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トピックス -ビッグベンチャー

2014年06月19日

【海外リポート】vol.2 インドネシア「変身大国」浮上へ/小牧利寿

企業家倶楽部2014年6月号 海外リポート


 インドネシアの大統領選挙が2014年7月9日に行われる。ユドヨノ現大統領の後継者には、国民に人気のジョコ・ウイドド現ジャカルタ特別州知事(52)が確実視されている。大統領選挙まで時間はあるので、結果について予断は許されない。現状で注目すべきは同氏の台頭の背景にある国民意識、さらには伝統的社会の変化である。ここに日本にとって重要な「変身大国」の将来を掴むカギがある。

小牧利寿(こまき としひさ)

 1948年4月生まれ、72年東京外国語大学インドネシア語科卒。同年日本経済新聞社入社。自動車産業キャップなどを経て87年から6年間ジャカルタ支局長。93年から編集委員。マレーシアのマハティール首相はじめ東南アジア4カ国首脳の「私の履歴書」も担当。




 大統領候補の人気調査でジョコ・ウイドド氏(愛称ジョコウイ)は他を圧倒している。最近の支持率は40%前後。他の候補は10%台から一ケタ台だ。支持層は年齢や性別で大きな差はなく、都市部、農村部、あるいは地域別にみても安定した人気を保っている。

 人気ぶりはメディアが使う「ジョコウイ」のニックネームにも見て取れる。本名の「ジョコ」と「ウイドド」を合わせて簡略化した。初代のスカルノ大統領は「ブン・カルノ」、二代目のスハルト大統領は「パ・ハルト」と敬称と名前を組み合わせた呼び方だった。「ジョコウイ」は社会的な愛称として定着した。

 どんな人だろう。2005年まで闘争民主党地方支部の一員ではあったが、無名の市民だった。1958年2月6日に中部ジャワ州の古都ソロ(スラカルタ)のごく普通の家庭に生まれた。成績は優秀でインドネシアでトップクラスの名門大学ガジャマダ大学の林学科を卒業、木材を材料とする家具会社でサラリーマン生活を始めた。

 しかし、ソロ市の行政は市民の期待にこたえていない、と2005年に市長選挙に立候補。いわば「すぐやる課」のような行政手腕を発揮して市民に人気を集め、2010年の市長選では9割以上の得票を得て再選された。

 その人気にあやかろうとする中央政界の有力者から推され2012年に首都ジャカルタ(ジャカルタ特別州)の知事選に立候補、たちまち現役を破って当選した。首都でも評判がよく、知事就任から間もないのに2014年7月に実施される大統領選挙の候補者として一気に浮上してきた。

 他の有力政治家と比較して際立った特徴は、政治的基盤なり経済的基盤を持っていないことだ。有力政治家は国民の9割を占めるイスラム勢力、政治に隠然たる力を持つ国軍、民族的に国民の3割を占めるジャワ人社会など強力な政治基盤を持つ一握りの上流階級に属する人たちである。

 名前が挙がっている人物のうちプラボウ・スビアント氏は、スハルト政権創成期に大きな影響力を持った経済学者スミトロ・ジョヨハディクスモ博士の長男というエリート家の出身だ。スハルト大統領の次女と結婚(後に離婚)し、陸軍特殊部隊司令官、陸軍戦略予備軍司令官など国軍の要職を歴任した実力者である。

 メガワティ・スカルノ・プトリ氏は初代スカルノ大統領の長女。国民の圧倒的支持を背景に第5代大統領にも就任した。国民に最も大切な独立の英雄の長女という政治的名声だけを基盤にした政治家のエリートとして、である。

 ユスフ・カラ氏はスラウエシ島の出身で東部インドネシアを代表する政治家だ。日本の自民党に当たるゴルカル党の実力者で、2004年発足した第一次ユドヨノ政権では副大統領を務めた。

 現ゴルカル党総裁のアブリザル・バクリー氏はインドネシア商工会議所会頭も務めた。人口の9割を占めるプリブミ(非華人)ビジネスマンを代表する存在。第一次ユドヨノ政権で経済問題の最高責任者である経済担当調整相を務めていた。またハヌラ党党首のウイラント氏はスハルト大統領に副官から国軍司令官も務めた国軍のエリートである。




