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トピックス -ビッグベンチャー

2014年09月17日

オリジナルの事業で新たな社会インフラを届けたい/リネットジャパングループ代表取締役社長 黒田武志

企業家倶楽部2014年10月号 リネットジャパン&ネットオフ特集第3部 編集長インタビュー


 日本最大級のネット中古書店の前途は多難に満ちていた。がらんどうの倉庫に社員がわずか4人。提携先は見つからず開業すら危うい状況でも黒田は社員に「大丈夫。なんとかなる」と強気の言葉を投げかけた。起業後も赤字が6年続いた。それでも黒田はめげなかった。エリートサラリーマンから企業家への転身。師匠との出会いと別れ。波乱万丈の企業家人生を選択した黒田に、リネットジャパン&ネットオフの過去と未来を聞いた。(聞き手は本誌編集長 徳永健一)



「弟子は破門だ」

問 なぜ起業を志したのですか。

黒田 大学を卒業し、トヨタに入社しました。ここで偶然、オートバックスのようなカーショップを立ち上げる新規事業に携ったんです。トヨタが新規事業を立ち上げるのは珍しいのですが、そのときに新規事業の面白さを知り、新しく枠組みを作る大変さと面白みを知りました。これが29~30歳くらいのときのことです。「次は自分の手で新規事業を」と思ったのですが、年功序列制のため、プロジェクトリーダーになるためにはさらに10年くらい実績を積まなければなりませんでした。

 そんなときに偶然、ブックオフ創業者の坂本さんが載った雑誌を見つけました。エンジェルプランという起業したい人を支援する記事がでていました。当時ブックオフは西日本にはあまり店舗がなく見かけたことがなかったのですが、なぜかその記事が気になり、会社を休み説明会を聞きに行きました。

 キャバレーとスナックの間を抜けて、マンションの1階の事務所が会場でした。「この会社が支援されるほうじゃないのか」という心配もあったのですが、そこに登場した坂本さんには「こういう人が企業家なんだ」という雰囲気がありました。

 その坂本さんに感銘を受けたので、講演会のスケジュールを聞きだして会社を休んで何回も追っかけして、いつも一番前の席で聞いていました。そうしたら坂本さんが「お前また来たのか。トヨタの奴だろう」と言って、顔を覚えてもらえたのです。97年だったと思いますが、企業家倶楽部主催の坂本さんの講演会にも名古屋で参加したのを今でも覚えています。

問 その坂本社長に、当初ネット事業は反対されたそうですね。

黒田 坂本さんは、ネットというデジタルな分野はブックオフの領域ではないと考えていたのだと思います。

 私も最後は様々な葛藤がありましたが、ブックオフでアルバイトをしながらも「これからはインターネットの時代だ」とネット事業を立ち上げる強い思いがあったため、半ば強引に進めました。一時は「弟子は破門だ」と言われたのですが、自らの思いを真っ直ぐに坂本さんにぶつけたところ、最終的に独立を認めてくれました。



トヨタの社員がアルバイトに

問 起業前はブックオフで働いていた経歴もお持ちですね。トヨタの社員でありながら、ブックオフで働きはじめたのはなぜですか。

黒田 講演会に参加していた当初は「社員だけじゃなくてアルバイトスタッフを含めて全員が汗と涙を流している」という話で非常に感銘を受けたのですが、何回か聞いていると「できすぎた話だな」と思うようになりました。「本当にそういう現場なのか」と気になったものの、名古屋には店舗がなく、一番近いところで三重県の四日市に新しくオープンする予定でした。当時私は名古屋の独身寮に住んでいたのですが、月曜日から金曜日まではトヨタで働き、休日はトヨタに内緒で四日市に車で1時間半程かけて通い、時給700円のオープニングスタッフでアルバイトを始めることにしました。土日だけとはいえ、へとへとになるまで働く生活です。

問 トヨタとブックオフの二足の草鞋だったのですね。

黒田 そのアルバイト先がついにオープンすることになり、決起集会がありました。そこでみんな感極まって泣くのです。私もたった2週間前まで赤の他人だったスタッフと「やるぞ」と円陣を組み、「これが坂本さんの言っていたことか」と感動もひとしおでした。

 そこから週末は四日市に通って、10ヶ月ほどアルバイトを続けました。そのうちその話が伝わったのか、突然坂本さんが電話をくれました。「君が講演会に最近来ていないと思っていたら四日市でアルバイトしているらしいな。一回飯でも食おうか」

