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トピックス -ビッグベンチャー

2014年09月17日

黒田が蒔き全員で育てる/リネットジャパン&ネットオフを支えるスタッフ

企業家倶楽部2014年10月号 リネットジャパン&ネットオフ特集第4部


ネットオフの特徴はそのビジネスの独創性だ。他社が羨む黒田のアイデアには社員も脱帽するほど。しかしその種を育て、大樹と成す社員たちの情熱を忘れてはならない。それぞれの成し得る形で、スタッフたちは黒田とともに世界を変える夢を追う。                  (文中敬称略)

 



『偉大な作品』を共に創りたい

取締役 事業・業務統括 佐藤 亮 Ryo Sato

 

 2011年3月11日。その日の午前中、都内で佐藤は黒田との面接に臨んでいた。元々外資系消費財メーカーで、主にブランド・マーケティングを担当していた佐藤。しかし、次第に大手の歯車としてではなく、自らが直接企業経営の最深部で活躍したいという欲求に駆られるようになった。結果、登録した転職エージェントから紹介されたのが、ネットオフである。「自分達のビジネスが発展しただけ社会貢献に繋がるビジネスプラットフォームを自らの手で実現させたい」

 

 

 買い取りが発生するとその一部がNPOに寄付されるスマイル・エコ・プログラムという珍しい事業モデルに加え、自分達のビジネスがもたらす未来展望を嬉々として語る黒田の姿に、佐藤は大きな衝撃を受けた。「この社長となら、一緒にいい仕事ができるかも知れない」

 

 

 その予感はその日の午後、確信に変わることになる。その日の夕方合流予定の取締役員と、再度面接する約束を交わし、一旦別れた黒田と佐藤。このあと日本を襲ったのが、国内を混乱に陥れた東日本大震災であった。

 

 

 余震が続く最中、黒田から佐藤に一本の電話連絡が入る。「こちらは大丈夫ですので、予定通りお待ちしています」とはいえ、都心では電車も満足に動いていない状況。やむなく断りを入れると、なんと週明けの月曜日に名古屋での面接を打診されたのだ。「こんな状況で、ここまで言ってもらえるのか」

 

 

 すっかり感心した佐藤は家族を連れ次の日には名古屋入り。面接当日その場で入社が決まった。火曜日には新居探しを始め、残り一つしかなかった物件に即決。かくして佐藤はマーケティング企画部の執行役員として電撃入社することとなった。

 

 

 その後はネットオフが自立するための広報戦略から、不正アクセス事件の対応、2012年のギネス世界記録登録の立役者としても尽力し、現在では取締役として組織運営・経営管理を一手に担う。黒田直々にNo.2と言わしめるその期待ぶりは、佐藤が取締役に指名されるまでのやりとりにも見て取れる。

 

 

 ある日、黒田から呼び出された佐藤に言い渡されたのは、過去一年分の社内ミーティングの全資料と競合他社のIR情報からHPまで全てに目を通し、一ヵ月でレポートを提出しろと言う指令だった。いち早く数字の流れを把握して欲しいという黒田なりの愛のムチである。「正直これは大変だなと思いましたね」と当時を振り返る佐藤だが、実際にはしっかりと期日内に提出。名実ともに右腕と認めさせた瞬間でもあった。

 

 

 今では会社の将来について腹を割って話せる関係となった二人。同い年ながら、黒田に対し、「あのバイタリティとフットワークは真似できない」と尊敬の眼差しを注ぐ。一方で、自分の役割は「黒田が蒔いた種を、企業理念の浸透を通じて大きく育てることだ」と語る。組織運営に関して全責任を負うと言いきれるのは、お互いを信頼し合っているからこそのものだろう。「10年後、お互い60歳になる頃には上場して、ゆっくりその成功を語り合いたい」

 

 

 以前、黒田から掛けられた一言は、今では佐藤自身の夢にもなっている。「自分達にしかできないビジネスプラットフォームで、一緒に『偉大な作品』を創りましょう」

 

 

 自らの事業を“作品”と捉える黒田の台詞になぞらえ、そう返す佐藤の視線は、黒田と同じ、ネットオフの大きな成長を見据えている。  


『偉大な作品』を共に創りたい

自分は最後まで彼の味方だ

社外取締役 管理サポート 高橋義孝 Yoshitaka Takahashi

 

 プロのコンサルタントであり、社外取締役でもある高橋義孝が初めて黒田に出会ったのは大阪市立大学商学部の学生時代。良き友人として付き合いのあった黒田の印象を「当時からさわやか。友達も多くて、人望もあった。なにより自分の人生観ははっきりと持っていた」と懐かしげに語る。

