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トピックス -ビッグベンチャー

2014年02月07日

良品計画を支えるスタッフ/MUJIで世界中に良い暮らしを提供

企業家倶楽部2014年1/2月号 良品計画特集第4部


MUJIの快進撃が止まらない。他にはないコンセプトを持った商品は、日本のみならず世界を席巻し、人々に愛されるブランドイメージを確立した。良品計画の飛躍に尽力したのは、松井への信頼感と納得できるまでやり抜く熱意をもったスタッフ達だった。(文中敬称略)

 



五大陸制覇を目指し今日も世界を駆ける


五大陸制覇を目指し今日も世界を駆ける


専務取締役海外事業本部長 松﨑 暁 Satoru Matsuzaki

 1年の大半は世界規模の旅暮らし。毎日、地球のどこかを駆け回っている。それが海外事業本部長、松﨑暁である。現在、無印良品の店舗は世界23の国と地域に260店。海外事業の売上は会社全体の20%を占め、大きな存在感を誇っている。

 松﨑はかつて西友ストアー(現・合同会社西友)の法務、続いて国際事業部門で働いた。西友がウォルマート傘下となってからは西友最後の国際事業部長として、シンガポールを除くすべての売却、従業員の解雇という厳しい仕事に当たった。

2005年7月3日に西友ストアーを退社、翌4日に良品計画に入社して海外事業部アジア地域担当部長となる。

「清算の仕事と違い、こちらはどんどん新しい国へ進出する仕事。海外事業でも180度違います。それに会社も全社挙げて支援してくれているし、松井も積極的に海外へ足を運んでくれます。ライセンシーのクレームに対処するため、展示会の忙しい時期にスペインへ来てくれたこともありますよ。だから今は本当に楽しい。松井にとても感謝しています」 

 その松井の考えによって、例外はあるものの海外進出は直営が原則。立地についてはすべて松﨑が足を運び、その目で確認する。だから1年365日のうち230ー240日も海外出張に出るわけだ。全世界において、「MUJI」ブランドは商品作りも店作りも日本と変わらない。物流コストなどの理由から、同じ商品でも価格が違う場合はあるが、それ以外はすべて普遍である。それが世界で理解され、支持されているのだから素晴らしい。

「世界で『MUJI』はブランドとしてしっかりと認識され、愛されています。実際、海外ではルイ・ヴィトンやシャネルといったハイブランドと同じショッピングビルに我々の店が入っています。『MUJIとは何ぞや』というコンセプトも理解されているし、『買って、使って、よかった』という声が多いのです。さらに環境や自然保護に注力している姿勢もイメージがよく、『MUJIを買いたい』『MUJIで働きたい』という気持ちに結びついているのでしょう」

 その海外事業の中でも特に目覚ましい成功を収めているのが中国。今年中に100店舗を越え、ブランドイメージも確立されている。

「中国に出店するとき、『中国は派手好みだからMUJIは難しい』と言われたものですが、社会も感覚も成熟しつつある中国では、シンプルさと着心地が評価を得ています。成都に有楽町店規模の店をオープンする計画があり、これは世界の旗艦店になりますよ」

 中国以外でも「MUJI」の快進撃は止まらない。今年11月にはオーストラリア・メルボルンで店舗をオープン、来年にはインドのデリーかムンバイ、そしていよいよ南米へ。2015年にブラジルでのオープンを目指し、実現すれば五大陸すべて制覇することになる。

「無印良品の強みと成功の理由は、基本的に特別なものではないことです。日常で使えるものを合理的な価格で販売すれば、どこへ行っても成功するに決まっているのです。あとはもっと我々が努力して、日本と同程度のより合理的な価格を実現することが課題です」

 さらに松﨑は次のように目標を語る。

「今、日本国内には390店舗ありますが、海外事業として早くそれを抜きたい。確実に抜けます。そして売上の30%を取りたいですね。世界のどこにでも『MUJI』があって、どこでもみんなが使ってくれる。それが私の夢です」



「信念一筋の頑固者」を支えるキーパーソン


「信念一筋の頑固者」を支えるキーパーソン


常務取締役 流通推進担当  (株)アール・ケイ・トラック 管掌  加藤隆志 Takashi Kato

 松井率いる無印良品の快進撃を支えた立役者。それが常務取締役加藤隆志だ。加藤は西友の婦人衣料品部門に配属された。2000年2月に商品開発部長に就任。9月には良品計画にて衣服部門の再建を一任された。

