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トピックス -企業家倶楽部

2011年12月06日

【ベンチャー三国志】vol.10 2人の企業家の挫折/ソフトバンク社長 孫正義、CCC社長 増田宗昭

企業家倶楽部2011年12月号 ベンチャー三国志





増田宗昭、孫 正義ー。2人の若き企業家が90年代後半に衛星テレビ放送事業に挑んだ。増田はディレクTVジャパン社長として、孫正義はJスカイB社長としてそれぞれ戦 に臨んだ。しかし、大手企業の資本力と思惑の前に、あえなく夢はついえ去った。2人はなぜ敗れたのか。関係者の証言をもとにその真相に迫まる。

【執筆陣】徳永卓三、三浦貴保、徳永健一、土橋克寿



■寄り合い所帯の調整に苦労

大空からテレビ番組を振り注ぐー。

 増田宗昭と孫正義の夢は壮大だった。しかし、壮大な分、課題も多かった。2人は幾つかの障害をはらみつつ、飛び立った。まず、増田のディレクTVジャパンが97年12月1日、放送を開始した。チャンネル数63、映画、スポーツ、音楽などのジャンル別に分けて放送された。

 しかし、華々しい開幕イベントとは裏腹にディレクTVは多くの問題を抱えていた。ディレクTVは95年9月28日に資本金3億円の企画会社としてスタート、97年12月のサービス開始までの2年間で、衛星の確保、放送センターの建設、郵政省との折衝、コンテンツの確保、利用者の獲得などを進めなければならない。その中で一番、増田の頭を悩ませたのは、合弁会社に集まった役員や部長たちとのコミュニケーションである。

 増田はカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の創業者。増田が「右向け、右!」と号令を発すれば、部下たちは時には不満な顔をしても右を向き、その方向に向かって前進する。しかし、合弁会社は違う。それぞれの出身母体の思惑があり、各取締役は出身母体の利益を主張して来る。社長は調整役を演じなければならない。増田というよりベンチャー企業家の最も不得意とする所だ。

 ディレクTVジャパンは米国ヒューズ社系のディレクTVとCCCが各35%、宇宙通信15%、松下電産10%、大日本印刷5%の出資比率でスタートした。これらの出資企業がそれぞれの主張をする。増田はこの調整に苦労した。

 放送開始の97年12月の少し前、10月のある日、増田は顧問弁護士の草野耕一に「誰か調整役はいませんか」と相談した。「います。ちょうど米国企業をお役ご免になった人物がいます。森生君に会ってみますか」

 森生明は京都大学法学部を卒業、日本興業銀行に入行、ハーバード大学のロースクールに留学、91年初頭にゴールドマン・サックスに入社した秀才。ディレクTVジャパンの立ち上げを手伝った楽天社長の三木谷浩史の4、5年先輩に当たる。森生なら、米国ビジネスマンの思考方法もわかり、三菱商事や松下電産など大手企業のエリートたちとも十分コミュニケーションが取れる。

「ぜひ、会いたい。彼は今どこにいるのですか」

「シンガポールに滞在しているはずですが‥‥」

 増田は草野から紹介された2時間後に、シンガポールにいる森生に直接、電話を入れた。直ちに帰国を要請。翌日、シンガポールから関西空港に降り立った森生と京都駅で落ち合い、新幹線の列車の中で東京までの2時間、森生に衛星放送の可能性、増田の夢を語った。森生は東京駅に着いた時は、CCCの会長室員として入社、ディレクTV経営企画部副部長として増田の参謀役を務めることを約束した。そして、その時から98年1月までの約4ヵ月間、CCCの本社があった東京、恵比寿のガーデンプレイス内にあるウエスティンホテル東京に泊り込んで、増田を補佐した。家族はしばらくシンガポールに置いたままの単身赴任であった。

 ちょうど、出社した日に三木谷と会い、「森生さんが来てくれたら安心だ。私は立ち上げた楽天に全力投球します」とバトンタッチされた。

 三木谷とともに増田を補佐すると思っていた森生は取り残されるような気持になった。

 入社後、2年近くの準備状況を関係者に聞いたり、取締役会に出席、各役員の発言を傍聴した。そして、1週間過ぎた頃、森生は増田に進言した。「この事業はうまく行きません。傷が深くならないうちに撤退した方がいいでしょう」

 その理由はこうだ。合弁会社というものは、各出資会社がそれぞれの思惑を持って集まった“寄り合い所帯”である。CCCの増田は社運を懸けてディレクTVジャパンの業績と企業価値を上げることに血眼になっている。これに対し、他の出資者は増田ほどの一途さはない。米国のディレクTVは衛星放送のノウハウ料を頂ければ、当初の目的は一応果たせる。

 三菱商事は衛星関連で儲ける。松下電器は衛星放送を視聴するためのセットトップボックスが売れれば、いい。あとで資本参加した徳間書店はコンテンツ分野で稼ぐことを考えている。呉越同舟なのである。そんな中で、増田だけが丸裸で夢に向って荒波に飛び込み、もがき苦しんでいるように森生には映った。