 

 

 大学卒業後、高橋は当時流行りの外資系コンサルタントの道へと進み、黒田がトヨタを辞めて、ブックオフのエンジェルプランをする際には、資料作りや会社の登記を手伝った。プライベートでも年に2回ほど食事をする関係が続いたという。会う度、黒田の口からは嬉々として会社の自慢話が飛び出した。しかし、その自慢話の裏には相当な苦労があったはずと高橋は語る。

 

 

 ある食事の時、黒田が珍しく落ち込んでいた。長い付き合いがある高橋でもここまで元気のない黒田を見たのは初めてだったという。その時の黒田から社長という立場が、いかに孤独でストレスの溜まる仕事かを相談され「どういう形でもいいから役員に来てくれないか」と頼まれた。「これは只事ではない」と感じた高橋はこれを機にネットオフの社外取締役へと就任する。「役員というより、ほぼ友達という状態だ」と自らの立場を高橋はこう振り返る。役員は取締役会の意思決定の機関である。社長の提案だったとしても場合によっては反対するのが本来の役割だ。しかし、中小企業では、皆が理念を共有し同じベクトルを向かなければならない時に、大企業のような意思決定の方法を取ってもうまくいかないケースがある。高橋の役割は、黒田がどんな決断を下しても、どんなアクションを起こしても友達として味方でいる事だ。コンサルタントとして助言をする他、古くからの友人として黒田を支える異色の取締役こそが高橋である。

 

 

 「自分は積読系だ」と高橋は語る。志があってもアクションが遅い。例えば、目に留まった雑誌は全部買って部屋に山積みにしていた。その山を眺めて、買ったことに満足して終わりだったことも多い。それに対して黒田は、高橋が買った雑誌を全部読んでいた。「彼は、自分の手元にある情報を自分の頭に落としこんでゆくということに長けているのです」黒田の持つ情報整理の仕方はその頃から変わっていないという。

 

 

 高橋は、コンサルの経験から経営に関しては、一般のサラリーマンより詳しい自信があった。しかし黒田も経営者として経験を積むほど自分より経営に詳しくなっていったと高橋は語る。

 

 

 「黒田は、私が会わないような人に会ったり、勝負に出るとか、資金調達など、私には経験できないことを経験して、経営者として成長していると感じました。必死に会社を経営している間に、縁あって色々な人の力を借りながら、10何年会社を続けてこられたというのは、すごいことだなと思います。なかなか続かないものですよ」

 

 

 そんな高橋は、友人黒田について「とにかく体を大事に。常に冷静に考え抜き、自分や会社にとってベストな選択ができるように気をつけてほしい。今後も追い詰められたり修羅場に遭遇する場面がたくさんあると思う。そういうときに、判断を間違えずにやっていくのは相当大変でしょう。一つ判断を間違えると自分や会社にとって良くないこともある。そこを冷静に判断できるような準備が大切だ」と厳しくも熱いエールを飛ばす。


自分は最後まで彼の味方だ

弟子を何人育てたかが勲章 トヨタ出身の鬼軍曹

執行役員 物流センター部 村上正人 Masato Murakami

 

 

 ネットオフには鬼軍曹がいる。今年で65歳になるが、未だ衰えを知らない。海外畑が長く、英語と貿易のスペシャリストである。若い頃からトヨタ生産方式で鍛えられたその男は、現場を知り尽くし、これまでいくつもの企業の海外支社を渡り歩き、収益を生む強い組織に変えてきた。黒田は村上を「トヨタの宝」と呼び、重宝している。

 

 

 若い社員が多いネットオフでは鬼軍曹と恐れられる村上だが、2013年10月、突然、脳梗塞で倒れた。入院のため、少しの間会社を休まなければならなかった。村上は以前のように自分の体調に自信が持てなくなり、少し弱気になった。責任を感じ、黒田に「辞めます」と告げ、辞表を渡した。「辞めんでいい」

 

 

 黒田は辞表を受け取らなかった。それでも村上は迷惑を掛けまいと「それでは、給料を下げてくれ」と願い出た。黒田は一言だけ村上に告げた。「下げんでいい」

 

 

 ネットオフには、村上という現場で陣頭指揮できる鬼軍曹が必要なのだ。自分を必要としてくれる場所で仕事をするのが男の本望である。村上はネットオフに入社を決める際、長く連れ添った夫人の言葉が背中を押した。「売上高といった会社の規模ではなく、最後はやり甲斐のある職場で働いたらいいじゃない」

 

 

 今日では、あの時の判断が間違っていなかったと夫人と二人で喜んでいる。

 

 

