され、咄嗟に「まとめ買いをしてもらうのはどうですか」と答えると、「それはいい案だ!」とその日のうちに決断を下し、チラシに反映された。「そのスピード感にも圧倒されたが、中途採用で間もないとかは関係なく、フェアなジャッジをする経営者だと感動した」と矢村は田中の印象を話す。


■圧倒的な高品質と価格を目指す

■韓国視察がメガネ事業のきっかけ

田中は1963年生まれ。群馬県前橋市の実家は父親と長男がガソリンスタンドを経営している「今と変わらず明るい性格で、よく気が付く弟だった」と兄の田中栄は言う。二人の背中を見て育った田中青年はいつか自分も起業しようと夢見ていた。高校卒業後は多くの経営者に会えるからと地元の前橋信用金庫(現しののめ信用金庫)に入庫。ところが、取引先の社長は経営難で夜逃げする人もおり、起業に憧れる一方、経営の厳しさに尻込みする気持ちも芽生えてきた。
 そんな折85年の大晦日、支店長から預金を集めて来いと号令がかかる。仕方なく地元の名士の家を訪問した際、そこの主人に「年末年始に訪問営業とは何事だ」と怒鳴られてしまう。「自分にも無性に腹が立ち、悔しくて駐車場で一人泣きました。絶対に起業し、自分の仕事に誇りを持とうと決心しました」
 一度、知り合いの雑貨屋に転職し、企画と営業で良い成績を収めると自分は商売の才能があると勘違いし、88年に有限会社ジェイアイエヌ(91年に株式会社化)を設立し社長に就任。しかし、起業してみると商品はまったく売れずに貧乏を味わった。妻の実家が美容院を閉店したので店を改装し、居候させてもらった時期もある。当時は、化粧ポーチを企画製造し卸していた。しばらくすると企画したエプロンがヒットし、利益も数千万単位で立つようになり一息つけた。休息もつかの間、95年頃になると海外から安い品物が入り、また一時赤字に落ち込んだ。利益がそこそこ出ていたので油断したのだ。赤字をきっかけに生産をコストの安い中国に切り替えるため、単身で中国に渡り地場の工場と交渉し、なんとか危機を乗り越えた。この時の苦しい決断が、現在の中国生産の基礎を築いたからビジネスとは不思議だ。
 現在の主力事業であるメガネ事業は、2000年に友人と韓国視察に行ったのがきっかけになった。「一緒に視察した友人が韓国はメガネが安いと大喜びだった。当時3000円程度で売られていた」


■韓国視察がメガネ事業のきっかけ


メガネ事業に興味を持ち、帰国してから調べてみるとロードサイドの店舗には人がまばらなのに、決算報告書を見てみると粗利率がよく、儲かっている。既存のメガネ屋より価格を下げて、新しい業態を開発すれば充分勝負が出来ると計算し、メガネ事業に進出する事を決めた。「ビジネスは好不調の波がある。雑貨事業が順調だったので、良いときに次の種を蒔いておかなければ」と田中は当時の心境を話す。韓国視察をした友人の縁もあり、1号店は福岡・天神に決まった。「全国での多店舗展開を考えていたので、地元の前橋ではなく本部から遠い九州で試してみよう」と田中は考えた。格安の料金設定が受け入れられオープンから一週間が経つと行列が出来る繁盛店になった。「地元のNHKに取材を受けると1日でさばけないほどの行列が朝から出来た。反響が大きく、数ヶ月のうちに近くには類似した店舗が20軒立ち、売上げが半分に減ってしまった」と天神1号店の店長を務めた佐藤宏樹(現在は海外初出店の中国瀋陽店を任されている)は当時の状況を語る。そこで他店舗に田中が視察に行くと、料金は安いがデザイン性に乏しくコンセプトが違う事が分かった。「これなら勝負に勝てる」と思った田中は東京代官山、神戸三宮、京都と矢継ぎ早に出店を決めていく。2004年になるとベンチャーキャピタルから株式上場を打診され、多店舗展開を加速した。そして06年、大証ヘラクレス(現ジャスダック)に株式上場を果たした。
 
 雑貨ビジネスで培ったSPAのノウハウをメガネ業界に持ち込み、ファッション性を取り入れた商品構成と格安の料金体系という古い業界の慣習に囚われないビジネス手法が顧客のニーズを掴み順調に成長を遂げた。しかし、ワンプライスショップの台頭など外部環境の激変に対する対応が遅れたことや不算店の閉店などの機会損失から08年、09年の決算では2期連続で収益が落ち込んだ。既存店の収益が落ち込み始め、経営陣の間で危機感が強まっていった。そのようなピンチの際に柳井に面談し、志の経営に気付いたことで、田中はチャンスに変えた。幕末の黒船ではないが、困難が巡ってくる度に成長の機会と捉えジェイアイエヌは発展してきたのだ。



■300店舗を達成し1000億円企業へ

田中の目下の目標は、10年以内に日本国内で300店舗を展開、売上げ1000億円を達成し、販売本数と売上げ共に日本一になることだ。そのためには出店スピードを上げ、好立地に出店することが求められる。広告宣伝活動を積極化しブランド力、知名度の向上による新規顧客の獲得も継続しなければならない。
 
 看板商品となったエア・フレームに続く戦略的商品の開発も急がれる。その第1弾として、ビジネス用途にも使えるメタル素材のチタン・フレームを開発、10月に販売開始した。エア・フレームで取り込めなかった需要の獲得が狙いだ。「今春以降、機能別メガネの新製品を随時発表する予定があり、楽しみにして欲しい」と田中は語る。「メガネを掛けない人にもゴルフや釣り、ジョギングなどのスポーツ毎や紫外線、ドライアイ対策の目の保護といった機能性メガネの潜在市場を考慮すると1兆円市場がある」と田中は力説する。
 
 12月10日、田中は中国・瀋陽に飛んだ。ヤマダ電機内にジンズ海外進出第1号店をオープンしたからだ。瀋陽市は人口740万人、中国東北部最大の都市で経済、商業貿易の中心となっている。日本で培った小売とSPAのノウハウが中国で通用するか大きな掛けである。
「中国進出については高い授業料を払う覚悟はできている」
 
 田中は日頃からスタッフにピンチはチャンスだと説いている。メガネ事業に進出した際も雑貨事業が好調なときに次の種を蒔いた。そして、今度は国内のメガネ事業が好調なときに未来の市場である中国に種を蒔いている。田中が率いるジンズの挑戦はまだ始まったばかりである。



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