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トピックス -ビッグベンチャー

2014年09月16日

宅配回収で日本をリサイクル先進国にする/リネットジャパン&ネットオフの21世紀戦略

企業家倶楽部2014年10月号 リネットジャパン&ネットオフ特集第1部


家庭やオフィスにあるパソコンなどの小型家電に使われているレアメタルは、いわゆる宝の山“ 都市鉱山”といわれる。その都市鉱山を発掘するのが小型家電リサイクル法だ。その先駆者に名古屋のベンチャー企業が名乗りを上げた。中古本のネット販売大手のネットオフで、リネットジャパンという子会社を設立、「日本をリサイクル先進国にする」と社長の黒田武志は高らかに宣言する。( 文中敬称略)



小型家電リサイクル事業に進出

 「日本発のビジネスモデルで日本をリサイクル先進国にしたい。今日、我々の本社がある名古屋から発表できたことを嬉しく思います」。リネットジャパン社長の黒田武志は清々しい表情で記者会見に臨んだ。

 2014年7月21日、愛知県名古屋市長の河村たかし事務所から、使用済み小型家電の宅配回収サービス開始を宣言した黒田。事業構想から4年、やっと待望の日が訪れた。

 「減税第一号も名古屋市。小型家電リサイクルも名古屋市で第一号。光栄の至りです」と場を盛り上げる河村。河村は議員定数半減、議員報酬半減を公約に掲げ、実際に市長給与と議員報酬を以前の1700万円から800万円に下げたことで全国的にも有名な市長である。

 「インターネットで申し込むと翌日には宅配が取りに来てくれるのでしょう。ダンボール箱1つ分が880円で何台でも同一料金とは、市民の利便性も高い。このサービスを民間企業が手掛けるというのがいい。行政がやると何でもコストが高くなるでいかんな」、河村の歯に衣着せぬ語りで会場は明るい雰囲気に包まれた。河村自身も家業の中小企業で辛酸をなめ、その後、政治家に転身した苦労人である。庶民感覚溢れる人柄で人気を博している。気が利くコメントもメディアを意識した中小企業に対する河村流のエールと言えよう。



都市鉱山の埋蔵量は約6800トン

 2013年4月1日、使用済みのパソコンや携帯電話といった電子機器を回収し、微量に含まれるレアメタル(稀少金属)の再資源化を促進する小型家電リサイクル法が施行され、翌年2014年1月には、リネットジャパンが経済産業省・環境省からリサイクル事業者に認定された。

 日本全国に金の蓄積量は約6800トンあり、愛知県内の都市鉱山だけでも約400トンあるという。環境省の資料では、1年間に小型電子機器が65万トン廃棄され、その中に含まれる有用金属を金額換算すると約800億円という試算がされている。

 「5年後には小型家電の宅配回収事業で経常利益15億円を目標にしている。1000万人の利用者を集めたい」と黒田は事業計画を語る。

 記念セレモニーが開催された7月21日、愛知県全域で使用済み小型家電の宅配回収サービスがスタートした。



自治体と補完関係モデル


 しかし、小型家電リサイクル法の推進には課題が残っていた。本来、レアメタルの再資源化はメーカーの責任であるが、国際競争で体力を失っている企業はそのコストを負担できずにいた。それでは消費者がその負担を背負えるかといったらそれも難しい。最終的に市町村の自治体(行政)が回収し、適切に処理することで落ち着いたが、罰則規程のない促進法では一般家庭に眠っている電子機器の回収方法に壁があった。

 行政側も頭を悩ませ、誰も有効的な解決方法が見付からないところに、黒田が得意とする宅配を活用した回収方法を提案した。税金を使うことなく、行政と一緒になり電子機器の回収を行うスキームは双方の利害が一致した。第一には補完関係が成立したこと、そして、粘り強く黒田が関係省庁に足を運び、宅配回収のメリットを提案し続けたことが、難しいとされる一般廃棄物処理業者の許認可を取得することにつながった。全国エリアで宅配回収が認められたのは、リネットジャパンが初であり、今のところ唯一だ。

 しかし、リネットジャパンという新しい会社を知っている人はまだ多くはないだろう。ネット中古本販売のネットオフと言った方が知名度は高い。今後もサービス名としてネットオフは残すが、2014年9月にリネットジャパンに社名変更を行う。それほど第二創業と位置付けたリネットジャパンに掛ける黒田の想いは強い。



社会性のある事業を手掛けたい


 今から4年前の2010年当時、日本経済は不景気の真っ只中にあった。国内全体が停滞感を払拭できぬ中、創業から10年が経ち、黒田は次の10年に向け、社員が奮い立つような高い目標を模索していた。

