トピックス -企業家倶楽部

2009年10月27日

真面目に、誠実に大戸屋の志を貫く幹部集団/大戸屋を支えるスタッフ

企業家倶楽部2009年12月号 特集第4部


「とにかく真面目で、一生懸命」。大戸屋の幹部スタッフは口をそろえて社員達をこう評する。それはまた幹部連自身にも間違いなく言えることだ。どっしりした存在感に満ちた事業統括本部長、高橋昭夫。海外事業を担う菊池信二郎。直営事業を牽引する川上穣。FC事業を任された窪田健一、商品開発を担う市川和弥。大戸屋と三森久実の志の下、真面目に、誠実に邁進する5人の熱い想いを聞く。(文中敬称略)



三森の思いを租借し、伝え続ける“伝道師”

取締役副社長 事業統括本部長 高橋昭夫

三森の思いを租借し、伝え続ける“伝道師”


 副社長の高橋昭夫は大学卒業後、アパレルに勤め、その後モスフードサービス取締役、フレッシュネスバーガー専務を務めた。三森より10歳近く年長である。二人の出会いは15~20年前。高橋がモスの営業、三森はモスバーガーのオーナーという立場であった。

「年に数回、会合で会う程度でしたが、当時モスのオーナーとしては若かった三森はエネルギーとバイタリティの塊でした。貪欲に学ぼうという姿勢が強く印象に残っていますね」

 大戸屋入社にあたっては三森がこう声をかけた。「キャリアの締めくくりにフラフラしないで大戸屋を最後にしないか」。かくして03年、入社を果たす。

「プロパーが多い大戸屋社員の成長のために、他の経験をし、他の価値観を持った私が何かを伝えてくれるのではないか。三森はそう思ってくれたのでしょう。また当時はFCが始まった頃。実務的にはモスでのFCの経験を生かすことが求められていました」

 そう語る高橋が当時見た大戸屋。それは「とにかく一生懸命な働き者」の姿であった。働く時間にしろ、店への関わり方にしろ、三森の後ろ姿を見て育ってきた社員は、とにかく真面目に働いていたという。

「その真面目さは当時も今も変わりません。何事もひたむきに正しくやる。それが大戸屋の一番の強みでしょう」

 そう語る高橋自身の明確なミッションはプロデューサーであり、オペレーター的立場。三森が求めるオペレーションを咀嚼(そしゃく)して店にしっかり落とし込み、大戸屋のあるべき姿と現実のギャップを埋める意識付けが仕事である。

「実務は部門長が行なうので、私の仕事は“語り部”“伝道師”みたいなものですね。社員はもちろん、加盟店のパートやアルバイトにまで日々の行動の中で落とし込み、具現化していく。そのためにはとにかく語り、伝えるしかありません。なかなか伝えきれず、思うように引っ張ってあげられないもどかしさもありますが、それでもとにかく伝え続けるしかないんです」

 その高橋が見つめる三森像は事業者としても、経営者としても、人間としてもまったくブレない一つの像を結ぶ。すなわち料理人の魂を持ち、「飲食店をなめるな!」と誇りを貫く“飲食店のおやじ”だ。「大戸屋は定食チェーンではない、いわば専門店の集合体。地域のうまい店を目指して一生懸命ひたむきに努力する。だからチェーン展開も慎重です。人材が育たず、目指す店ができない限りは出店してもお客様のためになりません。そんな社会的使命、社会貢献の姿勢は終始一貫していますね」

 だが、そんな大戸屋にも変化の必要性があることを高橋は感じている。大戸屋のポジショニングや客が求めるものが変わっているのではないかという感覚だ。以前は、学生や若いサラリーマンなど“がっつり系”がコアターゲットだった大戸屋であったが、最近では、女性客の増加や、出店するエリアや立地の変化・多様化に対応しなければならない。

