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トピックス -企業家倶楽部

2003年10月27日

「ゼロから1をつくる」志とスピード経営で介護業界のトップをめざす/グッドウィル・グループ会長兼CEO 折口雅博

企業家倶楽部2003年12月号 グッドウィル・グループ特集第3部 編集長インタビュー


「大きなことをやりたい」という子供時代の夢を今も持ち続けて邁進する折口雅博。日商岩井時代にディスコ「ジュリアナ東京」を企画・プロデュース、一世を風靡した後、独立、グッドウィル・グループを立ち上げる。軽作業請負事業で一気に成長すると、すかさずコムスンを買収、介護事業に進出した。1年間で1200拠点に拡大、即座に300拠点に集約、そしてまた今期末には800拠点に増強と、すさまじいスピード経営を展開する。「この業界で絶対トップになって、これからやってくる高齢化社会を明るくしたい」と語る。スケールの大きな企業家である。

(聞き手は本誌編集長徳永卓三)



とにかく大きなことがしたかった

問 この八月、念願の六本木ヒルズに本社を移されましたが、居心地はどうですか。

折口 最高ですね。なぜかみんな帰るのが遅くなる。いつも回りがにぎやかなので、ここにいると気分が高揚します。仕事が終わった後、買い物もできるし、映画も見れる。スポーツジムもあるので、私は朝、よくそこで汗を流しています。時間の無駄がなくていいです。

問 ところで、いつ頃から企業家をめざしたのですか。

折ロ 小さい頃から大きなことをしたいという夢を持っていましたが、企業家になろうと思ったのは二十八歳ぐらいのときです。最初は日商岩井で出世して、夢を実現しようと思った。

問 ではなぜ企業家になったのですか。

折ロ 日商岩井でいい成績をとれば必ず社長になれるという保証はないことがわかったからです。大きな会社では自分のがんばりではどうしようもない部分がある。まずは徹底的に出世をめざすけれども、三十歳ぐらいになったとき、独立する選択肢もあるなと思った。そう思いながら五年間がむしゃらに働いた結果、入社四、五、六年目と上位五%のランクAをとっていました。出世と独立、両方の可能性を探っていた。

問 結局、六本木のディスコ「ジュリアナ東京」を立ち上げたことをきっかけに、日商岩井を辞めましたね。

折口 「ジュリアナ東京」はウェンブリーという英国最大のレジャー会社が持っているジュリアナという子会社のノウハウを輸入したのです。そのウェンブリー社のトップがペンシルバニア大学ウォートン校の理事もやっていた。私は「ジュリアナ東京」をつくって、その人に認められて、推薦状を書いてもらい、ウォートン校に留学してMBAをとりたいと思っていた。ところが私をよく知っている人事部長が許可しないと言うんです。私のようにアグレッシブな人間にMBAをとらせたら、絶対独立すると思ったらしいのです。しかし、本当は逆だった。私はMBAをとれて出世路線に乗れたら、社長をめざそうと思っていたので、留学が認められていたら、日商岩井を辞めなかった可能性が強いのです。

問 おもしろい話ですね。

折口 けれども本当にMBAをとりたかったら、なんとしてでも行っただろうと思う。それをしなかったのは結局、自分の可能性を自分の手に持っておきたかったから。日商岩井で社長になれるかどうかはわからない。わからないことが怖いのではなく、自分の力ではどうしようもないところでダメになることが悔しいんです。やはり自分で納得がいく人生を送ろうと思って独立しました。



「ジュリアナ東京」追放事件の顛末

問 それで「ジュリアナ東京」は成功したが、そこを追放されるような事件が起きたのですね。

折ロ 私が独立をすると決心しなければ「ジュリアナ東京」はできなかった。初めはある倉庫会社がディスコを運営し、日商岩井がプロデュースするという位置づけだったが、倉庫会社はノウハウがないので、やっぱりやらないと言い出した。どうしてもやりたいなら、しっかりしたテナントをつれてきてくれと言われた。私はテナントになる会社を見つけたが、保証金を入れることが条件だった。私はどうしてもこの事業をやりたかったので、個人で数千万円の借金をしそのおカネを入れた。人生をかける決意で話をまとめたのです。

