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トピックス -企業家倶楽部

2013年05月27日

親しみやすく現場思いな経営者/山田満の人的ネットワーク

企業家倶楽部2013年4月号 大研医器特集第5部

親しみやすく現場思いな経営者

山田に会った人々は皆、初対面で彼の気さくさに驚かされる。時には、医療機器メーカーのトップにもかかわらず、「医者とは付き合わないんですよ」と突拍子も無いことも言う。だが、一旦仕事の話を始めると、独創性に優れた医療機器を開発する山田ならではの発言が止まらない。医療現場の改善に真っ向から挑む山田の姿勢には誰もが圧倒される。どんな時でも和気あいあいとした雰囲気を醸し出し、「相手の仕事の邪魔はしない」と、律儀で謙虚な対応を貫く。そんな山田も80 歳になるが、周囲からは「これからも第一線で活躍して欲しい」と切望する声が絶えない。(文中敬称略)



スマートで品のある経営者


スマートで品のある経営者


東京クリニック院長/順天堂大学名誉教授 宮﨑東洋 Toyo Miyazaki

「先生ね、私は医者とは付き合わんのですよ」

 宮﨑は山田との初対面での第一声にあっけにとられた。医者である自分に向かって「医者とは付き合わない」とは、はていかなることか。初対面のときは誰でも構えるものだが、山田にはまったくと言って良いほど、壁が感じられなかった。一代で企業を起こした創業経営者にありがちな、豪腕な社長という雰囲気ではなく、「話し方がスマートで品のある経営者」、それが宮﨑の山田に対する第一印象である。オープンマインドで気取らず粋な性格も波長が合った。

「これを機にお付き合い下さい」、山田は仕事の話はせずに帰った。

 1995年頃、加圧式医薬品注入器「シリンジェクター」の開発にともない、麻酔科医で痛みを和らげるペインクリニックの第一人者である宮﨑のもとに、助言を求めて大研医器の社員が訪れていた。その挨拶も兼ねて山田が宮﨑を表敬訪問したのだった。年齢は山田のほうが10歳ほど上だが、偉ぶった素振りがなく、対等な付き合いをしてくれた山田に宮﨑は感謝しているという。いつ会ってもよそよそしくなく、親しい友人のように接してくれ、時には兄のように頼りがいのある存在だ。

 今では、「医療機器メーカーの経営者と医師という立場ではなく、一人の人間同士としてお付き合いしてくれたのだと初対面のときの言葉を解釈している」と宮﨑は話す。

 それ以降、長い付き合いになるが、これまで山田から具体的なビジネスの話は一切なかった。山田が東京に出張で来るときに連絡がある程度。その際も、「東京の若い社員が寂しいといけないから、先生の行きつけの店を教えて下さい」という。社員思いの優しい山田の気遣いが感じられるエピソードである。

「大研医器の社員は会長から営業まで一体感があり、若い社員もおどおどしたところがなくていい」と宮﨑はいう。

 宮﨑は昔、いくつかの製薬会社の新人研修で講師をしたことがある。最初に話したのが、「売り込みはするな。医師の顔を見て嫌な顔をしていたら、何にも言わずに帰れ」ということだった。空気を読んで、今は話を聞いてくれる状況ではないと判断できる営業担当者が一番薬を売れるのだそうだ。

「私はべらんめぇ口調で、こんな性格だから、遠慮なく思ったことを口にするのだが、大研医器の社員さんは怯むことがなくていいね。仕事に自信を持っているからだろう」と宮﨑は分析する。

 最近の若い営業は、何か言うと尻ごんでしまったり、こちらの都合を考えず、会社で教え込まれたセールストークを話し終えるまで帰らない。しかし、どういう訳か、大研医器の社員にはそういうところがなく、医者の気持ちを見分ける術を持っているようだ。「今日はお忙しそうですね」とだけ言って帰っていく。

「山田イズムが染み込んでいるな。会長自らが行動で社員の方に示してきたのではないか」と宮﨑は話す。

 山田が東京に来るときや宮﨑が学会の発表で大阪方面に出張する際には、食事やゴルフで親交を深めてきた二人だが、最近は回数が少なくなったと寂しがる宮﨑。

「80歳と高齢になったが、仕事は出来る限り辞めないで続けて欲しい。山田さん本人もきっとそう思っているでしょうが、人生を謳歌してください」と兄のように慕う山田にメッセージを送った。



