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トピックス -企業家倶楽部

2014年10月27日

【竹中平蔵の骨太対談】vol.34 変化こそが唯一の永遠である/vs 大戸屋ホールディングス会長 三森久実

企業家倶楽部2014年12月号 骨太対談


 

日本人の味覚は世界共通

竹中 和食は無形文化遺産になるほど文化的な価値を見出されて、日本人のみならず海外でも評価されるような人気ぶりです。大戸屋でも海外展開を積極的にしておられますね。

三森 日本人が「美味しい」と思う和食は世界の人もそう感じるでしょう。日本食は素材、発酵、料理の技術、この3つのポイントで成り立っています。

 今世界中に約5万軒の日本食屋さんがありますが、その内日本人が経営しているのは1割あるかないか。多くの店では醤油などを日本の食品メーカーが大量生産した安いもので済ませています。しかし我々は発酵食品である醤油、つゆ、だし、ソースなどを全てメーカーと共同開発し、独自のプライベートブランドとして使用しています。この発酵食品のみでも充分他の和食店と差別化ができます。

竹中 先日トルコのイスタンブールで金融会議に出席した際に聞いた話では、マクドナルドが20 軒ほど出店したものの今は2店舗に減ってしまった。トルコでは既にマクドナルドの類似店があるらしく、淘汰されたとのことでした。そういう点では外食産業には地域性という課題があるようです。大戸屋では地域によって味は変えるのですか。

三森 大戸屋では変えていません。日本人の味覚値のレベルの高さは素晴らしいもので、世界に必要なものだと思っています。店舗展開する上では、日本人が好む調味料と健康志向をふまえるのが良いでしょう。逆に言えば、日本独自の調味料が多いので、国ごとの味にするのは本当に難しく、一歩間違えば「和食もどき」になってしまう恐れがあります。

 また、最近では日本のある高級寿司店でも、ハラペーニョのような辛味ソースを刺身につけて提供しています。和食もさまざまな形で進化しており面白いと思いますが、その根本を変えるというのはやはり難しい。我々は徹底して自然調味料でと決めているので、あとはオペレーションで質の高い和食を提供できるようにしています。

竹中 アメリカ・ニューヨークにも出店しているようですね。

三森 和食が世界でも通用することを証明するためにもニューヨークでの大戸屋のブランディングには力を入れています。客単価は3000円程度ですが、ニューヨークにおいては安い方です。しかも、ニューヨークでは朝食に1500円も払ったとしても質が悪い料理が出てくることがある。そこで比較的安く、味覚値の高い日本人でも「美味しい」と感じる味を提供することが大事だと思います。現在は一店舗あたり70席、売り上げが1億4000万円くらいで、およそ30カ月で投資分を回収できる仕組みもできてきました。



お袋の味に商機あり

竹中 競争の激しい外食産業において短期間でこれだけの急成長を遂げられたということに感服しております。三森さんは大戸屋の魅力はどこにあると分析しておられますか。

三森 「和食」にあると思います。それを後押ししたのは日本の生活スタイルの変化でしょう。今までは外食は家族にとっての晴れの食事でしたが、単身赴任や独身の人など、気軽にお袋の味を楽しみたいという人の需要が増えて来ました。

竹中 若いときに日本マクドナルド創業者の藤田田氏も「和食は日本国内で宣伝する必要はないけれど、ハンバーガーは宣伝しないと浸透しないのが大変だ」とおっしゃっていました。日本国内では誰もが知っているという和食を高いクオリティで提供することに強みがあるのでしょう。

三森 元々、約40年前に日本の外食産業が発展しはじめたのは、マクドナルドのようなアメリカの総合オペレーションをとりいれたことがきっかけでした。もちろん効率は良くなるのですが、やはりアメリカのシステムは洋食向きなのです。

 「それをそのまま和食に全て当てはめるのは難しい」ということは初めからわかっていたので、大戸屋ではアメリカ式のオペレーションを取り入れつつ新しい技術を開発し、これが結果的に他チェーンとの差別化になっています。