問 日商岩井の社員の立場で、そこまでしたんですか。

折ロ それをやったということは、いずれにせよ会社を辞めるということです。倉庫会社が大家という位置づけで内装まではやり、そこにテナントを入れて、私が保証してスタートしたのが「ジュリアナ東京」なんです。

問 そのほかのオープンに必要な資金はどうしたのですか。

折ロ 什器備品、ユニフォーム、グラス、コースター、パンフレットなど、いろいろかかりますよね。その資金は全部、私がスポンサーを取りに行った。ビール会社、化粧品会社、アパレル会社などを回り、現物、現金を合わせて約一億円集めた。それも集められなかったらオープンできなかった。それで私はいつも「ゼロから一をつくる尊さ」を説くのです。もし協賛金を集められなかったらどうなるか。このプロジェクトはできないのです。サラリーマン経営者のように、元々予算があるわけではない。ゼロから一をつくろうと考える人は「協賛金を集めるんだ、絶対に集めるんだ、集められなければそれで終わりなんだ」と、命がけでやるわけです。それが企業家の一番大事なところだと思う。その迫力があるから伝わるんです。

問 介護事業でもゼロから一をつくってきた。

折口 そのためには既成概念を全部やっつけなくてはいけませんよ。福祉はカネにならない、福祉で儲けてはいけないとか。「ジュリアナ東京」をつくったときも同じでした。本当に「ジュリアナ東京」をつくったときは、自分の人生のすべてをかけていた。

問 その結果「ジュリアナ東京」は大成功したのですね。

折ロ オープン四カ月後の月商が一億八千万円、利益が一億円でした。ものすごい額の日銭が入ってきた。そうなると回りの人間が変わった。最初はあまり期待していなかったので、大家でいいと言っていた倉庫会社が経営権を主張し、テナントと利益を取り合う訴訟合戦になった。そうした中で一番最初に弾かれたのが私でした。その時点ではまだ日商岩井の社員でしたから、自分のおカネは入れていたけれども口約束だけで、きちんとした契約もしていなかった。結局、四千万円の借金を背負ったままはじかれた。

問 災難ですね。

折口 やはりこうくるかと思った。人間というのは辛いときよりも、儲かったときに裏切られることが多いです。しかし、ゼロになったのではなく、ジュリアナをつくった証が私にはあった。そこで、もっと大きなディスコをつくってやろうと、大型ディスコ「ヴェルファーレ」をつくった。「ヴェルファーレ」ができるまでに四千万円の借金は七千万円にまで膨れ上がっていましたが、「ヴェルファーレ」の成功で返済することができました。ただこのときも最初は社長だったのに、資金を出してくれた会社のごたごたに巻き込まれて副社長に降格させられた。給料はもらっていたが権限が十分の一になった。



午前1時から会議をしたグッドウイル創業時

問 そこでグッドウィルを設立するのですね。

折ロディスコの道を究めようと思っていたわけではなかったので、人材ビジネスに向かった。そのときいいなと思ったのは、規制緩和がまさに始まろうとしている業界だったことです。

問 最初はヴェルファーレとグツドウィルを掛け持ちしていたようですね。

折ロ 一年間、我慢をして、ヴェルファーレの仕事が終わった後に、グッドウィルの仕事をしていた。だから、グッドウィルの本社は六本木にあるんです。ヴェルファーレで朝の八時半から翌日の午前一時まで仕事をし、それからグッドウィルに行って仕事をしていたので、いつも終わるのは午前三時、四時だった。グッドウィルの会議はいつも午前一時から始まっていた。その一年間はめちゃくちゃハードワークでした。

