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トピックス -企業家倶楽部

2003年10月27日

福祉革命をリードしサービス業界のトップ企業をめざす/コムスンの21世紀戦略

企業家倶楽部2003年12月号 グッドウィル・グループ特集第1部


2000年4月、介護保険制度がスタートすると同時に、一気呵成の事業展開でその名を知らしめたコムスン。4年目の今期(2004年6月期)売上高358億円、経常利益20億円を見込む。母体のグッドウィル・グループも右肩上がりで成長し、売上高430億円、経常利益40億円を予想。一気に1000億円企業に迫る勢いである。しかし、両社の会長兼CEO(最高経営責任者)、折ロ雅博はこれを通過点としか見ていない。目標はサービス業のトップ企業になること。介護関連で圧倒的な実績を残し、コムスンブランドの知名度と信用を高め、周辺事業を次々と開拓していく構えだ。サービス・コングロマリット(複合企業)を形成し、「明るい高齢化社会を実現したい」と語る折ロの壮大な構想は着々と進行している。(文中敬称略)


■2012年2500億円企業めざす

  二〇〇三年八月二十三日土曜日、午前九時半、東京港区の新名所・六本木ヒルズは行楽客で賑わう午後とはまた違う顔を見せている。スーッ姿のビジネスマンが続々と三十四階へと上がっていく。コムスンの経営会議があるのだ。

 九時四十五分、三十四階の大会議室にはすでに事業部長、センター長ら二百五十名の幹部社員が集まり、熱気にあふれている。まばゆい陽光が射し込む全面ガラスの窓から、都心の高層ビル群が一望できる。同社は三十四、三十五階に本社を移転したばかり。内装工事もまだ途中で塗料の匂いが、初々しさを感じさせる。

  午前十時、折口雅博が会議室に入場した。極めて自然体、微かな笑みを浮かべている。

 グッドウイル・グループではすべての会議は唱和から始まる。全員起立して「コムスンの誓い」を大声で唱和する。

 「私達は、一人でも多くの高齢者の尊厳と自立を守り、お客様第一主義に徹します!」「私達は、明るい笑顔、愛する心、感謝の気持ちを大切にします!」

  三百人の唱和は迫力満点。続いて「グッドウィル・グループ十訓」に移る。「お客様の立場に立て、究極の満足を与えよ!」「スピードは力なり、変化をチャンスと思え!」

  折口はこの”儀式“を非常に重視している。理念は潜在意識に入ることでパワーが発揮されると考えるからだ。

  唱和の後、折口が壇上に立ち、晴れやかな表情で語り始めた。

「どうですか、みなさん。すばらしい眺めですね」と喜びを素直に表す。

「今までわれわれは小さなオフィスに分散した野戦部隊でした。野原で戦ってきました。そして今、ワンフロア千三百坪の、日本一広い六本木ヒルズに城を構えました。環境的にはベンチャースピリットに反するかもしれません。しかし、われわれはこれから一流の大企業になるんです。ここはそのための城なんです」


 確信にみちた決意表明である。彼の頭の中では、ベンチャースピリットはあくまで持ち続けるが、ベンチャー期の戦いはすでに終わっている。軽作業請負のグッドウィル本体は五年後一千億円企業、コムスンは二〇一二年には二千五百億円企業となる。そこまでの道筋はすでに見えており、CEO(最高経営責任者)としての手も打った。後は着実に実行していくだけなのだ。



■行く手に広がる広大な市場

コムスンの二〇〇三年六月期の売上高は二百三十一億円、経常利益は十三億円。二〇〇四年六月期は同三百五十八億円、同二十億円と予想する。介護拠点はこの一年間で約二百増やし、二〇〇三年七月末時点で五百五十二拠点。これを二〇〇四年六月末までに八百にする計画だ。ここまではマスコミ発表している。二〇一二年二千五百億円という数字はどこから出てくるのか。「今のまま着実にやっていけばいける」と折口は言う。折口の頭の中にあるのは全介護市場で一五%のシェアを取ることだ。モデルになっているのはセコム。五千社もの企業が参入している警備保障業界で圧倒的なブランドカを持つトップ企業、セコムの単体シェアが一五~一八%ぐらい。コムスンは介護業界のセコムになる。とすれば、それくらいのシェアと売上高になるはずだと考えている。

 圧倒的な知名度が自信の裏付けになっている。独自に調査したところ関東圏で八割の人がコムスンの名前を知っていた。それは他の最も知名度のある介護会社(ニチイ学館)より三倍以上の数字だったという。

