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トピックス -ビッグベンチャー

2014年09月22日

【第16回企業家賞 シンポジウム】世界を変える!企業家の挑戦

企業家倶楽部2014年10月号 第16回企業家賞 シンポジウム


2013年より始まり大好評を戴いた企業家賞受賞者による第2回シンポジウムが開催された。ハンズマンの大薗誠司社長、エイチームの林高生社長、大戸屋ホールディングスの三森久実会長、ボヤージュグループの宇佐美進典CEOら、第16回企業家賞を受賞した4人の企業家たちが起業までの経緯、今後の戦略、ライバルについて語った。(コーディネーターは一橋大学の米倉誠一郎教授、司会は宮舘聖子)



ハンズマン代表取締役社長 大薗誠司

1969 年、宮崎県生まれ。慶應義塾大学を卒業後、三和銀行に入行。95年、実家に戻り、家業であるハンズマンに入社。2000年、ジャスダック上場。2006年、代表取締役社長に就任。


ハンズマン代表取締役社長 大薗誠司

エイチーム代表取締役社長 林 高生 

1971年、岐阜県生まれ。中学卒業後はさまざまなアルバイトを経験。97年、個人事業としてソフトウェアの受託開発を開始。2000 年、有限会社エイチームを設立し、代表取締役社長に就任。04 年、株式会社に組織変更。12 年4月東証マザーズ上場。12年11月、東証一部へ市場変更。


エイチーム代表取締役社長 林 高生 

ボヤージュグループ代表取締役CEO 宇佐美進典

1972 年愛知県生まれ。96 年早稲田大学商学部卒業後、トーマツコンサルティング入社。99 年アクシブドットコム(現VOYAGE GROUP)を創業、取締役COO に就任、2002年代表取締役CEO に就任。05 年サイボウズと合弁でcybozu.net を設立、代表取締役CEO に就任。05 年サイバーエージェント取締役に就任。07 年日本インターネットポイント協議会を設立、副会長に就任(現会長)。


ボヤージュグループ代表取締役CEO 宇佐美進典

大戸屋ホールディングス代表取締役会長 三森久実

1957年11月18 日山梨県生まれ。15 歳で東京・池袋に「大戸屋食堂」を経営する伯父の養子となる。76 年、株式会社フローラフーズ入社。養父の死に伴い、79 年に大戸屋食堂の事業を継承。83 年、株式会社大戸屋設立、代表取締役社長に就任。現在は主力の定食店「大戸屋ごはん処」を国内に210 店舗展開する。2001 年、株式を店頭公開。05 年タイのバンコクに海外1号店を出店後、台湾、香港、シンガポール、インドネシアなどアジア各国でも展開。


大戸屋ホールディングス代表取締役会長 三森久実

一橋大学イノベーション研究センター教授 米倉誠一郎

1953年、東京生まれ。一橋大学社会学部(1977年)、経済学部(1979 年)卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了後、ハーバード大学にて歴史学の博士号を取得。現在、一橋大学イノベーション研究センター教授、プレトリア大学GIBS日本研究センター所長、六本木アカデミーヒルズ日本元気塾塾長、『一橋ビジネスレビュー』編集委員長。


一橋大学イノベーション研究センター教授 米倉誠一郎

■独自のサービスとブレイクスルーのポイント■

米倉 それでは、まず大薗さんにお聞きします。ハンズマンは21万種類の商品を扱っていて靴が片方でも売っています。なぜ現実の店舗でこのような品揃えが可能なのですか。

大薗 商品と売り場スタッフ、お客様の関係がアナログなのに対し、商品管理に関しては徹底的にデジタル化を進めているからです。売れない物は半分以上ありますが1年に1個しか売れない物の在庫は1個しかありません。これが適正に維持される仕組みを作っているから多少の利益がでるのです。

 売れない物も置いているのはお客様に買い物を楽しいと思ってもらいたいからです。織り込みチラシもコスト削減のためにイラストレーターが写真を複写して手作りしています。

米倉 大事なことは全部アナログにして、管理はデジタルにすることでコストを削減したのですね。最初は銀行に務めてから家業を継いでお父さんの頃の業態から全く変わりましたね。どんな形で家業を展開しましたか。

大薗 私が最初に取り組んだのは人事評価です。銀行にいた頃、私も通信簿の様に5段階評価で評価されていました。しかし、評価をされても実際に自分がどうしたらお客さんの為になるか全然分かりませんでした。そこでお客さんに喜ばれる社員の基準を調査するために具体的に皆の行動を観察して広く意見を聞きました。それを元に1人あたり約300の評価項目を作りました。従業員の能力が向上して、お客様が喜んで利益が上がり、その利益をみんなの給料に充てられる。この好循環を創ることから始めたのです。

 在庫管理にも苦労しましたが実は一番苦労したのは人です。継いでから直ぐは誰も話を聞いてくれなかった。今思えば私がお客様第一主義を押し付けていたところがありました。社長の私が従業員第一主義に徹すれば従業員達もお客様第一主義に徹してくれるということが分かった時から好循環が生まれました。

米倉 銀行で得た反面教師を活きた物に変えたのですね。

 次にエイチームの林社長に伺います。お父様を9歳の時に亡くされてからのお話を聞かせてください。

林 父は有名な陶芸家で家族は5人兄弟でした。母親もかなり芸術家気質の人間で全く働かず借金が膨れていきました。私は16才の時、母の始めた喫茶店で働き始めました。夕方まで喫茶店で働いて夕方からとんかつ屋さんの皿洗いのバイトをやりました。

