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トピックス -企業家倶楽部

2013年01月16日

温かき社風の下のびのび働く情熱集団/ヤオコーを支えるスタッフ

企業家倶楽部2013年1/2月号 ヤオコー特集第4部


川野幸夫と共に創業以来の家庭的な社風を守りながら邁進するスタッフを取材した。現顧問で日本スーパーマーケット協会専務理事でもある大塚明。常勤監査役 として社を見守る大澤義正。強みである生鮮の部長に任命された新井紀明。社長時代の川野の秘書を務めた小林紀子。そして元労組委員長の島田功。彼らの仕事 と会社に寄せる思いは等しく熱く、温かく、前向きであった。

( 文中敬称略)



亡き旧友の願いから入社したヤオコーは驚きに満ちた世界 常勤監査役  大澤義正 Yoshimasa Oosawa

「自分は、間もなく死ぬ。だから代わって、やってくれ」
 
悪性の病で余命8か月と宣告され、死の床にあった旧友の必死の言葉。それが大澤義正のヤオコー入社を決定した。大澤とその旧友、そして川野幸夫も東大での同級生。ヤオコーで働いていた旧友は病に倒れ、死期を悟った時、大澤に後を託したのであった。大澤は同級生であった川野のことをもちろん知っており、卒業後も同窓会などで顔を合わせていた。その印象をこう語る。




「利発でありながら、角もとげとげしさもなく、ソフトな人物。それは昔も今もずっと変わりません。学生時代は、彼は司法試験の勉強もしていたし、真面目に学校へ通っていましたよ。一方、私はろくに学校に行かず、落第しかねない状態でしたが(笑)」
 
 とはいえ無事卒業したのち、大澤は銀行員を経て信販会社や住宅ローン会社に勤務。そして10年ほど前、旧友から冒頭の頼みを告げられ、受け入れた。「やるしかない」。かくして2001年、大澤はヤオコーへ入社。そのすぐあとに、旧友はこの世を去った。
 
 さてヤオコーへ入社した大澤は、まず驚くこととなる。そこがまるで時を10年遡ったような世界だったからだ。トップの川野兄弟をはじめ誰もが嘘をつかない。誠実で生真面目。客の不利益になることは決してしない。公私混同もしない。そんな会社であったのだ。
 「『きちんと挨拶をしろ』はもちろん、『外でもポケットに手を入れるな』と言われて驚きました。周りはすべてお客様だからなのですね。それに私用電話も厳禁。現在の社長がわざわざ休憩室の公衆電話から私用電話をかけたり、私用で使ったコピー代60円を払ったりしているのだから、徹底していました」
 
 こうした朴訥な原理原則が守られているのは、会社の規模が小さい頃の名残だと大澤は言う。
 
 規模が小さい会社は決して裏切らず、嘘をつかない生き方をしなければ仕入先に信頼してもらえない。ヤオコーはそれを貫き、今もそんな生き方をしているのだ、と。
 「お客様を大事にし、取引先を大事にする、いい意味でのウェットな体質。それがヤオコーのいいところです。川野は前から1兆円を目指していますが、今後さらに規模が大きくなっても、そのヤオコーらしさを守り続けることが課題でもあります」
 
 入社後、経営企画室での総務・人事業務から店舗の立地など、営業部門以外はすべて手がけてきた大澤。川野から与えられていたミッションは「100店舗体制を作るためにどうすべきか考えること」。一般的にスーパーは50?60店舗になった頃、業績の踊り場へ来る。そこを順調に乗り越えるための仕組み作りを任されたのだ。
 「ところが、ヤオコーの場合はその時期に来ても、順調だったのです。一般的に50店舗規模で踊り場に来てしまう原因は、無自覚なまま経営をしてきたために組織作りができていないからでしょう。でもヤオコーは上から下へきちんと言葉が伝わり、営業の第一線で起きていることも意志決定者がちゃんと把握していた。そうした組織の強さが発揮されたのだと思います」
 