 新横浜のプリンスホテルで中華をご馳走になり、「そんなに起業したいのか」と聞かれ「したいんです」と私が言うと、「四日市をのれんわけしてあげるから、やりなさい」とチャンスを頂いたのです。

 私もびっくりしたものですが、その日を境に私はアルバイトの黒田から社長の黒田になりました。そのときにトヨタを辞めて、当時は会社ごっこのようなものでしたが31歳にして一つの店舗を任されたのです。



空の倉庫に社員4人

問 独立時のエピソードについてお聞かせください。

黒田 独立にあたり、ブックオフから資金を借り入れている状態だったため、店舗での収益を元にそれを返済していかなければなりませんでした。そのため、98年にトヨタを辞めて、ブックオフウェーブのフランチャイズの店舗のトップとして店舗数を増やしていきました。

 はじめはアルバイトをしていた四日市の店舗のみだったのですが、坂本さん直々に岡山と三重の数店舗を任されました。東京でも1店舗経営し、2年半で店舗を増やした結果、収益を出せる会社になったのです。そこで、もともと希望していたネット事業を2000年に立ち上げようと、岡山の店舗のバックヤードで起業の準備を始めました。

問 いつ頃から準備を始めましたか。

黒田 準備をはじめたのが99年で、まだインターネットを使える人がほとんどいませんでした。自分の店舗で働いていたアルバイトにネット事業を立ち上げるといっても「社長頑張って下さい」と言うだけでした。その上、「ほんまに立ち上がるんですか」などと聞いてくるので「もうええ。お前らは店舗を守ってくれ」と新たに社員を雇うことになりました。

 岡山のバックヤードで準備をしていたのは、私と、コールセンター、商品センター、システム開発に1人ずつ、4人の最低限の人数です。

 提携するビジネスパートナーを見つけに東京に行くのですが、岡山に帰る度に3人が本部で待っていて、「どうでしたか」と聞かれました。私も「バッチリや。いろんな提携先から話が来た」と言うものの、本当はどこの会社からも来ていませんでした。そうして騙し騙し準備を進めていたので、99年の年末には何の動きもなく、彼らはただ倉庫の掃除ばかりしていました。「1年後の2000年の夏に日本最大級のインターネット中古書店を立ち上げる」という目標を立てていながら、ついに5月まで来て残り3ヶ月でした。



トヨタからの応援

問 その短期間でどのように起業されたのですか。

黒田 実は、ゴールデンウィークにトヨタ時代の元上司と飲む機会があり、事業を立ち上げようとしていることやいきさつについて話しました。元上司も事業内容に興味を持ってくれて、「トヨタもガズーというネット事業を始めようとしているから、それと一緒にやったらどうだ」と紹介してもらえることになりました。

 ネットオフは新刊のみのネット書店とは差別化されており、ガズーのネット上のモールへの集客に生かすことができるということで、ピーク時は20人程トヨタから送り込んでもらえました。開業準備を怒涛の勢いで手伝ってもらった結果、2000年8月に見事にネットオフは日本最大級のインターネットの中古書店としてオープンすることができました。一時諦め気味だった社員も「見ろ、言ったとおりだろう」と喜んでいました。「弟子は破門だ」と言った坂本さんも最後は応援に来てくれました。そして坂本さんと豊田章男(現トヨタ自動車社長)さんも開業時に来てくださり、ようやくシステムも倉庫も完成し、ネットオフがスタートしたのです。  



赤字時代の苦労が強さの秘訣

 問 ネット通販のアマゾンは日本に進出した当時は物流センターが増えるばかりで「いつ黒字化するのか」と話題になりましたね。

 

黒田 ネットオフも会社の成長性に期待した投資家から7億円を調達し、当時はまだがらんどうの商品センターと、独自のシステムを開発しました。

 ご多聞に漏れずはじめの6年は赤字が続きました。売上自体はかなりの勢いで伸びていたのですが、利益がついて来ない苦しい時期です。アマゾンと同じように「どこまでいっても利益が出ないんじゃないのか」と言われたこともありました。

 私も社員には「いける」と強気でも、心の中では「売上が伸びても利益が出ないかもしれない」と弱気になったものです。しかし、その中でも大事だったのは利益を出すための地道な改善努力の積み重ねでした。