 衣料品復活への道のりは想像以上に険しいものだった。社内は荒み、誰もが自信を失っていた。退職した社員も多く、絶対的に人が足りない。まずは外部のアパレル出身者など、精鋭10名ほどを厳選して採用した。異なる環境で仕事をしてきたメンバーで開発を進めるため、元からのメンバーも含め、何度も無印良品のコンセプトを討議した。

 再建にあたり最も重視したことは、売るべき量と在庫のバランスを考えた商品設計・量設計。SPA業態の生命線は在庫だ。販売が計画通りに進まない場合、どうしても在庫が発生してしまう。90年代の業績好調期以来、欠品を恐れる体質が定着しており、商品が在庫として負の遺産となって経営を圧迫していた。そのため分割発注を徹底し、取引先も大幅に集約。在庫の見える化を図った。

 新規メンバーが入って1年。生まれ変わった無印良品の商品が店頭に並び、02年の第4四半期に初めて既存店の特別損失を解消。11月頃から手応えを感じ始め、03年2月には復活を確信した。

 加藤が良品計画に異動して半年後、松井が社長に就任した。加藤から見た松井は「男、信念一筋、頑固者」。努力家であるが、その姿は見せない。穏やかで聞き上手であるが、信念は曲げず悠然としている。社員はトップを尊敬し、トップは社員を信頼して仕事を任せる。そんな環境が今の良品計画にはある。

 新たな無印良品を始動するにあたり、松井の下、02年に品質改善プロジェクトが開始された。工場現場とのコミュニケーション不足を解消するため、まずは加藤自ら現場に向かい、工場責任者に対して品質の重要性を説く。工場は中国を中心に60ヶ所。1週間の中で視察する時間を決め、半年かけて回った。現場スタッフに店舗の様子を見せ、工場ごとに表彰制度を作って現場を鼓舞。その結果、全社の品質苦情は2割削減された。

 一度やると決めたら信念を持ち続ける松井。そんな彼が続けたプロジェクトの一つが30%委員会だ。コストの30%削減を目指し、聖域であった商品タグの種類、取引先を集約した。

 来年の秋には埼玉県鳩山町に新しい物流センターが竣工する。小売業としては最大規模となる3万坪の敷地を持つ。国内の売上の6割を稼ぐ関東圏に新センターを置くことで、全国の機能の集約化を図る。加藤はその責任者だ。新センターが機能することで、さらなるスムーズな商品提供が見込まれる。

 無印良品は、衣料や食品を通して生活スタイルを提案し続ける。西友と良品計画、それぞれを経験してきた加藤から見た無印良品の魅力とは、多くのアイテム数を誇りながら全ての商品の質を高い状態で担保していること。顧客に品質感・良心感・信頼感を提供している。そして何より、社員全員が無印良品のファンであること。給料のためより、会社のために努力を重ねている。

 店頭スタッフの苦労を理解しており、「社員が一番の財産」と語る加藤の今後の抱負は、部下に先輩としてアドバイスをしていくことだ。「将来の経営中枢メンバーが、自信を持って経営に参加できるように導いていきたい」と意気込みを語った。



システム変更の大トラブル時松井がくれた笑顔と温かな言葉


システム変更の大トラブル時松井がくれた笑顔と温かな言葉


常務取締役 情報システム担当部長  総務人事担当 管掌  小森 孝 Takashi Komori

 外資系メーカーで物流を担当していた小森孝が良品計画に入社したのは1997年のこと。西友からの分社独立後も物流のみ西友の施設の一部を使い、業務委託していた良品計画であるが、商品や店舗の増加により、自社の物流オペレーションを持つことを決めた時期であった。当時、物流部長を兼務していた松井は小森に、良品計画の物流をどう変えたいかを語ったという。

「ニコニコ笑って物静かで温和。でも、この人は物事を本質的に考える実務的・現実的な人だ。そう感じました。そういった松井の強い信念や激しい情熱、秘めた激情は今もまったく変わりませんね」

 物流の専門家である小森から見ると、良品計画の物流は他にあまり例がないものだった。ボールペンから家具まで、そして食品と、サイズもジャンルもまったく違うものを扱うため、ハンドリングや在庫管理、輸送などに難しさがある。小森は西友の物流センターなどから真似られるものは真似し、自社用にアレンジして、物流センターの仕組みを作り上げた。それは大変な仕事だったが、小森にとって最大の試練はその後にやって来た。2005年、情報システム担当部長を命じられたのである。

「『明日からシステム』と言われ、『えっ!?』と(笑)。システムなんてまったくわからないんですよ。当時、古くなっていたシステムを変えようということだったのですが、恐らく松井は、『物事を変えるには何の知識もしがらみもなく、変える怖さを知らないヤツのほうがいい』と考えたのではないでしょうか」

