• トピックス
  • 企業家倶楽部
  • バックナンバー
  • 企業家チャンネル
  • 私の注目ニュース
  • 新商品コーナー

トピックス -ビッグベンチャー

2014年04月25日

チャレンジ精神旺盛ながら思慮深いリーダー/須田将啓の人的ネットワーク

企業家倶楽部2014年4月号 エニグモ特集第5部


日本を牽引するグローバル・リーダー須田。ロジカルな思考力を持ち、経営ビジョンは慎重で隙が無い反面、革新的なことにも挑戦する。サハラ砂漠や、南極のマラソン大会に出場するほどチャレンジ精神が旺盛。彼の首尾一貫した姿勢に、人々は魅了される。(文中敬称略)

立派に育った一人前の経営者


立派に育った一人前の経営者


ソニー 業務執行役員SVP  十時裕樹

   2006年、十時と須田はソネットの会議室で初めて顔を合わせた。きっかけは知人の紹介である。十時の事業を立ち上げた経験を見込んで、エニグモの取締役会に加わり投資して欲しいと頼まれた。投資金額はなんと約6億円。その投資があったからこそ、ここまでエニグモは大きくなることができた。

   出資の決め手となったのは、エニグモの経営陣である。須田を含めた4人のチームは、それぞれが情熱を持ってやりたいことを追いかけているが、根幹ではしっかりと繋がっている。「お互いに敬意を持っているが、馴れ合わない。これは経営陣にとって大切なことです」と十時は語る。

   ビジネスプランはもちろん、上手くいかない事態に対処できるかどうかといった経営陣の「人となり」についても冷静に見ていた。

   十時が初めてバイマのビジネスプランを聞いたときから、事業コンセプトは今でも変わっていない。そんなブレないところが、数あるベンチャー企業の中で成功した秘訣だ。個人の力を活用して世の中を変えたいという理念が現在も変わらずに掲げられている。

   須田は十時に対し、「距離感がいい」という表現をしたことがあった。現在二人は月に一度の取締役会で顔を合わせている。須田が経営面で悩んでいる際には、自分の過去の経験も踏まえて十時が助言をする。しかし、最終的には経営者の意志だからと、意見を押し付けるようなことはしない。そういったメンターのような立ち位置の十時に対し、須田は心地よい距離を感じているのだ。

「経営理念であるエニグモセブンの中に『やんちゃであれ!』という言葉がありますけど、須田代表のやんちゃ度は落ちたね」と十時は笑う。しかし、決して挑戦をしなくなったということではなく、経営者として経験を積み成長したということである。

   世界経済フォーラム(ダボス会議)のヤング・グローバル・リーダーに選出され、世界のリーダー達と交流することで、視野も広がってきた。「最近の須田さんは経営者然としてきて、年相応の貫禄や雰囲気も感じるようになった」と十時は続ける。他企業の経営者と集まって英語の勉強会を開催するなど、自身が啓発されるような接点も欠かさずに持っている。

   そんな須田の印象は「クレバーな人」。事業を行う情熱に加えて、計画の立て方が理屈として通っており、論理性も備えている。普段から意識的に行動し、無目的に過ごすことはない。

   また、博報堂で一度サラリーマンとして働いた経験により、社会の仕組みを理解していたことが起業するにあたって基礎の部分で活かされている。そこに、起業の苦労やそれを乗り越えてここまでエニグモを大きくしてきた経験という厚みが加わって、今の須田がある。「厚みを備えてこれから経営者として一段と伸びていくだろう」と十時は期待を寄せる。

   エニグモが創業したての小さなオフィスの頃から、今のオフィスに至るまで見守ってきた十時。それに伴って、会社の成長と須田が経営者として大きくなっていく様子を目の当たりにしてきた。それは十時にとって楽しい経験であったし、学ぶことも多かった。

「須田さんも40歳になられたということで、少しは健康に注意してしっかり精進してください」とあたたかい表情でメッセージを送った。



自然体で芯の強いリーダー


自然体で芯の強いリーダー


アイスタイル 代表取締役社長 吉松徹郎

   東京・港区にある寿光ビル。ここからいくつもの上場企業が出たというので、ベンチャー業界では有名だ。その中でもつい最近まで「お隣さん」であったのが、吉松率いるアイスタイルと須田率いるエニグモである。