 宅配を使い不要となった本やCDをリユースするネットオフの事業は、日本人の「もったいない精神」に合致し成長、黒田には「ネットオフが宅配買い取りのパイオニアである」という自負がある。この宅配回収を本のリユースだけでなく、もっと社会性のある事業に役立てたいと黒田は考えていた。

 ちょうどその頃、都市鉱山の第一人者である工学博士原田幸明(独立行政法人 物質・材料研究機構 特別研究員)の書籍を読み、目から鱗が落ちるようだった。一気に新規事業の構想が頭を駆け巡った。思い立ったが吉日、すぐに黒田は原田を訪ねた。

 「レアメタルの再資源化にネットと宅配を使ったビジネスを考えている。知恵を貸して欲しい」、黒田は自分の思いの丈を原田にぶつけた。

 「多くの産廃事業者が話を聞きに来るが、黒田社長にはビジョンがあり、着眼点も良かった」と第一印象について語る。

 「誰に会うとよいと助言するとすぐに行動に移し、次回会うときには課題を1つクリアしていた。よく勉強をしているし、彼の発想力と行動力には目を見張るものがある。リサイクル界に革命を起こして欲しい」と原田は黒田に期待を寄せる。

 現在、小型家電リサイクル法は、許認可を持つ全国35社しか請け負えない。リネットジャパン以外は中間処理場を保有しているが、リネットジャパンにあるのはサーバーのみだ。ネットで24時間受け付け、宅配会社に回収を委託、電子機器は集めることなく、認可を持つ中間処理業者へ引き渡すというビジネスモデルとなっている。

 「ネットオフで確立した宅配回収の仕組みを活かし、これまでの大きな商品センターをローコストオペレーションで収益化するのとは違う、インターネットのプラットフォームビジネスを立ち上げたかった」と黒田は語る。



ネットオフの実績が裏付け

 ネットオフの事業は、今回100%子会社のリネットジャパンが始めるネットのプラットフォーム事業と違い、主中古本やゲームソフト、CD、DVDをリユース(再利用)するイーコマース事業である。現在では、本の他にもブランド品やゴルフクラブなどのホビー商品など、常時40万タイトル、100万点を品揃えしている。年間約600万個の販売実績は単独販売では世界一となり、ギネスにも認定されているほどだ。会員数は200万人に達する。

 米国では新書の再販制度がなく、本をディスカウントして販売できるが、日本国内では再販制度があり新書は割引販売できない。中古の書籍をディスカウントして販売するネットオフは、「日本のアマゾン」と例えられる。実際、宅配の物量は全国でも50位以内に入る。中部地方では3位と並み居る通販会社を押さえ、トップレベルを誇る。

 宅配を利用し、1冊100円から200円の中古本で収益化を実現したビジネスモデルはベンチャーの本場、シリコンバレーでも珍しがられ、グーグルやペイパルといったメガベンチャーを輩出したことでも知られる有名なインキュベーション施設主催のプレゼン大会でも優勝したほどだ。

 このネットオフで確立した「宅配買い取り」の実績を背景に安価なコストで宅配回収を実現し、小型家電リサイクル事業にアウトサイダーでありながら進出を果たすことができた。むしろ、産廃業者でなかったことが業界の常識に捕らわれず、既存の産廃回収とは違う、ネットと宅配を利用した新しい回収法を組み立てることにつながった。リネットジャパンはネットオフの強みを活かした進化版なのだ。



企業家坂本孝との出会い

 今年で49歳になる黒田は、端正なマスクで落ち着いた口調からソフトな印象を受ける。すでに社長業は14年のキャリアを数え、経営者が経験するヒト・モノ・カネに関する苦労は一通り味わってきた。ちょうど企業家としても脂が乗ってきた頃だ。

 しかし、黒田をよく知る人は「人の話を聞かない頑固者」と評する。良くも悪くも猪突猛進、自分でこうと決めたら梃子でも動かない一面も持つ。それでは黒田の独立までの経緯を見ていこう。

 黒田は大阪生まれで大学までは地元関西で過ごした。大阪市立大学商学部を卒業後、バブルの真っ只中にトヨタ自動車に入社、名古屋の地を踏んだ。トヨタでは国内の営業部門を担当。30歳になる頃、転機が訪れた。新規事業の少ないトヨタの中でカーショップを立ち上げるチームに携わった。そこで新しい枠組みを作る大変さと面白さを初めて知ることとなる。

 「ゼロから一を作る新規事業の立ち上げの魅力に惹きつけられてしまった。自分が出世して権限が持てる頃までにはまだ10年はかかってしまう。自然に社外に目を向けるとベンチャー雑誌の記事が目に止まった」と独立のきっかけについて黒田は話す。

