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トピックス -企業家倶楽部

1999年10月27日

【光陽グループ特集】金融総合商社を実現、日本人の金融資産を守る/光陽グループの21世紀戦略

企業家倶楽部1999年12月号 特集第1部


日本の金融システムを根底から変える金融ビッグバン。新しい舞台には、新しい時代の担い手が生まれる。光陽グループは金融戦国時代に急速に台頭してきた新興勢力の一つだ。傘下のKOBE証券の驚異的な成長は同グループの秘めたる成長力を示す。商品先物5社を中核に証券、M&A(企業の合弁・買収)仲介会社など13社の野武士軍団を率いる川路耕一は「日本に先物文化を根付かせ、日本人の財産を守ろう」と全社に号令をかけ、世界に通用する金融総合商社の実現をめざす。(文中敬称略)

■一日に百九十兆円も動くマネー経済に果敢に挑戦

 先物取り引きのメッカ、シカゴ商品取引所――。取り引きの舞台となる立会場は午前九時の開場とともに取引員の「売り」と「買い」の注文がひっきりなしに飛び交う。ニューヨーク証券取引所に優るとも劣らぬ喧噪な雰囲気。ここは人々の欲望と欲望がぶつかりあい、死力を尽した駆け引きが展開される。


 株式、先物取引などのマネー経済で一日に動くカネは実態経済の約二十倍の百九十兆円といわれる。日本の国家予算の三倍に当たる巨額の資金が経済のひずみを目がけて瞬時に、怒涛のように世界を駆け巡る。マネー経済で生き抜くには、国際政治の動向、世界の天候、各地域の経済動向など森羅万象を正確に予測する先物感覚が要求される。


 研ぎ澄まされた先物感覚が図に当たれば、巨万の富を築き、逆に寸分でも狂えば、たちまちマネー経済のエジキとなる。日本の投資家、経済人がこの先物感覚に乏しかったため、バブル経済の大波にのまれ多くの資産を失った。


 世界一の債権国であり、千二百兆円の金融資産を有する日本経済は二十一世紀、否応なくマネー経済の只中に進まざるを得ない。金融の自由化、それに伴う金融機関の大再編成は来たるべきマネー経済参入の序曲に過ぎない。


 商品先物五社、KOBE証券、M&A仲介のTOKYO企業情報など十二社で構成する光陽グループは金融ビッグバンの幕明けを機に国際金融商社実現に向けて今、スタートを切った。同グループを率いるのが総帥の川路耕一。川路は創業間もない頃、シカゴ商品取引所を訪れ、そのダイナミックな動きに圧倒されるとともに、「いつか日本でも先物経済が表舞台に躍り出、証券、銀行、保険、商品取り引きの垣根が取り払われる時代が来る」と予見、国際金融商社の創設を心に誓った。今、正にその時が訪れ、川路の活動にも拍車がかかる。



■主要五社の幹部会で激を飛ばす

 八月二十八日。この日は土曜日というのに川路は朝から忙しい。毎月末に開く主要五社の幹部会議に出席、各社で約一時間、檄を飛ばす。


 午前中に三晃商事、ミリオン貿易の営業会議に出席したあと、午後十二時三十分、光陽グループの中核会社、日光商品の幹部百十人が出席する会場に川路が姿を現わした。小柄だが、両手を大きく振って足早に歩く姿はかつての田中角栄をほうふつさせる。川路が着席すると、場内に一瞬、緊張感が走る。司会者が静寂を破るように号令をかける。「全員起立、礼! それでは只今より、九月の営業会議を始めます。はじめに川路会長のお話をうかがいます」
 正面の壁に「株式公開必達目標。残玉二十万枚、総預り二百億円、委託者数五千名」の目標が掲げられている。その目標を背に川路は静かに語り始める。


「商品先物からスタートした光陽グループは今、正に国際金融商社に脱皮しようとしている。そのために、商品五社の持株会社を二〇〇三年に株式公開する。ただし、先に公開した同業他社の株価と同程度なら、やらない方がまし。われわれは圧倒的な力をつけて、公開する。そのためには、五社で残玉二十万枚、総預り二百億円を達成しなければならない。そして、お客様に喜ばれる、商品先物、証券、M&Aを中核にした国際金融商社をつくる」。野太いが、どこかに明るさと暖かみのある声で、一語一語噛みしめるように語りかける。