   2010年のエニグモ本社移転と前後して、よく一緒に飲むようになったという吉松。須田から見れば二つ年上だが、先輩後輩の感覚はあまり無い。酒が入ると須田は口数が増え、ミュージシャンの氷室京介が歌う格好を真似し場を盛り上げる。この通称「氷室飲み」も、知る人ぞ知る須田の一芸。「今では期待されてしまうから本人も大変でしょうね」と吉松は苦笑する。それでも、半分照れながら期待を裏切るまいとするのが須田らしい。

   吉松は、須田の交友関係の広さは圧倒的だと言う。同世代はもちろん、年下にとって須田はカリスマ的存在だ。不思議と年上にも好かれる。決して饒舌ではないが、話すと本質的で深い。「一見やんちゃに見えて、思慮深さを話の節々に感じる。そのギャップがずるい」と吉松は笑う。

   隣にオフィスを構えることとなった時は、クールで自由な社風が目立った。社内は綺麗でパラソルがあり、ビールも自由に飲める。革新的なことにどんどん挑戦するスピード感が羨ましかった。

   一方で、須田が最大の苦境を迎えていたのも、まさに寿光ビルに引っ越してきた時期である。当時は経営資源をバイマに集中させ、リストラも行った。そうした施策が功を奏し、エニグモは急成長、上場に至る。

「苦しかったでしょうが、本当に意思の強い決断をしたと思います。苦境の中、業績などの話題に触れてはいけない空気があり、誰も須田君の話を意識的に聞こうとはしなかった。それでも、誰かに話したいという気持ちは彼の中にあったでしょう。ただ黙って話に耳を傾けることで、自分が応えられたのは良かった」

   もう一つ、吉松が須田の芯の強さを感じたのは、創業から上場まで二人三脚で試練を乗り越えてきた田中が退職した時だ。「僕ならもうちょっとジタバタしたかもしれない」と言う吉松。しかし須田は、現実として冷静に受け止めていた。

   吉松は、企業を家族に例える。子育てをしていても、反抗期など大なり小なり訪れる試練があるだろう。企業でも同様に、どこかのタイミングで共通の壁にぶつかる。吉松も仲間と共同で創業し、かつIPOを一度止めた経験を持つ。須田としては、少し早く多くを経験している吉松を参考にしているのかもしれない。

「須田君を船に例えるなら、ずっと深い所に碇があって、揺れているようで全くブレない。そういう人ですね」

   確かに田中はいなくなったが、不安は全くない。むしろ、今後どうしていくか楽しみだという。

   そんな須田を見ていて吉松の印象に残る言葉は、「まぁ大丈夫です」「何とかなります」。言葉の一つひとつに仰々しさが無く、極めて自然体。サハラ砂漠や南極に乗り込むのも、自分の気持ちに忠実に動いた結果だ。その自由度に吉松は驚愕する。そんな須田に影響されてか、吉松もサハラマラソンへの参加を決めた。

「やはり須田君のエピソードを聞いていると純粋に羨ましいですね。僕も50歳までにサハラ砂漠マラソン、南極マラソン、エベレスト登頂に挑戦したい」

「ダボス会議への出席で須田君は視座が高くなった」と分析する吉松。「日本を代表する、むしろ、日本を感じさせないグローバルなリーダーになってもらいたい」と期待を込めた。



先見の明を持つ英傑


先見の明を持つ英傑


ユーグレナ 代表取締役社長 出雲 充

   2012年、須田と出雲はダボス会議で知られる世界経済フォーラムのヤング・グローバル・リーダーズに選出され、同年共に上場を果たした。

   エニグモの経営が苦しいとき、社内の雰囲気を変えるために席替えを提案した須田。机を窓に向けて配置したら、社員が明るくなり会社の業績が向上したというエピソードに感銘を受けた出雲は、直接会って話を聞くチャンスを窺っていた。

「会った瞬間、あの逸話の方だと納得しました。場の雰囲気を気遣って下さるので、初対面だと感じませんでしたね。須田さんの天才がなせる業でしょう」

   出雲はミドリムシを大量に栽培する方法を開発し、独自のビジネスを展開している若手経営者。類似の業種が存在しないダントツのオンリーワンに挑戦するユーグレナ、エニグモの両社だが、そこには真似されないメリットと同時に、参考にする前例がないデメリットもある。須田は自身の幅広い人脈を活かして先輩経営者に指導を仰ぎ、ビジネスでもプライベートでも勉強を欠かさない。須田の姿勢を見習い、先輩経営者を紹介してもらうこともある出雲は、須田を「面倒を見てくれるお兄さん」だと言う。

   須田は日本のダボス会議の代表を務めているが、気概のある人ばかりが集まる会合の運営が何事も滞り無く進むのは、彼が先々のことをイメージしてそれに備えているからだと出雲は分析する。