 森生の進言に対し、増田は容易に首をたてに振らなかった。「森生君、夢は必ず実現する。俺がやれば、必ず成功するんだ」。増田の一途な思い込みによって、自分の予想がいい意味で裏切られることを、森生は願った。

 放送開始直前になって、呉越同舟を象徴するような出来事が起こった。

 増田がディレクTVジャパンのキラーコンテンツ(看板番組)として、F1レースの放映権を獲ろうと提案した。フジテレビが地上波で放送しているF1レースの放映権を獲得、6チャンネルを使ってあらゆる方向からF1レースの模様を伝えるという野心的な構想である。例えば、1チャンネルはF1レースの全景、2チャンネルはミハエル・シューマッハなどの有力選手だけを追う。3チャンネルは各チームのタイヤ交換などの風景、4チャンネルは観客席の動きなど。視聴者は見たいチャンネルを自由に見ることが出来る。衛星放送ならではの醍醐味。「これなら、世間の注目を集め、契約者も大量獲得できる」と増田は役員会で自信満々に説明した。


■寄り合い所帯の調整に苦労

■F1放送を断念

増田は早速欧州へ飛び、F1運営のCEOであるバーニー・エクレストンに掛け合った。ミニマム・ギャランティを10数億円払えば、放映権を与えてもよいという返事が返って来た。増田がCCCの社長の立場なら、その場でサインして帰って来るところだ。しかし、ディレクTVジャパンの社長としては、そうも行かない。帰国して役員会に諮らなければならない。

 しかし、役員会の反応ははかばかしくなかった。「契約金が高すぎる。1ケタ台でなければ、話にならない」と各役員は増田のF1レース放映に反対した。ある役員は再交渉に出かける増田が暴走しないように見張り役として同行する、とまで言った。結局、この話は役員会の反対にあい、没になった。この頃からディレクTVジャパンは意思決定のリズム感を失い、ギクシャクし始めた。

 増田の考えと他の役員との考えの違いが随所に現われた。広報・マーケティングはディレクTV側が主導権を握り、CMキャラクターにハリウッド俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーを起用した。ハリウッドの大物俳優起用45・企業家倶楽部 2011年12月号米国の家電量販店、グッドガイズでの受信システムの販売風景となれば、億のカネが要る。それなら、キラーコンテンツの確保に使うべきではないか、と増田は考える。営業販促にカネをかけるのか、CMなどのブランディングにカネを注ぐのか、それともコンテンツ確保に全力投入するのか、各社の足並みが揃わなかった。結局、足して3で割るような中途半端な結果に終わった。

 契約者の獲得でも誤算があった。当時、CCCの店舗は全国に約800店舗あった。1店舗が1日1人の契約を獲れば、1年で約30万人に達する。1日5人契約すれば、採算ラインの120万人を軽く突破する。悪くても、2、3年で採算ラインに乗ると増田は踏んでいた。これに、松下電産の家電販売店が戦列に加われば、100万人突破は容易なものに思えた。

 ところが、CCCの加盟店は増田が考えたようには動かなかった。衛星放送で映画や音楽が簡単に家庭に届けられれば、「お客さんはCCCの店舗に借りに来なくなるのでは」と危惧したのである。カニバリズム(共食い)はCCC内でも議論になったが、増田は「衛星放送で映画や音楽についての関心が高まれば、リアルの店舗での需要はさらに増える」と説得したが、加盟店は納得しなかった。結局、1年後の契約者獲得数は30万人にとどまり、採算ラインの120万人には、はるかに及ばなかった。

 契約者獲得が計画通りに行かなかったもう一つの理由は商社連合のパーフェクTV(日本デジタル放送サービス)が1年先に放送を開始していたことである。増田は「ディレクTVのコンテンツ、精密な課金システムで1年の遅れは簡単に取り戻せる」と強気の姿勢を崩さなかったが、現実には、1年の遅れは致命的であったかも知れない。

 衛星放送を視聴するためには、初期投資としてアンテナとセットトップボックスの設置などで5万円ほどかかり、月々5000円から1万円の視聴料金が必要。地上波テレビで無料の番組を見て来た一般消費者の中で、有料課金の衛星放送を見ようと思う人は限られて来る。これら先駆的視聴者をパーフェクTVが1年の間にあらかた浚(さら)っていたことは否定できない。


■F1放送を断念

■増田社長解任

こうして、試行錯誤や誤算を重ねる中で、運命の日がやって来た。放送開始してまだ1年も経っていない98年9月18日、ディレクTVジャパンは増田社長を突然解任した。この報せを聞いた森生は残念と思う反面、内心ホッとした。「これでドロ沼から逃れられる」と。

 当時、CCCは副社長の笠原和彦、取締役の村井眞一らCCCのエースを惜し気もなく、ディレクTVジャパンに投入した。笠原や村井らはCCCの営 業や店舗展開に支障が出るのを承知の上で、増田を男にするために、懸命に働いた。当時、東京・渋谷駅前にQフロントという大型スクリーンも建設していた。 この建設費も50から60億円かかった。CCCは満身創痍であった。「このまま前進すれば、CCCが危ない」と森生は真剣に心配した。

