トピックス -企業家倶楽部

2016年05月17日

テンプスタッフの21世紀戦略/優しさとタフネスで人材ビジネスを極め世界企業として貢献したい

企業家倶楽部2007年8月号特集第1部


バブル経済の崩壊以後、日本は雇用の流動化を余儀なくされた。その中で必要なときに必要な人材を活用するという、人材派遣ビジネスが急成長した。その草分けとして、黎明期から需要を掘り起こし、産業として確立させ、業界第2位にまで上り詰めたテンプスタッフ。社長の篠原欣子は日本屈指の女性企業家としてその名を馳せる。そして今、総合人材サービスの世界企業を目指し、あらゆる人々に雇用の機会を提供し、働く歓びを掴んで欲しいと意気込む。           
(文中敬称略)



■社員総会で求心力を高める

2007年6月2日土曜日、横浜みなとみらい地区は毎年恒例の開港祭で賑わっていた。方やイベントホールパシフィコ横浜には、ビジネススーツの男女が続々と集まってきた。テンプスタッフの社員総会である。この日の参加者は約1500人。男女比は4対6と女性の方が多い。広い会場には舞台が設置され、客席は30歳前後の元気な顔で埋め尽くされている。

13時30分、開会宣言とともに最前列にいた社長の篠原欣子は、軽やかな足取りで登壇、スポットライトの中に現れた。そして満面の笑顔で語りかけた。「皆さんおつかれさまです。テンプスタッフグループの2007年3月期の業績は、売上高2288億円、営業利益110億円と過去最高を達成することができました。これは皆さんの頑張りのおかげです。本当にありがとう」

 篠原の言葉に会場から拍手と歓声が沸きあがる。居並ぶ社員の顔にゆっくりと目をやると篠原は続けた。

「34年前、名もない能力もない女性がマンションの一室で、たった一人で始めた会社がこんなに大きくなりました。これも皆さんのおかげです。わが社は『雇用の創造』『人々の成長』『社会貢献』を企業理念に掲げ、あらゆる人々に『仕事を通じて夢や歓びを提供できる企業』でありたいと願い、突き進んできました」「これからは世界企業を目指します。特にアジアの人々のお役に立ちたい。そしてもっと世界の人々のお役に立つように皆さんで頑張っていきましょう」

 篠原の世界企業宣言に会場からはさらなる歓声が沸く。篠原は社員たちの歓声を聞きながら、遠く34年前、創業時の苦しかった時代に思いを馳せた。

 そして続けた。「仕事って大変なことです。しかし続けていくことが大切。皆さん恋をしたことがあるでしょう。恋をするとその人のことを全身全霊で気にかける。仕事も同じです。恋人と同じように全霊で気にかけると、さまざまなことが見えてきます。石の上にも3年。何事も簡単に諦めない。続けることが大切です。そして常に可能性に挑戦して欲しい。大きな目標を掲げるのもいいけれど、小さな改善、毎日の積み重ねがもっと重要です」

 篠原から仕事に対する姿勢を直に伝授され、会場は静まりかえり、篠原の言葉に聞き入っている。「今後皆さんの中には、さまざまな事情で退社される方もいるでしょう。他の仕事につく方もいるでしょう。しかしまた帰りたいなと思ったら何時でも戻ってきて下さい。わが社は出戻り大歓迎です」

 社員を大切にする篠原の言葉に、会場からは大歓声があがる。そして広い会場はアットホームな雰囲気に包まれ、いかに篠原が社員に愛されているかが読み取れる。

 小柄な篠原だが、その存在感は大きい。この日の篠原はブルーに花柄のジャケットとパンツを組み合わせた軽快なパンツスーツ。横浜の港祭に合わせ、ブルーのスーツをさりげなく着こなす篠原はおしゃれだ。

