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トピックス -企業家倶楽部

1997年03月27日

【伊藤園特集】右手に合理主義、左手に義理人情を携え…商人道をひた走る/伊藤園の21世紀戦略

企業家倶楽部1997年5月号 特集第1部


激戦の飲料業界にあって、缶入り緑茶「お~いお茶」、ウーロン茶、「充実野菜」など次々とヒット商品を発売、日本に無糖飲料市場を創出、一代で1,000億円企業に育て上 げた伊藤園会長の本庄正則。着流しが似合うスラリとした風貌、浅黒い額に波瀾万丈の人生を刻む。合理主義と義理人情を両手に、渾身を込めて生き抜いてきた辣腕経営者 に成功の法則を探る。

■数字に強い用意周到な商人  

 本庄の朝は早い。午後九時ごろ就寝、午前三時には目を覚ます。そして、枕元の電卓をたたき、メモ用紙にペンを走らせる。メモ用紙に並んだ数字を見つめる本庄の目が鋭く光る。

 四月からの消費税二%アップ分をどう吸収するか。目下この消費税対策が本庄にとっては最大の課題だ。年間一千億円以上を売り上げる同社にとっては消費税二 %アップは二十億円もの財政負担となる。商品価格を現行のまま据え置けば、経常利益から二十億円という金額が消し飛んでしまうのである。

  飲料業界は全て横並びの内税方式をとっており、どこも一缶百十円。ガリバー企業のコカ・コーラが消費税アップ分を値上げせず、現行通りの値決めを発表してしまったからには二位以下はこれに従わざるを得ない。

「コカ・コーラはこれで業界の整理淘汰に乗り出した」と飲料業界は緊張感に包まれている。

「飲料業界にとって消費税二%アップは黒船到来のようなもの、この試練を何としても乗り越えねばならない」。静まりかえった室内に本庄の叩く電卓の音だけが響きわたる。

  本庄はいつでもどこでも電卓とメモ用紙を離さない。名案を思い付いたらすぐさまメモを取る。「次の日見ると大半はくだらないアイデア」が多いものの、中には、業界の常識を覆すようなアイデアも生まれる。飲料業界に一石を投じた缶入り緑茶もそうした思考過程で生まれた。



■他社ができないことをやれ!

 「緑茶を缶に入れて売る、そんなもの誰が買うものか?」―。十二年前の一九八五年、缶入り緑茶を発売する際、親友のセコム会長の飯田亮ら、多くの友人たちは本庄の新しい試みを疑問視した。無理もない。”緑茶とは茶葉にお湯を入れ、急須から茶碗に注いで飲むもの“というのが、過去何百年来、日本人の変わらぬ食習慣であるからだ。急須から注いで飲む緑茶は一杯いくらの勘定はほとんど頭にない。この緑茶を缶に入れ、冷やして飲ませる。しかも一缶百円で売ろうというのだから、周りが度肝を抜かれたのも無理はない。

 しかし、本庄には「絶対いける」という確かな勝算があった。というのはそれより六年前の七九年、日本で初めてウーロン茶を発売、一大ブームを巻き起こし、八一年に発売した缶入りウーロン茶で、新たに無糖飲料のジャンルを創りだし、日本の飲料業界の構図を塗り変えた実績があるからだ。しかも缶入りウーロン茶の大ヒットでお茶は冷やして飲むもの、そしてインサイドからアウトドア商品として消費者に受け入れられる素地ができつつあった。

 本庄は缶入りウーロン茶のヒットと同時に念願の缶入り緑茶の開発に取り組んだ。もし成功すれば、夏場でもお茶が消費され、通年商品となるからだ。  しかし、すぐには商品化できなかった。緑茶に含まれるカフェインやタンニンなどの成分が酸素と反応し、褐色化するからである。

