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トピックス -企業家倶楽部

2004年02月27日

環境創造を極め都市再生の特命企業をめざす/アスクプランニングセンターの21世紀戦略

企業家倶楽部2004年4月号 アスクプランニングセンター特集第1部


商業施設のプランニング・内装・コンサルティングのアスクプランニングセンター(以下アスク)は第2創業へ向かって力強く歩み始めた。30年間培ってきたプランニングのノウハウを生かし不動産、金融、施設運営の領域にも進出、国策である「都市再生」のニーズをつかみ、さらなる躍進を目指す。会長兼社長の廣崎利洋は1973年25歳で同社を創業、15年で上場企業にした。その後のバブル崩壊と不動産硬直化の逆風にも耐えた。そして今、小倉伊勢丹、福岡玉屋跡地などのビッグプロジェクトに賭ける。都市再生と都心回帰の波に乗り、「環境創造のシンクタンク」として3年後には売上高100億円、経常利益35億円の超高収益企業をめざす。(文中敬称略)

■小倉伊勢丹&アイム開業

 二〇〇四年二月十日、全国の流通関係者が見守る中、北九州市小倉駅前の小倉伊勢丹が開業した。小倉そごうの撤退以来、長く待ちこがれていた北九州市民十四万人が殺到、大盛況のスタートだった。七階、専門店フロアの贅を凝らしたフローリングを間断なく通り行く人々を見やりながら、廣崎は満足げに目を細めた。しかしすぐに顔を引き締め、部下たちを叱咤する。

 「これで終わりではない。これから始まるんだ。気を抜くなよ」

 前日、小倉伊勢丹の入るセントシティ北九州ビル十階で、I’m(アイム)専門店街開業記念式典が行われた。北九州市長の末吉興一、伊勢丹社長の武藤信一、TOTO会長の重渕雅敏をはじめ、地元銀行の頭取、副頭取ら、まさに”株式会社オール北九州“といった顔ぶれが一堂に会し、祝杯をあげた。北九州都心開発社長の大迫忍、小倉伊勢丹社長の寺垣勝仁の二人がまず壇上であいさつに立ち、主役としてマスコミの取材攻勢を受けていた。

 しかし、この困難な事業を黒子として成し遂げたのはアスクプランニングセンターであった。この日も、アスクの社員数十人が夜を徹して、翌日のオープンに備えた。「I’m」のネーミング、ロゴも廣崎が考えた。最も難しかったのは三十六人の地権者の総意をまとめ、わずか半年あまりで、七階から十四階の専門店フロアに百二十五の専門店を招致し、開業させたことだ。六階までの小倉伊勢丹との一体感、高級感と親しみを感じさせる内装。そこにはプロの仕事があった。

 小倉駅周辺の整備は最初の計画から二十年かかった。人々が集まる場所にしようと小倉そごうを招致したものの、二〇〇〇年末に閉店し、さらに三年以上かかり今日を迎えたという経緯がある。

 「昔は反対運動ばかりで、みんなで街づくりしようという機運になかなかできなかった。それが今回ほど伊勢丹とアイムが期待され、みんなの気持ちが一つになったことはなかった。商業は新しい時代に入った」という北九州市長のあいさつは、廣崎にとって何よりの励みになった。

 戦後六十年を経て、変化に乗り遅れ停滞した都市を、魅力的な街に蘇らせる「都市再生」は今や国策となっている。アスクは三十年に渡って培ってきたプランニングのノウハウを生かしてその二ーズに応えた。小倉プロジェクトにより、同社は第二創業期の第一歩を踏み出したのである。



環境創造のシンクタンクをめざす

 商業施設、オフィスなどの企画や内装を主力として成長してきたアスクだが、廣崎の考える第二創業の青写真は、これを核として、その事業範囲を大きく広げることにある。その柱は①スペースプランニング事業②スペースコンサルティング事業③スペースデベロップメント事業の三つ。