   こんな一例もある。須田は、自分の留守中に訪ねてきた部下やお客のために手紙を用意している。そこには「2週間後にこれが欲しいと言うと思って、用意しておきました」など、先を見越した指示が書いてある。

「まるで三国志演義に登場する英傑や軍師ですね。もし彼がそうした乱世の時代に行ったら、立派な国づくりをすることでしょう」

   さらに須田が素晴らしいのは、他人のために先々のことを考えて尽力する大変さや辛さをおくびにも出さないこと、そして少しも恩着せがましくないことだと出雲は感じている。

「私なら、手紙に書いた通りになったら大はしゃぎして喜びますが、須田さんは淡々と、何事も無くて良かったと言ってどっしり構えています」

   ビジネスではバイマという新しいサービスで世界を驚かせ、プライベートでもサハラ砂漠や南極に行くサプライズで周囲を楽しませる。須田がプロデュースした食事会で、あまりの料理の美味しさに感動した出雲。その料理はわざわざ特別な食材を調理出来る人を呼んで作ったもので「私にとってはその心遣いが嬉しいサプライズ」と回想する。世界を変える、世界を驚かせることは須田にとって曲げることのできない信念なのだ。

「普通の人からすれば南極で走るなど無謀なことですが、須田さんであれば南極マラソンもエニグモの世界進出も全く無謀ではないと感じてしまう。そう思わせる実力と安定感のある、完成された人格者ですね」

「場の雰囲気を気にかけ、苦労を強調しない自然体な須田さんのスタイルは、個性や人格と一体となっているため真似するのは難しい」と出雲。破天荒なようでブレない須田の人格がどのように形成されたのか、その経緯から学びとりたいと言う。

「真似はできないかもしれませんが、須田さんのように度量が大きく、安定感のある経営者になりたいです。ミドリムシが100兆匹ぐらい入るような器の大きい男を目指して、私なりに成長していきたいと思います」



共に死線を超えた戦友


 共に死線を超えた戦友


ウィルPMインターナショナル 代表取締役 兼 最高経営責任者 石田 淳

   石田と須田はトライアスロン仲間として知り合い、共に2012年のサハラ砂漠マラソンに出場した。サハラ砂漠の気温は昼間50度以上に達する一方、朝晩は打って変わって0度近くまで冷え込む。その中を一週間にわたり250キロ駆け続ける過酷なレースで寝食を共にし、一気に親しくなった。

   昨年11月にはチームを組んで南極マラソンにも参加。最低気温マイナス50度という厳しい環境の中で7時間も走り続けなければならない。サハラ砂漠以上に辛かったが、協力して何とか乗り切った。完走後、石田のアイデアで、南極の氷で割って飲んだウイスキーの味は今でも忘れられない。石田にとって須田は、かけがえのない戦友である。

   そんな須田について石田は「偉ぶらず、気さくでいい奴」と語る。石田自身、コンサルティングという仕事柄、様々な経営者と話すが、須田ほどフランクな人間はいない。

   挑戦を重ねる須田の姿勢に舌を巻く石田。サハラ砂漠や南極でのマラソンは、リスク要因にもなりうるが、「色んなことにチャレンジしていきたい」と強く語る須田の姿が印象深いという。

「人がやらないことに挑戦する姿勢は昔から首尾一貫していますね。経営理念にもある『やんちゃであれ』の精神を、プライベートとビジネスの境無く体現しています」

   IT系の経営者というとヒルズ族のようなイメージを抱かれがちだが、須田はそうした経営者像とは全く異なる。スポーツをしたり、旅に出たり、決して無理をせず、自然体で「やんちゃ」が出来てしまう須田の姿に共感し、魅かれてくる社員も多い。

   あまり考えすぎると、普通はサハラ砂漠にも南極にも行かないという結論に達するだろう。しかし、リスクばかり考えていては一歩も動けなくなってしまう。「マラソンも、行きたいと思った瞬間にエントリーボタンを押す。こうしたフットワークの軽さがエニグモ自体の飛躍に結びついているのではないか」と石田は分析する。走りながら考え、成果が無ければ止めればいい。須田は、失敗しても取り返せる範囲の数字を見極めながら様々な投資を行っているのだ。

   とはいえ、もちろん何も考えずに崖から跳ぶような真似はしない。

「実のところ、彼はかなり緻密に考えていますね。先のことまで見据え、ベクトルを決める部分は慎重で隙が無い。しかし、あとの枝葉の部分はどんどん任せていきます。そのバランス感覚は見習いたいですね」

