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トピックス -企業家倶楽部

1998年10月27日

【ディスコ特集】顧客満足を貫く真摯で真面目な社風が世界を制す/ディスコの強さの秘密

企業家倶楽部1998年11月号 特集第2部


今や二十一世紀のけん引役として君臨するパソコンそしてデジタル通信機器。これらの心臓部には高性能な半導体がぎっしり搭載されている。その半導体製造に欠かせないダイシングソー(半導体切断装置)メーカーとして世界の頂点に立つ「ディスコ」。「切る・削る・磨く」を極め、「モノ作り大国日本」を守り続ける最強の技術とはいかなるものか。そのパワーの源泉はどこにあるのか。華やかな舞台の黒子として世界中の厚い信頼に応えるディスコの強さの秘密を探った。



■徹底した顧客志向を貫く経営姿勢

 東京・大田区、路地裏の小さな商店街には昔ながらの庶民の暮らしが息づく。普段着姿の買い物客で賑わう小さな通りを抜けた先に、世界の半導体メーカーがこぞって詣でる会社がある。半導体切断装置(ダイシング・ソー)で世界の頂点に立つディスコである。

「お客様、この素材をカットする最適の方法が見つかりました。この素材には、今お使いいただいている装置にこの砥石をご使用いただき、回転数は○○回転。水をかけるのはこの時点で……」。

奥のアプリケーションルームに設置されたダイシング・ソーDFD651の前でコンピューター画面を食い入るように見詰めていた若いエンジニアの目が一瞬輝いた。と、傍らの客に向き直るや、嬉しそうに語り出した。

 世界でも有数の半導体メーカーA社からの「今度開発した新素材がうまくカットできない」という課題に、一緒になって実験を繰り返していたのである。A社の担当も思わず身を乗り出し、目を輝かせる。

ここには世界の最先端企業から連日、さまざまな課題が寄せられる。

「ディスコの使命はお客様にその砥石と装置を使っていただき、最良の加工結果を得ていただくこと」と社長の関家憲一は語気に力を込める。

我々が毎日手にしているパソコンにはIC(集積回路)がぎっしり搭載されている。このICの原料となるシリコンウエハーは純度九九・九九九%のシリコンの単結晶の固まりを薄く板にしたものである。その上に回路を形成し、それを細かく刻んだものがICとなる。このIC製造に欠かせないシリコンウエハーの切断技術がディスコの精密加工システムである。ディスコはこの半導体切断テクノロジー分野で世界の八〇% のシェアを握り、圧倒的強さを誇る。

同社の心臓部ともいえるR&Dセンター三階のアプリケーションルームは顧客と一緒になって「切断」テクノロジーを究める実験の場である。従ってここには同社のほとんどの装置と砥石がズラリと並ぶ。そして専任のエンジニアが「いかに切るか」を命題に、アプリケーション技術の開発に余念がない。そして「切断」技術を究めるエンジニアたちが、来社する顧客一人ひとりと丁寧に向き合う。最良の結果が得られるまで顧客ととことん突き詰める。つまり顧客が望む結果を得てはじめてディスコの使命が果たされたという姿勢を貫く。

こうした顧客と一体となったキメ細かな技術サービスが評価され、一九九六年にはアメリカの「半導体製造装置メーカーの顧客満足度調査」で日本企業のナンバーワンに輝いた。顧客満足を最大の使命とする同社の理念が世界一を究める最大の強みといえる。



■全世界を網羅するサポート体制

東京本社のアプリケーションルームには若いエンジニアが常時二十人待機し、顧客の様々なニーズに応えている。ディスコの凄さはこのアプリケーション技術のネットワークを世界中に網羅していることである。巨大半導体メーカーの本拠地がひしめくアメリカのシリコンバレーは勿論、主力製造工場が進出する東南アジアにはシンガポールに、そして欧州ではドイツにその拠点を持ち、「切断」に関わるあらゆる情報がリアルタイムで共有できるシステムを作り上げている。

たとえばこういう具合だ。顧客C社から新素材のカッティングがうまくいかないとの相談が持ち込まれた。担当のエンジニアがあらゆる装置と技術を駆使し、最適の切断方法を見出したとする。C社にはこの問題解決のための最適のハードとソフトを提供することは勿論、世界を網羅するサービス拠点とオンラインでネットワークし、このノウハウを共有する。こうして一カ所に持ち込まれた課題も全拠点共通で蓄積でき、世界で最適なサービスを提供できるというわけだ。

