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トピックス -企業家倶楽部

2004年02月27日

小倉伊勢丹・アイム開業 北九州中心部再生にかけた男たち/小倉プロジェクトを追う

企業家倶楽部2004年4月号 アスクプランニングセンター特集第2部


小倉そごうの撤退後、火の消えたような北九州の商業の中心地・小倉を再興するべく、廣崎利洋率いるアスクプランニングセンターが動き出した。キーテナントの小倉伊勢丹が脚光を浴びる中、あくまでも黒子として36人の地権者の総意をまとめあげ、わずか1年足らずで、小倉伊勢丹に勝るとも劣らない品格ある専門店街「I’m(アイム)」を世に送り出した。廣崎、そしてその号令のもと、一丸となって奮闘するアスクマンたちのビジネスの現場を追った。(文中敬称略)



小倉伊勢丹がオープン


小倉そごうが撤退して三年、かつて街の賑わいの中心であったビルが甦ろうとしている。二〇〇四年二月十日午前九時、開店を一時間後に控え、北九州小倉駅前の小倉伊勢丹(セントシティー北九州)の入りロ付近は、開業セールに殺到した客や報道陣、施設関係者でごった返していた。オープンを歓迎する勇壮な小倉祇園太鼓のセレモニーが終わり、テープカットに入る。

「北九州都心開発、大迫忍社長!小倉伊勢丹、寺垣勝仁社長!」

司会者が点呼するたびに、紅白のテープの前にハサミを片手にしたタキシード姿が増えていく。

「アスクプランニングセンター、廣崎利洋会長兼社長!」

廣崎はゆっくりと席を立ち、すらりと伸びた体躯を微かに揺らせながらテープの前に立った。司会者の掛け声のもと、一斉にテープが切られる。廣崎は感慨深げに目を細め、テープにハサミを入れながら約一年半前の出来事を想い起こした。



プロジェクトの発端

小倉伊勢丹オープンから遡ること約一年半。二〇〇二年八月某日、アスク会長室で廣崎は一人の男の訪問を受けた。来客者は小倉そごうの破産管財人である弁護士の松嶋英機である。

「今、小倉は火が消えたようになっています。廣崎さん、小倉を北九州の『都心の顔』として再生させるために、一役かってもらえませんか」と開ロ一番、松嶋は切り出した。地権者で作る旧小倉そごうビル管理組合から委託を受け、ビル再生の請負人を探している。今回の申し出は、廣崎が適任との北九州財界の総意を受けてのものだ。

 「やってみたいという意志はあります。アスクは従来のスペースプランニング事業だけでなく、金融や不動産を絡ませたスペースコンサルティング事業や施設完成後の運営も行うスペースデベロップメント事業に進出しようとしていますから、理に適っています。ただし企画・運営面のすべてをアスクに一任してもらえることが条件です」

 「もちろんです、その線で調整してみますので宜しくお願いします」

 「では一緒に頑張りましょう」

 廣崎は少し顔をほころばせながら言った。

 「少し早い話かもしれませんが、後継のキーテナントはどこがいいでしょうか」

 松嶋が聞くと、「やはり最先端のファッションに定評がある伊勢丹しかないでしょう。そして伊勢丹を補完する形で専門店街を作る、ここの企画・運営をアスクが担当するというのはいかがですか」と廣崎はすぐに答えた。

 「グッドアイデアです!しかし伊勢丹さんが引き受けてくれるでしょうか、いろいろ内部の問題がありますので」

 「それは私の方で話をつけましょう」

 両者とも満足した表情で、がっちりと握手を交わして別れた。その後、廣崎がイニシアティブを取り全体の構想をまとめあげる。アスクは北九州の財界が共同出資して生まれた北九州都心開発(ビルの床の一部を買い取り、施設の運営管理を行う)の事業代行者になるというスキーム。具体的な役割は、各地権者の出店調整や新たな専門店の誘致、伊勢丹との調整などだ。決して華やかな役回りではない。泥をかぶり黒子に徹することで、関係者の利害や意見をひとつにしていく作業が必要とされる。