米倉 これが一部上場企業の社長ですよ。現代の日本にもこんなストーリーがあるのです。そこからなぜゲーム、コンピュータにのめり込んでいきましたか。

林 小学校5年生の頃、トミーのおもちゃパソコンを買ってもらいました。当時はコンピュータなんて誰も持っていなかったし当然私もコンピュータが何か分かりませんでした。ところが説明書を読んだ姉の「これでゲームが作れるらしいよ」という一言に衝撃を受けました。ゲームは大人が作る物だと思っていたのに子供の僕でも作れるということに感動して一生懸命独学しました。それからコンピュータにのめり込んで高性能のコンピュータを購入してプログラミングで収入を得るようになりました。

米倉 何歳で会社を始めましたか。

林 最初は22 才の時に友人と始めました。方向性の違いで25才の時、1997年に1人で創業しました。最初は企業様向けのシステム開発、在庫管理を1人で受けていました。




米倉 ゲームと同時に引越し見積もりサービスも開始していますね。生活に関する事業を始めたのはいつ頃ですか。

林 創業して6年間は受託開発をしました。2003年に最初の携帯ゲームを作りました。それが無事ヒットしたのですが携帯電話のビジネスは長続きしませんでした。そこで携帯電話だけではなくパソコンも使ってサービスを作ることにしました。生活に密着したサービスとして「引越し侍」という引越し料金一括見積もりサイトを作りました。

米倉 「引越し侍」はどのように利益を出しているのでしょうか。

林 ゲームは日々飽きられてしまいます。売り上げは最初に一気に上がって徐々に下がっていきます。

 一方で生活密着型のサービスは知名度が上がるまでなかなか利用者が伸びません。少しずつ知名度が上がったこと、スマホ等の普及でネット環境が良くなってインターネットに接触し易くなったことで「引越し侍」が使われるようになりました。今でもこのサービスは主力です。

米倉 引越しのような生活のサービスで確実にお客を得るということですね。

 次に大戸屋の三森会長にお聞きします。池袋の食堂に養子に行って食堂を継いで、これだけチェーン展開をしようとしたきっかけは何ですか。三森 叔父が池袋で大戸屋食堂という食堂をしていました。叔父が体を壊して働けなくなったので働き始めました。

 創業は昭和33年、当時は全品50円の定食屋でした。僕が20歳くらいの時は飲食業が産業化する時代でチェーン化が進んでいました。その時から定食業をチェーン化しようと考えていました。その当時、食材数の多い居酒屋もチェーン化していたから我々もチェーン化できないわけがないと思いました。

米倉 それぞれの店舗でお袋の味を出すというのは難しくありませんか。それぞれのキッチンで良質な健康食材で調理するのは効率が悪くならないのでしょうか。

三森 そもそもお袋の料理とは一般的な家庭でお母さんが家族の健康維持のために献立を考えた料理です。これをチェーンにする意義は地方から来た人、単身赴任の人等、家庭で補う食事が摂れない人に家庭的な味を提供することです。家庭の味の提供をするにはアメリカのフードシステムでは無理です。独自にシステムを構築しました。

米倉 大戸屋は健康志向で流行ると思います。

 次に宇佐美社長、昔からネットで色んな事業をしていましたね。最初はから始めましたか。

宇佐美 創業したのが99年で26歳の時です。ネットで何が上手くいくかが分かりませんでした。最初は懸賞サイトをやりました。インターネットの様々な企業のプロモーションの情報を一つに集めてすぐに応募できるようなサービスを作りました。次にいわゆる広告代理店の事業が始まってEメールマーケッティングをやりたいという話になりました。一つのサービスからニーズが見えてニーズが見えたビジネスにサービスを広げていきました。

米倉 情報を集めて再度付加価値を付けていくようなやり方ですね。

宇佐美 ニーズが具体的に見えてくるとビジネスがどんどん小さくなっていきました。インターネットの特性として売り上げが伸びると原価も伸びてしまいます。ビジネスとして売り上げが上がれば利益率も上がるビジネスをやろうとすると自然とメディアビジネスに集中していきました。

米倉 宇佐美さんが起業した頃のベンチャーは今、結構大きくなっていて、さらにリブセンス等の新しい会社も出てきていますが焦る事もありましたか。

宇佐美 そうですね。自分よりも若い人たちが出てくるのを見るのは焦りました。一方で上場等をすること自体が目的ではないと自分自身を見つめ直しました。自分がそもそもやりたかった事は事業で世の中を変えることです。資本等は巡り合わせにも依るので天に任せて事業に集中しました。



■ライバルは誰か■

澤田 皆さんそれぞれ誰をライバル、目標にしていますか。

宇佐美 ライバルはサイバーエージェントの藤田さん。目標は孫さんです。

三森 目標は世界のチェーンと言われ、世界ブランドにすることです。そういった意味ではライバルはトヨタです。

林 コロプラがライバルです。数年前までは同じ規模でしたが、株価で約5倍の差を付けられました。参考にしたいと思います。

 目標に関しては経営者本を読むのが大好きで京セラ稲盛さんとリクルート江副さんの考え方に感銘を受けます。

大薗 私は社長とは伝える仕事だと思っています。今日はジャパネットたかたの高田社長の講演を聞いて感銘を受けました。私も伝える力を磨いて良い人材を沢山確保するためにも目標は高田社長です。



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