トピックス -企業家倶楽部

1997年02月27日

【プラザクリエイト】オリエンタル写真工業再建に賭ける大島康広の熱意と奮闘/感動ネットワークをづくりに奔走する大島康広のすべて

企業家倶楽部1997年3月号 特集第2部


 「この灯を消してなるものか」2年前、瀕死のオリエンタル写真工業再建に身を投じたのは、当時31歳の若き企業家大島康広であった。日本が誇る印画紙メーカーをなんとか21世紀に繋ぎたい。大島の「一枚の写真」に賭ける愛着が敢えてこの難題に立ち向かわせたといえる。凍てついた社員の心を溶かしたのは大島の温かい眼差しと情熱
澤であった。その手法は真面目で礼儀正しくあくまで真摯。大島の再建にかける熱意と喜びをここに記す。



■一九九五年九月

 東京地裁上野分所で開催されたオリエンタル写真工業の債権者会議。会場に集まった債権者たちは当惑と不安の色を隠せなかった。そして口々にささやき合った。

 「オリエンタルの再建を若い人がやるらしいね、絶対無理だね」

 玄関前に到着した管財人のアサヒビール会長樋口廣太郎に某債権者は耳打ちした。

 「若い大島君じゃ無理ですよ。私にやらせて下さいよ」。
 
 樋口は首を横に振って足速に会場に向かった。

 いよいよ債権者集会が始まった。三人の裁判官、そして法律管財人の経過説明があった後、管財人の樋口が壇上に立ち、挨拶した。

 「私が管財人ではありますが、実際はここにいる大島君が管財人代理として再建します」

 大島は会場に集まった債権者たちの不安そうな顔をぐるりと見回した。そしてゆっくりと登壇すると、笑みを浮かべて自分のオリエンタル写真工業に対する思い、そして再建計画を諄々と語り始めた。

 最初はこんな若造に何ができるかとザワついていた債権者たちも、大島の熱意に満ちたそれでいて穏やかな言葉にじっと聞き入り、シーンと静まりかえった。

 大島の話は一時間ほど続いた。そして話し終わったその瞬間、会場に集まった債権者たちから拍手が沸きおこったのである。その場に居合わせた裁判官は、驚きの目でこの光景を見つめていた。

 「長い裁判官生活でこうした債権者集会は幾度となく経験しているが、こんな拍手が起こったのは初めてです」と、ある裁判官は後に樋口に語った。

 大島の熱意と真摯な態度が債権者たちの心を揺さぶり、つい「頑張れ!」と応援したい思いにさせたのであろう。

 この光景を見ていた樋口は若き大島にただならぬ経営者としての手腕と人間としての奥の深さを見た。



■オリエンタル写真工業再建のきっかけ  一九九五年五月十二日

 いつものように新聞を読んでいた大島は写真印画紙メーカーの老舗、オリエンタル写真工業の会社更生法申請の記事を見つけて「あっ」と驚いた。そして胸に大きな痛みを感じた。

 「あのオリエンタル写真が倒産するなんて……」。一つの時代の終わり、そんな寂しさを感じた。自分の手でなんとかできないものか。

 この時、大島の脳裏には中学時代のセピア色の思い出が蘇った。中学の入学祝いに父親からプレゼントされた一眼レフカメラのニコンF2。大島少年はこの時からカメラに熱中した。そして中学二年の時にコンテストで入賞、今のDPEチェーン店展開のきっかけとなったのである。

 写真少年であった大島にとってオリエンタル写真のモノクロ印画紙はいわば”竹馬の友“。自宅の押し入れを暗室代わりに現像していた大島にとって、オリエンタルの印画紙はなくてはならない存在であった。

 写真の印画紙メーカーは世界でも五社しかない。というのは印画紙は技術的にも難しく、一定のスピードで均一に作り続けねばならず、会社としての体力がないと難しいからだ。

 「日本が誇るこの灯を消してなるものか!」。大島の闘志が燃えた。幸い、大島は同じ写真の世界に生きる身、しかもカラーのミニラボの展開ではオリエンタル写真商事と競合でもあったことから、不振の原因がどこにあるのか大体の見当はついていた。「自分だったらこうするのに」という思いが次々と沸いてきて、居ても立ってもいられなくなった。