 目指すはシステムの内製化。小森は松井とともにトリンプやしまむら、花王など他社の優れたシステムを見て歩き、設計はすべて内部で、プログラムを書くことのみ外部に委託する自社システムを作り上げた。そして2006年12月、一斉にシステム変更。ところが、想像以上のトラブルが起きた。会社の基幹システムが1週間止まってしまい、受発注もできず、商品も届けられない。12月の売上は3割落ちた。大混乱の中、1か月間まともに寝られない状態で、小森は松井に状況報告に行った。

「すると松井はニコニコして、こう言うんです。『大変そうだねぇ。寝たほうがいいよ』。役員会や幹部会ももちろん重い雰囲気でしたが、松井は『システムはしょうがないよ、しばらくは』と。その後、トラブルは徐々に減って3か月で収束したんですが、ほっと一息ついたとたん、おなかが痛い。胃と十二指腸、大腸に潰瘍ができていて2週間入院しました。あの休みは幸せだったなぁ(笑)」

 このトラブル時も含め、小森は松井に叱られた記憶がない。それは他の社員も同じだが、小森は一度だけ松井の激烈な怒りを見たことがある。それは取引先との懇親会でのことだ。

「酒の勢いもあり、ある社員が取引先の人に、『今日、オレは用事があったんだ。それなのに何でこんな日にやるんだ?』と言ったのです。取引先と別れた瞬間、松井は彼を『お前、何を言ったんだ! 具合悪いよ』と叱りました。この『具合悪いよ』という言葉は松井がかなり怒っている証拠なんです。その社員は先方に謝罪しましたが、松井は決して許しませんでした。おごりや慢心、不誠実というものは絶対にいけないと考えているんです」

 おごりや慢心は自らを含めて誰もが陥りやすい。だから厳しく戒め、謙虚に臆病に危機感を持って生きていく。そんな松井の生き方から、小森は多くを学んだと今、感じている。



有限実行、頭脳明晰な松井はたとえるなら徳川家康タイプ


有限実行、頭脳明晰な松井はたとえるなら徳川家康タイプ


常務執行役員 店舗開発部長 兼 監査室 管掌  徳江純一 Junichi Tokue

 徳江純一は1976年、西友に入社した。配属されたのは町田店のベビー用品、アンダーウェアが主の売り場。女性客に「お兄ちゃん、体のサイズ測ってよ」などと言われて困った、と笑う。その後、名古屋勤務を経て無印良品事業部へ。元町店で働いたが、ある雨の日の売上は午後5時の時点で何と7万円。何かの間違いかと思ったが、閉店時にもわずか17万円。無印良品も、そんな時代であった。

「そのとき『ちゃんとした店を作らないと、店長が苦労する』ということを実感したわけですが、その後も大変でした。地方の老舗百貨店に『売り場を直せ』と言われ、頭にヘッドランプをつけて徹夜で作業したり、東京から姫路まで、服のほころびや自転車の不具合を直しに行ったり……(笑)」

 そう語る徳江が次に告げられたのは、「きみはジュウヤクだ」という言葉。重役ではなく十役を担当する総務人事部長を命じられたのである。前任は松井。その松井から「やる気と元気があるが、すべて思いつき」と評されての登板であった。

「初めての管理畑で人事制度について考え抜き、とにかく勉強しました。すると、もともと頭を使う人間じゃないから、頭が氷みたいに冷えて痛くなり、死ぬかと思いましたよ(笑)。でも本当にいい経験になりました」

 そして2002年には現職の店舗開発部長に任命される。それまで年間10ー20店舗は出店を続けていたが、売上計画の達成率は年間で見ると、ほぼ20ー30%以下。既存店との兼ね合いを考えながら日本全国の出店計画を立てるのが徳江のミッションであった。経験を積めば、どんな立地なら客が入るか“人間GPS”の勘が働くが、それが当たるのは20%程度という低打率。しかし、しまむら本社などでもアドバイスを受け、2003年に出店基準書を作成したことにより、出店の売上計画の精度は80%にまでアップした。

「同じ会社の中でも、やはり基準がないとだめなのです。無印良品の店舗開発の基準は、シンプルですよ。つまり土地の磁力が強ければいいのです。その磁力とは、まず『駅』。新宿や池袋、大阪の梅田など、大きな駅に近ければ当然、お客は入ります。また郊外ならば『館の年商』。たとえばショッピングモールなどが入る館の年商が500億とすると、約1%のシェアとなります」

