• トピックス
  • 企業家倶楽部
  • バックナンバー
  • 企業家チャンネル
  • 私の注目ニュース
  • 新商品コーナー

トピックス -企業家倶楽部

2014年10月31日

「怒涛の経営再建」を終え「第3の創業」に燃える/東日本ハウスの21世紀戦略

企業家倶楽部2014年12月号 東日本ハウス特集第1部


東日本ハウスはちょっと硬派の大手注文住宅メーカー。成田和幸は12年半前の2002年春に社長に就任した。その時、同社は多額の負債を抱え、経営危機に直面していた。新社長は営業強化、不採算部門の切り捨てなど、“ 大手術”を敢行、窮地を脱した。現在、東証1部に昇格、年間利益50 億円を確保するなど活力を取り戻しつつある。成田はいかにして、同社の立て直しに成功したのか。怒涛の12年半を振り返るとともに、グループ力を強化する「第3の創業」を展望する。( 文中敬称略)

 



炎の営業決起大会

 JR東日本盛岡駅から西へ約30キロ、「ホテル森の風鶯宿」が姿を現した。西欧の古城をイメージした東日本ハウスグループの拠点ホテルだ。その大会議室で東日本ハウスグループの第46期営業決起大会が今しがた始まった。全国から404名の精鋭が集まった。

 壁には(9月と10月の2ヶ月で)東日本ハウス130億円など目標数字が所狭しと貼ってある。体育会系の統制のとれた営業大会である。

 2014年8月末、午後1時、主事の阿部福義の司会で始まった。張りのある声である。まず、社長訓示。 大柄な体格の成田が壇上に立つ。迫力のある声で「消費増税は思ったより逆風だ。口から泡を吹かすくらいの熱意をもって営業してほしい」と檄を飛ばす。

 随所に雷も落とす。

「3カ年ビジョンを作れない統括店長は(ポストを)降りろ。会社の方針を共有できない社員は会社を去れ!」。成田は3ヵ年ビジョンを創るように日頃から指導している。ビジョンを語れない支店長は失格という信念がある。

 2日目は朝6時から恒例の騎馬戦が予定されていたが、昨夜来の雨でグラウンド不良となり中止になった。全体会議は朝8時45 分から始まる予定だったが、8時30分には全員揃ったため、定刻より15分早く始まった。同社ではよくあることだ。

 ロールプレイングコンテストという客と営業マン模擬競技をこなしたあと、ハイライトの支店長営業報告となった。60人近い支店長が8月の受注高と9月の見込み受注高を1人ずつ発表する。大半は威勢のいい報告が続くが、中には成績の優れない報告もある。

 そんな時は成田の表情も厳しくなり、ひと言かける言葉も険しくなる。「9月の数字は見込みがあって言っているのか。9月も8月のような数字では承知しないぞ!」と叱責する。

 本当は支店長たちの報告をほめてあげたいところだ。しかし、業績の悪い支店長をほめるわけには行かない。成田は心を鬼にして容赦ない言葉をあびせる。

 こうして、2日間の営業決起大会が終わった。営業幹部にとって2日間は濃密な時間であっただろう。自室に戻った成田は来期(2015年10月期)の計画に思いを馳せるとともに、社長に就任してからの怒涛の12年半を静かに思い返した。



茨の道の社長就任


「次期社長を受けて欲しい」と言われたのは2002年2月のこと、いずれお鉢が回って来ると覚悟は出来ていたので、承諾の返事をした。しかし、直後に監査役の言葉を聞いて驚いた。

 負債額が680億円あるというのだ。2002年10月期売上高は917億円だから、75%程度の負債と言えばそれまでだが、表向き超優良企業と言われていた東日本ハウスとしては財務的には現金はなく、いつ倒産してもおかしくない状況だった。

 副社長の室田義男は「社長を返上しましょう」と言ったほどだ。しかし、男がいったん「お受けします」と言ったものを取り消す訳には行かない。どんなに厳しくとも逃げずに突き進むことを信条にしてきた。「よ~し、この難局を何とか乗り越えよう」と成田は腹を括った。

 表向き超優良企業と言われた東日本ハウスはなぜ、急激に業績が悪化したのか。ひと口に言えば、多角経営の失敗である。破竹の勢いで伸びる東日本ハウスにはいろいろな買収話や提携話が持ち込まれた。

 国内では、ホテル事業とビール事業を始めた。ホテル事業では、1980年のホテル東日本盛岡を皮切りに事業に乗り出し、ホテル森の風鶯宿(岩手県)、ホテル東日本宇都宮などを次々に開設した。ホテル森の風は本格的なリゾートホテルで、けんじワールドというレジャー施設も95年に竣工した。

 けんじワールドは岩手県が生んだ偉人、宮沢賢治にちなんだ名称で、総事業費はホテルとけんじワールドで、250億円。2万3000平方メートルの敷地に最高1.5メートルの高波の出るプールや300メートルの流れるプール、最新設備を誇るプラネタリウムなど東北地方にはなかった大型施設を造った。96年には29万人の入場者があり、盛況だったものの、その後は尻すぼみになり、2010年から2013年の直近4年間の平均入場者数は13万5000人に留まり、赤字が続いた。