■ 再建は一人で、樋口との男の約束

 考えあぐねた大島はついにニュービジネス協議会の会長で、かつて某雑誌の対談で面識があった、樋口の門を叩いた。そして、オリエンタル再建に対する自分の思いを語った。

 「創業八十年の老舗オリエンタル写真工業の灯が今まさに消えようとしている。自分は子供の頃から写真に親しんでいてよく知っている。ぜひ自分の手で再建したい。自分の力で役に立つなら何でもしたい」。

 財界でも顔が広く幅広く活躍している樋口ではあるが、この時はプラザクリエイトについても、大島についてもほとんど認識が無かった。しかし、大島の真摯な姿に何か強く打たれるものを感じた。

 樋口は単刀直入にいった。

 「そんなに思うなら自分でやればいい」そして大島の顔をじっとみつめ、人生の先輩として、また、経営の先輩として付け加えた。

 「再建というのは大変なことだ。長い間沈滞していた会社だ。しかも優秀な人間も脱落している。苦労するぞ。君にその覚悟はあるか」。

 「あります!」大島は即座に答えた。しかし、胸の内に秘めた葛藤を素直に語った。

 「実は我社は来年店頭公開を予定しています。創業九年で公開というスピードです。今回私がオリエンタル再建に手を染め、失敗したら公開に影響が出ることはありはしないか」。樋口の眼鏡の奥の眼光が一瞬鋭く光った。が、すぐ柔和な優しさに戻った。そして口を開いた。

 「今、オリエンタルを助けられるのは君しかいない!君はまだ若い、たとえそのために公開が一年遅れたっていいじゃないか。私が風よけの屏風になってやろう!ただし再建するのは君一人でやれ、いいな」。

 大島はうれしさのあまり我が耳を疑った。この時、樋口は大島に二つ条件を出した。一つは樋口はあくまで後ろ盾としての屏風であって、再建を実践するのは大島一人であること。そしてもう一つは、報酬は一切受け取らないというものであった。



■ 若さがネックとなる日本の商慣行

 樋口の元を辞した大島はすぐさま、法律管財人である弁護士の手塚一男にオリエンタルの管財人になりたいという意向を申し出た。そして再建に関する自分の思い、熱意を綿々と語った。

 しかし、三十一歳の若きベンチャーへの風は冷たかった。当然再建を申し出るライバルも何人もいる。何度か大島の話に耳を傾けてくれた手塚は語った。

 「大島さんの熱意は分かった。そして具体的な計画もいいと思う。大島さんが再建したらきっとうまくいくと思うが……。なにしろ若すぎるし、実績がない。樋口会長が管財人を引き受けてくれるのならいいのですが」

 大島は首を横に振ってきっぱりと宣言した。

 「とんでもない。日本を代表する財界の大物である樋口会長にそんなことで絶対迷惑はかけられません!」。

 再建という難しい局面となると、日本の慣習では大島の若さがかえってネックとなってしまったのだ。

 大島は再び樋口の元を訪れた。「随分頑張りました。しかし、若すぎるとの判断で駄目でした」と肩を落とす大島を樋口は励ました。

 「私がその弁護士の先生と会おう」


 樋口管財人、大島管財人代理誕生


 弁護士の手塚を伴って大島は再び樋口の元を訪れた。手塚の口から発せられたのは

 「樋口会長が管財人を引き受けて下さればいいのですがね」。樋口はポンと膝を叩いて

 「分かった。私が管財人を引き受けよう。但し実際にやるのは管財人代理としての大島君だ」。

 ようやく管財人代理としての大島が認められたのだ。管財人代理になるに当たって樋口は大島に二つの約束を言い渡した。「一つ目は再建が成功したら、数々の辛酸を舐めながらもオリエンタルをやむなく退職した人たちを戻すこと、二つ目は債権者にはできるだけ良心的に応じること」であった。

 そしてもう一度念を押した。

 「この再建を徹底的にやり抜く意思はあるな」。

 「あります」。大島はこの時大変な青ハ任を感じていた。そして固く心に誓った。「樋口会長までも巻き込んだからには何としても成功させねばならぬ」。

 九月十九日、オリエンタル写真工業再建管財人として樋口廣太郎、管財人代理として大島康広が正式に認められた。



■大島の孤軍奮闘始まる

 翌日から大島の奮闘が始まった。

 東京の下町の賑わいを残す神田錦町、ここにオリエンタル写真工業の本社がある。管財人代理として大島は管財人の樋口を伴って足を踏み入れた。

 どの顔も暗い、疲れ切った顔を向けた。中にはじっと下を向いたままの社員、また、こんな若造に何ができるのか、と疑いの目でみる社員もいた。自ら申し出たとはいえ、若い大島の背中に大きなものがのしかかった。