何事にも真摯に向き合う本物の経営者


何事にも真摯に向き合う本物の経営者


りそな アジア・オセアニア財団 理事長 野村正朗  Masaaki Nomura

「大研医器が開発したフィットフィックスは画期的でした。当時でもエイズの問題は深刻だったので、血液処理をめぐる課題を解決したことは大きく医療現場に貢献したでしょう」

 フィットフィックスは、手術中に排出される血液などの排液を凝固し、容器ごとにまとめて廃棄できる簡便かつ安全な医療機器だ。医療現場で圧倒的支持を受けるこの製品の開発者である山田と野村の出会いは、およそ20年前に遡る。出会った当時、大研医器は大阪で独創性に優れた医療機器を作っている唯一のメーカーであった。

「会長は夢を語りだすと止まらない。そして、それを実行しようとする行動力もある。いつまでも青年のように活力に溢れ、有言実行を貫かれているのは、昔も今も変わりません」

 厳しさと温かさを兼備した山田の経営者としての資質は、まさに天賦の才と言うべきだろう。独創性に優れた商品を生み出し、世の中に不可欠な会社として、その基盤を確立しつつある大研医器。常にオリジナルを追求し、フィットフィックスに関しては国内シェア7割を誇っている。もちろん、依然として未開拓な部分も多いが、だからこそ活躍の余地も大いに存在すると野村は語る。

「少子高齢化が加速している中、医療に対するニーズがさらに多様化するのは間違いありません。国内でこれほどまでに独創性に富んだ会社は珍しいので、私はさらに世界に出ることも視野に入れてほしいと思っています。日本を代表する医療機器メーカーとして、その地位を確立していただきたい」

 周りからも好かれ、年下からみても愛くるしいと思われる山田。数字にシビアな反面、優しくスマートな人柄は、多くの人が慕う所以であろう。巧みに人を扱う経営者としてのリーダーシップも文句をつけようが無いが、成功までは前途多難だったという。今でこそベンチャーキャピタルなどの後援が存在するが、会社設立当初の資金繰りは困難を極めた。

「お金に苦労しないと、本物の経営者にはなりません。会長自身、あらゆる苦労を重ねているので、ベンチャーを暖かく応援する姿勢を持っているのでしょう。会長のように、若い経営者を門前払いすることなく、優しく包み込むように応援している経営者は珍しいと思います」

 自分自身の苦労を一切見せること無く組織を運営し、高い志と技術力を持っていると見れば若い経営者でも真摯に向き合う。それも山田の魅力のひとつだ。医療現場から圧倒的支持を得ている所以も、ここにあるのだろう。

 仕事に全身全霊を傾ける山田だが、趣味に関しても全力投球だ。野村も「会長は本当に人生を楽しんでいて、私生活と仕事をバランスよくこなされているのが羨ましい。特に歌は、お世辞抜きで上手い。会社対抗で行なわれたカラオケ大会も良い思い出です」と当時を懐かしむ。

「会長には死ぬまで現役で大研医器を引っ張っていってほしいと思いますし、私自身、彼のように常にエネルギッシュであり続けたいですね。また、良い技術者を繋げていくために、良い会社を紹介するなどして、今後も私の出来る範囲で会長に協力していくつもりです」

 今日、医療分野は財界内でも大きくクローズアップされている。茶目っ気とユーモアに溢れ、明るい山田だからこそ、今後も会社は活き活きと成長し続けていくに違いない。



義を重んじ情に熱い有言実行の人


義を重んじ情に熱い有言実行の人


EMシステムズ 監査役 和田智弘 Tomohiro Wada

 EMシステムズの監査役を務める和田が、山田と出会ったのは13年前。

「会長は出会った時から全てがスマートでした。仕事でも私生活でも、何をするにしても行動が理に適っている。80歳だとは思えないほど表情も若々しく、私もあんな風になりたいものです」

 当時、大阪で医療機器を事業として展開する大研医器のような会社は珍しかった。「今や国内で大きなシェアを持つこの事業分野に目を付けた会長のセンスは素晴らしい」と和田は驚く。現在でも山田は相変わらずのお洒落ぶり。靴の先まで綺麗に磨かれており、手入れが行き届いていない社員には注意すると言う。そんな繊細な人柄が、仕事にも通じているのだろう。

 和田は「2009年に東証二部、10年には東証一部への上場を達成するなど、まさに有言実行の人」と山田を評す。実際に自分の言ったことを成し遂げようとすると、困難が伴う場合が多いが、山田は自身のビジネスに対して常に真摯に向き合っているからこそ可能だったと分析する。13年間の付き合いの中で、義を重んじ、情に熱い人柄は全くぶれることが無い。