 今、介護のトツプ企業はニチイ学館である。介護部門だけで五百八十九億円(二〇〇三年三月期)の売り上げがある。訪問介護の拠点数は六百二十一カ所。デイサービス(昼間、要介護者を預かる施設)など、コムスンが対応しきれていないサービス拠点も百七十九カ所持っている。主力の医療事業受託事業と併せた連結売上高は千七百億円を超える。

 しかし、折口の頭の中ではトップ企業になることが既成事実のようである。自信たっぷりに語る。「知名度はコムスンがすでにダントツナンバーワン。八百拠点つくれば、拠点数でも一番になる。福祉用具レンタル、介護タクシー、訪問歯科診療といった派生する事業も拠点数が広まるにつれて、大きくなってくる」

 さらに介護施設も今後二年間で百十カ所つくる。内訳は痴呆高齢者が入居するグループホームが百カ所。要介護高齢者が入居する有料老人ホームが十カ所である。

 ケア付きシニア住宅にも期待している。六十歳ぐらいの比較的裕福な夫婦が健常なうちから二人で入居するケースが増えている。健康なうちはレストラン、アメニティスペースなどで生活を楽しみ、どちらかが要介護になってもケア付きだから安心という集合住宅だ。

 介護という切り口から、「超有名」なコムスンブランドを武器に高齢者ビジネスを広げていく。

 コムスンの行く手には広大な原野が広がっている。世界史上、例を見ないスピードで少子高齢化に向かっている日本社会そのものが、これからの市場なのだ。

 二〇〇三年九月時点の六十五歳以上人ロは約二千四百三十一万人で、総人口の一九%を占めている。これが二〇一四年には同三千百九十九万人になり、総人口に占める割合は二五・三%となる。その後も高齢者が三千万人以上いる状況は二〇五〇年頃まで続く。少子化も進むので高齢化率自体も高くなり続ける。高齢化率が上がり続けるということは、プロの介護会社に対する二ーズが増大することを示している。半世紀に渡って市場は大きくなり続ける。

 こうした中で、現在の介護市場は公的セクターが約五〇%のシェアを担っている。赤字経営が多い公的セクターが市場の増大に対応できるはずがない。自然の流れで、需要は民間に流れていく。市場拡大期に最も成長するのは、最も知名度があり、最もスピードがあるコムスンである。折ロはそう確信している。そして、驚くべきことを口にした。「コムスンはもう、私の中では終わっているんです」

 一万人以上いる従業員の管理システムもできているし、ブランドも確立されている。あとは着実に営業して成長していくだけ。それは社長以下、優秀な幹部たちがやってくれる、と折ロ。

 折口の頭の中では、高齢者向け不動産事業、富裕高齢者向けの生活・旅行サービス事業、さらには医療事業への進出など、サービスのコングロマリット(複合企業)構想が着々と進行している。

■実務は経営幹部に一任

 とはいえ、実際の現場では日々、熾烈な戦いが繰り広げられている。解決しなければならない問題も山積しており、予断は許されない状況である。再び、会議の現場に戻ってみよう。

 全国の事業部長たちは成績順に並んでおり、ベスト10、ワースト10は一目瞭然である。午前十時から始まった会議は常務取締役事業本部長、西原達也が仕切っている。

 「グループホームは、川口・赤羽はほぼ満室。平塚はまだ満室にならない。……地域によっては非常に苦戦している。現時点では営業の問題だと思っている。……介護タクシーは散々な結果だ。売り上げは増えているが、増車に対して人材の確保が追いつかない。やらなければならないことは採用と営業である」西原は軽快なリズムで議題を次々消化していく。

 各事業部長の報告、質疑応答の後、コムスン社長兼COO(最高執行責任者)の樋口公一がマイクをとり、鋭い目を向ける。

 「赤字センターが一〇%以上あるというのに危機感が感じられない。……売り上げが百万円以下のケアマネージャーが七十一名もいる。資格を取ったばかりで、もっと勉強したいなどという人間はもういらない。……百五十万円もの赤字を出して、平気でいることが理解できない。……だいたいトップ10とワースト10が指定席になってきている。前回ワースト1、2だった支店長がまた同じ席に座っている。まったく改まっていない」

 厳しい口調に、張り詰めた空気が漂う。

  樋口が経営者側の中央に陣取り、折口は端の方に座っている。グッドウィルの会議でもそうしている。社長や幹部の話に横槍を入れたりせず、じっと聞いている。

  介護のコムスンと軽作業請負のグツドウィル・グループ。一つの会社だけでも大変なのに、と思う人も多いだろう。しかも、会長室の机を見て驚かされたのだが、書類一つない。雑事から離れている雰囲気がある。