 その日から一ヵ月間、大島は朝の八時から夜の八時までは神田のオリエンタル写真工業に出社、そしてその後プラザクリエイトに出社し、社長業をこなすという苛酷なスケジュールを続けた。毎日が無我夢中であった。八十年の歴史があるとはいえ、関係会社のオリエンタル写真商事とオリエンタルカラーを合わせて残されたのは二百五十六億円にのぼる負債と平均年齢四十代後半という社員五百名であった。どこから手をつけたらよいのか。まさに五里霧中での手探り状態のスタートであった。

 まずはオリエンタル写真工業グループ三社の現状を掌握することから始まった。連日、山のような資料に挑んだ。学生時代から経営者として十年の実績があるとはいえ、再建に関しては全く初めての経験である。大島の机はそれらの資料がうず高く積まれ、天井にも届くほどであった。何しろ再建は一人でやると樋口と約束したからには誰かに助けを求めるわけにはいかぬ。まさに孤軍奮闘の連日であった。

 一ヵ月たったある日、大島はプラザクリエイトの社長室の浜辺浩二を呼んで言った。

 「浜辺さん一緒に手伝ってくれませんか」

 翌日から浜辺はオリエンタルの管財人室長となり、大島と再建に向けて苦楽を共にすることになった。


 まず、自分から変わろう

 
 管財人代理を引き受けて四ヵ月、大島にもようやく進むべき基本路線が見えてきた。まずは経営指針として「まず、自分から変わろう」のテーマを掲げた。暗い社内を明るくするためにスマイル運動を宣言した。

 心機一転するにはまずは環境からと、社内の机、椅子、そして制服をリニューアルした。次に、オリエンタルグループ三社の連帯意識高揚のために三社統一のロゴで名刺、社章、ネームプレートをつくった。

 次に大島は全事業場を回った。そして社員たちと十人、十五人と車座になって語り合う集会を何度も実施した。集まった社員たちの顔を見つめ、大島はオリエンタルにかける自分の意気込み、ビジョンを綿々と語った。勿論社員たちのどんな質問にも答えていった。

 六月にはオリエンタル写真工業、オリエンタル写真商事、オリエンタルカラーのグループ三社の連帯意識を高めるため、共通の社内報「スマイルニュース」も発行した。

 大島は日に日に社員の表情が明るくなるのを見るにつけ、自分の存在感をひしひしと感じた。



■新製品開発に向け、社員燃える

 九六年六月、五反田のTOCで開催されたラボショー。オリエンタルとしては久方振りの新商品『ハイパーシーガル』を出展した。これはカラーのネガからモノクロやセピアのプリントが短時間で出来るという画期的な商品であった。

 五月下旬、新商品を六月に開催されるラボショーに出展し、九月に新発売したいという大島の要請を受けた開発グループは内心驚いた。何しろ長い間研究はストップしたままだったし、ショーまで一ヵ月しかなかったからだ。開発グループの休日返上、連日徹夜の研究の末、なんとか完成にこぎ着け、ショーに間に合った。開発グループはこの時、久し振りにモノ創りの喜びを味わった。

 展示会の会場に足を運んだ樋口はオリエンタルのブースに足を踏み入れて「ほう」と驚きの声を発した。

 「いらっしゃいませ!どうぞこちらへ」社員の活気に満ちた声、ヤル気満々の気合いの入った表情。ついこの間まで暗い表情で下を向いていた社員とは別人のようであった。

 「短期間であの社員たちの志気をここまで高めるとは、やはり私の目に狂いはなかった」。樋口は嬉しさでおもわず口がほころんだ。

 ラボショーは成功したが、これを製品として製造できるかどうかが次の大きな課題であった。何しろ設備は半年以上も使っていなかったし、ベテラン社員も退職していない。しかし、生産本部は総力を挙げて頑張った。そしてついに九六年九月十一日、新商品「ハイパーシーガル」の発売にこぎ着けた。オリエンタル社員一人一人の熱意と汗の結晶が誕生したのである。大島は社員たちのこの頑張りを目の当たりにし、ジーンと熱いものが込み上げてくるのを感じた。「みんな本当によく頑張ってくれた。オリエンタルにはまだ、八十年の伝統と技術が脈々と息づいている。モノ作りにかける夢は色槌せていない」。