「大戸屋がやろうとしていることに変わりはありません。でも『大戸屋って何?』ということを問い直す時期に来ているのだと思います。国内では少子高齢化でお客様も減っていく現在、新しいビジネスモデルが求められるでしょう。すぐに答えが見つかる訳でもなく、完成形もありません。定食屋の業態を突き詰めるということです。ターゲットを精査してニーズの変化や多様化を見極め、立地によって商品を変えるなど、商品開発につなげることが必要でしょうね」

 社長の三森は遊ぶことなく仕事一筋で知られるが、この副社長自身もまた「遊びませんねぇ」と苦笑し、仕事バカを自認する。月6日程度の休日は家でゆっくりくつろぎながらも、常に“伝道師”としての自分の使命を見つめ、考え続けている。三森の想いを咀嚼し伝え続ける



自分の責任を果たすべく励むということが生きるということ

執行役員 直営事業本部長 川上 穣

自分の責任を果たすべく励むということが生きるということ


 自称「遊んでばかりいた」大学時代の終わり、しかも時は就職氷河期。川上穣は落ち込んだ気持ちで合同説明会へ足を運んだ。そこで出会ったのが大戸屋の当時の採用担当者。「日本を元気にするためにお役に立ちたい」と語る熱意が強く伝わってきた。そして受けた二次面接で初めて三森と対面する。「社長対学生3人で一組1時間なのに、社長が55分間しゃべって、学生が答えるのが5分(笑)。でもやっぱり『お役に立ちたい』という想いは一貫して伝わってきたのを覚えています」
 
 99年の入社後、同期の仲間7名で渋谷宮益坂店のオープニングに携わったのを皮切りに、リニューアルオープンした高田馬場店などを経た川上に03年、転機が訪れる。朝、本部前の清掃中、突然、三森からこう告げられたのだ。「タイに行け」。「タイってどこですか?」と驚く川上にたたみかけるように「つき合ってるヤツはいるのか?」。当時、同期入社の女性と社内恋愛をしていた川上がそれを打ち明けると、三森はまたあっさりと言った。「二人で一軒の店を、3~5年で立ち上げろ」。

「これもご縁と、言われるがまま、あわてて結婚して二人でタイへ行きました(笑)。生活をするところから始めて、一つの会社、店を立ち上げるにはいろいろな人の力を借りましたが、非常に勉強になりましたね。日本では店長といっても、すでにでき上がった店をやるわけでしょう。タイでは土地を選び、契約を交わし、水道を引いて、一つひとつ自分で立ち上げていったんです」

 学生時代、後方支援的な文化事業に興味を持っていた川上にとっては、それに近い夢もかなったタイでの業務。だが生活習慣がまるで違う現地のスタッフには驚かされることもあった。時間に大らかなのか大幅に遅刻をする。飲食店で働くというのに靴下をはかない。靴のかかとを踏む……。それを一つひとつ指導していった。奮闘の末、オープンした店は当初、日本人客が9割だったが、今では現地の客が8割を占める。そして川上が帰国したのは昨年4月。「国内の店舗数も数倍になっていて、まるで浦島太郎のようだった」と語る川上だが、現在は直営事業本部長。直営店の建て直しに力を注いでいる。

「質実、数値、中身……すべてを改良する必要があります。それに現場は疲れている。人材の数やサービスの質も上げていかなくてはなりません」

 川上はそう語る。現在、直営店は全国で118軒。数は維持か微増といったところだ。そのうち首都圏の約100軒を自ら担当し、他を窪田健一に任せる。すべての店舗を数か月に一度、年に3回程度は回り、スーパーバイザーや部長と確認を取り、店主や店長と話して、“やる気”という背中を押すことが重要である。

「話をして励ましたり、慰めたり、時には怒ったり、ほめたり。すべては前向きになれるようにするためです」

 そう語る川上が手本とするのはやはり三森である。特にタイで三森がさまざまな人と接している姿に感銘を受けたという。

「三森の強い信念と、鋭い勘にはもちろん以前から心を打たれていました。そして何より一貫した志。お客様や社員はもちろん、取引先にも同じことだけをまっすぐに言い続けます。だから嘘やきれいごとじゃないとわかるんですね。タイで現地人を含め、いろいろな人と接している態度もまったく変わりません。だからみんな、『この人について行こう』と思えるのでしょうね」