 茨の道の社長就任

けんじワールドはフラワー&ガーデンに衣替え

 このため、2014年7月にけんじワールドを取り壊し、跡地に「フラワー&ガーデン森の風」という本格的なガーデニング公園を造った。チェルシーフラワー賞で金賞を獲った石原和幸監修による、世界最先端の庭である。

 ホテル事業以上に惨状を極めたのはビール事業。94年、当初は岩手県沢内村の村おこし地ビールとしてスタートしたが、フルーティーな味で美味しい。

 ひょっとすると、大きな事業に育つのではないかと思い、「銀河高原ビール」として全国に生産工場と販売網をつくった。その頃、創業者中村功は「日本を変えよう」と政治活動も展開していた。

「ビール事業と政治運動を合体できないか」と考え、地方の中小企業の社長たちに「銀河高原ビール」の販売権を与えた。アサヒビールなど4大メーカーに次ぐ第5のビールメーカーを目指した。

 
 97年7月に飛騨高山工場(醸造量年間1万kl)、阿蘇白水工場(同1万kl)、98年7月には那須高原に年間4万klのビール工場と1200席のレストランを建設した。



ビール事業も縮小

 しかし、ビール業界の販売競争は厳しく、サントリーさえも最近までビール部門は赤字と言われるほどの激戦区。東日本ハウスのビール事業は苦戦を強いられた。2002年6月に飛騨高山工場を8億円で、2006年10月に那須工場を4億6800万円でそれぞれ売却、今では沢内村の工場を残すだけとなっている。

 海外の多角化はさらに惨めだった。米国での農場、競馬場購入については、常務だった成田たちにも全く知らされていなかったという。

 こうした多角経営が裏目に出て、業績は急速に悪化して行った。成田が社長を引き受けた時の2002年10月期の経常損益は8億5100万円の赤字、株価は140円まで下がっていった。成田は業績悪化のドン底で社長の重責を担うことになった。

 金庫はカラッポどころか、680億円の負債があり、3年後には債務超過に陥った。その為主力銀行のみずほ銀行に相談にいった。銀行はみんな逃げて、みずほ銀行しか残っていなかった。

 みずほ銀行の担当常務いわく。「債務超過で5億円増資が必要ということだが、みみっちいことは言うな。もっと大きく、増資40億円ぐらい調達しなさい」と指導を受けた。

 調達の方法はあるファンドから40億円の増資に応じてもらい、その後、別のファンドから40億円、合計80億円。これで一応、資金面の心配はなくなった。

 2番目は、不採算部門の整理である。海外事業は全部売り払い、国内のビール事業は沢内工場だけを残し、那須、飛騨高山の工場は売却した。全国販売のビールから富裕層向けの高級ビールに衣替え、「今期は4000万円の経常利益が出る」(横川一雄銀河高原ビール社長)までに回復した。

 ホテルの事業も大ナタを振い、レジャー施設けんじワールドを壊し、2014年7月末、ガーデニング公園に造り替えた。高齢者人口の増加に合わせて、事業構造を変えたのだ。

 不採算店舗を3割閉鎖した。最盛期78店舗あったのを56店舗に縮小した。「人員も整理したので実感としては約2分の1に縮小した感じだ」(成田)という。社員数は2800人から1800人に削減した。現在は1350人(ハウス単体)体制になっている。

 日本の住宅市場(新規着工)は2006年の129万戸(持家35万8000戸)から2013年は98万戸(同35万4000戸)に落ちている。東日本ハウスでは売上高至上主義から利益重視に切り替えて難局を乗り切っている。



「箱根塾」で営業マンを鍛える


 3番目は営業強化。成田は歴代1位の生涯受注実績532棟という輝かしい実績を持ち、営業在籍14年半で金バッジを29回連続して獲得した花形営業マン。エンジニア営業と言って、その場で客の要望に応じた図面を描くのである。幸い成田は建築学科の出身で、図面を描くのは得意だった。その成田からみると、「わが社の営業マンの力は落ちている」と映った。

 社長就任直後の2003年1月から「箱根塾」という2泊3日の合宿を実行した。1月から4月までの1番寒い時期の4ヶ月間、同社の保養所で火曜と水曜、水曜と木曜の2回に分けて、毎回20人ずつ合宿する。3年間、1802人の社員を参加させた。

 すべて成田が講師を務めた。「会社の思想の確認」「人生をどう生きるか」を考えてもらう。教材にはジェームス・アレン著の『「原因」と「結果」の法則』という成田の愛読書を使った。この本は「清い、いい思い」や「意義ある目標を持つ」ことが大切であると教えている。

 成田は社員とともに食事をし、酒を酌み交わした。食事はすべて成田が用意した。学生時代に軽食喫茶店でアルバイトしたことがあり、料理は得意だった。20人分、夜はビーフシチューにサラダ、朝は5時に起きてご飯を炊き、味噌汁と焼き魚を作った。