 雑誌にはブックオフ創業者の坂本孝(現俺の株式会社社長)の記事が載っていた。独立支援をする「エンジェルプラン」という文字が目に飛び込んできた。当時は中部地区にブックオフはまだなかった。しかし、なぜかその記事が気になり、会社を休んで坂本の説明会を聞きにわざわざ神奈川県相模原を訪ねたのだ。

 そこに現れた坂本はただの古本屋の親父ではなく、企業家のオーラが漂っていた。「社員だけでなくアルバイトスタッフも含めて汗と涙を流して仕事している」という坂本の話に感銘を受けた黒田は、坂本が講演をすると聞けば、会社を休んでは追っかけをしていた。坂本もいつも最前列の席にいる黒田に気付き、「また来たのか。君はトヨタの男だね」と顔を覚えてもらえるようになった。

 本当にブックオフは坂本の話すような現場なのか知りたくなり、名古屋から一番近くにある三重県四日市のオープニングスタッフとして土日の週末だけアルバイトで働くことにした。平日はトヨタで働き、週末は四日市まで車で1時間半のドライブをしてブックオフで働いた。時給は700円、往復の高速代とガソリン代、昼飯代を払うと赤字だったが気にならなかった。

 ブックオフでは有名なオープン前日の決起集会がある。本当に皆が感極まり涙ぐむ。黒田もトヨタで泣いたことはなかったが、ブックオフでは2週間前まで見知らぬ他人同士が一丸となる。すっかり「坂本マジック」の虜となり、四日市店でのアルバイトも10カ月が過ぎた。

 どこから坂本の耳に入ったのか、ある日突然坂本から電話があった。

 「最近、講演会に顔を見せないと思っていたら、四日市店でアルバイトしているらしいな。一度、飯でも食べよう」。黒田は今でも新横浜にあるプリンスホテルで中華料理をご馳走になったことを忘れることが出来ない。



アルバイトから社長へ転身


 「そんなにやりたいのか」と坂本。

 「はい」と二つ返事で答えた黒田に、坂本は「それでは四日市店をのれんわけしてあげるからやってみなさい」とチャンスを与えた。黒田はその日を境にアルバイトから社長になった。トヨタを辞め、経営者の見習いを始めた。黒田が31歳の時である。

 ブックオフの独立支援制度を使い、本部から資本金を借り入れ、店の収益で返済した。アルバイトの雇用、仕入れ、販売などまさに経営の縮図がそこにはあった。店舗運営を通して経営の勉強をし、自分で利益を稼げるようになってから独立しなさいというプログラムであった。

 黒田は順調に業績を上げ、三重県で3店舗、岡山地区の営業不振店も受け持ち、その他東京でも1店舗、2年半で7店舗まで増やした。

 実績を残した黒田はもともと立ち上げたかったネット事業で起業したいと坂本に相談したところ、大反対された。ブックオフは義理人情、浪花節の熱い人間集団が強みだったので、ネット事業のデジタル領域には進出しないという不文律があった。



師匠から勘当される

師匠である坂本の反対を押し切ってまでも強引にネット事業を進めようとする黒田に「弟子はくびだ。好きにしろ!」と坂本は勘当を言い渡した。おっかけまでして惚れ込んだ師匠だったが、自分の夢を追う代償に師弟関係は解消された。

 2000年8月に国内最大級のインターネット中古書店を立ち上げるという目標を立てた。99年からネット事業の準備を始めたが、当時は社員の誰もネットを使っていなかった。そこで、社員には店舗運営を守らせ、黒田は、コールセンターの女性と商品センター担当一人、システム担当一人の最低限の4名でスタートした。黒田は東京に出張し、事業パートナーを探すが進展はなかった。岡山で待つ社員には「大丈夫。提携先はいっぱいある」とウソをつくしかなかった。時は経ち目標だった2000年8月まで残り3カ月になっても進捗はゼロであった。

 5月のゴールデンウィークにかつての上司と会食の機会があった。ネット事業を立ち上げる話をしたところ、トヨタもネット事業を始めたところで、担当者を紹介すると約束してくれた。

 渡りに船とはこのことだ。トヨタもネット上でショッピングモール「GAZOO(ガズー)」を展開しており、集客が課題であった。新刊の書店だと差別化できないが、中古の書店だと集客が見込めるということで一気に話が進んだ。ピーク時にはトヨタから20名の応援が駆けつけ、怒涛の日々を過ごした。何もないゼロから僅か3カ月で、予定通り8月に日本最大級のインターネット中古書店をオープンさせた。