 ①は創業以来行ってきた商業施設の設計デザイン業務である。これに②と③を加えることで、同社の事業領域は一気に拡大する。

 スペースコンサルティング事業とは、店舗単位ではなく、商業ビル全体の不動産価値を高める事業。旧小倉そごうビルを小倉伊勢丹とアイム専門店街に生まれ変わらせたのがまさにこの事例である。不動産から高い利回りを得るためには不動産の価値を上げなければならない。そのためには全体を調整するすぐれた企画力、魅力的な店舗集め、卓越した設計・デザインカなどが求められる。それはアスクが三十年間やってきたことだ。このノウハウを持つ同社が金融のプロ(銀行、投資会社など)、不動産のプロ(デベロッパーなど)と手を組むことで、高い利回りを生み出す良質な不動産(商業ビル)をつくることができる。

 このビジネスモデルは都心近郊に住みよい街をつくろうとしている「都市再生」のこーズに合致している。さらにアスクは将来的には不動産の証券化(不動産を小口化して売買を可能にする一手法)や、アセットマネジメント(不動産投資マネーの運用業務)の分野にも乗り出す考えだ。

 そしてスペースデベロップメント事業は、こうしてつくった商業施設を運営・管理するものである。一般にプロパティ・マネジメントと言うが、ビルオーナーに代わって、その商業施設にふさわしいテナントを招致し、徹底したマーケティングで集客力を高め、空室率を下げることで、安定的なキャッシュフローを生み出す。オーナーは収益を受け取るだけというビジネスである。

 これまで特に日本ではビルのオーナーが自ら運営・管理するケースが多かったが、今後は資本と経営が分離されるケースが多くなる、と廣崎は見ている。何万坪ものビルにどんな店舗を入れて、どんな内装にして、どのように運営するか。資産家が片手間に行つ時代ではない。まして不動産の証券化が進めば、オーナーは不特定多数となるため、そのビルに責任を持って「魂を入れる」存在が必要になる。

 「この三万坪、すべて私に任せてください。あなたは寝ているだけで、十分な収益を得られるようにしてみせますよ」

 廣崎はこんなトップ営業を日々行っているのである。

 これらの新ビジネスが順調に実現すれば、アスクは「環境創造のシンクタンク」として、新たな世界へ飛び出すことになる。



タイムトンネルゲートに賭ける

「博多・中洲の街に活気を取り戻したい」と廣崎は目を輝かせる。

 小倉伊勢丹開業の興奮も冷めやらぬまま、新幹線に飛び乗ると、三十分で行けるところに、アスクが社運をかけて取り組む大プロジェクトの現場がある。福岡市博多区中洲川端の福岡玉屋跡地再開発プロジェクトである。概要は二〇〇三年末に決まった。不動産ファンド運用のケネディ・ウィルソン・ジャパンが開発主体として約二百億円の資金を出し、アスクが企画・開発を行う。

 新施設は地上十一階、地下一階、延床面積約四万平方メートルの「タイムトンネルゲート」(仮称)。ファッション、レストラン、エステサロンなどが入る原則二十四時間営業の複合商業施設になる。玉屋は今春にも取り壊され、二〇〇五年末の開業をめざす。

 老舗百貨店玉屋が九九年七月に閉店して以来、中洲の中心地に巨大な廃嘘が野ざらしになっており、夜ともなると、女性や子供には近づきがたい雰囲気があった。買い物客はほとんど隣の天神地区に流れてしまい、博多の二大繁華街めうちの一つが…機能しない状況になっている。

 その意味でこの仕事は単に一つのビル再生にとどまらず、社会的使命を帯びた博多の再興事業と言える。その使命を全面的に担っているのがアスクなのだ。

 このプロジェクトは資金面でも最先端の試みとなる。不動産の証券化でも最も難しいのは開発型の案件とされている。現存する施設であれば、明日からでもキャッシュが入ることが保証されているからリスク管理は比較的簡単だ。ところがタイムトンネルゲートのように計画通り進んでも約二年間は一銭の収入も見込めない開発型の案件に投資をするのは、非常に高度なリスク管理技術が要求される。本当に開発されるのか、開発したとしてテナントがきちんと入るのか。不安要因を挙げればきりがない。こうしたリスクを乗りこえて開発計画が決まったのはアスクの信用力による。もつと言えば廣崎利洋が二百億円の担保になっているのである。

 タイムトンネルゲートはアスクにとってまさに社運をかけたプロジェクト。これが成功すれば、同社の信用度は揺るぎないものになる。そして前述した新時代のビジネスモデルの成功事例となる。