  初めからプロの経営をやろうと思っていた、と折口は言う。

 「会社をつくった時から自分は会長で、社長には別の人がいた。そのスタイルで常にやっているので、それが自然なんです。初めからそうしようと思ってやっているからできるんです。経営のセオリーに基づいて、大企業の経営に対応できるような人事システムにしてきているんです」

 自分がいなくなったらこの会社は終わりだと言うベンチャー経営者は多いが、折口の場合は、今自分がいなくなっても、会社はまったく問題なく成長していく、と断言する。

 「人は適材適所にポジションを与えて、やる気を出させて、彼らが自己実現をしようと頑張っていくときに、すごい能力を発揮するんです。だから、そういう環境をつくればいいんです。そして正しく評価する。それをやっていれば会社は非常にスムーズに、自然な形で大きくなります」



■挫折と栄光の日々

折口は一九六一年、東京生まれ。父は人工甘味料の製造会社を経営し、裕福な家庭で育った。ところが小学生のとき会社は倒産。父子は家を追われ、生活保護を受けるまでに落ちぶれた。同時期、父が病に倒れた。それ以後、十四年間、入退院を繰り返す日々となり、家族介護を経験することになる。

 中学卒業後、給与がもらえる陸上自衛隊少年工科学校に進学、規律厳格な寮生活を経験した。三十キロの荷を背負い、富士山麓を五十キロ歩く訓練や、実弾が飛び交う下を葡旬前進する実弾演習も受けた。

 こうした厳しい環境の中で胸に秘めていたのは「とにかくデカいことをしたい」という夢だった。それは経営者であった父への憧れ、その挫折を間近で見た悔しさ、悲しさ、惨めな体験などの反映でもあった。「デカいこと」をするため日商岩井に入社。出世競争に勝ち抜こうとがむしゃらに働いた。破天荒な商社マンであった。あるとき東京・芝浦の倉庫会社から「空き倉庫を有効利用できないか」という話が舞い込んだ。倉庫を一目見た折口は、大型ディスコに最適だと思った。これが「ジュリアナ東京」となる。

 説得を重ねて一旦は承諾を得たが、最初から及び腰だった倉庫会社が「どうしてもやりたいなら、しかるべき運営会社をつれてこい」と言い出した。運営会社を引っ張ってくるには五千万円あまりの保証金が必要になった。上司はそれなら止めろと言った。折口は腹を決めた。バブル経済のおかげで資産価値が上がったマンションを持っていた。そのマンションを担保にあちこちからカネを借り、保証金として振込み、プロジェクトを遂行させた。自分がディスコのオーナーになってやろうと思ったのだ。

 しかし、ジュリアナ東京が大ヒットすると、実業界の大人たちは徒手空拳の若者を赤子のようにひねり潰した。折口は四千万円の借金を抱えたまま追い出され、会社、カネ、仕事のすべてを失った。

 それから二年後、六本木の大型ディスコ「ヴェルファーレ」で再起を果たすまでが一番厳しかった時代だ。借金に追われながらヴェルファーレ実現のために奔走し、エイベックス・グループ会長の依田巽と出会い、二つ目のディスコを成功に導いた。この企画料で七千万円に膨れ上がっていた借金を返済した。しかし、資本を持っていない悲しさで、ここでも社長から副社長に降格された。そんなとき、グッドウィル・グループの創業メンバーと出会ったのである。

■グッドウィル創業3年目に介護参入

グツドウィルは折口の人脈、資金調達能力、スピード経営で瞬く間に成長、五年目の九九年、店頭公開企業になった。折ロが介護ビジネスに出会ったのは九七年。グツドウィルを設立して三年目、公開をめざして急成長しているさなかに、コムスンに資本参加し、事実上の経営権を譲り受けている。コムスンは榎本憲一(故人)が日本で初めて二十四時間、三百六十五日体制で介護サービスを始めた九州の会社で、折口の理想と合致していた。

 一つのビジネスが軌道に乗り始めたと思う間もなく、次のビジネスの布石を打つのは折口の経営手法そのものだが、介護ビジネスに関しては、父親の介護体験が関心を持つきっかけになった。家族の心身までも蝕んでしまう家族介護の悲惨さをビジネスを通して何とか解決したいと思ったのだ。

 九九年にはコムスンを完全子会社化し、会長に就任。二〇〇〇年四月にスタートした介護保険制度に合わせてグッドウィルの株式上場で得た三百億円もの資金を投下し、千二百拠点を一気に展開した。しかし、保険制度の認知度の広まりが目算通り行かなかったため、三カ月後に一気に三百拠点に集約した。このやり方があまりにも過激だったためマスコミの批判を浴びたのは記憶に新しい。