 当時、GAZOOの担当取締役であった豊田章男(現トヨタ自動車社長)もオープニングイベントに参加するため岡山までやって来た。大反対していた坂本も世界に冠たるトヨタから出資を取り付け、リスクを取って挑戦している黒田の奮闘を認め、一度は言い渡した破門を解いた。坂本もオープニングイベントに駆けつけた。

 「家出した息子が親父の家に帰るようなもの」と当時の様子を黒田は照れくさそうに話す。


師匠から勘当される

全社員を上海に集める

 4年前の2010年7月27日、黒田は全社員を中国上海に集合させた。役員の中には不測の事態を心配し、数名は日本に残す案を提案したが黒田は聞き入れなかった。

 「もしものときはサイトを止めても構わないから、63名の社員全員で上海に行く」。黒田には目的が2つあった。1つは次の10年に向けて、ビジョンの発表である。その日は創立記念日であった。世界で一番活気のある都市、上海で美しい夜景を前に、社員に向けて宣言した。

 「宅配買取から、世界を変える会社になる」

 日本にはコンビニ文化や宅配便サービス、そしてセキュリティー分野など日本発の独自のサービスで一つの産業まで発展したビジネスが存在する。それは法律で誕生した訳ではない。一つの民間企業がパイオニアとなって新しい市場を創ったのだ。

 「宅配回収サービスも生活に根ざした文化に育て、日本を循環型社会の先進国にしたい」

 「後世の人から、なぜ日本はリサイクル大国になったのかと問われたら、『それはネットオフが広めたのだよ』と言われるようにしたい」と黒田は夢を語る。

 そして、その覚悟を社内外に示すため、1000万円の大金を払い、日経新聞全15段のビジョン広告を顔入りで掲載した。

 2つ目の目的は、長年の願いであった経営陣の結束を強めること。世界的権威のあるチームビルディングの研修を受けるため、役員は一足先に上海入りをしていた。今日ではその研修を受けた若手の中から頭角を現す人材が出てきている。

 「高い山に登ろうと思ったら一人では限界がある。これからはチームで経営をしたい」、黒田の気持ちに変化生まれていた。これまでも良い人材が来てくれたが、自分の想いが伝わらずに苛立ちをぶつけることがあった。

 「自分の力量が足りなかった」と反省する黒田。今では断片的に想いを伝えるのではなく、相手の理解度を見て、咀嚼して話すように心掛けている。コミュニケーションを重視し、しっかり伝えなければ信頼関係は築けないことを学んだ。



ビジネスを通して偉大な作品を作ろう

 経営陣のベクトルが合い始めた矢先、最大の危機がやって来た。

 「ネットオフ顧客情報1万人流失か」とのニュースが報道された。事実は情報漏洩はなかったが、不正アクセスの痕跡は認められた。しかし、一流れてしまったニュースは消すことが出来ない。風評被害であるが、カード会社の調査が終わるまでの数週間、カード決済に係る一部のサービスを止めるしか術がなかった。販売が制限されるため、買取も制約を受けざるを得なかった。結局、2カ月間、開店休業状態に陥ったが、経営者としてパート・アルバイトの雇用は守らなければならない。事態が最終的に終息するまでの3カ月間で6000万円の赤字を計上し、経営陣は倒産の危機を共有することになった。危機はないにこしたことはないが、経営チームの結束力は高まった。怪我の功名とでもいうべきか。

 「チームで危機を乗り越えられたことで自信が付きました。ピンチの後にチャンスありです。新規事業についてもチーム力で解決しようという雰囲気が出てきた」と黒田は胸を張る。

 使用済み小型家電の宅配回収サービスが普及していけば、家の中にある不要品も使えるものはリユースに回すなど適切に処分したいというニーズが出てくることが予想される。

 「宅配回収は重い荷物を運ばずに済み、査定の時間も節約できるメリットがある。何しろ部屋が片付くので気持ちが良い。利便性を考えると利用者のメリットは大きいのでまだまだ普及する伸び代がある。ネットオフの既存のサービスとも相乗効果が見込まれる」と黒田は言う。

 過去に2度の株式上場を目指したが頓挫している。三度目の正直か、近い将来株式上場を果たし、日本をリサイクル大国にするという夢を実現するために奔走する黒田。中古本を皮切りにし、都市鉱山で事業をさらに発展させ、リサイクルという循環型社会を目指すリネットジャパン。本業に専念することが社会性のある事業となる、黒田が夢見ていた世界を今具現化しようとしている。

 「ビジネスを通して、偉大な作品を作ろう」と黒田は経営チーム、そして社員に檄を飛ばす。企業家黒田の一挙手一投足から目が離せない。



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