 大澤はそんな安定感を、現在の常勤監査役という立場でも感じている。
 「監査役とは何か問題が起きた時が出番。例えば業績が悪い時、経営者の公私混同が起きた時……。ところがヤオコーにはその心配がない。おかげで監査役もラクなものですよ(笑)」
 
 冗談めかしてそう締めくくった大澤の目下の目標は、「ヤオコーにいる間は故障しないこと」。そのためにウォーキングやジム、エアロビクスなど健康維持に余念がない。その姿を天国の旧友も心強く見守っていることだろう。


川野は町の伝説的秀才であり八百屋の優しい兄さんだった



川野は町の伝説的秀才であり八百屋の優しい兄さんだった 顧問(日本スーパーマーケット協会専務理事)大塚明 Akira Otsuka

大塚明は元ヤオコー常務取締役であり、現在は顧問。3年前、60歳での退任後は、川野幸夫が会長として率いる日本スーパーマーケット協会専務理事を務める。32年前、ヤオコーに入社するまではイトーヨーカドーに在籍し、衣料品を担当していた。仕事も社風も好きだったというが、“イドー”ヨーカドーと呼ばれるほどの異動の多さと子供の病気が重なり、退職を決意する。
 
 一方、当時のヤオコーは全11店舗という規模。食料品と衣料品、住居用品などの総合化を目指していた。そこで大塚が衣料品バイヤーとして入社したわけだが、重要な店の隣町にイトーヨーカドーが出店するなどの状況も重なり、総合化が思わしく展開することはなかった。大塚はこう振り返る。
「川野の結論は早かった。食に特化しようと決断したのです。これがヤオコーのターニングポイントの一つでした。私は申し訳なさを感じていましたが、川野は一言も恨みつらみを言わなかった。『大丈夫だよ。ヤオコーやっていこうや。ジェネラルでなくスペシャルな店を作ろう』と言ってくれたのです」
 
 その後、大塚は住居部門を皮切りとして、結果的に不動産(店舗開発)と財務関係以外すべての仕事をこなしてきた。川野とは共に働くだけでなく、昔はよく飲んだ。「飲み会に来られないなら、財布だけください」などと川野に言えたのも大塚ならではだ。一方、川野が社員や取引先を叱っては、あとで「言い過ぎたかな」と悩む姿も見ている。
 
 だが、実はそれより遥か以前から、大塚と川野の付き合いは長い。二人は同じ埼玉県小川町の生まれ。今年64歳になる大塚は「町の人間として、客として、そして社員として、川野を64年間知っている」と笑う。6歳年上の川野は町では伝説的な秀才であり、剣道の達人であったという。
「中学1年の時に先生の許可を得て、3年生の勉強をしていたというほどの秀才でした。でも私にとっては八百屋さんのお兄さん。お店でよく品出しなどをして働いていました。私の顔を見ると、いつも『おう、どうした?』と声をかけてくれてね。セーターを着ていたりすると『スキーでも行くんかい?』なんて言われたりしましたよ」
 
 懐かしそうにそう話す大塚は、もちろん川野の母親であり、創業者のトモのことも覚えている。大塚にとってトモは、「三丁目の夕日」のような町の八百屋・八百幸の“おばさん”であり、“情の経営者”でもある。
 「ヤオコーは女性が創った会社だと今でも感じます。統制よりもハーモニーを大事にし、女性をはじめ社員との距離を短くして活躍させる。『人を育てるためなら、いくらでも』と人件費に関する予算はつけず、経常利益の約半分もの額を遣う。これも『社員を育てて、嫁に出す』という創業者の考えの体現でしょう。ヤオコーは創業の頃から、一番簡単な方法を選ばす、その繰り返しを続けてきたのです」
 
 今、大塚はさらに一歩引いた地点からもヤオコーを見ている。そこからは課題も浮かび上がってくる。
 「現在は日本が変化する時期。それは経営もスーパーも同じです。つまり今までの成功がこれからの成功につながるとは限らず、逆に成功の要因が失敗の要因ともなりかねないということです。ヤオコーはライフスタイルアソートメントで成功してきました、それは将来の保証にはなりません」
 