 そこへ増田の突然の解任。森生は出来るだけ傷を浅くして撤退するチャンスだと考えた。CCCの主要取引銀行であった日本興業銀行東京支店長の齋藤 宏と相談、出資金を全額に近い形で取り戻す作戦を立てた。三菱商事の担当副社長や住友銀行頭取の西川善文の所に出向き、「このたびは増田の力不足で申し訳 ないことになった」と泣き落とし戦術に出た。増田も「失敗の原因は私の能力にあった」と認めている。

 CCCは興銀や住銀からの融資を含めて200億円をディレクTVジャパンに投下していた。そのほとんどを取り戻した。それでも60億円ほどの銀行借り入れ金が残った。増田は「自分の責任だから、俺が個人でかぶる」と60億円を個人の借金にした。

 自分の持株などを処分して、借金を返したが、それでも数10億円足りない。そこで、懇意にしていたCSKの創業者、故大川功に相談した。大川は 「わかった」とポンと数10億円をその場で借してくれた。借金話をお膳立企業家倶楽部 2011年12月号・46  90年代後半のソフトバンク孫正義社長てした井上ビジネスマネジメントの井上智治は大川の太っ腹に驚嘆した。

 増田は突然の社長解任で、衛星放送の夢は消えたが、その代わりCCCへの打撃は最小限に抑えた。この結果、7ヵ月後の99年4月にはCCCの株式 上場を果たした。あと1年、ディレクTVジャパンの社長を続けていたら、CCCの経営へも大きな影響をおよぼし、株式上場も実現出来ていたか、疑問だ。



■孫正義も苦汁味わう

ソフトバンクの孫正義も衛星放送では苦汁を飲まされた。96年12月、ルパード・マードックと共同で設立したJスカイBは華々しく設立パーティーを開いた。ソフトバンクはテレビ朝日の株式21・4%を旺文社から買収、テレ朝との連携を図ったが、テレ朝側は事前の挨拶なしの株式取得に反発、JスカイBとのコンテンツ制作などの提携は簡単に進まなかった。

 そこで、JスカイBは97年5月、フジテレビ、ソニーに各20%の出資を仰いだ。この結果、ソフトバンクの出資比率が低下、孫は社長を降りざるを得なくなった。「主導権を取れない会社には興味はない」というのが孫正義の流儀で、98年2月、ソフトバンクはさっさとJスカイBから撤退した。

 孫が衛星放送の市場性に疑問を持ったことも撤退を早めた。インターネットの進化が速く、すでに米国ではブロードバンド化が進み始めていた。「やがて、日本にもブロードバンド時代が到来する。そんな中、衛星放送は時代遅れになるのではないか」と予測した。

 孫の逃げ足は速い。「失敗する」と思ったら、さっさと逃げる。孫は「ヤフーへの出資や日本での立ち上げをほめてもらうより、何十回という撤退を重ねて、なお生き残っているところを評価してもらいたい」とある講演会で語ったことがある。そう言えば、徳川家康も撤退の名手。武田信玄と三方ヶ原で戦った時は、信玄に蹴散らされて、スタコラサッサと浜松城に逃げ込んだ。あの時、武士の名折れと信玄に立ち向かって行ったら、天下は取れなかっただろう。孫は98年2月、パーフェクトTV、JスカイBの合併と同時にJスカイB社長を退き、衛星放送から撤退した。

 こうして、2人のベンチャー企業家の衛星放送にかける夢はあえなくついえた。もし、2人がタッグを組んでディレクTVジャパンを設立したら、違った展開になっていたかもしれない。孫は名うての交渉上手。ディレクTVや三菱商事のエリートたちを上手にあしらい、増田が提案したF1レース放映を側面から支援していたかも知れない。場合によっては、セットトップボックスを100万台無料配布するという、奇想天外な策も展開していたかも知れない。 歴史に“イフ”はあり得ないが、もし、孫と増田ががっちり手を握り、F1レースの放送権を獲得、CCCの加盟店も増田を信じて全面的に協力していたら、衛星放送は今よりもっと面白く、躍動的であったかも知れない。現在は3社の衛星放送会社と衛星打ち上げ会社が統合、スカパーJSATとなり、377万人の契約者をかかえている。現状維持を良しとする守旧派の抵抗にあい、2人の夢は消えた。

 もっとも森生は違った見方をする。「元々、衛星放送のニーズが当時、あったのだろうか」と疑問を呈す。すでに、インターネットのブロードバンド化が到来しようとしていた頃で、CCC内部でも「いずれネットの時代になる」という意見もあった。衛星放送は3社も生き残る豊饒な市場ではなかった。

 事実、パーフェクTVとJスカイBは98年3月に合併した。JスカイBは営業を始める前に店仕舞をしたようなものである。次いで、00年9月にディレクTVジャパンも吸収合併され、現在ではスカパーTVとして1社だけが生き残っている。

 鳴り物入りでテレビ業界に参入した衛星デジタル放送は、今はインターネットの大津波に呑み込まれないように懸命に対策を練っている。



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