■日本人のカネは全部ニューヨークに持っていかれる

「米国の現在の繁栄は先物感覚があったからだ。日本人がせっせと稼いだものは全部、ニューヨークに持って行かれている。日本人も先物感覚を磨いて、欧米諸国に負けないようにしないといけない。日本経済は昨年十月、日経平均が一万二千円台に落ち込んだ時点で大底を打った。これから株価は上昇を続け二万五千円を超える。株価は常に一年か二年先を読んで動く。大衆が好景気を感じた時はもう七合目に達している」と日本経済が上昇気流に乗ったことを告げる。そして最後はいつもの金融総合商社論だ。「上がったものはさがり、下がったものは必ず上がる。各界のリーダーはこの先物感覚を身につけなければならない。われわれは外資に負けない金融総合商社をつくり、日本経済の発展に貢献しよう。そのためにも、今掲げている目標を必ずクリアしなければならない」。先物感覚の話になると、川路の口調に熱がこもる。


 四十分ほどで話を終えると、次の営業会議に出席するため、東京・人形町の三貴商事本社に向かう。午後二時半きっかり、三貴商事の幹部会が開かれる。川路はここで商品先物業界の再編成について語る。


「これから商品先物業界は自由化が進み、業界再編成の時期を迎える。専業八十社、それに商社を含めると百社になるが、近い将来、数十社に集約されるだろう。わが社は圧倒的な業績を背景に仲間をわが陣営に迎える。幸い、三年前にKOBE証券が仲間に入り、M&A関連ではTOKYO企業情報をつくることが出来、神様は金融総合商社の段取りをつけてくれた。来年は創業二十年目になる。二〇〇〇年の歴史的節目で、皆んなで約束したことを達成してほしい」


 午後四時、五番目の内幸町にあるKOBE証券の幹部会に出席する。同社は三年前に兵庫銀行系列の丸起証券が光陽グループ入り、社名をKOBE証券に変更した。当初は証券不況の中で業績が低迷したが、今春、野村証券大森支店長だった市村洋文を迎えて、急成長、預かり資産が八百億円から一兆円に拡大、マスコミの注目を集めている。予想以上の好業績に川路の話し振りは檄を飛ばすというより、慰労に近い。



■和製ソロモン・スミス・バーニーをめざそう

「この半年間は最高の成績をあげてくれてありがとう。KOBE証券に対する中傷記事も出るようになったが、負けたら天下は取れない。先物の会社もKOBEに刺激されて頑張っている。金融総合商社、そのリーダーはいつの間にかKOBEになってきた。和製ソロモン・スミス・バーニーを目指して頑張ろう」


 午後五時、中核五社の営業会議のスケジュールがすべて終了した。さすがに精かんな川路の表情にも疲労の色が濃い。何ごとにも真正面から全力でぶつからないと気が済まない性格。叱る時は本気で叱り、ほめる時は心の底からほめる。きょうも全力投球で各社の営業会議に臨んだ。心地よい疲労感が川路を包む。十九年間、一日たりとも手を抜かずに走ってきた。そのエネルギーの源になっているのは創業時に掲げた金融総合商社実現の夢である。その夢がグループ企業数十三社、社員数千八百人、グループ経常利益二百十億円になって、現実のものになってきた。



■二〇〇二年にKOBE証券株式公開

 川路が描く金融総合商社の絵図面はこうだ。光陽グループは現在、別図のように、商品先物五社、証券一社、M&A仲介会社一社を中心に十三社で構成している。この十三社を有機的に結びつけ、企業および個人の、あらゆる金融の相談事に応じられる”金融のホームドクター”をめざすのが基本戦略だ。


 金融界は銀行、証券、生損保、商品先物の垣根が取り払われ、銀行が証券会社を、証券会社が銀行を経営することが可能になった。また、手数料自由化で価格競争が激化する。現に、インターネットで株式の売買を仲介するニュービジネスが登場、米国では一回の手数料が一律五ドルという証券会社も現れた。しかし、過度の値下げ競争は企業の疲弊を招き、米国ではディスカウントブローカーの七〇%が倒産しているといわれる。


「われわれは値下げ競争には巻き込まれない。お客様の資産をお預かりして、”総合病院”としてお客様のあらゆるニーズに応えていく」というのが川路の基本戦略。たとえば、上場企業の場合、余剰資金の運用、株価対策、保険、M&A、企業年金など、各企業で発生するあらゆる金融関連の相談事に応じる体制をつくり上げる。また、個人の場合、子供の教育費から住宅購入、投資、老後の資産運用まで手助けするファイナンシャルプランナーをめざす。


 そのためには、グループ力をこれまで以上に強化しなければならない。まず、第一弾として、将来、グループの中核企業となるKOBE証券を二〇〇二年に株式公開する。同社はこの半年間で預かり資産を八百億円から一兆円に急拡大、社員一人当たりの預かり資産額では野村証券を抜いてトップに立った。五年後に預かり資産を五兆円に増やして業界ベストファイブに入り、証券業界で揺るぎない地位を築く。