 この課題を踏まえ、大塚は最後に川野へ次のようなメッセージを送る。
 「明日が必ず保証されていないのであれば、重要になるのはフレキシビリティです。すでにヤオコーにはそれがありますが、今後はより深い柔軟性が必要になっていくのだと思います」



自分達で売り場を考え足で稼ぐ差別化で生鮮を強化する 取締役 生鮮部長  新井紀明 Noriaki Arai

新井紀明は79年入社。プロパーの大卒4期生である。その年の新入社員は27?28人。現在も10名がヤオコーに残る。当時専務の川野幸夫に初めて会ったのは小川ショッピングセンターにあった本部での面接時。「大きい顔だなぁ」が第一印象だったという。
 
 その小川SCのデイリー部門を皮切りに、商品部や店長、地区担当部長、販売などで働いてきた。そして昨年、任命されたのが「生鮮部長」である。「販売を15年務めてきましたが、生鮮は初めて。『生鮮部長だよ』『えっ!?』という感じでしたね」
 
 そう言って笑う新井。就任後、生鮮の強化のために力を入れたのは自分達で売り場を考え、“足”で稼ぐこと。“生り物”“獲れ物”である生鮮を追い求め、バイヤーは国内のみならずオーストラリアやアメリカ、中国などまで仕入れに飛び回る。そのために事務や会議などのルーティンワークに割く時間は極力抑える仕組みを作ることもした。
   
 
 また生鮮部長の新井も自ら足を使う。毎週、新潟や静岡など車で3時間以内で行ける関東甲信越は自分で運転して、港の魚や畑の果物など食材を見に行く。「ヤオコーの生鮮強化は独自化ではなく、鮮度や安さを重視する差別化です。そうした生鮮をたくさん仕入れる一方、販売力を高めるために店の主任の教育強化をすることも重要です。例えば、主任を月に一度選抜し、大分のブリの養殖場の様子や、人の働きぶりなどの視察に連れて行ったりしています」
 
 そう語る新井は早や入社34年目。振り返れば、かつての川野は今と違って実に怖く、ほめられた記憶などないと吐露する。特に厳しく叱られた二つの記憶は今もなお忘れがたい。
 「一度目は店長を務めていた店でレジの不正があった時のこと。不正ももちろんいけないのですが、その後の対応が甘かったのです。それを川野に報告した時は、『対応が甘い!だから不正が起こるんだ! !』と叱られました」
 
 さらにもう一つの記憶は地区担当部長を務めていた時のことである。
「ある日、自分の誕生日に休んで家にいたのです。すると川野から電話がかかってきて、『何を休んでるんだ!?だから店がダメなんだ!』と。本当に怖い記憶しかないですよ。最近は年齢のせいか、丸くなりましたけどね(笑)」
 
 そんな痛い記憶を持つ新井による
と、
川野が怒るのは、人間として嘘をついたり、ごまかしをしたりした時。特に一人で各地を動き回るバイヤーはヤオコーの“顔”。だからよけい真面目であることが大切だというのだ。そのように厳しい一方、太っ腹で豪快な川野の姿も、新井には記憶鮮やかである。かつてヤオコーでは年に一度、店長合宿を行なっていた。温泉に一泊し、会議と懇親会を行なうと、それなりの費用がかかる。そんな時、新井が川野の元へ相談に行くと必ず「いくらほしいんだい?」と言ってくれた。
 「『新井さんが来る時はいつも金をせびられるんだよなぁ』と言いながら負担してくれました。川野はよく『男は二つの財布を持て』と言っていましたが、その二つ目の財布、ポケットマネーから出してくれていたんですね」
 