 そして川上は今、こう夢を語る。「今、自分があるのはさまざまな人のおかげ。自分の責任を果たせるようしっかり仕事をすることが生きるということ。派手ではないけれど、そうやって生きていきたいと思います」



“久実にいちゃん”から尊敬すべき強き経営者へ

取締役 FC事業本部長 窪田健一

“久実にいちゃん”から尊敬すべき強き経営者へ


 窪田健一は小学生の頃、毎夏、母の姉が暮らす山梨の観光ぶどう園に滞在した。お手伝いをすると入浴後にアイスクリームが食べられ、帰りがけには1万円をもらえるのが嬉しかった。そこには高校生の若い伯父がいて、「キャッチボールやるぞ」と誘ってくる。ところが伯父は帝京高校野球部だ。それなのに小学生相手に本気で剛速球を投げてくる。思わずよけると「何でよけるんだ!」。「もうこの人とは二度と遊ばない」幼い窪田は心に誓うのだった。

 窪田と伯父の“久実にいちゃん”こと三森との遠い日の思い出である。

 さて成長し、大学を卒業した窪田はスーパーのライフコーポレーションに入社。青果部で働くうち、ムクムクと企業家精神が頭をもたげ、仲間と八百屋を開店。「生意気で調子に乗っていたんですよ。子供のお遊びですよね」と窪田は振り返り、笑う。半年で八百屋に見切りをつけた窪田が思いきって相談したのが叔父の三森久実であった。

「『バカヤロー! 何やってんだ、お前は!?』と怒鳴られました(笑)。結局、大戸屋に入社するのですが、『血筋なんか関係ねえや! 血筋だからこそお前に厳しくするぞ!』とも言われました。叔父としても社員の手前、誰より厳しくしないわけにはいかないですよね、今思えば」

 
 96年に入社した窪田は営業本部で渋谷センター街店、池袋本店などの店長を3~4年経験し、その後、スーパーバイザーに昇格。どの時期も何より苦労したのが人材の確保。アルバイトがどうしても定着しないのだ。悩む窪田が天啓のように出会った一つの答えはマザー・テレサの言葉だったという。

「『愛情の反対とは決して人を憎むことでなく、無関心だ』という言葉です。自分はアルバイトの方達に関心を払っていなかったと反省しました。それからは積極的に声をかけるようにしましたね。『彼女いるのか?』なんて話ですけど(笑)。でも、そうすると不思議にアルバイトが定着して、17人から50~60人にまで増えたこともあります」

「今も人との関わり方はマザー・テレサの教えしかない」と語る窪田はその後、直営事業を経て、現在はFC事業本部長。このFCの仕事もはじめは距離感の取り方が難しかったという。

「FCは別会社であり、お客様でもありますからね。最初はFC店舗に足を運んでも、まるで人形が行って座っているだけみたいな感じでした(笑)。でも大戸屋のFCは食に対して真剣かつ真面目で、我々の考え方や理念に共鳴してくれている方が多いので、結びつきは強い。それがとてもありがたいですね」

 現在、FCは92店。複数の店を持つオーナーもいるので人数は48~49名。ロイヤリティは売上の5%と若干高いが、食材費は直営と同じ原価率だ。大戸屋のFCの強みは「本部―加盟企業―店舗―店主」という縦ラインでなく、「本部」「加盟企業」「加盟店店主」の三者で作る三角形の向き合い方。それに加えてスーパーバイザー、オーナー、店舗店主でミニ会議を行なうなどして三者一体での店作りに取り組む。

「私にとって一番大事な仕事はとにかく『聞くこと』。最初はFCに対して説明や納得が重要だと思っていましたが、ある人に『話を聞くことだよ』と言われたんです。確かにポツンと地方で経営しているオーナーは不安を抱えています。だから店舗を訪ねたら2~3時間話を聞いて、夜は一緒に飲んで。何を考えているのか、何に不満があるのかを、じっくり聞くのです」