 証券業界と商品先物業界では総預り資産では約十倍の開きがあり、光陽グループが金融総合商社として世界に羽ばたくためには、何んとしても市場規模の大きい証券業界に大きなくさびを打ち込まなければならない。KOBE証券の株式公開はその布石となる。「情勢次第では一年早めて二〇〇一年になるかもしれない」と川路は語る。


 第二弾として三貴商事、三晃商事、日光商品など商品先物五社を統括する持ち株会社を二〇〇三年に株式公開する。その時の株価は「画期的な価格でなければならない」と川路は強調する。すでに公開している同業他社の株価の十―二十倍を狙っている。先物五社の経常利益は合計約二百十億円なので、川路の強気の発言もうなずける。



■高株価を武器に業界再編成を仕掛ける

第三弾としてこの高株価を背景に業界再編成に撃って出る。この十月から株式交換制度が認められた。自社の保有株式で相手企業の株式五一%購入、完全子会社化する制度である。すでに、欧米諸国では導入されており、欧米企業は同制度を活用して、グローバル企業としての陣容を整えてきた。光陽グループでも同制度をテコにグループ力を強化する。


 たとえば、光陽グループの商品先物五社の持株会社の株価が同業他社の十倍とすれば、持株会社の百万株と同業他社の一千万株を交換、相手企業を光陽グループの仲間に入れることが可能になる。すると、持株会社の株価は上がり、次のM&Aがやりやすくなる。こうして、次々にM&Aを展開する。すでに五社の預かり資産は一〇%強のシェアを有しているが、M&A作戦で業界での地位を不動のものにする。



■めざすは光陽インベストメントバンク

第四弾はM&A事業への参入。金融総合商社ともなると、顧客企業からM&Aに関連した相談が舞い込んでくる。まして、現在はリストラクチャーリング(事業構造の再編成)の時代、M&A案件は急増している。


 その要請に応えるため、光陽グループは今年六月、野村企業情報の専務だった新田喜男をTOKYO企業情報の社長に迎え、本格的にM&A事業に乗り出した。新田は野村企業情報の初代社長である後藤光男とコンビを組んで十年近くM&A事業に従事してきたベテラン。その多彩な人脈を通じて、早くも大型のM&A案件が幾つも舞い込んでいる。
 しかし、川路はTOKYO企業情報を単なるM&A仲介会社とは捉えていない。仲介業とともに、相談に来る企業の中で成長が見込める企業には自ら投資をするインベストメントバンク機能も持たせる考えだ。KOBE証券とTOKYO企業情報を有機的に結びつけ、米国の金融界で主流となっているインベストメントバンクをめざすのが川路の基本戦略といえる。


 米国の代表的なインベストメントバンクであるソロモン・スミス・バーニーはかつてはフィブロという商品先物会社が買収した小さなインベストメントバンクだった。川路はいつの日か世界を舞台に活躍する「光陽インベストメントバンク」の実現を夢見ている。
 川路がインベストメントバンクを含む金融総合商社をめざして全力疾走するのは、日本に先物文化を根付かせたいとの思いがあるからだ。日本人はモノをつくることにかけては世界一になった。しかし、モノづくりから得たカネを運用する技術は幼稚園児なみ。企業も個人もバブル期、株も土地も永遠に上がりつづけると信じ、買い漁った。その結果、売り時を見失い、大火傷を負った。


 先物業界で鍛えられた川路は八九年秋、三菱地所が米国のロックフェラーセンターを買収した時、「あのお固い三菱紳士までが外国の不動産を買うようでは、もう相場は天井だ」と判断、証券会社の制止を振り切って手持ちの株を全部売り払った。しかし、その時、株を売る人はほとんどいなかった。日本人に、上がったものは必ず下がるという先物感覚があったなら、あれほどバブルは大きくならなかったであろうし、バブル崩壊で大火傷を負うこともなかった。


 しかし、日本人には伝統的に先物感覚がない。それは徳川幕府以来の「先物取り引きはバクチ」という誤った観念が根強いからだ。資本主義経済にとって、モノの価格を標準化し、リスクをヘッジ(回避)する先物市場は証券市場とともに重要な社会システムの一つである。米国ではシカゴにシカゴ商品取引所とシカゴ・マーカンタイル取引所という二つの取引所が競い合い、農産物、工業製品、さらに金融商品まで先物取り引きを行っている。つまり、先物市場が経済の中で大きな地位を占めている。