 常に確信を持って行動しているように見える山田。しかし、事業を立ち上げた当初からそうであったわけではない。常に問題意識を持ち、挑戦し続ける気概があってこそ現在があると言えよう。

 そんな山田率いる大研医器の強みは、仕組みにもよく落とし込まれている。

「企画・製造・販売まで一貫して行っていること。さらに、医療現場の医師や患者に近いところでしっかり情報交換ができていること。これらは大研医器の大きな特長でしょう」

 少子高齢化が進む日本だからこそ、成長する余地はまだ存在する。高齢者の増加や健康志向の拡大といった医療分野に広がるニーズを汲み取れば、企業としての大きな伸びしろが期待できるだろう。少子高齢化は日本全体の課題であるため、国が政策として後方支援を行う環境も追い風となる。経済に不透明感がある中、得意分野で成長している会社のモデルケースとなるだろう。

 ただし、売り上げの規模が大きくなるに従って、全従業員に目を行き届かせるのは困難になる。医療分野に携わる企業である限り、経営する上で倫理観が無ければ乗り越えられない問題も多く発生するだろう。また、研究開発に特化する企業である大研医器は、今後さらなる成長を遂げるためには高い技術力を養い、維持し続けることが不可欠だ。こうした数々の課題を着実に克服していくことが、山田には求められる。

「近い将来、国内だけでなく海外のマーケットにも是非挑戦してほしいです。また、会長には持ち前の勝負強さを一段と磨いて、最低でもあと10年はトップとして頑張ってもらいたいですね」

 そう笑う和田は大研医器について、「会社として存在しているだけで社会貢献に繋がっているのに、長引く不景気の中で増収増益を続けているのは実に立派だ」と評価し、「高成長・高収益で、若い社員をよく可愛がり、株主を大切にしている大研医器は、企業として大いに魅力的だ」と説く。

 最後に山田へのメッセージを求められると、「会長は優れた経営力をお持ちです。スマートさと情熱を偏りなく併せ持ったリーダーが、今後どのような社会を作り上げていくのか、大いに楽しみです」とエールを送った。



話すたび感銘兄貴のような存在


話すたび感銘兄貴のような存在



柴クリニック院長/元大阪労災病院麻酔科部長 柴 紘次 Kouji Shiba

「会社名も知らない。顔も初めて。正直、印象はあまり良くありませんでした」

 柴は山田の第一印象を振り返って、そう笑う。

 約40年前、柴が勤めていた大阪市立城北市民病院で、手術室を改造する案件が持ち上がった。人工関節の手術を行うには、感染防止のためにバイオクリーンルームを作らなくてはならない。その際、山田の協力を得ることとなったのである。

 麻酔科を担当していた柴が直接バイオクリーンルームに関わることは無かったが、山田の発想力には驚かされることが多かったという。

 柴は毎日手術をする傍ら、手洗い装置の欠陥を懸念していた。従来よく使われていた装置は、蒸留水を循環させて蛇口から流すというものだ。効率的ではあるが、ある部分が一度汚染された場合、全ての蛇口に悪影響が及ぶ危険性があった。山田はこの問題を受け、汚染された部分だけ取り除けるように、フィルターを通して不純物を取り除く装置を提案した。

「これだ!と思いました。一度導入すれば大した費用はかかりませんし、良心的です」

 さらに、手術室に入る前に埃などを取るサージカルマットも、今まではフィルムを一枚ずつ剥がすことで殺菌状態を保っていたが、その後、消毒液で浸したマットの上を歩くだけで殺菌できるウェットマットを開発。「発想がとても斬新。コロンブスの卵とはまさにこのことです。私たち医者の気付かないポイントに目を付けておられる」とその着眼力に舌を巻く。

 山田は「医療現場であったら良いと思うものを遠慮無く私に言って下さい。こんなことは絶対にできないというような製品でも構いません」と現場の声を重んじる。柴も、ガーゼでふき取り秤にかけて測っている手術中の出血量をデジタル化して測ることのできる機械や、患者を手術台の上で簡単に反転させられる電動リフトなどを提案済みだ。

「きっと、私以外の先生たちにも同じように意見を求めているのでしょう。そうした些細で地道な努力が、次の新商品を生み出す際のヒントとなっているに違いありません」

 他社の類似品を作るのではなく、現場のニーズに合わせた全く新しい製品作りを心がけ、日々精進する。目先の売上げや利益に囚われず、医療の一環、社会貢献と心から思って仕事をしている山田に、柴は大きな魅力を感じる。