3カ年ビジョンをつくらせる

 「箱根塾」では最後に研修の感想文と自分の3ヵ年計画を書いてもらった。人間には「思い」が大切だが、ただ思っているだけでは進歩がないので、その思いを実現するためのステップを考えてもらうため、3ヵ年計画を立ててもらう。

 社員の中には年間5000万円の販売実績から3倍の目標を掲げてくる営業マンもいた。成田にとっては頼もしい気もするが、本当に実現可能かも考えさせなければならない。3倍にするには、何組の客に対応し、何棟契約しなければならないか。果たして、それは実現可能なのか、成田は1人ひとりの社員と向き合って話し合った。

 「目標はあまり高みを目指して重くなりすぎてもいけない。といって、必ず達成しなければと凝り固まってもいけない。5つのうち3つ達成できたらバンザイと窮屈にならないことが肝要」と成田は説く。成田自身は会社立て直しの3ヵ年計画を立てた。680億円の債務を減らし、黒字経営に転換することを社員に誓った。



「しばらくの間、俺に貸してくれ」 

 社長就任3年目には全社員に会社の窮状を明らかにし、減給を実施した。減給しなければ、会社が行き詰まるからだ。断腸の思いで成田は叫んだ。「しばらくの間、俺に貸してくれ。必ず減給分は返すから」。

 減給は率先して成田も実行した。取締役の中では一番大きい減給率の40%。「常務の時代より給料が少ないこともあった」と成田は振り返る。

 こうした再建策が実って、2010年頃には業績も回復した。2013年10月期の連結決算は売上高563億9700万円、経常利益50億2600万円、純利益46億3300万円と盛り返した。2013年11月には東証2部に上場、2014年4月には東証1部に指定替えし、株価も500円台に回復した。


「しばらくの間、俺に貸してくれ」 

第3の創業

 成田は自分の社長就任から2014年10月までを「第2の創業」と位置付け、会社の立て直しに奔走してきた。そして、2014年11月から「第3の創業」と呼び、グループ経営を本格的に展開する。

 東日本ハウスは主力の住宅部門のほか、ホテル部門、ビール部門を持っている。しかし、各部門の横の連携は必ずしも万全ではなく、グループ力が生かし切れない一面もある。成田は「これからはハウスのお客様にホテルの優待券を配り、ホテルのお客様には銀河高原ビールをおすすめしたい」とグループ力強化を強調する。

 成田の3カ年ビジョンでは、2017年10月期連結で売上高1000億円達成を目論んでいる。「一応、1000億円を目標にするが、あくまで、利益重視。800億円でも利益がしっかり確保できれば、いい」と利益重視にこだわる。

 主力の住宅部門については「住宅のワンストップサービスを目指す」という。住宅部門の主力は檜の四寸柱を使った注文住宅「やまと」。2011年3月の東日本大震災以来、消費者の地震対策と省エネへの関心は高まっており、制震装置と2・55kwの太陽光発電装置を標準搭載した。そのほか中価格帯のJ・エポックシリーズ、リフォーム事業、マンション販売等の事業部を持つ。

 日本の住宅市場の動向から見て、「やまと」が大きく伸びることは難しい。そこで家づくりのことなら、すべて東日本ハウスに任せて下さい、というワンストップサービスに力を入れる。



リフォーム事業を拡大

 とりわけ力を入れるのは、リフォーム部門。同部門は年率2ケタ台で伸びており、2013年10月期で73億円と100億円の大台を狙うまでに成長した。日本全体のリフォーム市場は2015年には8兆5295億円(富士経済予測)と言われている。

 成田は「外装部門の『ガイナ』という断熱セラミック塗料は150度の高温にも耐えられる」と熱をこめる。リフォームという点では高級タイルの外装も薦めている。イニシャルコストは少し高くなるが、長い目で見れば安くつくという。



ブランド戦略も重要に

 「第3の創業」にはブランド戦略も入るだろう。岩手で生まれた同社は東北、北海道では滅法強いが、首都圏、西日本では強いとは言えない。 多分に社名が影響している。西日本地区の支店長たちは「社名を何とかして下さい」と成田に要請する。成田も「年商1000億円を超えたら、それにふさわしい社名を考えよう」と答えている。

 社長の最大の仕事は後継者づくりにあると言われる。社長就任後12年半経つ成田にとって最後の大仕事だ。「2、3人に絞ったところ」と成田は言うだけで、それ以上は明かさない。 リーダーは心身ともに強くなければならない。とすれば、成田より10歳以上は若い、40代、50代の取締役陣から選ばれることになるだろう。成田とともに「第3の創業」を担う者は誰か。東日本ハウスグループの住宅産業に占める位置も大きく左右されるだろう。



コメントをシェア

骨太対談
 
コンテンツメニュー
企業家賞
企業家倶楽部企業家大学
Page Top