 カラー全盛の今、どこのDPEでもカラーはすぐプリントできるが、モノクロとなると二~三日かかるのが常である。しかし、このオリエンタルが発売した「ハイパーシーガル」はカラーネガから短時間でセピアにプリントできるという優れた技術であった。折しも、今再びモノクロ写真が若者にブームとなりつつある。これはまさに写真に賭ける大島の先見の明ともいえる。



■仕事の喜びを皆で共有したい

 ここまで来るには大島にとって並大抵ではなかった。何しろ長年新しいものへの挑戦意欲を失った人たちだった。「事がなかなか思うように進まない時は、自分はなぜこんな苦労を背負ってしまったのか、と一時は投げ出そうかと思ったこともあった」と後に打ち明ける。

 しかし、大島の再建にかける熱意が社員一人一人の心に絡み付いた糸をほぐしたといえる。オリエンタル再建について大島は語る。

 「私は今まで仕事をしてきて本当に楽しかったと思っている。オリエンタルの社員が、何十年も仕事をしてきて、仕事の楽しさを全然実感することなく会社人生を終えてしまうなんて寂しいじゃないですか。仕事がどんなに楽しいことか皆にぜひ味わってもらいたい。成功する喜びをぜひ実感してもらいたい」大島の社員に対する限りない愛情がオリエンタルに温かい風を巻き起こしたといえる。そしてじわじわと凍てついた社員たちの心を溶かしたのだ。

 とはいえ、オリエンタルの再建はまだこれからだ、予断は許されない。大島は冷静に判断する。社員の内、三割はよしやろうとやる気になってくれている積極派。四割は頑張りたいけどまだ何をやったらいいか分からない人たち。残りの三割には、これから意識改革をしてもらわねばならぬ。

 一歩ずつ足を踏み固め、大島とともに歩んできた社員たちが報われる日も近い。ひと度モノ作りの喜びを実感した社員たちは、必ずや次のモノ作りに命を賭けることであろう。創業八十年の歴史の誇りが社員たちに蘇り、再び息を吹き返す日を大島は待ちわびている。

 さび付いた技術の埃りを取り払い、世界に通じる技術をどう磨き上げるか。社員一人一人の志気をどう鼓舞し続けていくのか。大島の事業はまだ始まったばかりだ。



■大島の一枚の写真に賭ける愛情

 大島の写真に対する愛着、これが瀕死のオリエンタルに救いの手をさしのべる最大の動機であったろう。

 「たった一枚の写真が人の人生を変える」

 一枚の写真にこれほどの愛情を抱いている大島だからこそ、敢えて火中に飛び込んだともいえる。

 「オリエンタルの再建を手がけたことでものすごく充実感を感じています。それは自分という人間の存在感をひしひし実感できるからです」と語る大島の柔和な目が笑う。

 「経営者として人のため、世のために価値ある存在になりたい」、大島はこの社会的な意義、存在価値に限りなくこだわる。これは、住職として地域の人々に愛され、人の喜びを自分の喜びとして命を全うした祖父の生き方に通じる。
 
 大島は苛烈なイメージのベンチャー経営者とは一線を画する。気負わず、力まず全くの自然体、そしていつも笑顔を絶やさない、これが大島の持ち味だ。静かな諭すような語り口、真面目で礼儀正しく真摯な姿に思わず引きずり込まれる。「この人となら一緒に頑張ってみよう」。そんな思いにさせる不思議な人間力がある。明るくて若さ溢れる外観と表裏一体で見え隠れする墨絵のような渋い落ち着き、まさしくこの二面性が大島の最大の持ち味といえる。

 大島が目指す事業領域『デジタルイメージング』の中でオリエンタルグループの果たす役割は大きい。がまだ、今は芽を出したにすぎない。これを育て大輪の花を咲かせるのは社員一人一人のオリエンタルに対する愛情と誇りそして、たゆまぬ努力であろう。

 オリエンタル再建の試練、これは若き大島に神が与えた試練である。これを乗り越えたとき大島は世界に通じる真の企業家となる。大島を若き日の松下幸之助を彷彿とさせると語る樋口。大島が二十一世紀の松下幸之助になれるかどうかはまだこれからだ。



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