 一方、路面店の場合はそうした基準はない。月曜、木曜、土曜に通行量調査を行い、1日に2ー3万人の通行量があればOKだ。そう語る徳江から見た松井とは、どのような人物なのであろうか。徳江はこう評する。

「有限実行、頭脳明晰、決断したらブレない一徹さがある人物。歴史上の偉人でいえば徳川家康タイプです。松井からは、思いつきで根拠のない発言や行動をしないことを学びました。それに総務人事部長時代の3年間は、『3年はローテーションしないから、とにかくやれ。そうしたら絶対に身につく』と言ってもらい、集中して勉強させてもらいました。それを今でも、とても感謝しています」

 そんな徳江が今、良品計画の課題と感じていること、それは「大企業病との闘い」である。「上向き、内向き」ではいけない、それでは大企業病に侵されてしまう。だから部下を見て「下向き」に、外部から情報を取って「外向き」に。それが松井の目指す「しなやかで、筋肉質な体質を持つ社風」の確立につながっていく。徳江は、そう信じている。



松井忠三は、人間としても男としても目標とする人物


松井忠三は、人間としても男としても目標とする人物


 亀谷哲夫の良品計画入社は2004年。それ以前は衣料品の雑貨を扱う小売業に20年間勤め、40歳を過ぎて独立起業もした。商品を企画し、マーケット分析をして、情報を提供する仕事は面白かったが、亀谷曰く「食えなくなって」就職活動を開始した。だが45歳を過ぎての就活は厳しく、なかなかピンとくる会社がない。そんなとき、たまたま西友人事部出身の人材派遣会社担当者から、「無印良品って知ってる?」と声をかけられる。

「その縁で面接に行った良品計画は、ちょうどV 字回復を遂げている頃。社員がみんな生き生きしていました。『なんて景気のいい会社だろう』と思ったのを覚えています」

 亀谷はそう振り返る。かくして良品計画入社後は、雑貨担当課長、素材開発室室長、宣伝販促室室長などを歴任したのち、2008年には生活雑貨部長に任命。コンセプトを持ち、「なるほど」と納得できる商品を作ることがミッションであった。雑貨7500アイテムのうち、生活雑貨は5000近く。ファブリックからファニチャー、エレクトロニクス、ステーショナリー、ハウスウェアのキッチン用品までと、実に範囲が広い。

「無印のコンセプトに基づき、社内企画デザイン室のデザイナーと外部のデザイナーがもの作りを行ないますが、それらは我々も毎日使う商品。そこで自分としてもマーケティングをし、お客さま室に届く無印の大ファンの声も聞きながら、商品を進化させていきます。『生活美学の専門店』として、感じのいい暮らしをつくる提案をしなければなりませんが、商品のみではいけません。よい商品に、よい環境(店)、お客とコミュニケーションしながら宣伝する、よい情報があって初めて、感じのいい暮らしが実現するのです」

 現在、亀谷は執行役員であり、販売部、業務改革部、チャネル開発部、大型店管掌。徳江純一らとともに、松井が委員長を務める「業務標準化委員会」のスタッフでもある。これは会社の基盤作りをするもので、具体的には全部門で業務基準書を作り、それを実務に活用すること、また挨拶やクリンネス、ノー残業、デッドライン設定による仕事の徹底、そして人材育成である。

「それに“役員行脚”という仕事もありますよ(笑)。これは役員が分担して文字通り全国を行脚し、全店舗で年2回、各3時間、パートやアルバイトらに無印良品のコンセプトを話して聞かせるというものです」

 一方、亀谷は無印良品の強みを、こう語る。

「社員みんなが無印大好き、商品大好き。これが強みです。“大好き”の中身はそれぞれ少し違うでしょうが、だからこそ可能性があります。その無印の競合はなかなかないでしょう。たとえば1本のボールペンを開発するのに、2500万円もかけるんですよ。そんなコンセプトを、ほかは真似できないでしょう」

 そして松井については、亀谷はきっぱりとこう言いきる。「あんなふうになりたいよね」。

「一度決めたらやり抜く、当たり前のことを当たり前にやり抜く。しかも下積みの時代がありながら、自分を曲げずに来たナイスガイです。だって毎日、1階の玄関ホールに立って、誰よりも率先して挨拶しているのは松井。それに誰より熱心に社内のゴミを拾っているのも松井ですよ。それも人が見ていないところでやっている。経営者としてのすごさはもちろんですが、人間として、男性として目標にする人です」



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