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2016年05月13日

蜷川幸雄が発掘した藤原竜也【弊誌独占】

企業家倶楽部1997年7月号 ホリプロ特集第2部


浮き沈みの激しい芸能プロダクション業界。新興企業が夜空の花火のようにパッと咲いては消えて行く中で、ホリプロは創業以来、37年に亘って業容を拡大してきた。その裏には、「普通の会社でありたい」という堀威夫の執念を軸に、独特のタレント発掘法、1人のタレントに頼らない「25%経営の論理」など、挫折の中で練り上げた緻密な経営手法が隠されている。表舞台を知り尽くした本物のプロの強さを徹底分析する。

 



■人間発掘に命を賭ける

 今年のゴールデンウィークの真っ只中の五月三日、東京の目黒区民センターには、十五歳~二十五歳までの明日のスターを夢見る青少年三百人が詰め掛け、真剣な目差しで舞台を見つめていた。舞台ではホリプロ主催の話題の演劇『身毒丸』の主役のオーデションの真っ最中。

   五千人を超える応募者の中から、書類選考に合格し、この日の予選に臨めたのは六百人だけだ。予選の選考は三百人ずつ、三日と四日の二日間かけて行われた。観客席に座り、自分の出番を待つ選手の胸元には申し込み順のゼッケンが掲げられている。「3番、18番、55番、127番」飛び飛びのゼッケン番号が、大変な激戦を勝ち抜いてきたことを示す。

   午後二時、台詞のテストが始まった。「名前を呼ばれた人は前に出て、演じて下さい。自分の感じたままでいいからね、自由に表現して下さい」。

   緊張でコチコチになった長身の二十歳の青年が審査員の中央に立つ。『まなざしのおちゆく彼方ひらひらと蝶になりゆく母のまぼろし』

   寺山修司の戯曲を日本が誇る演出家、蜷川幸雄が演出し、超話題作となった『身毒丸』の中の慈悲心鳥の一節が今回の課題。審査員の後ろに掲示されたカンニングペーパーに時折、眼を走らせながら、自分を表現する青年。最初は小さな声でボソボソとした台詞も後半になると落ち着きを取り戻し、役にはまってくる。

   それを食い入るようにみつめる審査員の真剣な眼差し。息詰まるほどの緊張感。挑戦者と審査員との真剣勝負だ。一人三分の審査時間で彼等の持つアーティストとしての資質を一瞬の内に見抜く。ホリプロスタッフのプロのスカウトマンとしての眼が光る。

   自分の出番を待つ茶髪の少年の顔が緊張でこわ張る。深呼吸で自分を落ち着かせようとする者。ジッと空を見つめる者。各々が初めて体験する緊張と戦っている。どの顔もスターへのチャンスを掴もうと必死だ。審査員の方も五千五百三十六人の中からなんとか光る玉を見つけ出そうと気合いが入る。この六百人の中から栄冠を勝ちとるのは誰か!張り詰める空気が今、忘れ去られてしまった若者の人生への挑戦意欲をかきたてる。

   「演劇経験はなくても構わない。私たちは手アカがついていない真っさらな素材を発掘したいのです。評価のポイントはその子が持つ何か訴えるもの、もう一度会ってみたいと思わせる力、そして本人のヤル気です」とこの日の審査員の一人、宣伝部長の鈴木克己は語った。

   五月五日、世田谷区用賀にあるホリプロのスタジオで本選が行われた。審査員席には『身毒丸』の演出を手掛ける蜷川幸雄を真ん中に、共同主催のフジテレビジョンの編成局次長、マガジンハウス『ポパイ』の編集長、演劇評論家の松岡和子、ホリプロから専務の金森美弥子、プロダクション第一部長の鈴木基之らがずらりと並ぶ。素材を見つめるプロの眼は一段と鋭さを増す。一次審査をパスし、二次審査に臨んだのはたったの六人。昨日の予選とは打って変わって本番さながらの演技テストが繰り広げられる。

   スポットライトを浴び、『身毒丸』になりきって演ずる挑戦者。これが昨日の若者かと見違こうほどの上達ぶりだ。たった一日でこれほどまで『身毒丸』になりきれるとは。まさに五千五百三十六人からここまで絞り込んできたホリプロ担当者の審査員としての眼力の鋭さ、正確さが証明される。