 「無を有にする、無限への挑戦・・・」百戦錬磨のアスクマンにできないはずがない、廣崎は精桿な顔つきをした男たちの姿を思い浮かべた。



都市再生ビジネスに挑戦する


 二ヵ月後の十月某日、都内のホテルで廣崎は少数精鋭で鳴らす百数十人の社員に向かって、アスクの次なるビジョンを宣言した。「今年アスクは三十周年を迎え、第二創業に向けて走りだします。苦しかったバブル崩壊を乗り越え、硬直化していた土地がようやく流動化し始めたのです。こんな好機はまたとない。これまで培ってきた商業施設のプランニングのノウハウを生かし、国策である都市再生ビジネスで一緒に時代の風を作り出しましょう!」

 創業以来、率先垂範で果敢にトップ営業を実行してきた廣崎。関西弁を交えた朴訥な語りロだが、その言葉には圧倒的な説得力がある。

 「無を有にする、無限への挑戦、礼儀節度、機密厳守、人に迷惑をかけない、人に借りをつくらない」

 アスクの創業理念を全社員が自分の胸に問い掛ける。終わることのない挑戦…。都市再生ビジネスに先鞭をつける小倉プロジェクトの話は、まだ限られた社員にしか伝えられていない。「都市再生ビジネス」とは何なのか、どこで始まるのか。期待と不安の気持ちを織り交ぜながら廣崎の言葉に耳を傾ける。翌月、小倉プロジェクトの概要がベールを脱ぎ、その規模の大きさに武者震いすることになる。



熱き思いを胸に秘め小倉に降り立つ

 福岡空港から博多駅へ、小倉駅を目指して新幹線に慌しく乗り込む。くつろぐ暇もなく、乗務員のアナウンスが鳴り、せわしく下車の進備にかかった。頬にあたる冷たい風が、博多弁の懐かしい響きと相まって心地よい。

 ここ小倉は、かつては小倉藩の城下町として栄え、近年は九州最北部の商業の中心地として時代を生きる、由緒正しき街である。松本清張ら文人ゆかりの地でもあり、駅の西側に広がる風光明媚な古い街並みが、歴史の風情を感じさせる。

 二〇〇二年十一月某日、廣崎は再度この地に降り立った。泰然と歩く姿とは裏腹にその心には並々ならぬ意欲が渦巻いている。

 「アスクのビジネスは常に進歩しなければいけない。この小倉で都市再生ビジネスへの端緒をつける!」

 繰り返し自分の胸に問い掛ける。創業した一九七三年から最初の一歩を踏み出す勇気でアスクを引っぱってきた。一日たりとも仕事の手を緩めたことはない。恵まれた体力と事業経験の中で鍛え上げられた強靭な精神力が、「絶対にこの事業は成功する」という自信を生む。

 その日は、小倉そごうの三十六人の地権者との顔合わせである。小倉そごうの倒産は、代々伝わる土地の保有者であるビル跡地の地権者に大きな動揺をもたらした。江戸時代より小倉駅前は交通の要所として発展し、高度成長時代には小倉そごうとともによき時代の風を謳歌してきた。それが、すべて白紙に戻ったのである。

「これからどうするつもりなんですか、これまでは…、だから…」

 開口一番、地権者の一人が噛み付くような口調で、廣崎に問い掛ける。続けて他の地権者が続く。まるで一対多数の首実験のような状況で、冷たい視線が廣崎に集中する。

 顔色を変えず、ひとつひとつ丁寧に答える廣崎。小倉に乗り込む前に「聖人君主になった気持ちでやろう、いいものを作れば必ず理解してもらえるはず」と自分に言い聞かせていた。徐々に地権者もこうした廣崎の心持ちを肌で感じ、胸襟を開き始める。

 十一月十一日、廣崎も同席した記者会見で、小倉そごう跡地の後継テナントに伊勢丹、同ビル七階以上の専門店街の企画・誘致をアスクが担当することが正式に発表された。紆余曲折あったが、廣崎によるシナリオ作りが終わり、これからの主役は業務執行者である現場のアスクマンに移る。



プロジェクト奮闘記(井波正文のケース)