問 折口さんはいいけど社員は大変だったでしょう。

折ロ といっても当時はまだ七、八人の創業メンバーばかりでしたから。

問 軽作業請負では、フルキャストの方が先行してましたよね。

折口 この業界の創始者は、後にうちと合併したラインナップの大西幸四郎氏なんです。うちの創業メンバーも学生の頃、そこでアルバイトをして仕事を覚え、その中の一人は創業時のフルキャストに経営指導した経歴を持っていた。彼はフルキャストの平野岳史社長に一緒に事業をやりましょうと持ちかけたが、話が折り合わなかった。そこで私と組むことになった。私が最初にこの話を聞いたとき、この事業はいいと思った。しかし現金日払いだから資金繰りがネックだと思った。その点は、私がメンバーの中で一番多くの人脈や経験を持っていたから、ペンチャーキャピタルなどから資金を集めてきて、公開をめざしてやろうということになったのです。問その意味では根はフルキャストさんと同じなのですね。

折ロ われわれがスタートしたとき、フルキャストさんはすでに四十億円ぐらいやっていましたから、そこから追いついて抜くのは結構大変でしたね。



スピードが破壊力を生む

問 しかしなぜ、それがやれたのですか。

折ロ 経営力とシステムカの違いでしょうね。組織を急速に拡大していくときに。どのようにマネジメントしていくか。初め、普通はみんなでやろうという感じじゃないですか。確かにみんなでやっているけれど、役割分担をきちっとして、スペシャリスト集団にする。で、それを統合する。その適材適所の組織構築力が違うと思います。そしてスピード。普通だったらこんなスピードでやらないというところを、猛スピードでやるのです。このスピード経営が破壊力を生むのです。

問 具体的には、どの位いのスピード感覚ですか。

折口 普通、支店長教育には半年かかるのですが、私は一カ月でトレーニングをさせます。できるようなやり方をすればできるんですよ。もう一つの強味はシステムカ。情報システムに則った事業形態なのでそのシステムをきっちり開発すれば、人に依存する度合いを少なくできる。仕事をしたい人と、人を求めている企業をシステムできちっとマッチングできるから、支店長の力量が多少弱くてもオーダーが取れる。私は業務請負業はシステム産業だと認識していたので、システム開発にものすごい力を入れたのです。

問 コンピュータ・システムについては詳しかったのですか。

折口 私は防衛大を卒業してから日商岩井に入るまでの一年間、日本ユニパック(現日本ユニシス)で働いた経験がある。だからすぐれたコンピュータ・システムを低コストでつくる方法がわかっていた。プログラミングは委託するけれども、基本アーキテクト、基本デザインは自社でやることが大切なんです。

問 グッドウィルの情報システムの一番の自慢はどこですか。

折ロ マッチングカです。クライアントがほしい人材をぴったり出す。何時に何人は当たり前。どういうスキルの人がほしいか、どういう経験の人がほしいか、どこに住んでいる人がほしいかをデータベースから抽出して、バシッとくっつける。そのためには分母のデータベースが大きければ大きいほどいい。その両方が備わっているので、業界で最も適した人材が出せる力がある。だから、値段も安売りしなくていいのです。クライアントにすれば、必要な時に必要な人をぴったりと出してもらえれば、時間給を値引きしなくても結果的に、コストは削減できるのです。だから、グッドウィルは利益率がいいのです。

問 登録スタッフは百万人を超えたそうですね。

折ロ 七月末で百二万人です。フルキャストさんは七十万人ぐらいだと思います。

問 株式公開も御社の方が早かったですね。

折ロ ニ年早かったです。

問 グッドウィルの拠点は今期中に七十ヵ所増やして三百七十カ所にするそうでが、これは予定通りですか。

折ロ 順調にやっています。拠点数が多いと、より細かく顧客のフォローができるし、密な営業ができるのです。けれども他社がなぜ、うちのように拠点を増やせないかというと、赤字拠点のリスクがあるからです。なぜ赤字になるかというと、損益分岐点が高いからです。当社は損益分岐点が圧倒的に低いので、次々と拠点展開できる。その理由はシステムです。普通は一つの拠点に正社員が二人は必要なんですよ。そうでないと、一人がいないときに手配できなっくなってしまう。けれどグツドウィルは正社員一人でいいんです。