 ところが、日本では、先物取り引きはバクチという誤った考えから、先物取り引きは経済の片隅に追いやられ、仲介する取引会社も肩身の狭い思いをしてきた。そのトガメが先物感覚の欠如として現れ、日本経済はバブル経済の崩壊によって、大きな痛手をこうむった。「日本人が汗水たらして稼いだカネを全部ニューヨークに持っていかれた」と川路は歯ぎしりする。


 マネー経済が益々拡大する二十一世紀に日本人と日本企業が生き残るには先物感覚が是非とも必要となる。「そのために光陽グループは世界と互角に戦える金融総合商社をつくり、日本人の財産を守る。それが先物業界に身を置く者の使命である」と薩摩勇人の川路は語気を強める。


 川路は高校を三年で中退、鹿児島から夜行列車で福岡に着き、商品先物会社に就職した。東京オリンピックが開催された六八年のことである。一時、客を喰い物にする先輩社員の態度に嫌気がさし、広告会社に身を転じたが、再び先物業界に舞い戻った。


 営業マン時代もらつ腕で鳴らしたが、支店長になって、指導者としての才能を発揮した。不振店を次々にトップ支店に改造したのである。その立て直し策がユニークだ。


 支店長の川路はまず、社員寮の寮母を味方につける。寮母に支店の現状を話し、寮生を励ますように依頼する。そして、帰り際、当時のカネで一万円置いていく。これが効く。寮母はすっかり陰の支店長になり、成績の良い寮生には、ねぎらいの言葉をかけ、業績の振わない社員には励ましの声をかける。また、早朝出かける者には、早起きしておにぎりをつくってあげる。寮全体が家族のように一丸となって、業績向上に努力する。苦労人の川路はどこを押せば、人はやる気を起こすかを熟知していたのである。


 無類の気配り人間には人が集まる。八〇年、常務の時に思うところあって、退社したところ、五十七人の部下がついてきたため、川路の運命が変わった。やむなく光陽グループを設立、独立の道を歩むことになった。そして、持ち前の気配りと明るい人柄で赤字の商品先物会社を次々に買収、時にくやし涙を流し、時に部下と肩を抱き合ってうれし涙を流しながら、現在の光陽グループを創りあげた。


 M&A戦略で急成長を遂げる、といえば、強面(こわもて)の経営者と見られがちだが、素顔の川路はいたって律儀で明るい性格の持ち主。そして経営方法は大胆というよりはむしろ細心な方だ。毎朝、成績順に並んだ各社の前日の業績表をにらんで、一喜一憂することもある。KOBE証券が買収後二年間、業績が低迷した時は、頭髪に神経ハゲができるほど悩んだ。臆病なまでの細心さが浮き沈みの激しい商品先物業界で生き残ってきた大きな理由である。そして、創業十九年にして、ようやく金融総合商社を実現する入口までたどりついた。


 しかし、世界に通用する金融総合商社にいたるまでには幾つかのハードルが待ち構えている。一つは千八百名の光陽グループ社員のレベルアップ。厳しい教育によって、苦しさに耐える忍耐力やチームワークは他社に負けないものがあるが、金融知識など技術の面ではまだ万全とはいえない。金融界は高度の数学などを駆使する高度知識産業になっている。川路は「全社員にファイナンシャルプランナーの資格を取らせるなど、スキルアップに全力を尽くす」と社員の情報武装化に力を注ぐ考えだ。将来的には欧米の優秀な人材導入も視野に入れなければならないだろう。


 第二はKOBE証券を名実共に大手証券に匹敵する証券会社に育てること。預かり資産は一兆円になったものの、「まだ本当の地力はついていない」と名誉会長の豊田善一は自社の課題を指摘する。そのためには、商品開発力の強化が必要。KOBEでは、世界ナンバーワンの投資コンサルティング会社と提携、「お客様に喜ばれる金融関連商品を開発していく」(豊田)という。


 第三は銀行経営。金融総合商社を標榜する以上、銀行経営は欠かせない。川路は「現在の商品、証券、M&A仲介業務を充実して行けば、自ずと銀行業務も手がけられるようになる」と読んでいるが、どこかの時点で地銀クラスの銀行買収という劇的場面を迎えるかもしれない。その時、川路の決断が見ものだ。


 今年一月十五日、光陽グループでは都内のホテルで恒例の新年祝賀会を開いた。川路は冒頭の挨拶で千八百人の社員を前に次のように抱負を語った。「天の時、地の利、人の和を得て、金融総合商社実現の時が到来した。堂々と、わくわくしながら王道を歩こうではないか!」


 金融ビッグバンの大海原に漕ぎ出す光陽丸の行く手には幾多の試練が待ち構えているに違いないが、宙をにらんだ川路の双眸には、あらゆる困難を乗り越える気迫と自信が漲っていた。



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