 研究陣の必死の努力の結果、八五年、ようやく焼き芋のような臭いを残さない酸化防止技術を開発、『お~いお茶』の名で缶入り緑茶を売り出した。静岡茶業試験場が同じ技術を開発する六カ月前のことである。 本庄の思惑通り、「お~いお茶」は発売当初から倍々ゲームで売り上げを伸ばした。この結果、缶入り緑茶を含む緑茶部門の九七年四月期の売り上げは五百五十億円と、まさに同社の屋台骨を支えている。



■ルートセールスに基づく徹底した現場主義を貫く

 塾帰りの学生やOLで賑わう、都内のコンビニエンスストア。さまざまな商品が並ぶ冷蔵ケースから、迷わず「金の烏龍茶」を手にしたOLを目撃した本庄は満足そうにほほ笑んだ。本庄はたびだびコンビニに足を運んでは今、何が売れているか、消費者の目を引いているのは何か、細かいチェックを怠らない。会長の座についても尚、顧客第一主義を社是に掲げる本庄の現場観察眼は衰えない。

 問屋を通さず直接商品を売り込むルートセールスの営業軍団は伊藤園最大の武器。その手法は大学卒業後、日産系列の自動車ディーラーに就職した本庄が、トップセールスマンとして身につけた商いの原点である。

 入社三年目で、年間四百十七台を売り上げたという伝説のセールスマンは、客の懐に飛び込む達人だった。「車を買ってくれとは決して言わない。ただ、誠心誠意お客様の元に通った」と当時を振り返る。この名セールスマンは「どうしてもクラウンを君から買いたい」という客の要望に応えて、トヨタのディーラーからクラウンを一台回してもらったこともある。そして、この時の体験から「足で稼ぎお客様と直に接するルートセールスこそがわが社の生きる道」と定め、コカ・コーラと同じ方式で飲料業界に戦いを挑んだのである。その裏には、先発の茶業メーカーが有力問屋や小売店を押さえていたという事情もあったが……。

 本庄の口ぐせは「商品を売る前に心を売れ」。それだけに、伊藤園の営業は厳しい。テリトリー内の店舗一店一店の新規開拓は勿論、新商品の売り込みから、商品の納品、代金の集金まで全てを一人の営業マンがこなす。いわば営業マン一人一人が商店のあるじなのである。

 小売店だけではない、一台一台の自動販売機も設置から空き缶の回収、商品の補充、カネの回収まで全てを一人の営業マンがこなす。従って、毎日の売れ行きは一目瞭然。何が幾つ売れたか、客の反応はどうか、現場の生の声が毎日支店を通じて本社に吸い上げられる。

 全国に根付くその営業拠点は今や、百二十、自動販売機は約四万台。営業マンの数は千八百人に達する。 社内では二〇〇〇年にはこの営業拠点を二百拠点体制にするという目標が掲げられている。

 毎年採用される三百人の新入社員の大半がこの営業の第一線に配属されるが、ここはまさに実力主義。当然ノルマが達成できず脱落するものもいる。しかし、本庄を核にした鉄の営業軍団は強い心の絆で結ばれている。「正直いって何度、辞めようと思ったかわからない。しかし、オヤジに『どうだ、頑張っているか』と肩をたたかれると、魂が震え、退社の決心が鈍って、ここまでついてきた」とあるベテラン営業マンは語る。

 カリスマ性の固まりのような本庄だが、組織運営では、「若手に権限を委譲、加点主義で思う存分能力を発揮させるのがわが社の活力の原点」と、若手を信頼している。今年のヒット商品の金の烏龍茶をはじめ、緑茶、そして野菜ジュースの「充実野菜」など全てが若手の発案によるものだ。

 ”VOICE“と呼ばれる社内提案制度で、誰もが新商品を提案できる。いわば二千七百人の社員全員が ”開発マン“なのだ。他社が真似できないユニークな商品は現場を知り尽くした社員参加による貴重な提案から産み出される。伊藤園の社内隅々にまで行き渡った徹底した現場主義が年商一千百八十五億円を稼ぎ出す。