政治的エリート達を相手にジョコウイが国民の圧倒的支持を得ているのは一言でいえばインドネシア社会に民主化の空気が次第に定着してきたことによる。30年あまり続いたスハルト開発独裁体制が1998年に崩壊して16年。この間、民主的な総選挙へ移行、言論の自由も確立した。安価な情報機器の普及で国民が判断に必要な情報を自由に入手できるようになったことが大きい。

 このインドネシア社会の変化の中でもっとも影響を受けた既成の政治勢力の典型が、スハルト長期政権を倒し民主化の旗手として国民から期待されたメガワティ氏。民主化の旗手どころが「バカでしかない」と側近も肩をすくめるほどの無能ぶりと金権体質がメディアで露呈され、独立を指導した父スカルノ大統領の権威も著しく後退した。 初の民主的な選挙で大統領に就任したユドヨノ現大統領。おひざ元の民主党で総裁をはじめ党幹部が次々と汚職で逮捕されイメージが急落。イスラム有力者も次々と汚職疑惑が広がり始め、現職閣僚や中央銀行総裁までクリーン度や任務を全うしえない行政手腕が次々と明るみにでた。 かつて封じ込められたこうした情報がテレビや新聞、インターネットなどを通じて広がるのが現在のインドネシアである。一方で、市民自身が政府へ抗議デモをかけることも日常茶飯事となっている。インドネシアのヘソと言われるホテル・インドネシア前のロータリーはこうしたデモが日常化、ただでさえ自動車や二輪車の急増で深刻化している交通渋滞に輪をかけているのが実態だ。

 前回この欄で筆者は「経済発展、情報機器の普及などにより多くの市民が情報入手の手段を獲得したインドネシア社会では類を見ない変化が起きている」と指摘した。政治の世界では、それがジョコウイ現象として現れてきたのだ。

 インドネシアの人々はこれまで無縁だった中央の政界で誰が何をし、何が起きているのかを時々佐々知っている。世論調査で意見を求められれば「ジョコウイ」と答えるといった政治的雰囲気はもう出来あがっているのだ。

 市民はジョコウイの行政責任者としての手腕、実績を高く評価している。一方で、既存の政界、政治家たちの金権、汚職体質などへ強い拒否反応も示している。これらがプラス・マイナスが相まって、次期大統領候補としてジョコウイへの期待が高まっているというのがいまのインドネシアである。

 こうした情勢を象徴的に示したのが3月下旬のメガワティ大統領の大統領選立候補断念のニュースである。闘争民主党のメガワティ総裁は、自身が大統領選挙に出馬する代わりに、同党の大統領候補にジョコウイを押すことをやむなく決断した。4月9日の総選挙で民主党が勝つには、党首メガワティ氏出馬断念しかないという党内の空気を踏まえたものである。英雄スカルノ大統領待望論の神話もこれで崩れ去った。

 この闘争民主党の大統領候補決定はインドネシアの政治史流れの中でも画期的な出来事と言える。歴史的に見て、過去、絶対的な権威にひれ伏していたインドネシア国民の政治姿勢の変化と受け止められるからだ。

 まず350年以上続いたオランダ植民地時代。体の大きな白人の権威の前には一部を除き抵抗すらせず支配を受け入れてきた。その後に続いた日本軍政時代はもとより、独立後も独立の英雄スカルノ初代大統領、長期独裁開発政権だったスハルト大統領ら強権政治家が権力を振るうことが出来たのも、強いものには巻かれろと姿勢がインドネシアの人々の間に根強かったからである。

 日本ではジョコウイは「庶民派政治家」と表現されることが多い。インドネシアの現代史をひも解くと、スハルト政権時代に市民の人気を博したアリ・サヂキン・ジャカルタ特別州知事がいた。しかし、同知事を除くと、庶民派として知られた政治家はほとんどいないこともジョコウイへ国民の人気が高まっている理由の一つだろう。

 ただ、大統領に就任したジョコウイが、国民の期待に答えた政治を実行できるかどうかは別問題だ。ジョコウイ人気で第一党に返り咲くことが確実視される支持母体の闘争民主党だが、メガワティ氏をはじめ上層部の金権体質は国民に知れ渡っている。ジョコウイ氏がそうした身内をどこまで制御できるか、国民は注視している。

 



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