「このサービス網は世界的な光学メーカーのニコンにも負けない」と関家は胸を張る。こうしたノウハウの蓄積一つひとつが他社を寄せ付けない同社の強みとなっている



■砥石と装置そしてアプリケーション技術の三位一体で世界を制覇

ディスコの技術開発強みは同社のCIマークの三本の溝に象徴される。一つは六十三年の歴史を誇る研削砥石の製造、つまり研削・研磨・切断技術である。二つ目は砥石を使う装置技術、「メカトロニクステクノロジー」。そして三番目はそれらを使っていかにして切るかを考える「アプリケーションテクノロジー」である。「この三つを一つの会社で併せ持つのは世界でも唯一ディスコのみである。我が社の強みはこの三位一体にある」と、関家は胸を張る。

そもそもディスコは六十三年前に関家の父三男が広島県に砥石工場を設立したのが始まりである。

この一地方の町工場がいかなる変身を遂げて世界一を勝ち取ったのか、その歴史を繙解いてみよう。

ディスコの前身は一九三七年に広島県呉市に創業した第一製砥所である。砥石というニッチ産業ではあるが、三十年代には万年筆のペン先砥石の第一人者として脚光を浴びた。その後六八年に超薄型砥石の「ミクロンカット」を完成させ、ダイヤモンド砥石製造に踏み込むことになる。これが後の主力商品ダイシングソー開発へとつながるきっかけとなるが、その完成までには七年間の試行錯誤を要した。

六九年、アメリカに住む知人から舞い込んだ、シリコンバレー進出の誘いに応じ事務所を開設するが、ほとんど売れなかった。というのはせっかくのミクロンカットを搭載する装置が手に入らないからだ。いくら砥石があっても「装置」がなければ「切断」という結果は得られない。懸命に装置メーカーを探すが見つからない。ならば自社で製造するしかないと装置開発に挑むことになる。

装置開発担当のチーフは現副会長で関家の実弟の関家臣二が務めた。臣二は技術畑出身ではなかったが、「切る」ことにかける情熱と執念はすさまじいものがあった。品川区の青物横丁の小さな倉庫の一室で日夜熱心な実験が繰り返された。費やされた期間は七年間、試行錯誤の連続であった。

そして七五年ついに一号機が完成した。「弟は水平思考の持ち主、物事に囚われない斬新な発想ができる人」と兄の関家。まさしく臣二の「切る」ことへのすさまじいまでの執念の勝利であった。また二人の父親である創業者がこの実験を面白がって後押ししたのも成功の大きな要素といえる。

この切断装置の開発で同社は世界企業へと変身を遂げることになる。まずは休眠を余儀なくされていたシリコンバレー事務所を復活、世界へと一歩を踏み出した。ときにアメリカはコンピューター産業の急成長期、ディスコのシリコンウエハー切断装置は半導体メーカーにとって必需品となった。



■常に顧客のそばに

ディスコの世界戦略は通常のそれとは異なる。まず第一は顧客サービスありきなのである。世界の半導体メーカーは本社機構はアメリカだが、主力工場は東南アジア諸国がその担い手となっている。そこで各社の主力工場があるインドネシア、タイに近い拠点としてシンガポールに進出する。欧州の顧客のためにはドイツに進出。「常にお客様の側にいなければ十分なサービスができない」という関家の考えからである。「限りなく顧客の側へと考えていたらいつのまにか世界十一カ所に及んでいた」と語る関家の口調はいたって謙虚だ。つまり初めから世界戦略を狙って進出したのではない。顧客の要請に応じて、最寄りの拠点網を築きあげたら世界を網羅していたというわけだ。まさに顧客満足追求のためのグローバル化とはいかにもディスコらしい。

そして時代はデジタル情報産業時代に突入、半導体の需要が爆発的に膨れ上がり、同社は特殊なダイシングソーを携え、世界の頂点へと駆け上がっていった。



■大胆なリストラで赤字を脱出

九八年三月期には単独で売上げ三百十五億五千八百万円、経常利益五十八億四千万円という高収益を確保するにまで成長したが、一度だけ大変なピンチに見舞われたことがあった。

関家の脳裏には断腸の思いでリストラを決断した五年前のことが脳裏から消え去ることはない。その前兆は九二年のはじめからジワジワと同社を襲い始めていた。九二年三月期の決算の見込みは売り上げ高百六十五億円、前期比二・一%増、経常利益二十億円、同八・八%増と好調であった。しかし、同社の主力商品であるダイシングソーの需要がピタリと止まってしまったのだ。