 その川野は酒も強く、実はカラオケ好き。新井によれば自らマイクを取って、チェッカーズを熱唱していたという。さらに生え抜きの新井にとっては創業者のトモの思い出も懐かしい。
 「トモさんは若い頃の私によく『小遣いは大丈夫かい?』と聞いてくれ、『ちょっと……』と言うと、お小遣いをくれました。社員に子供が生まれると、みんなにお年玉をくれたものです」
 
 厳しい反面、優しく温かく家庭的な創業以来の社風を守るヤオコー。今やその強みの一つとなった生鮮の舞台で、新井は精魂込めて奮闘し続ける。



川野の温かい理解の下16年務めた初の専従労組委員長 監査部長 島田功 Isao Shimada

「若い頃はけっこうヤンチャしてましてね。せめて地元の埼玉で就職して、親孝行をしようと思ったんです」
 
 そう笑いながら語る島田功。大学の掲示板に貼り出されていたヤオコーの求人票を見て志望した。受けた入社試験はヤオコーのみ。単位も危うかったが、会社はもし卒業できなくても待ってくれるというから、「決まりだな」。かくして無事、79年に入社した。
 
 最初の仕事は小川ショッピングセンターの店舗の鮮魚担当。以後店長として3店舗、2部門のバイヤーを経て地区部長を務めた。そして36歳の時、ヤオコー労組の二代目執行委員長に就任。52歳まで務めることとなる。
 「委員長になって初の団交では就任祝いの意味も込めて、一発満額回答。それからも会社ともめることはほぼありませんでした。そもそも労組ができる時、川野は『これからの時代、会社が大きくなるためにむしろ賛成』と言っていたそうです。だから労組に対して常に温かい理解がありましたね」
 
 川野は後日、島田が中央の上部団体の役員になる際も「大いに勉強させてもらって、会社に提言してくれ」と言ってくれたという。さてヤオコー初の専従委員長となった島田は、労働条件の維持・向上のため奮闘する。むろん賃金交渉が主だが、会社は一発ではないにしろ常に要求にほぼ近い回答をくれ、利益が出れば配分してくれた。そのためトラブルやスト権の発令が起きたことはない。一方、対価だけでなく福利厚生にも力を入れた。バス200台を連ねた6?7000人でのバスハイクや温泉旅行、ディズニーランド・ツアーなどで社員に楽しみを贈った。
 「仕事を離れて楽しみ、活力とコミュニケーションを得て、この企業に在籍した喜びを感じてほしいと思っていました。スーパーでは珍しく、店舗すべてに厨房と専任の賄いさんを擁する社員食堂を作ったのも同じ思いからです。『温かく栄養のある食事をして、元気に働いてもらいたい』という川野の強い願いも得て、実現したものです」
 
 16年間の長きにわたり労組委員長を務め上げた島田は現在、監査部長。ヤオコー119店舗とグループ会社、生鮮センター、約170の事業部のルーティン検査にあたる。店舗では開店前の朝8時から、金銭管理や防犯・防火・防災、食品衛生管理など300近くにものぼる項目をチェック。4名の部員で分担していっぱいいっぱいの業務量だ。さらに本部各部の業務監査、取引先のシステムのセキュリティ確認、PBの工場の衛生管理、輸入品の委託倉庫の棚卸も手がける。
 「チェックしてはチクチク言って嫌われる立場ですよ(笑)。でも労組時代とアプローチは違っても、会社をよい状態にするためという目的は同じ。不正や不祥事を起こした者を摘発するのではなく、そういうことを発生させないための提案や提言をして、みんなが働きやすい環境にすることが大切です」
 
 一方、課題については、こう語る。「知名度が上がってきた今だからよけいに、うっかりミスがクレームの対象になります。そうしたことが起きないように注力していかなければなりません。でもルールでがんじがらめにしては社員の活力がダウンしてしまう。それは避けながら、正しいことがきちんと守れるようにしていくべきです」
 