 こうした社員総会は毎年の公式行事とはなっていないが、90年から折に触れて実施し、結束力を高めている。

 篠原に続いて常務の水田正道が登壇、テンプスタッフの仕事情報検索サイト「ジョブチェキ」について、業界最高のサイトづくり宣言が語られた。続いて舞台のスクリーンには右肩上がりのグラフが提示される。そして常務の佐分紀夫からは、過去最高を達成した2007年3月期の決算の説明がなされる。社員たちの目には自分たちがこの数字を叩き出したという誇らしげな表情が浮かぶ。



■頑張った人に報いる

そしていよいよメインイベント、社長表彰が始まった。

 晴れがましい席を飾るのは目標以上の成績を達成した優秀事業所のリーダーたちだ。今年は28の事業所がノミネートされた。司会者が次々に名前を読み上げる。会場のあちこちから声援が飛び体育会系の乗りだ。舞台に勢ぞろいしたリーダー一人ひとりに篠原から直接賞状が手渡される。握手を交わす篠原にはとびっきりの笑顔が光る。

 次は個人表彰だ。この日は28人が表彰された。一人ずつ受賞の挨拶をするその顔は喜びと達成感で輝いている。「おめでとう。よく頑張ったわね」と声をかけながら賞状を手渡す篠原。社員たちには何よりの励みとなっている。

 篠原にはギラギラしたカリスマや強烈な個性はないが、内に秘めた強さがある。優しい笑みで人の心を虜にするが、実は数字には厳しい。従ってテンプスタッフには頑張った人にはその功績を褒め称える仕組みがある。

 この日は2年ぶりの社員総会とあって、盛り上がりはひとしおだ。銀座オフィスから表彰された塩谷健太郎は、次は静岡県富士市で新しいオフィスの立ち上げに貢献したいと力強く宣言。派手な衣装で喝采を浴びたバイオ・メディカル事業部部長の正木慎二は、将来は自分が部門を背負って立つと拳を上げた。

 頑張った仲間に惜しみない拍手を贈る社員たちの目には、来年こそは自分が、という気合と意欲に満ちていた。

 テンプスタッフ急成長の源泉、過去最高の利益を産み出す原点がここにある。篠原の周りには若い社員たちが取り囲み、まるで人気アイドルのようだ。これほど社員に愛されている社長がいるだろうか。篠原のとびっきりの笑顔が社員の愛社精神とモチベーションに火をつける。魔力ともいえる篠原の笑顔と人間力。それはテンプスタッフの最大の武器ともいえる。



■人材派遣の業界第2位に成長 

篠原欣子が率いるテンプスタッフとはどういう会社なのか。創業は1973年、当時は終身雇用の真っ只中で、派遣社員を雇うなど考えられない時代であった。

 人材派遣業とは、仕事を求める派遣スタッフと、人手を必要とする企業との橋渡し役を担う仕事である。報酬はクライアントから受け取り、手数料を引いてスタッフに支払う。従って派遣会社にとっては商品ともいえる優秀な派遣スタッフの確保と、派遣先の開拓が重要となってくる。

 人材派遣業が産業として認知され、企業に積極的に活用されるようになったのは、第二次オイルショックの後、そしてバブル経済崩壊後ともいえる。終身雇用の崩壊で、雇用の流動化が促進、必要なときに必要な人材を雇うという雇用形態が、企業にとって使い勝手がよく、定着してきたからだ。人材ビジネスの専門情報誌「月刊人材ビジネス」編集主幹の三浦和夫によると、今やこの人材派遣業は4兆円市場に拡大、そこで働く人間は250万人に達するという。

 当初は人材派遣業だけだったテンプスタッフも、時代の要請に応じて業容を拡大、今や人材紹介、請負、アウトソーシング事業など、グループ企業44社を展開、総合人材サービス企業として業界第2位にまで成長した。その成長の原点となっているのが、2001年から導入した社内ベンチャー制度である。手を挙げた人に会社経営を任せるというこの制度は、時代のニーズにフィットした事業発掘と、やる気に満ちた経営者を育成している。