■成功は運が七割

「成功の秘密など何もない、ここまでこれたのはまさに”運“に恵まれたから。今のわが社があるのは、七割が”運“で残りの三割は周囲の師や友人、支えてくれた人のおかげ」と、本庄は伊藤園急成長の秘密を問われると決まってこう謙遜する。しかし”強運“を味方にしたのは本庄の経営者としての実力があればこそである。

 ウーロン茶が大ヒット商品に発展したきっかけは、確かに当時の人気歌手ピンク・レディーの「ウーロン茶できれいになった」の一言であった。しかし、日本人の”甘さ離れ“という時代の風を的確に読み取り、全く新しい無糖飲料を武器に、飲料業界に集中攻撃をかけたのは、本庄の経営者としての勘の良さである。運だけでは成功は勝ち得ない、地道な努力と時代を読む鋭い嗅覚の成せる技だ。「社員の電話の応対一つで、現場で何が起きているかすべてわかってしまう」と幹部社員は本庄の勘の良さに舌を巻く。



■多彩な交遊関係から経営を学ぶ

 運を呼び込んだもう一つの要因は幅広い人脈。本庄の交遊関係は財界はもとより政界、芸能界、スポーツ界、そして警察官に至るまで幅広く深い。その付き合い方は義理人情の仁侠型で、深くて厚い。

 その中で本庄が人生の師、経営の師と仰ぐのは元東急グループ総帥の故五島昇である。「五島さんは将の将たる器、あれほどの人物は今の日本にはいない」。五島の話になると、本庄は心なしか目を潤ませる。

 五島は人の好き嫌いが激しい男であったといわれるが、なぜか本庄を気に入り可愛いがった。五島からの「船を持たないか」の一言に、伊豆・下田にある五島の別荘の側に家を建て、船を持ち、共にマグロ釣りに挑戦した。日本の経済界のドン的存在だった五島との交遊は本庄のその後の生きざまに多大な影響を与えた。

 五島と本庄の出会いをつくったのは東映会長の岡田茂。いわば本庄の兄貴分である。その岡田からは撤退の美学を学んだ。七三年ごろ、本庄は不動産業に乗り出し、一万坪ほどの土地を購入、建て売り事業を手がけたことがある。その時、「不動産はリスクが大きい。やめた方がいい」という岡田の忠告をきいて、翌日、社内に不動産撤退を宣言した。「あの時、岡田さんの忠告をきいていなければ、今ごろ当社もバブルにまみれていたかもしれない」と本庄は首をなでる。

 岡田は本庄を「先輩に礼を尽くす気配りの人、そして勘の鋭い本物の経営者」と語る。  本庄は五島、岡田の二人の経営者を介して多彩な友人関係を築き、ビジネス上の情報や運をつかんでいったといえる。



■「運」を味方に危機脱出

 強運の男も創業期には様々な試練にさらされた。本庄は六四年に自動車ディーラーを退社、食品問屋を設立した。

「人にだまされても、だまさない」を信念とする本庄は創業直後、取り込みサギにあい、四千万円の借金をかかえたことがある。その時は毎朝六時に大問屋の自宅に出向き、やっと二週間後に借金返済の猶予を承諾してもらい、命拾いした。

 さらに、創業八年目の七三年の秋に最大の危機に見舞われた。本庄は五億円を投資、静岡県に再新鋭の設備を導入した「相良工場」を着工した。緑茶業界に新風を巻き起こし、後発の後れを一気に取り戻そうと一大決心しての敢行だった。

 当時五億円という大型投資は伊藤園にとっては大きすぎた。たちまち資金繰りが苦しくなった。年明けの七四年早々、資金繰りのメドが立たなくなった本庄は取り引き銀行に事情を訴えた。一カ月後に迫った二億円の手形がどうしても落ちないのだ。支店長、本店の常務、副頭取にまで直談判したが、良い回答は得られない。本庄はそれから一カ月間、銀行に日参し、誠意を尽くし懸命に訴えた。二億円さえ融資してもらえば、なんとか切り抜ける自信があった。