変化こそが唯一の永遠である


竹中 和食の代表格である寿司だけではなく、日本食を世界に広めるというのは頼もしく、嬉しいと感じています。はじめはどういったプロセスで海外に出店されましたか。

三森 はじめの10年はアジアに出店しました。当時「ローマ、ロンドン、アメリカと文明の中心が反時計回りに変遷していったが、今度はアジアだ」と謳った本を読み、それが2010年くらいに来るというので、東京、香港、シンガポールでブランディングを進めようと考えました。しかし、その中で「ブランディングをするならやはりニューヨークだ」と感じまして、今では海外展開の中心はニューヨークに移っています。

竹中 アジアの新興国の中間所得層では家庭食の和食の大戸屋といえども、価格が高いという市民も出てくると思うのですが、そういった動向に対してはどう対処していますか。

三森 フランチャイズ化を進めて現地の企業に任せています。我々は技術と食材を提供するので、パートナーには大戸屋のコンセプトをきちんと理解してもらい、経営は現地流で行う。実際に台湾では現地のファミリーマートと組んで、ファミリーマートの得意としている店舗開発と、わが社の強みである商品開発を掛けあわせ出店を進めています。

 マクドナルドも企業家のレイ・クロック氏が創業者のマクドナルド兄弟からフランチャイズの権利を買い、それをさらに自分のゴルフ仲間に売っていくことで拡大していきました。我々もこうした方法で広めていき、会社として力がついたら全体のオペレーションに手を加えていくべきだと考えています。だから今は良いパートナーと出会えるかが問題です。

竹中 動態的に進化させていくようなお考えですね。私の好きな思想家である岡倉天心の言葉に「変化こそが唯一の永遠である」という言葉があります。永遠に不変のものなんてない、唯一永遠のものがあるとすれば、それは変化することだと。時代や状況の変化に応じてオペレーションを進化させるのは必要なことでしょう。

三森 すかいらーくグループの夢庵や藍屋、和食さとでも多く見積もって店舗数約200軒前後ですから、大戸屋の店舗数約400店舗を上回る和食チェーンはありません。

 パートナー企業には「なぜ他の和食チェーンではなく大戸屋なのか」ということを聞いていますが、「日本の和食チェーンの多くはアメリカ式のオペレーションを取り入れているだけだから」と理解しているのでしょう。

 大戸屋は池袋にある叔父の店の味を世界に広めたいという想いから始まりました。かつてこの店の味を真似されたことがありましたが、工場で用意したものを冷凍し、店で揚げるというものは客には認められずクレームが殺到しました。つまり、お客さんから「おいしい」と言われることが一番で、そのためにオペレーションを変えるのです。



コンビニが広がるほど需要が増える


竹中 狭い中で非常に密度の高い仕事をするというのは日本の特色ですね。先ほど日本の味覚レベルの高さについて話がありましたが、それも人口密度の高い東京のような環境で生まれた文化の一つだと思います。

 しかし、国内の人口が減り、絶対的な胃袋は小さくなる一方です。その中での戦略としてはどのようにお考えですか。

三森 コンビニ業界が成長すれば大戸屋も伸びます。これは当然のことでしょう。コンビニはアメリカのオペレーションを利用した物販ですが、差別化のために店内調理のお弁当などが登場してきています。しかしそれでも差別化はできていない。それは他の和食チェーンと同様、アメリカのオペレーションを使っていては美味しい日本の弁当の味を再現することは難しいからではないでしょうか。

 そのため、コンビニが増えるほど大戸屋のニーズは比例して増えます。もちろん、コンビニと同じように大量出店したり利益を出すことができるかは別問題です。しかし、アメリカ式に工場である程度仕上げるという方法には、効率の良さと品質の安定というメリットはありますが、デメリットもあります。

 大戸屋はそのデメリットをメリットに変える。つまり、専門店化するということです。コンビニが追随できないような品質の日本食を効率よく提供できるようにしていれば、当然のように生き残っていけると思います。
 



良い意識は朝礼から始まる

竹中 日本人が何気なく受けているサービスが海外では常識ではないということがよくあります。そうした文化の違いがある中で日本のホスピタリティを学ばせることには難しさもあると思いますが、教育の仕組みも日本と同じですか。