   経営者としてあらゆることに気を配らねばならない立場上、どうしても須田が全ての業務を取り仕切ることは出来ない。だからこそ、自分が直接関わるべき本質的なポイントを明確に絞り、そこに邁進しているのだ。

「須田さんは、一般的にマイナスと思われるようなことでも失敗と捉えていないことが多い。あくまで一つの経験であって、挑戦と失敗を繰り返す中で学習していけばいいという考えです」

   常人ならば挫折するか、そもそも挑戦すらしない中、暗中模索の状態からでもめげずに立ち向かう須田。そうした力強さと、仲間を思いやる人間的魅力が、創業当初も多くの友人から投資を引き出したのだろう。

「須田さんのご友人で最初にお金を出した方々は皆感じていたと思いますよ。この男なら、何度でも立ち上がってやり遂げるだろうってね」

   今秋には、須田と共にロンドンとニューヨークで講演する予定の石田。「戦友」須田に対し、次のようなエールを送った。

「是非『やんちゃであれ』の精神を失わないで欲しいですね。これからも、一緒に色んなことにチャレンジしていきましょう」



全体のために動ける大人


全体のために動ける大人


ミシマ社 代表取締役 三島邦弘

「僕は同世代の創業経営者2人の人間性に惹かれました。出版社の人間として、彼らを世に届ける仕事がしたいと思い、本を出版したのです」

   三島が須田と出会ったのは、自らの出版社を立ち上げて1年後のことだった。まだ仕事も多くなかった当時、社員の1人が「同級生に面白い奴がいる」と三島に須田を紹介したのがきっかけだった。


   ミシマ社の信念は「絶版を作らず、100年読み継がれる本を世に送り出すこと」。そのため、旬の話題を取り上げるビジネス書は頭に無かった。三島も現役の経営者である須田を題材とした本を書こうという意思は無く、エニグモがどのような会社かも分からないまま会いに行った。しかし、須田の第一印象がそれを覆した。

「本当に爽やかで気持ちの良い方という印象で、社員の方も含めて楽しそうでした」

   当時は、後に主力となるバイマの売上げをプレスブログが上回っている状況だったが、須田は三島にエニグモの事業内容を理念から順を追って一つひとつ丁寧に説明した。その後、三島はもう1人の創業者である田中とも面会し、2人の「やんちゃ」なエピソードを聞くにつれ、これまでに無い企業家の本が書けると確信するに至った。創業経営者同士ということもあって意気投合し、「ベストセラーにしましょう!」と須田も大張り切り。それから数回に渡って長時間の取材を敢行し、原稿を書き進めた。ついに完成した本は、『謎の会社、世界を変える。エニグモの挑戦』と題され、2008年に刊行。順調に刷数を重ねている。

   須田と田中について三島は「1歳上なので、兄貴だと思っていました」と語る。2人はミシマ社が移転した折も、他にアポイントがあったにも関わらず真っ先に駆けつけた。何の打算も無くそうした行動をとれる2人の姿から、三島は人間としての精神性を学んだという。

   「やんちゃなお兄ちゃんが、不慣れな全く新しい世界の中でどんどん成長していくという感じです。会うたびにパッと目の前が明るくなって、自分にも何かできそうな気にさせてくれます」

   三島が経営者として須田に共感したのは、ミシマ社と同様に人が喜ぶサービスを提供するという信念を崩さない姿だ。そんな須田の魅力は、全体のために自分の立ち位置を見極め、行動することができる「大人」な態度だという。本を製作している当時、三島も須田とは飲むことが多かったが、状況に応じて自分に課せられる役割を理解し、行動に移す姿は今でも変わらない。

   「本来ならばストレスの溜まる役割だと思いますが、須田さんの口からネガティブな発言を聞いたことは全くありません。苦労話でさえ、笑いながら良い経験として語ります」

   どんな会社でも企業理念を掲げるが、体現しなければ形骸化しがちである。そこへ来るとエニグモは、須田自らが楽しんで働いていることで企業文化に血が通い、社員一人ひとりにまで浸透しているのだろう。

   近年、三島は地方にも拠点を構え、東京と京都を往復しながら地方のメディアの活性化を狙っている。須田と同じく「人々の喜ぶものを提供したい」という志を持つ三島。須田に対して「これまでにも増して、思いきり暴れてください。僕もその姿を見ながら、一緒に輝いていきたい。変わらぬ須田さんでいて欲しいと思います」とエールを送った。



コメントをシェア

骨太対談
 
コンテンツメニュー
企業家賞
企業家倶楽部企業家大学
Page Top