 今までもこれからも走り続ける島田だが、今後の個人的な夢について尋ねると、少し意外な答えが返ってきた。「陶芸をやってみたいですね。以前、ちょっとやってみる機会があった時、楽しかったし、『手先が器用だ』とほめられたんですよ(笑)」
 熱き労組委員長、行動する監査部長が作る陶器。それは、どっしりと力強く温かい逸品であるに違いない。



川野の一挙手一投足すべてから大切なことを学んだ秘書時代 営業企画部 FSP推進室担当  小林紀子 Noriko Kobayashi

ヤオコー東証二部上場の翌年にあたる95年。大卒女子採用一期生として小林紀子は入社した。「お客様の役に立ちたい」という思いから志望したのが食品スーパー。最終面接で初めて会った川野が語る強い信念、人を大切にする思いに感激したのを覚えている。入社後は高麗川店のレジと事務を3か月間務めたのち、経営企画室へ。翌年1月には当時社長であった川野の秘書となった。入社1年もたたないうちの抜擢に、ただ無我夢中だったと振り返る。
 「スケジュール管理からすべてを手がけましたが、とにかく川野に迷惑をかけてはいけないという一心でした。私にできることを川野にさせてしまったら、本業に割く時間が減ってしまう。日々反省しつつ一生懸命でしたが、川野は本当は怒りたい場面でも、ずいぶん我慢してくれていただろうと思います。一度も叱られたことはありません」
 
 そう語る小林。96年から07年末まで秘書を務めた間、川野のそばで実に多くのことを学んだ。まず川野の印象は「信念の人」の一言に尽きるという。常に「お客様のために」と言い続け、表も裏もなく一貫している。今それが実践されていても、さらに高みを目指し、情熱を持って言い続ける。それを目の当たりにした日々を、小林は「信念をシャワーのように浴び続けた」と表現する。さらに川野とパートナーや社員との強い絆にも驚かされた。
 「パートナーさんが娘さんの結婚報告をするため、母子で川野の元へやって来るのにはびっくりしました。それも一度や二度ではありません。また新入社員の登用式で『これからの意気込み』を書かせたことがありましたが、その時、川野は忙しい中、100名以上の新入社員それぞれへ宛てて、励ましの手紙を書いたんです。その思い、エネルギーは本当にすごい」
 
 さらに川野は仕事のみならず人間として大切なことも、自らの身をもって小林に伝えてくれたという。
 「例えばお茶を出すと必ず『いつもありがとう』と言ってくれるんです。まるで呼吸をするように、一つの所作のように自然にお礼を言えるのですね。毎日いつもそうしてもらうと、私も毎回嬉しくて、感激するんです。そのつど初心に返れるというのでしょうか。川野の一挙手一投足すべてに学ぶべきものがありました」
 
 そう懐かしそうに語る小林は産休を経て、現在は時短でFSP推進室勤務。ヤオコーカードを担当する部署である。ヤオコーカードは導入後1年を迎える。現在は、このカードにより収集した顧客の購買行動を分析し、熱烈なヤオコーファンに繋げるため、さらにきめ細かく顧客独自のインセンティブをつけるなど、次のアクションへと進んでいる。一方、小林はプライベートでも、日々の買い物は100%ヤオコーだ。厳しい目を持つ一人の主婦として見ても、ヤオコーの点数は高いと言い切る。
 「ヤオコーには選べる楽しさがあるからワクワクして満足できるんです。品ぞろえが豊かだし、バイヤーの腕やPOPの力がおいしさにつながっているのでしょう。それに商品の場所を尋ねると、店員が『こちらです』と必ず案内してくれるのは毎回すごいなと思いますね。そもそも川野の奥さんからしてヤオコーの応援団長として店をよくしようと一生懸命なんです」
 
 その小林は現在、1歳半になる男の子を育てる母親だ。今後の息子の成長とともに親子で一緒にやりたいことのリストを作り、今から楽しみにしている。その一方、川野に対しては、こんなメッセージを贈る。「いつまでも私にとって尊敬の対象であり続けてください」。秘書業務を離れても今なお、小林にとって川野は“がんばるための原動力”なのである。



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