 現在、村上に与えられた役割は、現場の人間が自分の頭で考え、指示待ち人間にならないような仕組みを根付かせること。村上が働いてきたトヨタの海外工場では、人と物が動けば金になると教えられた。人や物が滞留していてはお金は生まれない。それどころか収納する場所を取り、余分な人員はコストとなり経営を圧迫する。「現場を見れば、何が止まっているのかがすぐに分かる」、村上はムリ・ムダを省く必要性を説く。業務工程の中で何がボトルネックになっているのか、現場の人間が自ら気付き、声を上げ、動けるようにならなければ収益を生む筋肉質の組織にはならない。

 

 

 ネットオフでは、「応受援」(おうじゅえん)という言葉が使われている。品物が入ってくる第2商品センターと品物を保管し発送する第1商品センターの人員を臨機応変にバランスよく振り分けることを指す言葉だが、「現場からあの子が欲しい、この子が欲しいという声が出てくるようにしたい」とトヨタ生産方式の徹底に日々取り組んでいる。

 

 

 しかし、理想の現場は一朝一夕には完成しない。村上も若い頃には、トヨタの人間が背中を通して仕事のやり方を教えてくれた。「テキストで学んでも仕事は覚えられるものではない。まずは自分でやって見せて、次に実際にやらせてみる。簡単に答えを教えていては人はいつまでたっても育たない。じっと我慢するのも必要」、これが村上の信条だ。

 

 

 素直に話を聞く若手ばかりではない。しかし、少しずつではあるが手応えも感じている。「弟子を何人育てたかが仕事の勲章だ」と鬼軍曹は笑う。「黒田社長も辛抱強い。現場に仕事を任せてくれる。若いのに社長の器だ」と村上は言う。

 

 

 最後に、「一人で頑張らずに、皆がおるぞ。体調を崩さないで長いこと社長をして欲しい」とエールを贈った。


弟子を何人育てたかが勲章 トヨタ出身の鬼軍曹

泥臭い戦いを制し 日本を貴金属生産国へ

執行役員 WEBサービス部 平岡健治 Kenji Hiraoka

 

「自分の経験を活かして社会の役に立ちたい」この思いが平岡をネットオフに入社させた。

 

 

 平岡はネットオフに入社する以前、ヤフーで不動産の情報掲載に関する新規事業の企画を手がけていた。

 

 

 2009年、平岡はヤフーでは社員数が増えすぎてスピードと個人の責任意識が欠け始めたと感じる。そして何より自分が一組織の歯車に過ぎないと思うようなった。結果、平岡はヤフーを退職。天下のITベンチャー出身とあって、平岡には多数の企業からオファーが殺到した。

 

 

 そのうちの1つが現在勤めるネットオフだ。ヤフーで情報や広告を扱ってきた平岡。試しにネットオフに足を運ぶと,実際に商品がセンターで動いていたのを目の当たりにし、感動を覚えた。

 

 

 しかし平岡が入社する直前に得た執行役員との会食の機会は決して楽しいものではなかった。黒田が1人で喋ってばかりで、閉塞的な雰囲気が漂う。さらには名古屋という住みなれない場所に家族を連れていくことへの迷い。そして、他に誰もが入りたくなるような企業からの声がたくさんかかっていた。

 

 

 それでも平岡の「物を大量に動かす会社で自分の経験を活かしたい」という思いは変わらなかった。

 

 

 ネットオフのサイトの書籍検索において改善すべき点を大量に見つけた平岡はネットオフでこれまでの自分の経験を活かせると確信する。

 

 

 当時の書籍検索は、問題点が山積みだった。まず、著者検索ができない。本のタイトルも一字一句合わなければ検索不可能という有様。これはネットで中古を売買する同社にとってビジネス以前の大問題だ。

 

 

 そこで平岡は曖昧検索、予測検索を導入。これにより売る客、買う客、双方の利用者は爆発的に増大した。平岡の入社により同社サイトには新風が吹いた瞬間だった。

 

 

 同社のサービスを利用するメリットは商品クオリティーが担保されていることだ。売る人は安心して一気に物の片付けができる。買う人は選別された品質で安心して中古が買える。

 

 

 平岡が作った検索システムの基礎が、この「売り手良し。買い手良し。世間良し」の普遍的ビジネスモデルを完成させた。平岡の経験はネットオフで輝いた。

 

 

 そんな同社の悩みは利益率の低さ。黒田は利益率数%のビジネスで利益を出し続けるために走り回った。社長があまりに自分一人で動きすぎ、社員の間では組織として行き詰った雰囲気が漂う。平岡が入社の時に感じた雰囲気の悪さだ。