■創業15年で上場

廣崎は一九四七年神戸市生まれ。実家はスーパーマーケットを営んでいた。このスーパーは後に大同団結してニチイ(旧マイカル)となる。幼い頃から商売に親しんでいた廣崎だが、次男なので家業を継ぐ道を選ばなかった。自立心が人一倍強くなったのは次男コンプレックスのせいだ、と廣崎。大学卒業後、日本オリベッティに入社。NCRなどのライバル商品に比べて性能で劣るオリベッティのタイプライターを、IBMのコンピュータと組み合わせるシステム販売を行うことで売りまくり、トップセールスマンになった。

 一九七三年、予定通り二十五歳で独立。兵庫県西宮市で創業した。翌七四年には会社組織にし、アスクプランニングセンターと命名した。メンバーはオリベッティの後輩ら七人。平均年齢は二十三歳ほどであった。アスク(ASK)とは「世に問う」という意味。「自分たちの存在を社会に認めさせたい。一目置かれたいという思いがあった」と廣崎は創業の動機を語っている。

 創業三年目の七五年、早くも東京に進出し、七六年には福岡進出、七七年には横浜ダイヤモンド地下街にDCブランド六店舗を集めた「ファッションアベニュー・エル」をプロデュースした。これはDC(デザイナーズ・アンド・キャラクター)ブランドのアパレルメーカーに直営店を集積出店させた初の試みであった。そして八二年にはニチイに、DCブランド専門店が集まる新業態の施設『ビブレ』をつくった。ビブレの成功により「ビブレのアスク」として世間の注目を浴び、ジャスコ、イトーヨーカ堂などからも商談が舞い込むようになった。

 八〇年には売上高十一億円、経常利益一億九千万円、八三年には売上高二十二億円、経常利益三億八千万円、八四年には売上高四十二億円、経常利益六億七千五百万円を記録、「笑いが止まらない状況」(廣崎)になった。この年、創立十周年記念パーティーを盛大に開催、三十七歳の新進企業家、廣崎の行く手をさえぎるものはないように思われた。しかし、若さにまかせてがむしゃらに走っていた廣崎が「忙しさのあまり大切なものを見失っていた」ことに気づかされたのは翌年のことだった。

 八五年十二月、営業のリーダーであった常務ら幹部三人が次々と辞めた。成功が心の緩みを生んでいた。幹部を叱ることで引き締めようとしたが、受け入れられなかった。

 「不満を持ちながら仕事をしてもしょうがない。会社に残るか、辞めるか、決めたらいい」廣崎は彼らの直属の部下たちにも決断を求めた。

 結局、十五人もの中堅社員が会社を去り、若い社員しか残らなかった。強固だと思っていた絆があっさりと切れ、創業から十二年かけて築いた石垣が音を立てて崩れた。さすがの廣崎も荘然とした。現場の混乱は大きく、翌年の売上高は二十五億円に落ちた。しかし、気持が萎えることはなかった。

 「よし、アスクは公開するぞ、公器になるんだ」若手社員に向かって宣言した。明るく、強気一辺倒で押し通すうちに、ますます力がみなぎってきた。

 若い社員を強力にリードし、夢とチヤンスを与えることで再び業績を盛り返し、八八年、宣言通り店頭上場した。創業十五年で上場企業になったのは、当時としては異例の早さと言える。

 若手企業家としても注目され、バブル景気も重なり、再び絶頂の時を迎えたが、再び、大きな落とし穴があった。不動産業に近い、元気なオーナー経営者であった廣崎は、金融関係者にとっては絶好のお客さんに見えた。投資話が次々と来た。それがバブル崩壊とともに負の遺産になった。最も親しかったマルコーの金澤尚史は九一年八月、会社更生法を史謂し、実業界から去った。廣崎にとっては他人事ではなかった。

 「当時、土色だった金澤さんの顔がその日を境にピンク色になったんですよ。うらやましい気もしました」バブルの崩壊で「地獄を見た」のだが、それでも諦めなかった。愚痴や文句は一切口にせず、本業で地道に黒字を出し続け、第二創業に踏み出す機会をうかがいながら、今日まで耐え続けてきたのである。