 保育・託児サービスのテンプスタッフ・ウイッシュ、24時間・365日対応のテンプスタッフプラス、フードビジネス業界の人材派遣サービスを担うテンプスタッフ・フードスターなど、ユニークな企業が続々と産まれている。いずれも専門性に特化、他社にない機動力に富んだ事業展開で、テンプスタッフグループの強みを増している。

 こうしたグループ事業の結集として2007年3月期の売上高は2288億円、経常利益111億円と過去最高益を達成。そして06年度の新規スタッフの登録者数は約15万人に拡大している。
 
 06年には東証1部に上場を果たした。この株式公開については篠原の熱い想いが込められている。もともと人材派遣業界は歴史が浅く、世間から胡散臭いような目で見られることもあった。それを払拭、社員に誇りを持って欲しいという願いが込められている。しかしさまざまな条件が厳しくようやく上場にこぎつけた。



■試練を越えて


 今でこそフォーチュン誌で『世界最強の女性経営者』に7年連続選出されるなど、輝かしいタイトルを持ち、業界第2位の創業経営者として名を馳せる篠原だが、創業期の苦しみや、社内大改革でぶち当たった苦悩の日々を忘れたことはない。栄光の陰に数え切れないほどの辛酸を舐めている。

 篠原の人生を振り返りその原点を探ってみたい。小学生のときに父親を亡くし、助産婦として働く母親に育てられた篠原は子供の頃から独立心旺盛。高校を卒業後大手企業に就職するが、4年後に退職、結婚と離婚を経験した。20代で心機一転、英語を学ぶために、スイスとイギリスに留学する。女子が海外留学なんてとんでもないという時代であった。帰国後、しばらくは外資系企業の社長秘書として働いたが、それに飽き足らず再び海外へ。オーストラリアの企業で社長秘書として経験を積む。

 1973年帰国した篠原は、「ダメならやめればいいや」と軽い気持ちで、海外で目の当たりにした人材派遣業を立ち上げた。38歳のときである。それから34年、コツコツと着実に顧客と派遣スタッフの信頼を獲得、1代で2000億円企業を創り上げた。その篠原の34年は人材派遣業界の歴史そのものといっても過言ではない。



■女性VS男性の葛藤を越えて

創業当初から秘書や、通訳など女性の専門職を派遣していたこともあり、テンプスタッフは創業から14年間は女性だけの手づくりの企業として成長し続けた。男子禁制というわけではなかったが、女性だけの方が気ごころも知れ、団結力に富み、コツコツ着実に、という篠原の経営スタイルに合っていた。第二次石油ショックのあおりで派遣を活用する企業が増え、1987年には、女性だけで100億円企業へと急成長を遂げた。
 
 しかしその頃から成長が止まりだした。女性特有の安定志向か、現状に満足し、挑戦する姿勢が薄れてきた。篠原は危機感を感じた。「このままでは衰退してしまう」。そこで思い切った荒療治を断行した。男性社員を引き入れたのである。その改革の祖として活躍したのが現常務取締役の水田正道である。水田は古巣のリクルートから何人か男性社員をスカウトすると、女性の花園だったテンプスタッフをマネジメント力に富んだ筋肉質の体質へと改革していった。

 創業当初から貢献してくれた女性幹部と新入り男性陣との狭間で、篠原がどれだけ苦しんだかは計り知れない。しかし篠原はひるまなかった。痛みを伴っても将来必ずいい会社にする。そう自分自身に言い聞かせてやり遂げた。



■名簿流出事件の危機を突破

男性社員を加え、骨太の組織に変革、再び挑戦する集団として、95、96、97年は売上高年率約40%アップという快進撃を続けていたときだ。将来を考えいち早くOA化にも着手していた。そのテンプスタッフが98年、インターネット上で、登録スタッフの名簿流出という事件をおこした。連日マスコミから攻撃にさらさられた篠原は、とにかく登録スタッフを守ることと、顧客に安心してもらうことに注力した。数々の修羅場をくぐってきた篠原だが、このときばかりは「倒産」の二文字が頭をよぎった。しかし必死になって危機を乗り越えたとき、社内にはさらなる大きな団結力が生まれていた。「これまで一番辛かったことは何か」との問いに篠原はこの名簿流出事件を挙げる。