 しかし、当の折口は経営的に対処しただけで、介護でナンバーワンを狙つ方針に何ら変更はなかった。実際、拠点は縮小したが二〇〇一年六月期の売上高は百二十一億円と急成長している。経常利益も二〇〇一年六月期は五十五億円の赤字だったが、翌年から九億円、十三億円、そして今期は二十億円(予想)と成長軌道に乗った。

■当事者意識で鍛えられた本質を見る目

 目の覚めるような鮮やかな経営をする。折口はその秘訣をセンターピン理論と呼ぶ。ボウリングでストライクをとるには、センターピンに当てればいいのだ。ビジネスも同じ。そのビジネスで一番大事なポイントを見極めて、そこに向かってボールを投じればストライクがとれる。多くの経営者は端の方のピンにばかり気を取られて、そこに向かって投げるからピンは二、三本しか倒せない。

 ジュリアナ東京をプロデュースしたときも、「人がたくさんいること」がセンターピンだと気づき、そのための戦略を徹底して実行した。ところがほとんどの人は音楽が、照明が、場所が、芸能人がと、端の方にあるピンにとらわれていた、と言つ。

 五歳のとき、「デカいことをしたい」と心に決めた。すると、回りのことすべてが他人事でなく自分事になった。何でも当事者になったつもりで見て考える。その習慣が本質を見抜く目を養った。

「レストランに入っても経営している当事者の気持ちになって食べる。すると味やサービスの細かいところに気づく。テーマパークに遊びに行っても、経営者の立場に立てば、何が楽しくて何がまずいのか全部わかりますよ。そこで感じたことを全部自分のデータベースの中にしまっておく。で、いざ自分が何かをやるときには、それを取り出してきて、いくつかの要素を検討し、絞り込んでばーんとやる。だから間違いがない。早い決断をしているときも、いい加減にやっているのではなくて、早く正解が出ているから早いんです」

 その当事者意識は半端ではない。街頭演説を一生懸命やったが選挙に落ちた人がいた。すると選挙に落ちた人の気持ちになる。ニュースキャスターがニュースを読んでいるのを見ても、自分だったらこのニュースをどう伝えようかと考えながら聞く。

 何かをゼロからつくりあげるためには、強烈な当事者意識が必要なのだ。

「人を批評、批判する立場でない。常に自分が批評される立場になる。当事者意識が強いと結局、そうなるんです」



■日本一のサービス会社になる

 解決すべき課題は今はもうない」と折口。介護報酬は国が決めるものだが、少子高齢化と国民医療費の増大という問題を抱えた国が民間の介護企業がやっていけなくなるようなことを決められるはずがない。介護保険制度が機能しなくなれば、医療費の増大はくい止められない。医療費を抑えかつ高齢者の人権を守るためには、介護制度を充実させる以外にないからだ。

 介護で儲けるのはけしからん、という意見もある。これに対して折口は、民間業者の参入によって介護の世界が明るくなった、と反論する。民間企業だからこそ、顧客満足度を最大化しないと生き残れない。いき

  おいサービスはよくなる。これまで遠慮しながら平日の昼間だけ国の施しを受けていた要介護者が、二十四時間三百六十五日「お客様」としてサービスを受け、堂々と言いたいことが言えるようになった。これだけの社会貢献をして、適正な利益を得てどこが悪いのか。

 その派手なイメージから「介護ビジネスをやらせたくない男ナンバーワン」などと椰楡されたこともあるが、折口の主張は正論である。

 しかし、課題もある。急成長には必ず反動がある。裏を返せば、積み重ねてきた蓄えがないということだ。常にぎりぎりの状況では介護の現場にも影響が出かねない。コムスンの顧客純増数は七、八、九月の三ヵ月で三千二百三十三件である。これはニチイ学館の二・五倍に当たる。新規顧客獲得数の多さには勢いを感じる。とはいえ解約数も少なくない。一人ひとりを大事にする姿勢を忘れないことだ。人間である限り、ビジネスで割り切れない部分が絶対に出てくる。そことどう折り合いをつけるか。

 スピードが速ければ速いほど、小さな石でも足をすくわれ、大きく転ぶ。どんなにうまくいっているときでも、油断、奢りは禁物である。どんなに才能があっても、才能に溺れて失敗した人物は、歴史上に数限りなくいる。折口にはそういう失敗をしてほしくない。老婆心ながら指摘しておく。

 とはいえ、介護保険制度がスタートして三年半、驚異的なスピードで同制度を認知させ、組織をつくり、サービスを展開した。誰にもマネのできない芸当だった。その功績は正当に評価すべきだろう。

 その志を貫き、日本一のサービス・コングロマリット(複合企業)をつくりあげて見せてほしい。それだけの器と才能を持っている経営者である。



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