問 他社は二人いるんですか。

折ロ 彼らの損益分岐点は月商五百万円と聞きましたので、二人いると思います。けれどもわれわれは正社員一人でできるので、月商二百五十万円でできます。なぜ正社員が一人でできるかというと、その人間がたとえいなくても、拠点同士が相互乗り入れができるネットワークがあり、他の拠点から手配できてしまうからです。そこが大きな違いですね。

問 その他に拠点数のメリットはありますか。

折ロ スタッフの利便性です。うちは支店に現金(給料)を取りに来てもらいますから、近い方が便利です。なぜスタッフに振り込みではなく、現金で渡しているかというと、スタッフと唯一顔を見て話すよい機会になるからです。よいことであれ悪いことであれ、おカネを渡すときに話すのが一番利くのです。たとえばスタッフがさぼって、いい加減な仕事をしてクライアントから怒られたりしたとき、おカネを取りに来にくいじゃないですか。だから、ある種の抑止力にもなるんです。しかも、クライアントからのコメントシートを持って来ないと、おカネはもらえませんから。このコメントシートによってAからEまでのランクをつけています。またマイナス面ばかりでなく、いつも電話で話している人と、顔を見て話す機会をつくることが大事です。

問 最終的には全国に何拠点ぐらいつくる予定ですか。

折口 今見えているのは五百拠点ぐらいですが、後はわからないですね。介護と違って、こっちの方が商圏が広いですから。

問 売り上げはどのくらいまで行きそうですか。

折ロ あまり先は読めませんが、前期が三百五十億円で、今期は四百三十億円を見込んでいます。五年内に一千億円ぐらいはいくでしょうね。



最初から介護業界のトップを狙っていた

問 コムスンについてですが、お父さんの介護をした経験が、介護事業に乗り出したきっかけになったと聞きました。いつ頃ですか。

折口 私が最終的に父親の病院に三カ月間泊まり込んで介護したのは二十三歳のときです。ちょうどユニシスにいて、日商岩井への転職を表明した頃でした。四月に日商岩井に入り、父親が亡くなったのは六月でした。泊まり込んで介護したのは、転職の狭間の一月から三月でした。父親が初めて倒れたのは私が小学三年生のときで、その間十四年間、入退院を繰り返し、ヘルパーさんが来てくれたり、自宅で介護をしたりしました。公的介護、家族介護、特養(特別養護老人ホーム)、すべて経験した中で、民間企業が二十四時間体制での在宅介護をサービス業としてがっちりやることだと感じたのです。

問 家族介護はよくないとおっしゃってますね。

折口 家族介護は気持ちが入りすぎてダメなんです。小さいころ憧れていた親がお漏らしをしたり、ご飯をぽろぽろこぼす。子供はやるせなくて逆に叱咤してしまう。「何をやっているんだよ、しっかりしてくれよ」と。それに対して、親はもうダメだと言う。お前がいてくれないとダメだと言って、どんどん頼ってくる。本当は歩けても、歩けないふりをする。そのうち、どんどん悪くなる。しかし介護に来るのが他人だと、いい意味の緊張感が出て、その人がより人間らしい感覚を保つことにつながるのです。そして、なぜ民間がやった方がいいかというと、公的セクターは平日の昼間しかサービスをしないからです。

問 そうした経験を通じ、介護を事業化しようと思ったのはいつごろですか。

折ロ 実際にやろうと思ったのは、介護保険制度ができるという話を聞いたときです。

問 それはいつ頃ですか。

折ロ 一九九七年ぐらいですね。どういうことなのかなと興味があった。それで企業家や官僚などが集う朝の勉強会に出席した。そこに厚生官僚がいたので、詳しく尋ねると、すべての民間企業がフェアな条件の中で介護事業に参入できる制度だと言う。それは素晴らしい。国家がやることだからすごい市場がある。ぜひやりたいと思った。そして自分が絶対、その業界のリーダーになろうと決心したのです。