 忘れてならない記憶として肝に銘じているからであろう。しかしそのことで更なる求心力を得たのは、ひとえに篠原の人間性に因るものといえる。

 篠原には驚くほど私利私欲がない。贅沢とは無縁、従って何か高価なものを手にいれたいとか金儲けをしたいなどという発想は全くない。人材ビジネスという仕事が恋人であり、一心同体なのだ。



■人材ビジネスを世界に拡大 

 その篠原は最近アジアに本格的に目を向け始めた。社員総会でも1500人の社員を前に「世界企業を目指す」と明言している。既に93年に香港に進出、その後日本企業が多いロサンゼルス、シンガポール、バンコク、ソウルに事務所を開設、先鞭をつけている。また02年には上海に、06年11月には蘇州、今年1月には台湾、2月には広州と続けざまに開設、サービスを開始している。

 今は日本から海外に進出する企業向けに人材派遣のサービスを実施しているが、いずれ現地の顧客発掘も視野に入れている。目覚ましい勢いで発展するアジアでの人材ビジネスの可能性は計り知れないものがある。慎重で着実な篠原ではあるが、アジアの発展に乗り遅れるわけにはいかない。それよりも篠原の心に奥にあるのは、仕事を求める人に雇用のチャンスを提供、アジアの経済発展に貢献したいという願いである。今、海外グループ会社10社、米国大手人材派遣会社ケリーサービスとの業務提携先を入れると世界32カ国でサービスを提供している。今後はそのサービスをアジア全域に重点的に広げていく考えだ。



■仕事情報検索サイト「ジョブチェキ」で24時間対応

もう一つ篠原が将来に向けて力を入れているのが、インターネット上の仕事情報検索サイト「ジョブチェキ」である。ここでは働き方、地域、職種など、希望の条件で何時でも仕事が探せる。今、アルバイトも含む人材ビジネスの分野では急速にネット化、モバイル化が進んでいる。テンプスタッフも「ジョブチェキ」を開設し対応しているが、まだ十分とはいえない。改革部隊の先頭を走り続けてきた常務の水田は6月の社員総会で次のように宣言した。「ジョブチェキをなんとか業界で最高のサイトに創り上げたい。これが今後の成長の糧となる可能性を秘めている。我々のジョブチェキの利用率はまだまだ低く、同業他社と比べて劣っている。もっと情報量を増やし、お客様にもスタッフにも支持されるサイトを作り上げねばならない。目標は100万件の方にきていただけるようなサイトにすることです」

 ここで有効な情報を提供しスタッフやクライアントに支持されれば、時空を超えて対応可能となり、さまざまな可能性が広がってくる。水田はその糧となるジョブチェキを強化し、最大の武器に仕立てあげようというのだ。



■人手不足の時代こそチャンス

日本はバブル崩壊のショックからようやく脱出し、景気の回復とともに、失業率も4%を割っている。企業は正社員を採用、新卒採用は各社争奪戦となっている。となると派遣スタッフの登録も減り、成長が鈍化するのではないかと思われがちだ。ズバリ篠原に尋ねると、派遣が少なくなっても紹介ビジネスがあるので大丈夫なのだという。つまり総合人材サービスを展開しているテンプスタッフにとっては、景気に関係なく、さまざまなサービスで対応できるというわけだ。

 さらに今後は人手不足が深刻化してくると予測される。既に外食産業は慢性的な人手不足でパート・アルバイト時給がどんどんエスカレートしている。こうした中で、きちんと教育し、専門スキルをもった人材を派遣できるテンプスタッフは優位性を持つ。