   六人の演技が終了すると直ちに審査員全員による討議が開始される。「○○番はどうですか」。「いいね、彼のあの勘の良さ、表現力は天性のものだね」。この日、見事にグランプリに輝き、『身毒丸』役を勝ち取ったのはまだあどけなさが残る十五歳の少年だ。審査員全員一致で推薦された。「現代は自閉症的な若者が多いが、彼にはそうした怯えは全くない。伸びやかで今時珍しいくらいの清々しさがある。それにあの吸収力と表現力は天性のものだ、まれにみる逸材だね」。と絶賛する蜷川の口元がほころぶ。

   数カ月間このオーディションにかけたきたホリプロのスタッフの顔も期待以上の原石を発掘できた喜びで興奮気味だ。この幸運を手にした藤原君は埼玉県に住む普通の高校生。東京池袋で友人と買い物をしているところをホリプロの女性スカウトマンの目に止まった。この日、十五歳の少年の輝かしい未来が始まった。そして、スタジオには最高のダイヤモンドを発掘した喜びと興奮が渦巻いた。


■人間発掘に命を賭ける

■タレントスカウトキャラバン隊の育成

 ホリプロのタレント発掘には定評がある。今から三十年前、大阪のゴーゴー喫茶に歌のうまい女の子がいると聞くや、すぐさま駆け付けた堀威夫は、エルビスのナンバーを歌う大柄な少女の馬力のある歌声にゾクゾクとするものを感じ、その場でスカウトした。堀の目に狂いはなかった。この少女こそが後のホリプロの看板歌手、和田アキ子である。

   ホリプロを芸能プロダクションとして大衆に認知させたのは、抱えるタレントの活躍もあるが、新人発掘企画として名高いポリプロ・タレント・スカウトキャラバン隊(TSC)である。創立十五年目までは人に任せたくないという気持から、一人で日夜奔走していた堀は、自分と同じ目線で卵を発掘できる社員を育成しようと、タレントスカウトキャラバン隊を組織した。自分一人では寝ずに頑張っても二十四時間しかないと気付いた四十二歳の時だった。これを機にホリプロは組織経営へと踏み出した。この人材発掘企画には毎年売り上げの五%を投じ、全国レベルで展開している。

   揃いのブレザー姿で全国を駆け巡るキャラバン隊は新人発掘だけでなく、ホリプロの社名を全国に認知させる格好のチャンスとなった。折からのテレビ全盛時代、初年度の七六年の応募者はなんと五万人を越えた。その中から第一回のグランプリを獲得したのが、人気タレント榊原郁恵である。その後、荒木由美子、堀ちえみ、井森美幸、山瀬まみ、鈴木保奈美とスターたちを産み出した。

   堀の素材鑑定の三要素は「目、歯、声」。目はやる気を、歯は健康、大きな声は人に訴えるプレゼンテーション能力表す、という今テレビ業界で活躍している女性タレントはTSCでこの基準を本に選ばれてきた。TSCは今年で二十二年目を迎えるが、女性タレントの登竜門としてい今や不動の地位を築いている。そして、毎年、若き才能がスターへの階段を駆け上がる。

   この組織力による人材発掘力、人間発掘力がホリプロの最大の強みである。芸能プロダクションにとっては人間そのものが商品。それだけに発掘にかける社員の情熱は並々ならぬものがある。昼夜問わず町に出ては人材発掘に命を賭ける。こうした社員一人一人のプロとして鋭い眼差しが、ホリプロの金鉱を掘り当てる。


■タレントスカウトキャラバン隊の育成

■表舞台から裏方へ…試練を越えて

 今でこそホリプロは芸能プロダクションとしては不動の地位を築いているが、ここまで行き着くには幾多の試練があった。

   ホリプロを強烈なリーダーシップで率いてきた堀威夫は、かつては自らがギター奏者としてスポットライトを浴びる、売れっ子のミュージシャンであった。大学時代は「ワゴンマスターズ」のリードギター奏者として活躍、卒業後は「キャクタスワゴン」のリーダーを務め、二年後には二十四歳で「堀威夫とスイング・ウエスト」を結成、カントリー&ウエスタンの第一人者として当時売れっ子スターであった。この時の体験と幅広い人脈が、ホリプロの大きな財産となっている。創業当時バンドボーイとして下働きをしていたのが、ホリプロ最初のスター、守屋浩であることは有名だ。