■人にこだわる企業家

 廣崎は人にこだわる企業家である。創業時から仲間意識が強く、社員が結集するスポーツフォーラム、カルチャーフォーラムなどを盛んに行ってきた。特に創立記念日の六月に三日間かけて行うスポーツフォーラムは、アスクを語るうえでなくてはならないものである。廣崎は野球、テニス、卓球から相撲(最近は自粛させられている)までほとんどの競技に参加し、大活躍をする。野球では三十年に渡ってピッチャーで四番である。オーナーだからではなく、実力でそのポジションを勝ち取っている。百八十センチを超える恵まれた体格と圧倒的な体力があればこそだが、そこには若い社員たちに対して「頭でも体力でも気力でもお前たちには負けない」というメッセージが込められているようだ。体を張ってリーダーシップをとる企業家なのだ。

 最近は経営をシステム的にとらえる企業が増えており、仕事とプライベートを峻別している経営者も多い。規模を追うにはその方が効率的である。しかし、廣崎はそういうタイプの企業家ではない。経営資源としての「ヒト、モノ、カネ」を並列に見ることはできない。「経営資源は人資源」として、人にこだわる。社員一人一人の人格を重視し、トップとの一体感を求める。デザインや高度な感性が求められる事業であることもその一因である。感性的なものと規模は相容れないものがあるからだ。「ブティック型経営」を意識している。

 「この会社はあまり大きくするとうまくいかない。単体では売上高百億円、経常利益三十から三十五億円ぐらいの会社にしたい」と廣崎。約二百人の精鋭を徹底的に鍛え、最も難しく高度な仕事をすることで、高い利益を上げる会社を志向している。

 そのためにはまず幹部を廣崎の分身にしなければならない。そこで人格をテーマにした徹底し
た幹部教育を行っている。

 「なぜ、そういう考え方をするのか。もっとコミュニケーションしろよ。俺にぶつかって来いよ」禅問答のようにくり返しているうち深夜に及ぶことも珍しくはない。

 トップのリーダーシップが強すぎて、逆に下が頼ってしまうという面もある。しかし、廣崎にすればそういう自分に挑戦し、打ち負かすぐらいの人間でないとバトンを渡せないという思いがある。そういう人間は独立してしまう可能性が強い。ニワトリが先か卵が先か。いずれにせよ簡単な問題ではない。

 現在のアスクは廣崎がトップ営業によって良質な仕事を特命受注することで成り立っている。付加価値の高い主道権の取れる仕事しかやらない。そうした仕事をトップ自ら取ってきて、有田、井波らの精鋭たちに次々と渡していく。創業以来、一貫して一〇%前後の利益率を上げ続けているのはトップ営業の賜である。その意味で、第二、第三の廣崎が現れることが、さらなる成長の鍵と言える。



■常に時代の最先端でチャレンジする

小倉、福岡での果敢な取り組みが評判を呼び、廣崎の元には、新しい「都市再生」案件話が次々と舞い込んでいる。京都、大阪、福岡、東京…。各地からその手腕を求める声が来ている。

 アスクは東京・お台場に江戸の街を再現させた温泉施設「大江戸温泉物語」に出資するとともに内装も手がけた。二〇〇五年秋にも東京進出する米高級百貨店サックス・フィフスアベニューの日本法人エス・エフ・エー・ジャパンにも参画している。二年後には一号店を完成させ、十年後には十店舗にする計画である。創業時からの理念「無から有をつくる」を頑なに実践し、時代の最先端を常に歩み続けているのだ。最先端への挑戦こそが、アスクがアスクであるための生命線なのだろう。

 都市再生は夢と感性だけで実現できるほど簡単ではない。土地とカネをめぐって泥仕合が行われることもある。

 二月九日、廣崎は手首にまいた数珠をさすりながら言った。

 「仏になったつもりでやっています。どんな困難があろうとも絶対にできると信じてやるんです。また今度、ゆっくり会いましょう!」

 そう言い残すと、背広の上着を片手に、出張先のホテルの部屋からあわただしく出て行った。

 創業から三十年。夢と現実の間で、多くの成功と失敗を経験をした。そして今、都市再生の夢に向かって駆ける。

 「まだやり残していることが山ほどある。休んでなどいられない」廣崎の後ろ姿はそう語っていた。

まさしく企業家である。



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