 前述の「月刊人材ビジネス」編集主幹の三浦によると、日本の派遣・紹介ビジネスは量的には飽和状態、これからは質が問われる時代という。

 こうなると強みを増すのがテンプスタッフである。というのは既にグループ企業44社はそれぞれ特徴を持ち専門性が高い。さらに同社では「人々の成長」を理念に掲げている通り、派遣スタッフの教育に熱心だ。スペシャリストを育てるために専門学校とも提携、登録スタッフは常にスキルを磨くことができる。これによりクライアントからのニーズにフィットしたスタッフを派遣することができる。しかし今後はフィリピンなど外国人労働者の活用も視野に入れる必要がでてくる。そうしたときにきちんと教育を施せるテンプスタッフの優位性は高い。「仕事を求める人すべてに雇用のチャンスを」が篠原の思いでもある。特に今後は働く意欲はあってもチャンスにめぐまれないシニア層や、主婦に機会を提供することが期待される。

 また創業時からの篠原のライフワークは働く女性の支援である。女性の社会進出のチャンスを作り、生きがい・働きがいをつかんでもらいたい。その思いは日本だけでなく世界へと拡大している。

 そして一人でも多くの女性にチャレンジして欲しいとの思いから、07年には書籍「探そう、仕事の、歓びを。」(あさ出版)を発刊、働く女性にエールを贈っている。そこに篠原の仕事に対する想いが率直に綴られている。「私は今なお、仕事に夢中になっています。あなたは情熱を持って目の前の仕事に取り組んでいますか?今あることを夢中でやる。そうしたらパチンとチャンスが来るんです」



■シンクタンク的不動産業

     
 シンクタンク的総合不動産業をめざす同社は不動産業界の先端的動きもリードしている。不動産業界はバブル崩壊後、土地神話から土地新話へと大きく変貌、グローバル化と証券化、有効活用が大きなテーマとなっている。REIT(不動産投資信託)が2001年9月に発足した時、業界に先駆けて、プレミア投資法人を東証に上場、不動産の証券化をリードしてきた。

住宅価格を指数化した住宅マーケットインデックスをアットホームなどと共同で01年秋につくった。田中と親しい日本土地建物社長の中島久彰は「田中さんの先取り精神には敬服させられる」という。

 さらに、インターネット時代に対応して、都心10区に絞った高級賃貸物件の情報サイト「Tokyoj p 」を開設した。

ケン・コーポレーションだけでなく、三菱地所、住友不動産、東京建物、東急不動産など大手不動産会社10社の高級賃貸物件を掲載、1物件につき最大28枚のパノラマ写真を付け、高級感を醸し出している。現在、1500室の空き室物件を掲載、約3000人の会員が登録している。大手不動産の高級物件を一堂に集められるのは35年間の高級賃貸に特化した信用力が物を言っている。



■人ビジネスを天職として

奇をてらったことはしない。当たり前のことを粛々と着実に実行する。テンプスタッフがここまで成長できた最大の要因は、篠原の真摯な生き方と人間力にある。

 若々しく精力的で、とても実年齢には見えない篠原は72歳、そろそろ後継者についても真剣に考える時期にきている。「意中の後任候補は何人かいます」とさらりと答える篠原だが、まだ気力・体力ともに十分だ。「もし、私が今日引退したとしても、すぐに優秀な後継者が会社を引き継いでくれると思います。でも、体力の続く限り、このすばらしい人材派遣業を続けていきたい」ときっぱり。篠原にとってこの人材ビジネスはまさに天職なのである。その篠原の想いはテンプスタッフのDNAとして脈々と引き継がれていくであろう。

 篠原にはそろそろテンプスタッフだけでなく業界の顔として活躍して欲しいという声も聞かれる。日本の人材派遣業の草分けとして、本物の女性企業家として、あと20年は現役で活躍して欲しいものだ。そして会う人を元気のオーラで包む込む篠原の笑顔で、働く歓びを語り続けていただきたい。



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