 そんな窪田にとって今、三森はもちろんもう“久実にいちゃん”ではない。「非常に厳しいけれど強く、ブレず、エネルギーに満ちた、尊敬する社長です。いつだって『うまいもん出そう!』と仕事の話しかしないですからね」



海外と無縁の元銀行マンがアジアを飛び回る海外通に

取締役 海外事業本部長 菊池信二郎

海外と無縁の元銀行マンがアジアを飛び回る海外通に


「昨日、台北から帰って来たんですよ」

 にこやかに語り始めた菊池信二郎は海外事業本部長。単身赴任で台北を拠点とし、大戸屋が海外事業を展開するタイや香港、シンガポール、インドネシアなどを飛び回る。現在の店舗数は香港が2店で今年11月下旬に1店が新規オープン、タイが18店に加え、年内に2店舗を開店。台北11店、インドネシア3店、シンガポール1店。年内に計38店になる予定である。今や海外通の菊池だが、以前は外国で働くなど夢にも思わなかったと振り返る。

「海外に行ったのなんて新婚旅行と、子供が小さい頃のハワイ旅行の2回だけ(笑)。何しろ以前は32年間、銀行に勤めていた人間ですからね」

そう語るとおり、菊池の前職は銀行マン。大戸屋のメインバンクである三菱UFJ信託銀行(現)に長年勤め、02年、大戸屋へ出向、約2年後に転籍した。その後、財務部長や経営企画部長、社長室長などを経て海外事業部長、そして本部長に。約6年前から川上穣らとともにタイ1号店立ち上げに着手したのが海外生活の始まりであった。

「現地のアパートに住んで、会社の設立から始めました。川上は現場関係を手がけ、私は財務経理や株主とのやりとり、資金繰りなどを担当。この時は株主も11社と多かったのですが、よく支援していただきました」 当時タイへもたびたび足を運んだ三森のことを菊池はこう語る。

「やはりオーナー経営者ですね。仕事一筋で真面目だし、数字に強く、責任感もバイタリティもある。それに目標達成意欲がすごい。また人をよく見ていますよ。実際の目配りも素晴らしいし、仕事の話をしていてもさまざまな視点から指摘されます。叱る時は厳しいが、その反面、優しくて、頼まれると断れないところもあるんですよ」

 さてタイの事業が軌道に乗った頃、菊池は台湾へ。以来、この地が拠点だ。企業の責任として、フードサービス業を通じてアジアをはじめ世界の人にヘルシーな食を届け、貢献するという大戸屋と三森の想いを背負っての海外事業である。提供するメニューは日本同様、素材の味を大切にした和食が中心。ただし日本食といえば寿司のイメージが強いインドネシアでは1店で寿司メニューを試みたり、豚肉を食べないイスラム教徒のため、代わりに牛肉のメニューを展開したりという工夫を凝らす。

「しかし一番苦労するのはやはり文化や風土、民度などがそれぞれ違う国での従業員教育ですね。料理については日本から定期的に料理長が指導に来ますし、フロアの教育のためには現地語のマニュアルもあります。でも最も必要なのはほぼ日本人が占める各店の店主が自ら率先して働きながら教育すること。そのためにも当初から海外へは特に優秀な人材を送り込んでいます」

 優秀な人材の登用と、味と品質、ヘルシーさを追求した“真面目な商売”が現地に浸透し、口コミで広がったことが海外進出成功の秘訣と菊池は見る。

「着実に一歩一歩やってきた結果です。これからも着実に進み、来年には約50店舗に、数年以内には東南アジアを中心に約100店舗を目指しますよ」

 そう語る菊池は今やすっかり海外暮らしにも慣れた。初めてタイを訪れた時、バッグの内ポケットに無造作に入れたカメラや携帯電話を盗まれたこと、タイの路上でスリ団に貴重品入りのバッグを盗まれ、頭に来て取り返したこと、そんな事件も笑い話として披露する。