   一九六〇年、堀は長男誕生を契機に一大決心し、スポットライトを浴びる表舞台から裏方へ転身した。

「引き際を逸し、年老いたボロボロのミュージシャンにはなりたくない」という、美学ともいえる堀の人生観によるものであった。二十七歳の若さで芸能プロダクション、東洋企画を起こし、専務イコール実質社長として、順調に滑り出した直後、会社を追放されるという事件に見舞われた。当時、名ばかりの社長が、堀の経営方針に腹を立て、法的代表権を振りかざし、専務としての座は勿論、事務所から事務用品にいたるまで全てを没収し、裸で放り出したのである。

   堀は、この時はじめて代表権とは、株式会社とは何かを、身をもって理解した。若くて血気盛んな堀は、すぐさま「堀プロダクション」を設立、今度は名実ともに社長として再スタートを切った。若気の至りとはいえそれまで表舞台しか知らなかった堀にとって高い授業料であった。

   その後、ホリプロは舟木一夫でその名を売り、スパイダース、ヴィレッジ・シンガーズ、パープルシャドウズ等グループサウンズで時代の波に乗り、大ヒットメーカーとして、その名を売った。しかし、再び試練に見舞われる。当時守屋を抜いて看板スターの座についたばかりの舟木一夫が独立を申し入れてきたのだ。しかも悪いことに二番手の守屋浩が飲酒運転で逮捕されるという事件が勃発した。芸能プロにとって看板商品がいなくなることは死活問題。堀は特定のスターに頼ることの危険性を嫌というほど痛感した。


■表舞台から裏方へ…試練を越えて

■25%経営のリスクマネジメント

 堀はこの時の経験から「どんなに成功していても、一人のタレントの売り上げ比率を二五%以上にしない」という二五%経営を実行するようになった。「一人のスターより、凡人集団がプロダクション経営の理想」と公言、そのおかげで、山口百恵が結婚・退社する時は余裕をもって迎えられた。花火のような一発勝負の成功ではなく、永く継続させる持続性こそが、浮き沈みの多い芸能界にこそ重要、とする堀の戒めでもある。

   この二五%経営の論理は同社の多角化路線にも貫かれている。ホリプロを核としたグループ企業も、一社の収益が二五%越えてはならないと戒め、多角化に向けて着々と布石を打つ。

   八九年ホリプロとしては初めて米国に現地法人「ホリプロエンターテイメント」を創設、著作権関連ビジネスに乗り出した。米国の人気ロックグループ『KISS』の出版権やカントリー音楽の出版権を獲得。ホリプロが所有する音楽著作権は今や一万曲を超える。ホリプロにとってこの著作権ビジネスは水ものと言われる同社の体質を安定企業へと変身させる大きな切り札となる。また、九二年には、サクラヤ商事を買収、宝石やアクセサリーなどの小売り事業にも乗り出した。こうした堀の経営者としてのバランス感覚が、強風にしなる青竹のように、しなやかで強い同社の社風を育んでいる。


■25%経営のリスクマネジメント

■普通の企業を目指す

 一九八九年二月二十二日、兜町では芸能。プロダクションのホリプロが店頭公開を果たしたという話題で持ちきりだった。当時世間は「芸能界は訳の分からぬ特殊な世界」という色眼鏡で見ていたのだから、話題になるのも無理はなかった。

   この株式公開の裏には、堀が忘れようとしても忘れられない一つの苦い思い出がある。長男の一貴(現ホリプロ取締役)が有名私立小学校に入学する時のこと。親子面接で堀が職業を名乗った途端、試験官の先生たちが一瞬困惑した表情を見せた。「自分はともかく社員にはあの悔しい思いはさせたくない」。このときの思いが、普通の企業をめざすきっかけになった。

   そして今年二月、ホリプロは東証二部上場を果たした。堀の芸能界だからという甘えを許さず普通の企業たらんとする、バランス感覚とマネジメントカが芸能プロとして同社ををここまで高めてきたといえる。