 二〇〇二年十二月十日、小倉伊勢丹(セントシティー北九州)のオープンが二〇〇四年二月十日と発表された。地元老舗百貨店の井筒屋から三割出資を受けた地上一階ー六階に出店する小倉伊勢丹(売り場面積約三万平方メートル)とともに、七階ー十四階のアスクの担当する専門店街I’m(アイム)」売り場面積約一万六千平方メートル)も注目を浴びる。行政・財界・市民が一体となった「町興し」にも似た期待感が小倉全体を包む。二〇〇三年四月、ビル全体の設計、デザインの骨組みも確定し、総事業費百二十億円のプロジェクトが動き出した。「時間がないことはわかっている。無限への挑戦をモットーとするアスクマンならできるはずだ!何かあったらすぐに報告しろ!」の檄が飛ぶ。廣崎の命を受け、まずは開発推進部長の井波正文が小倉に赴任した。オープン予定日までは一年も満たない。伊勢丹に伍する専門店街を作るには最低でも二年は必要だ。尋常な作業では到底不可能なスケジュールである。これまで廣崎の背中を見て、ずっとやってきた。重責ではあるが、この小倉でも期待に応えなければならない。

 「やらなければならない。いや、やってみせる!」

 アスクマンとしての自覚が強い意思に変わった。専門店街に入るテナント数は約百二十、トレンディーで集客効果のあるテナントと片っ端から交渉していく。普通の商業施設と違い、縦のラインでキーテナントである伊勢丹と専門店街が配置されるため、バランスを取る作業が難しい。七階のメンズファッション、八階のレディスファッションのフロアでは、伊勢丹の「トラディショナル」に対して「カジュアル」をテーマとし、極力ダブリ感のでないよう工夫する。

 「ターゲットは親子三世代だぞ!時代にあったトレンドを埋め込むんだ!ビルに生命を吹き込むよう工夫しろ!」

 廣崎の言葉を反瓠し、部下を叱咤激励する。十一、十二階のレストランフロアでは、アスクの内装・デザインのノウハウが如何なく発揮できるよう工夫を凝らす。ビルだけではなく小倉という街全体を俯瞰して、九階に市内最大級、約二千三百平方メートルの喜久屋書店を誘致。「ビューティー&リラクゼーション」をモチーフとした十階にはフィットネスクラブ(四月オープン予定)やクッキングスクールを誘致した。週に一回は東京に戻り、社内での会議で決定事項と進捗状況を報告する。

 「今何が起きているのか正直に話せ!嘘と言い訳と愚痴は許さないからな!」

 少しでも曖昧なところがあると廣崎に問い詰められる。夜遅くから始まった議論が白熱し、気がつくと太陽が微かに顔を出し、空が白み始めていた。

 「過去を振り返ってはいけない、毎日少しでも進歩するよう努力しろ!」

 廣崎の一言で、長い会議が終わった。午前中に仮眠をとり、眠い目をこすりながら食事をとっていたちょうどそのとき、携帯電話の着信音が鳴った。「昨日の契約書の文面でもめている」という現場からの報告だ。

 「わかった、すぐに戻る」眠気は一気に吹き飛んだ。鳴り止むことのない携帯電話を片手に、井波はまるで一本の矢のように、タクシーに飛び乗り小倉へと直行した。



プロジェクト奮闘記(有田勉のケース)

「常に公正でフェアにやろう、そうしないとまとまるものもまとまらない。皆にいい顔をするのではなく、第三者的立場で物事を考えろ!」

 二〇〇三年七月、アスクのNO2であり、廣崎の片腕ともいえる取締役の有田勉が小倉入りした。専門店街の一年目の目標売上高は百億円、伊勢丹の二百六十億円と合わせると三百六十億円になる。巨大な数字に心が躍る。事業の総投資予算を預かり、かつ開業後十年間の運営・管理に責任をもち、予算額に合致するようまとめあげる。廣崎が描いた全体の構想を受け、契約形態、数字について分析、業務執行に責任をもつ実質的な現場のリーダーである。

 「この事業契約書を明日までにまとめておけ!それからこの契約書は明後日までだぞ!」

 コンサルティングチームの岩井恭子に指示が飛ぶ。女性である、という泣き言はいってられない。徹夜で仕上げてもっていくと、赤ペンで有田の細かいチェックが入り、再び文書との格闘作業に逆戻りする。

 「この契約形態では、家賃と収入が・・・」

 一般のテナント誘致に躍起になっている最中でも、地権者たちの要望は果てしなく続く。有田の指揮のもと、家賃や預り金、共益費、「定期建物賃貸借契約」を基本とする契約形態などについて、計画段階で決めた案を頑として譲らない。