三森 日本と同じように、大戸屋の経営理念がスタッフに伝わるようにしています。アジアでもニューヨークでも朝礼をしますし、それによって従業員も判断基準が「お客様である」と言えるような良い意識に変わってきます。朝礼をきちんと行わない店は人も育たず、成長しません。これは、人の行動が意識によって変わる以上は当然のことです。

 ですから、朝礼が正しく行われる店舗のスタッフなら休みも取れますし、気持ちのいい顔で仕事ができます。それは日本だけではなく海外でも同じだと実感しています。

竹中 朝礼から入るというのは奥深いですね。野球の野村克也元監督と対談して本を出版した際に、野村さんは「当時9連覇した巨人の川上監督はミーティングで一体どんな話をしたんだ」と知りたがった。そこで分かったのは、川上さんが野球の技術の話は全くせずに、野球とどう向き合うかという姿勢についてばかり話していたということです。大事なのは姿勢、つまりプレイヤーの意識だと思います。



日本の「間」文化

竹中 海外、特にアジアは人口が多く、大きなマーケットですね。中国進出など海外戦略についてどう考えていますか。

三森 正直なところ、今はまだ中国進出は難しいと考えています。現在シンガポールでパナソニックの植物工場と組んで、現地で生産した葉物野菜を使っています。これは科学的根拠を持って安全と言え、物流もパナソニックの方がコスト度外視で受け持ってくださるのですが、これを仮に中国で行うのはまた別の苦労があります。

 その問題というのは「人」です。人の水準は教育力によって異なるため、日本と同じクオリティのものを日本人の中で作ることはできても、現地のオペレーションでやるのは難しいのです。

竹中 日本は人々が協調して生活していくという組織性の高さが特徴的です。このソーシャル・キャピタルの分野で他に類を見ないほどでしょう。

 
 18世紀末頃の統計で、ロンドンは50万人都市、パリも50万人都市、ニューヨークは当時は3万3000人規模だったと言われています。その中で江戸は100万人都市と比較にならないほどの大都市で、その中で日本人は何百年と生活してきました。

 このような環境だったからこそ、日本で地震が起きたときに、いくら急いで家に帰りたくてもバスやタクシーの待合で1列に並ぶような教育も成り立っているのです。

三森 安全な野菜をお客様に届けるためにはその国の教育を含めたインフラの整備が不可欠でしょう。日本企業がタイでも工場を建設してくれれば進出もより容易に進みます。しかし、それがない上は大戸屋の経営理念である「食の安全」を守る上でも進出には不安が残ります。

竹中 日本に関して面白いことは、どの国でも「ヒューマンビーイング」というところを、人に間(あいだ)とつけて「人間」と呼ぶところです。この「間」という漢字は熟語の中でも多く使われ、これが違うと「間違う」、これがないと「間が抜ける」、これを持たないと「間が持たない」。人と人との間に関係があるというこの特有の文化を、ある社会学者はヒューマン・ビトウィニズムと名づけています。利益だけではなくお客様にも安全で健康な食事を食べてほしいと思うのは、そうした「間」を重んじる日本人ならではでしょう。

 そうした環境で育った我々日本人の文化の良い面を、世界に理解してもらうことには苦労もあると思いますが、今後もぜひご尽力いただきたいと思います。



三森久実 (みつもり・ひさみ) 

1957年山梨県生まれ。15 歳で東京・池袋に「大戸屋食堂」を経営する伯父の養子となる。76 年、フローラフーズ入社。養父の死に伴い、79 年に大戸屋食堂の事業を継承。83 年株式会社大戸屋設立、代表取締役社長に就任。01年株式を店頭公開。05年タイに出店。11年に持ち株会社化、会長に就任。12年ニューヨークに1 号店を出店。14 年「第16 回企業家賞ベンチャー賞」受賞。


三森久実 (みつもり・ひさみ) 

竹中平蔵 (たけなか・へいぞう)

1951年和歌山県生まれ。73 年に一橋大学卒業後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。ハーバード大学客員准教授などを経て、2001年、小泉内閣に民間人として初入閣。04年には参議院議員に初当選。郵政民営化を本丸に掲げる小泉政権の実質的ブレーンとして活躍する。06年に参議院議員を引退後、慶應義塾大学教授・グローバルセキュリティ研究所所長に就任。
竹中平蔵 (たけなか・へいぞう)

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