 そして笑顔で、こう言い添えた。

「どこでも住めば都だし、お国は違えど同じ人間。大事なのは気持ちの通じ合うコミュニケーションです。そのためにもまず店主ら日本人スタッフが一生懸命働く姿を見せ、大戸屋の想いを伝えていかなければならないのです」



大戸屋の“味”を担う商品部のスペシャリスト

執行役員 商品部長 市川和弥

大戸屋の“味”を担う商品部のスペシャリスト


 ファミリーレストランチェーンのすかいらーくグループに20年以上在籍し、外食チェーンのノウハウを知り尽くした男・市川和弥。すかいらーく時代はアルバイトから社員になり、ジョナサン1号店などの旗艦店を担当。すかいらーくグループの成長の礎を築き、チェーンオペレーションのイロハを体得してきた。この外食チェーンのスペシャリスト・市川が目をつけたのが大戸屋である。

 時は2001年7月。当時の大戸屋は約60店舗を展開。

「急成長している時期で大きな可能性を感じた」と語る市川は大戸屋に入社した。

 入社後に市川が感じた課題は商品の品質である。「味をより美味しく改善するために、素材調達の改善が必要だった」と振り返る。市川はすかいらーく時代に培った食材調達のネットワークを生かし、品質や仕入れルートの改善に努めていった。例えば、同じ品質の鯖でも85円の仕入額を55円にすることで、コストを削減。肉、魚、野菜の素材ごとに品質も高めるなど、食材調達のルートを整備しなおした。

「安くいいものを仕入れたいからといって、仕入先に無理は言いません。誰かに辛い想いをさせても長く続かない。仕事に関わる全ての人がハッピーにならなければうまくいかないからです。そこで流通の経路を減らすなど、無駄を省くやり方にも注力しました」

 市場の適正価格を知り尽くして仕入れるため、仕入先も「最初から駆け引き無しで提案してくれる」と市川は言う。仕入先を裏切らず確かな信頼を得ることで、十分な仕入れを確保するルートを作り上げた。

「大戸屋の魅力はやはり経営理念に尽きる。とにかく美味しくて独自の定食メニューを提供できることが最も重要」と市川は話す。そこで普段から全国各地を巡り、客の集まる料理屋を研究。日々商品開発のアイデアを練っている。

「ある有名なお寿司屋さんでは、マグロを3週間寝かせています。そうすると、味が濃くなるんですね。その刺身を塩で食べると本来の味を知ることが出来ます。こういった本来の味を舌に覚えこませる努力が後々の商品開発につながるのです」

 美味しい料理を出す店巡りは三森も同様だ。「社長自ら率先して行動する姿勢に学ぶことが多い」と市川は言う。「社長は師匠です。私と社長は同じ年ですが、私が1考えたとすれば、社長は10以上考えています。社長は日頃からよく考えていて努力も発想も素晴らしいし、雲の上の人で天才ですね。私の使命はその差を少しでも縮めていくことだと思っています」

 定食メニューの品質向上や新製品の開発は永遠の課題である。商品部が新商品を提案しても、三森が品質にこだわり、発売が延長することもしばしばある。「社長は絶対に諦めません。『これでいいだろう』という考えはありません。それは絶対的に正しい。なぜならお客様が美味しい味を求めているからです。私たちはその期待に応えていきたいですね」

 現在はアジアを中心に大戸屋の店舗も増え続けている。アジア各国に出店して市川が発見したことは、「アジア人の好みの味が本質的には変わらないこと」だった。気候などの違いはあっても主力が米であり、「日本食はアジアで通用すると実感した」と言う。日本は少子高齢化で人口が減少していくと言われるが、アジアは人口が増えている国も多い。

「日本人ではご飯を年間1人当たり58キロしか食べていませんが、ベトナムの人々は200キロも食べているそうです。そう考えれば、東南アジアの市場は非常に魅力的です。これからますますアジアが強くなるでしょう」

 最終目標は世界中に出店し、世界ナンバーワンの定食屋になることだ。「お母さんの味で、美味しくて健康を保てる日本の伝統食。それが定食です。この日本の食を世界中の人たちに提供していきたいですね」



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