 特に山田が口癖のように言っていた「僕は死ぬまで仕事をする」という言葉は、柴の心に今でも焼きついて離れない。この管理社会、病院と言えど、勤務中は柴も中間管理職だ。上には院長、下には若い部下たちがいて、その軋轢がストレスになることも多々あった。そんな時は「自分が正しいと思う信念を曲げる必要は無い」という山田の言葉を思い出して奮起していたという。柴もそんな当時を思い出して、「会長は私にとっては兄貴のような存在です」と微笑む。

 現在も、プライベートで年に2~3回は飲みに行く。常にジェントルマンな山田だが、ゴルフに出向いたときは別。負けん気の強い一面が出るという。そんな人間らしい部分も含め、柴は山田を敬愛する。

「昔と違って会社経営が安定したためか、だいぶ柔和になられましたね。いつもおっしゃられるように、死ぬまで仕事は続けていただきたい。ただし周りから嫌われないよう、適度に存在感を保ってね」と山田会長の今後の発展を願った。



魅力あふれる人徳者


魅力あふれる人徳者



日本税理士会連合会 会長 池田隼啓 Toshihiro Ikeda

 池田が山田と出会ったのは約50年前。山田が会社を立ち上げる際に、「税理士として力になってほしい」と友人から紹介を受けた。半世紀近い付き合いで、池田の訪問先の中でも最も古い会社である。

「初めて会った時は、前向きな姿勢が印象的でした。働いていた会社を飛び出してまで起業しようとするくらいですからね」

 山田はプライドが高く、全てが一流でなければ気が済まない。資金もコネもない状態から創業したので、最初の15年ほどは売上が伸びず、資金繰りに苦労する時期が続いた。成し遂げたいことの実現に向けて試行錯誤を繰り返すため、支出が売り上げを超えて決算書はいつも赤字。あまりに資金が乏しいため、息子(現社長)の貯金箱を抱えて銀行の締め切り間際に手形を切りに行ったこともあったという。大阪から東京に進出して採算が合わなくなり、相談に来た山田に対し、「赤字を無くす簡単な方法があります。商売を止めればいいんですよ」と答えたこともある。池田がそう諭したくなるほど、血を吐くような経営状態の時代が続く中でも、山田は決して諦めなかった。

「一度決めたら絶対にぶれない信念をお持ちでしたね。事業に対する思いは誰よりも強かった」 と池田は当時を振り返る。トップにならないと気が済まない性格が、山田に弱音を吐くことを禁じていた部分もあるだろう。

 ある方法で失敗しても、次の方法を考えてすぐ実行に移していく、絶えず諦めない姿勢は起業当時から変わらない。それどころか、会社が軌道に乗ってからも前向きかつ大胆な発想をする山田の姿を、池田は間近で見てきた。

「現場目線で商品を開発し、ある程度のシェアを獲得した後でも、『今のままではダメだ』とさらなる高みを目指す会長の向上心には驚かされます」

 山田は様々な人との会話の中から、誰もが必要としているのに誰も解決していなかった問題に目を付け、特に手術室内にある機械に焦点を当てて研究を進めていった。

 以前は、そんな山田の勢いに付いていけない社員も多く、外部から優秀な役員を入れるために生え抜きの社員を降格することも度々あった。しかし、何度降格人事を繰り返しても社員が辞めなかった組織力に池田は感服する。たとえ降格を行っても、必ず能力に見合った仕事を与え、簡単に見捨てることは無い。社員が辞めていかなかったのは、企業としての魅力のみならず、山田の器の大きさがあってこそだ。

「大研医器の社員は、降格されても自分の与えられた領域で一生懸命働く。会長は大研医器を一つの家族のように考えているのです」

 経営する上では能力ある人材をどんどん引き上げる。しかし一方で、義理堅く人情味もある。「会長は実力主義と親分主義の使い分けが上手い」と池田は評する。面倒見が良く、上の立場にあっても社員に平等に接する明るい人柄が、山田の素晴らしいところ。会社の成長は山田の人徳による部分が大きい。

 現在、大研医器は上場からさらなる成長を遂げるべく、地固めの時期に入った。一度は引退を宣言しながらも、一念発起し会社を上場に導いた山田に、池田は激励のメッセージを送る。

「『50、60は花ならつぼみ。70、80は働き盛り。90になって迎えが来たら、100まで待てと追い返せ』という言葉があります。会長は80歳ですから、立派に働き盛り。まだまだ頑張っていただきたい」



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