好・不況の波が相互に訪れるシリコンサイクルは通常四年といわれている。これはオリンピックの年に映像関連機器の買い換え需要が発生、それに順じて半導体の需要も増えるからだ。しかし、同社はそれまでこのシリコンサイクルに影響されることはなかった。順調すぎるほど順調であった。それだけにこの時の不況の谷の深さはこたえた。関家が父親から引き継いで以来、初めて経験する試練であった。

加えて関家の胸には十年前に始めた新規事業のたて型拡散装置事業の赤字の増大が重くのしかかっていた。これは半導体製造の前工程に使う熱処理炉で、米国から技術を導入、東芝など大手半導体メーカーに累計百基を納入していた。ピーク時は年間十億円を売り上げ、百人もの社員を抱える部署に育っていた。しかし、後発メーカーとあって黒字転換ができないまま累積赤字が膨らんでいた。

九三年の決算が大幅赤字になると見込んだ関家はこれまでにないリストラを敢行した。賃金カット、残業禁止をはじめ、早期退職制度をも導入した。役員も 十六人から八人に減らした。関家自身もそれまでの運転手つきの外車を取りやめ、国産車に切り替え、しかも自分で運転するという徹底ぶりであった。

しかし、そんなことだけではどうにもならない。そしてついに撤退を決意した。年商十億円、百人もの人員を抱える事業部門を切り捨てるのは身を切られるほど辛かった。

「たて型拡散装置事業は「燃焼」という軸での仕事、「切る・削る・磨く」という当社のコアから外れた事業だったから文字通り大火傷を負ってしまった」と関家は口を引き締める。以来、関家は得意の事業分野「切る・削る・磨く」に全てを集中することになる。



■若手の登用でピンチをチャンスに

この業績不振を逆手に関家は大胆な若手登用で新製品開発計画「Xプロジェクト」を発足させ、積極政策に討ってでた。このチームリーダーを任されたのが入社三年目で当時二十五歳の関家の甥にあたる関家一馬であった。

一馬は慶応大学理工学部でAIを学んだ後、スタンフォード大学に留学、八九年にディスコに入社したエース。入社後、研究開発部で全自動ダイサーの画像処理を研究していたが、自社のダイシングソーがモデルチェンジなしではもはや生き残れない、という危機感を強く感じていた。

ユーザーからも小型化の要請が高まっていた。営業本部ではこの要請に早く対応しなければ、という危機感が高まっていたが、既存の技術陣には思い切った発想の転換が難しく決断が鈍っていた。

そこで関家は赤字転落の危機を救う切り込み隊長として甥の一馬に託すことにした。非常事態にはしがらみに囚われない斬新な発想が必要だったからだ。

社内から二十代、三十代の若手の精鋭が十五人選出された。

「今だから言えるが実ははらはらしていた」と打ち明ける関家。一馬に託す決め手となったのは、彼の「外注できる部分は徹底的にアウトソーシングしよう」という柔軟な発想であった。一馬の「加工点が大切です」の一言に「これなら任せられる」と決断した。

一馬自身もモデルチェンジ提案の言い出しっぺである、後には引けない。九二年一月一日にスタートしたXプロジェクトはすぐさま新製品開発に取り掛かった。命題は小型化と低コストの二つ。期限はその年の十二月のセミコンジャパンへの出展、一年弱である。

「あの時は桶狭間の戦いと同じだった」と述懐する一馬。これが成功しなければライバルの東京精密に負ける、という危機感を強く感じていた。そして失敗したらこの会社にはいられない、という思いも頭をよぎった。その「なんとしても成功させねば」との気迫がこれまでとは全く異なる手法を生み出すことになる。

まずはコスト削減を考えるに当たっては徹底的に部品点数を洗い直し、不必要な部品は全て取り払った。次に外注できるものは限りなく外注でまかなった。

「技術者というのは全部自分でやりたがる傾向があるがこれではいくら時間とお金があっても足りない」と一馬。これまでのしがらみと慣習を振り払い、自らの信念を貫き通した。連日夜中の二時、三時まで、土日返上の戦いが続いた。そして十二月のセミコンジャパン開催日までに四機種、十一アイテムの新製品が完成した。完成品は、全自動ダイサーの横幅は従来の一四五〇ミリから一一八五ミリへ、マニュアルダイサーは八五〇ミリから五〇〇ミリへと縮小、機能は大幅にアップした。そしてコストは三〇%ダウンを実現した。従来は一機種開発費四億円、期間は二年はかかるものを、このXプロジェクトは一機種一億円、しかも一年間で四機種という離れ業を成し遂げたのである。

「恐いもの知らずの若さの勝利でしょうね」と一馬はくったくがない。同じXプロジェクトのメンバーだった高沢徹は、「ゴールが明確に見えていたから頑張れた。成功の要因はチームの連携プレーと”勢い“だった」と目を輝かせる。