 

 

 そこで組織の問題解決を行うチームビルディングの研修を受けた。平岡は研修の最後に黒田から「泥臭く世界を変えろ」と言われたという。これはまさに黒田のやり方の集大成というべきものだ。この研修でチームとしての一体感が生まれ、ネットオフの転換点となった。社員が黒田に仕事を任されるようになったのはこの時からである。社員一 人ひとりに当事者意識が生まれたのだ。

 

 

 小売は一円単位のコストを削らなければ利益が出ない。「小さな利益を積み上げた結果、世界が変わる」。黒田はこのマインドがあったからこそ巨大投資と6年の赤字に耐えられたのだ。「信じてやり続けることが我が社の良いところ。1つの使用済み電子機器に含まれるレアメタルの量は微量です。でも、それがたくさん集まれば日本は貴金属生産国になる。これは泥臭くないとできない仕事です」

 

 

 同社の事業は未来に資源を残すという人類の課題に貢献する可能性を持っている。ネットオフの戦いはまだ始まったばかりだ。

 

 

 


泥臭い戦いを制し 日本を貴金属生産国へ

妥協を許さぬリーダーの元循環型社会を根付かせる

 

リネットジャパン取締役 中村俊夫 Toshio Nakamura

 

 

 中村は現在、ネットオフの新規事業である小型家電回収サービスの責任者だ。同社に入社する以前は大きな営業会社に勤め、組織の歯車の一つとして働くことに葛藤があったという。

 

 

 ある日、書店で偶然出逢った『最強の名古屋デラ・ベンチャーズ!』という本に取り上げられていたネットオフに興味を惹かれた。会社説明会で黒田に「歯車になるよりも新しい事業の開拓を一緒にやって欲しい」とアプローチを受け、入社を決めた。

 

 

 同社の悩みは中古商品を扱う上で仕入れで買い取り商品を自由に選べない事だ。中村が入社した当初は売れない商品が棚や通路に溢れていた。そこで中村が手掛けた最初の事業は売れない本を売る事だった。

 

 

 漫画喫茶や中古書店、病院、温浴施設等で中古本の卸営業を始め、当初150万冊程度あった在庫数は今や3分の2の100万冊にまでスリム化させることに成功した。

 

 

 その後、中村は商材の幅の拡大、買い取り数の増大に貢献し、今行っているリネット事業も0からのスタートで関わっている。「自分の考えた事ができる新規事業は向いている」と語った。

 

 

 

 そんな新規事業を得意とする中村はネットオフの強みを、どの会社より先に新しい事業を開拓している点だと指摘した。業界を見渡しても同社の始めたサービスは他社に追随されている。こうした新規事業はアイデアマンの黒田から発せられてきた。

 

 

 中村が入社した理由の1つとして黒田の企画の面白さに魅了されたからでもあった。そのアイデアは大量の読書に支えられている。

 

 

 その一方で黒田は妥協する事に関して厳しい姿勢をとる。現状に満足せず様々な解決方法を探るべきだと強く主張するのだ。

 

 

 中村は新規事業を進める上で黒田と今後のビジョンについて繰り返し語り合う。中村が黒田の話で最も共感し行動の指針としている話が石切り職人の話だ。

 

 

 2人の石切り職人がいた。何をやっているのか尋ねたところ1人は「頑張って石を切っている」と答え、もう1人は「この石で人が集まる教会を作る」と答えた。後者は前者と同じ仕事をしていてもこの仕事が何の役に立つのかしっかり理解している。同じ作業でもどこを目指しているかで仕事の中身が全く変わるという話だ。

 

 

 「飲食業の現場を見ていた時、この話に共感できる経験がありました。職人さんはいつも同じ大きさで刺身を切っていました。しかし客席を見て子供等の来客があったら半分に切る工夫があっていい。仕事で何を目指しているか見つめ直すべきです」

 

 

 ネットオフの今後の課題は組織を強くすることだ。同社はeコマース、リユース業等、幅広い業界に身を置いている。だからこそ、それぞれでアイデアや他社から真似るべき事例に関して広い視野を持っていかなければならない。

 

 

 中村が手掛けるリネットジャパンのロゴの矢印の輪は循環型社会のリサイクルの輪を広げるという志に基づくものだ。中村はリネットについて、自分達の世代の為だけでなく自分の子供、孫の世代に資源を残していく為の事業だと語る。

 

 

  「将来、日本にダンボールに物を詰めてリサイクルする文化が根付いた時、リネットが始めたから普及したと言われたい。そういった形で喜んでいただけると嬉しいです。これからリネットで日本に循環型社会を根付かせるために頑張ります」



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