問 どのような改善努力でしたか。

黒田 細部にわたるチューニングです。中古買い取り販売のビジネスは、仕入れも販売もお客さんを相手にしているので2つの変数を持っています。それらの数字管理をあらゆるところで徹底し、買取りコストや広告宣伝コストを抑えました。さらに、派遣ではなくアルバイトで雇用するなど、小さなところから見直すことで利益の出る赤字時代の苦労が商売になってきたのです。

 また、シリコンバレーのビジネスプランコンテストでも評価されたネットオフの「トヨタ生産方式」も特徴です。ジャストインタイムという方法で、一番の無駄である各工程の間に商品が滞留することを回避し、必要なときに、必要なだけ流すようにしています。

 これらは我々が積み重ねた同業他社には真似できないノウハウです。一見シンプルなモデルですが、商品センターの数字管理を含めた細かいオペレーションがなければ、急な買取りが増えて多くの在庫で倉庫がいっぱいになるなどの問題が起こり、営業がまわらなくなってしまうのです。



日本の都市鉱山を狙え

問 新規事業のリネットジャパンは子会社ですか。

黒田 ネットオフとは別会社で、9月末でネットオフの100%子会社になる予定です。リユースのブランドとしてネットオフは存続させますが、親会社のネットオフ株式会社の社名変更をしてリネットジャパンホールディングス株式会社として、その下に100%子会社であるリネットジャパン株式会社という形にしようと考えています。

問 社名も変更するのですね。

黒田 「オフ」という名前の通り、ブックオフから分離してネットオフになっても、坂本さんの影を追うようなビジネスだったと思います。そういう意味では我々も遅ればせながら、今度は自分たちのリネットジャパンという名前を持ち、オリジナルのビジネスで挑戦したいという強い思いを持って挑戦していきたいです。

問 赤字の時期を乗り越え、今は何に注力されていますか。

黒田 実は設立10周年の2010年に上海に全社員で研修旅行に行きました。ちょうど落ち着いて、社内で「この先何を目指してがんばるんだ」という喪失感があった時期だったのです。全社員が現場を留守にすることになりますが、「アルバイトに任せよう。何かあったら止めろ」と言い、システムや物流センターの担当者も参加させました。

 そしてそこで掲げた「宅配買い取りから世界を変える」という次の10年のビジョンが念頭に置いていたのは小型家電のリサイクルでした。

 日本の小型家電に含まれるレアメタルは世界有数の資源大国に匹敵する量で、これを宅配買取りの仕組みを使いリサイクルの資源として回収するのです。今までの宅配買取りの意義は家の中にある捨てづらいものをリユースすることにありましたが、これからはそれだけではなくなります。

 1企業の努力でその国独特に発達したコンビニやセキュリティなど、生活に欠かせないサービスがあります。我々も世界にないリユースとリサイルの便利な宅配便の仕組みを普及させていって、「日本がリサイクル先進国だ」と言われるようにしたいですね。

問 中古本の買い取り以外にも扱う商品を増やすのですね。

黒田 リサイクルという循環型の社会は行政主導ではなく、企業がお客さんに捨てるより便利でお得なサービスを提供し、収益を上げて継続することで実現すると思うのです。

 今挑戦しようとしていることに、小型家電の分別作業等での知的障碍者の雇用の創出があります。我々が要な家電を回収することで、リサイクルの推進になる上、雇用の創出にもつながるということです。もちろん、本業であるリユース、リサイクルで収益を挙げることも大切ですが、ビジネスにおける偉大な作品というのは、会社の利益が社会の利益になるものではないでしょうか。

 ネットオフでも宅配買取と寄付と組み合わせたスマイルエコプログラムという活動があり、そうしたCSRに繋がるモデルは意識していました。リネットジャパンでもまた別の形で収益と社会の利益との両立ができるような「作品」を創っていきたいです。




p r o f i l e 

 黒田武志(くろだ・たけし)

 1965年、大阪府生まれ。大阪市立大学商学部卒業。1989年、トヨタ自動車株式会社入社。1998年、トヨタ自動車株式会社を退社し、ブックオフコーポレーション株式会社の企業家支援制度の第1号として株式会社ブックオフウェーブを設立。代表取締役社長に就任した。2000年、株式会社イーブックオフ(現ネットオフ株式会社)を設立。日本最大級のオンライン中古書店「イーブックオフ」を開設した。2013年3月、リネットジャパン株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。



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