 「言うべきことははっきり言うんだ!」

 
 柔和なマスクから一瞬、鋭い眼光が覗く。三十年間、常にアスクの第一線にあり修羅場を潜り抜けてきた有田の縦横無尽の働きが、現場のアスクマンたちを発奮させる。関係者間での信頼度も抜群だ。アスクがこのプロジェクトに投入した社員は現地だけでも三十人、東京や大阪の支援部隊を合わせれば七十人を超える。アスクマン一人ひとりが、それぞれの持ち分で「無限への挑戦」に取り組んでいる。

 「最初のビジョンを思い出せ!基準値をずらすな!十年間、右肩上がりで成長していくことが大事なんだ!」

 将来の不動産の流動化を想定し、契約期間に長短の差をつけた「定期建物賃貸借契約」で建物の資産評価が容易なスキームを構築した。

 有田の脳裏には、開業後十年で刻々と構成を変えていくビルの姿が映し出されている。長期入居で施設の顔となりえるテナント、流行性が高く時間の経過とともに入れ替わっていくテナント、複雑に入り組んだパズルを組み立てるように、ビルに躍動する魂を吹き込んでいく。

 刻々と迫る時間との戦いの中、有田は機敏に小倉ー東京間を往復、週一回のミーティングで廣崎に報告を上げる。

 「七階のこのフロアの契約がまとまりそうです。詳細は…」

 「よし、それでいくぞ!」

 廣崎が即決する。約一日一件のペースで契約がまとまっていくスピード感は物凄い。ときにはスピードがあり過ぎて、石ころに蹟くときもある。微妙な信頼関係の上に成立つ事業である。話しが拗れそうになると、廣崎が駆けつけてきて、一人ひとりとじっくり話し込む。

 「わかります、そうできればいいのですが…」

 廣崎は決して相手の意見を否定するようなことは言わない。冷静さを失いかけたら「仏になった覚悟でやろう」と左手に巻きつけた数珠を見つめる。よき人間関係の構築が、感情的な確執を抑える潤滑油になる。

 「廣崎さん頼みますよ…」

 最後の最後まで微妙な調整に奔走し、駆け込むようにしてオープンの日に辿り付いた。



絶えることないベンチャーマインド

 二〇〇四年二月十日十二時、小倉伊勢丹十階にある喫茶店「テニナス」で、有田を始めとした社員と談笑する廣崎。正面の滝をモチーフとした内壁と天井の吹き抜けが贅をこらした大人の空間を演出する。

 オープン当日の客の入りは上々、十万人というマスコミの予測をはるかに超えそうな勢いである。ただし廣崎や有田にとって一〇〇%満足する出来ではない。開業後、半年ごとにテナントの五%を入れ替え、商業施設としての完成形にもっていく。

 「これで油断するなよ、これからが本当の勝負なんだ!」

 気を緩めることなく、周囲の状況に目を光らせる。廣崎の指示のもと、若手社員たちが携帯電話を片手に慌しく動き回っている。大きな仕事ほど、細かいところでのミステイクが致命傷になる。備えあれば憂いなし、アスクの強さの秘訣はその徹底したリスクマネジメントにある。それゆえ黒子であるが、強烈な存在感を示すのである。

 ブランドショップが軒を並べる華やかな空間、目当ての商品を求め、大挙して押し寄せる客で賑わう小倉伊勢丹の裏側で、アスクの社員数十人が夜を徹して翌日のオープンに備えたことを知る人はほとんどいない。三十六人の地権者の総意をまとめ、わずか一年足らずで、七階から十四階の専門店フロアに約百二十の専門店を招致したことも同様である。

 アスクは自らを世に問い掛け続ける。廣崎と有田はオープン初日の全貌を見届けることなく、夕刻には博多に向かって出発した。福岡中洲、玉屋跡地の再開発プロジェクト「タイムトンネルゲート(仮)」の着工まであと半年。金融・不動産を組み込んだ進化したアスクのビジネスであり、詰めきれていない部分を早急に解決する必要がある。

 「まだ為し遂げてないことがたくさんある」と語る廣崎、そのマグマのように溢れ出すベンチャー精神は衰えることを知らない。



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