 本庄の脳裏に「倒産」の二文字がちらつく。しかし、決済日の前日になっても銀行の動きは全くなかった。決済日の当日、破れかぶれの本庄は黙って一人で熱海にゴルフに出かけた。運を天にまかせるしかなかったからだ。

 しかし、天は本庄を見捨てなかった。正午きっかりに二億円が同社の口座に振り込まれたのである。本庄の誠意が銀行に通じたのだ。 「もうあんな思いはしたくない」。この時の教訓が慎重で用意周到な経営者本庄を形成していった。



■飽くなきチャレンジ精神で世界に布石を打つ

 東京・新宿の高層ビル群を間近くにみる伊藤園本社ビル、最上階に陣取る本庄の会長室。壁に掲げた大きな世界地図にはこれまで本庄が布石を打った世界戦略の軌跡が刻み込まれている。ヒット商品ウーロン茶の糸口となった中国福建省をはじめ、ITO―ENハワイ工場があるオアフ島。アメリカ西海岸。南半球のオーストラリアには二年前からお茶の苗木を植えている。季節の逆転を生かし、日本に十一月に新茶を持ち込もうというわけだ。数年後は日本で十一月に新茶が楽しめることになる。まさに未来への布石である。

 最近、緑茶の抗ガン作用が注目さているが、お茶の老舗として同社の総合研究所ではカテキンの研究にも余念がない。この研究は同社の次の発展の新たな道筋を導き出すだろう。

 しかし当の本人は「二十一世紀なんてとんでもない、来年すらもわからない」とけむに巻く。「私は一介の商人。一日一日の商いを通じて消費者との信頼関係を築きたい」と語る本庄だが、その裏で、さりげなくしかし、着実に未来に向けて布石を打ち続ける。



■波乱万丈の人生に悔いはなし

 この四月で六三才を迎えた本庄、伊藤園本体の社長業は八年前に実弟の本庄八郎に任せ、もっぱら社外の付き会いを受け持っている。本庄がいま心を砕いているのは今年創設したばかりの”本庄国際奨学財団“だ。これは外国から日本の大学院に留学する学生、そして日本から外国の大学院に留学する学生の中から、成績優秀な学生に奨学援助 を行い育成しようというもの。早稲田在学中、検事になることを夢見た本庄は実家の没落で夢を断念せざるを得なかっただけに、アジアの苦学生への思いは強い。成功した 本庄のささやかな社会への恩返しでもある。



■趣味が高じてゴルフ場経営

 本庄のもう一つの楽しみはゴルフ。その腕前は並みではない。ハンディ1(ピーク時)、ホールインワン八回という記録がそのプロ級の腕前を実証する。十年前から伊藤園レディーストーナメントを毎年開催、女子プロゴルファーを育成してきた。趣味が高じて四年前には千葉県茂原市に自ら設計した、グレートアイランド倶楽部をオープン、ゴルフ場経営に乗り出した。

 このネーミングは尊敬する五島にちなんで付けたという。自慢のゴルフ場に多彩な友人を招き、プレーを楽しみ、ゴルフ談義に花を咲かせるのが、本庄が最もリラックスする至福のひとときである。

「もう一度生まれ変われたとしても、同じ人生を生きたい」と語る本庄の顔には命の限りを尽くし、力いっぱい戦ってきた経営者としての満足感が浮かぶ。苦学生から自動車のセールスマン、そして伊藤園を創業、三十年で一千億円企業を築き上げた辣腕経営者は、波瀾万丈のこれまでの人生を心から満足している。

 右手にコルト(合理性)、左手に日本刀(義理人情)を携え、ビジネス戦国時代を生き抜いてきた本庄、その手法は用意周到で手堅く地道。そして内面は驚くほど繊細でナイーブである。

 本庄を核とした一枚岩としての強さは、社員をして「本庄会長は神様」とまで言わしめる。この求心力こそが伊藤園最大の強みである。本庄が燃やし続けてきた炎を弟の八郎以下、社員一人一人がどう受け継いでいくかが今後の伊藤園発展の大きなカギとなる。



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