■普通の企業を目指す

■芸能プロから”人間産業“へ脱皮

「芸能プロは人間が主体だけに省力化できない限界産業」と堀は分析する。このままでは売り上げ百億円が限界、と行き詰まりを感じ、「芸能プロではなく文化をプロモートする”人間産業“」の理念を掲げ、限界を取り払った。人間に係わることは全てプロモートしようという試みで、まずは「文化事業部」を創設、堀が自ら文化事業部長として新規分野の開拓に着手した。ライブトークからスタートした文化事業部は、榊原郁恵で有名になったミュージカルのピーターパンの制作・公演。プロスポーツ選手や文化人のマネジメントと、ホリプロの新領域を広げている。これらの様々な文化イベンーや制作・企画はホリプロ独自の新分野として他の芸能プロダクションとは一線を画す。



■早めに仕掛けて失敗せよ

 「同じ失敗なら早めに仕掛けよ」堀はことあるごとに社員に檄を飛ばす。「ソフト産業に身を置くものは常にセンシティブでなければならない」という堀の哲学は、自由闊達な社風を醸成し、いやがおうでも社員の挑戦意欲をかきたてている。デジタル情報化時代を迎えて、いち早くバーチャル・タレント「伊達杏子」の作成に乗り出したのも”先駆け“の精神から来ている。



■女性を戦力化し、変化の時代へ対応

 堀は「これからは女性を戦力化できないソフト産業は滅びる」と明言、女性の登用、戦力化に熱心に取り組む。その先陣をきっているのが文化事業本部の本部長として活躍する専務の金森美也子である。金森は文化イベントやライブトーク、ミュージカルや演劇の企画・制作などを一手に引き受ける。この秋上演の話題作『身毒丸』も金森が手掛けている。

   昨年の女性幹部候補生募集には、一流銀行や有名家電メーカーに勤める現役の女性ら六百人もの応募があった。彼女たちの「今の仕事に不満はないが、ホリプロで新たなチャレンジをしたい」という志望動機が、ホリプロが芸能プロから、様々なエンターテイメントをプロデュースする人間産業としてすでに認知され、期待されていることを証明する。

   これからのソフト産業には理屈ではなく、好きか嫌いかを価値基準とする、女性独特の判断基準と柔軟性が欠かせない。女性の感性と知恵を武器に、変化の大波を乗り切ろうという堀は、時代の風を味方に帆を高く掲げ、大衆という波間をすべるように前進する。



■青春を胸にプロの道を極める

 堀は常に「プロとは何か」と自分に問いかける。そして導きだした答は「プロとは自分に永遠にテーマを与え続ける人」。「これからは単に可愛いいとか、歌が上手だけでは大衆に飽きられる。その人間が持つ人間性、社会性が求められる時代。それにはタレントもマネージャーも、一人一人がプロとしての自覚が必要」と、タレントをアーティストと呼び、プロとしての自覚を促す。

   座右の名は四十歳の時に出会った、サミュエル・ウルマンの詩『青春』。堀はその中でも『理想を失う時に初めて老いる』の一節が好きで常に持ち歩く。これはあたかもポパイのほうれんそうのように、勇気とエネルギー与える特効薬だ。「感動は人間を動かす最も良質なエネルギー」と説く堀。それだけに自分が感動できない人間に、人を感動させるアーティストの発掘や育成は不可能と、最近の不感症気味の若手社員を憂う。

   自らの仕事に誇りを持ち全力投球でき、且つ人間としての温かさ、深さ、まろみを併せ持つ社員をどう育成するか、そして大衆を感動させられるアーティストをどれだけ発掘できるかが、これからのホリプロの課題である。人間がテーマのこの世界、プロデュースする側も演じる側も最終的には人間として魅力がなければ大衆に見捨てられる。

   戦後の芸能界の全てを見守り続け、今年六十五歳を数える堀、夢の達成率はまだ半分と語る。『青春』を片手に”人間産業“という果てしない目標に向かって挑み続ける。

   堀のこのひたむきな生きざまは社員一人一人に浸透し、共に感動創造企業を創り出す。大衆と共に泣き・笑い、大衆と共に歩むホリプロの二十一世紀戦略はまだ始まったばかりだ。



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