「若手でも正当な判断力があれば任せても大丈夫」と太鼓判を押す関家、この時の成功を機に若手登用には熱心に取り組む。現在もPM(プロダクトマネージャー法)、研究プロジェクト、DRM (ディスコ・レコードマーケティングシステム)など若手プロジェクトがいくつも育っている。明るくて柔軟な発想がエネルギッシュに飛び交っている。



■ファミリービジネスで求心力を維持

ディスコの大きな強みは強固な同族経営を維持していることである。関家が代表取締役会長兼社長として全体の舵とりを司るが、”切る“ことを究め、技術開発を担ってきたのは弟の臣二である。二人の名コンビぶりは有名だ。通常兄弟というと争いが絶えないのが世の通例だが、関家ファミリーはすこぶる仲が良い。

二人をよく知るリョービ社長の浦上浩は「関家兄弟は本当に仲がいい。いまどき珍しいくらいうまくいっている。兄弟の性格が全く異なることと、二人とも大人でお互いを尊重しているからでしょうね」と、その強さを語る。関家自身も「弟がいたからここまで頑張ってこれた。いなかったらとてもできなかったでしょうね」と笑顔を向ける。

関家はこの七月にカンパニー制を導入し、ASカンパニーのプレジデントには従兄弟の関家英之を、ナンバー2には関家の長男である関家圭三を配置した。そしてダイシングソー部門である PSカンパニーのナンバー2には甥の一馬を据え、経営陣の若返りを図るとともにファミリーの支柱を強固にした。

「今、我社の布陣はベスト。ファミリーがそれぞれの位置にピタリとはまっている。従ってだれが抜けても困る」と一馬は胸を叩く。このファミリーの結束の固さも同社の強さに拍車をかる。



■真面目で真摯な社風を世界が評価

ディスコの門をくぐった瞬間、クリーンで真面目な社風にハッとさせられる。かといって、コチコチ堅いというわけではない。それぞれの個性が伸びやかに発揮され、心地よさが伝わってくる。それは社長である関家の堅実で真面目な気質が社風となって末端にまで浸透しているからだ。

九月三十日から千葉の幕張メッセで開催されたアジア最大のパソコンフェア「World PC Expo'98」最終日の十月三日は土曜ともあって大変な賑わいであった。どの目も最新のパソコンや通信機器に釘付けで、まさにデジタル情報化社会本番を感じさせられた。

場内にはインテル、マイクロソフトを始めNEC、東芝など世界有数のメーカーが出展、新機種のプレゼンテーションに余念がない。この最新鋭のデジタル機器の全てに半導体が搭載される。そしてその製造の一端を担うのはディスコの切断技術である。特にヒット商品ディアルダイシングという二枚刃によるカッティング技術が、精密な半導体製造には欠かせない。

いわばこの華やかな舞台の黒子をきっちりと担っているのがディスコの最先端の「切断」テクノロジーといえる。このディスコの確かな技術には世界から厚い信頼が寄せられている。

 今、ディスコでは半導体だけでなくさまざまな電子部品メーカーからの訪問が絶えない。従来は型製造だった電子部品が、同社のカッティング技術を活かして、型なしで作ろうとの実験が繰り返されているからだ。大量生産はできないが、短時間でしかも設備投資なしで、フレキシブルに電子部品製造ができるとあれば、これはまさに革命ともいえる。ディスコは今この電子部品分野への挑戦に力を注ぐ。

 グローバルスタンダードを創り出す企業に求められるのは、技術だけではない。それを創り出す人間の人間性、つまりトータルな人間力が求められる。

 関家は今、ディスコバリューを高めんと社員一丸となってその追求に励む。関家は自分の考えを押し付けるトップダウン手法をあまり好まない。社員皆に考えさせ、共に自分の会社の未来を創ることに主眼を置く。月に一回開かれる会議は毎回熱気に包まれる。「冗談がもう少し減ったらもっと早く終わるのに」というほど明るく活発な論議が戦わされる。

 社員一人一人が未来を見つめ、一丸となって世界一を目ざす。ディスコの成功は今、日本が失いかけている「モノ作り大国日本」の自信復活をも象徴する。今の日本は「真面目」や「堅実」という言葉が風化しかかっているが、何時の時代でも真面目で何事にも真摯に取り組むものが勝つ。

 二十一世紀をリードするデジタル産業の発展にはディスコの 「切断」テクノロジーが欠かせない。小さな巨人ディスコがデジタル情報社会の未来を握っているといえる。



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