問 最初からトップを狙っていたのですか。

折ロ トップ企業のビジョンや志がその業界に及ぼす影響はものすごく大きいんです。自分の介護の経験から、今の状態は本当に悲惨だと思っていた。高齢化社会が進むなかで、トップ企業になって、自分の理想とする介護のあり方を広く知らしめたいと思ったのです。

問 そこで九州の介護会社であったコムスンを買収したわけですね。

折口 厚生官僚の方に紹介され、当時から二十四時間のサービスをしていたコムスン創業者の榎本憲一さんに会い、意気投合し、一緒にやることになった。コムスンは介護保険制度が始まる前の年までは十三拠点しかなかった。それを二〇〇〇年四月のスタートに合わせて、一挙に千二百拠点にした。

問 しかし、その約四カ月後に、それを一気に三百拠点に集約したことでマスコミに叩かれましたね。



3カ月間で1000拠点をつくる

折口 確かに見込み違いはありました。しかし、ここで私が言いたいのは、ゼロから一をつくる尊さを知るという先ほどの言葉で言うと「よく千二百拠点もつくれたね」と言う人がいないのが不思議です。どうやってつくったのですかと、ここに大感動してくれてもいいはずなんですよ。私が客観的な立場でコムスンを見たとすると、よくもまあ千二百拠点もつくったなと、どうやってつくったのか教えてほしいものだ、と思います。

問 確かに神業に近いですね。ところで、一つの拠点はどんな感じなんですか。

折ロ 小さなオフィスに、机、コンピュータ、ファツクスがある程度のものです。グッドウィルの派遣拠点と似たようなものですが、コムスンの方がヘルパー二級を持っている人を募集しなければならない分、手間はかかります。

間 どうやってつくったんですか。

折口 最後の三カ月で千拠点をつくったんですが、そのときは一日に十三拠点の不動産を探して、契約して、準備金を入れて、募集広告を出して、面接をして、採用して、教育して、営業してという流れですが、これを毎日十三カ所のペースでつくっていったんですよ。普通はできないと思いますよ。

問 短期間でよく千カ所も設置できましたね。

折ロ これこそがグツドウィル・グループのDNAなんです。グッドウィルも創業二年強で売上高四十億円にした会社ですから。そのDNAがある。企業風土と仕組みを持っているんです。どういう人材を投入し、どこにどれだけのおカネをどんなタイミングで投入してということを全部合わせてやったからできるんです。一番多いときは、一カ月で、採用募集経費だけで八億円かけました。紙媒体の採用広告だけでですよ。それを全国で実施して、面接会場の手配からなにからなにまで、グループを総動員してやりました。ですから、千二百拠点を一気につくり、一気に三百にもできた。そのポテンシャルがある会社にとって、逆に千二百に戻すのも簡単ですよ。その部分をいかに理解するか。当社を理解するポイントになると思います。

問 それにしても九百拠点を閉めるというのも大変なことですね。

折口 基本的には合併の形で拠点を集約しましたが、お客様にはほとんど影響していない。こちらから出かける介護拠点ですから、その人がどこから来ようと何も変わらないのです。またコムスンの顧客数や売り上げも一度も減ったことはないんです。二〇〇〇年四月に千二百拠点を出したときの月商は二億五千万円でしたが、一年後三百拠点時の月商は十億一千万円でした。年商は七億円から百二十億円に拡大した。それなのに事務拠点を集約したことだけで、マスコミに大縮小と書かれたのです。



サービス業でトップになりたい

問 介護をビジネスにしてはいけないという意見に対してどう答えますか。

折口 それは仕組みが変わったことに対する認識がない。介護保険の仕組みはフェアな競争社会なんです。もし利益のためにサービスを低下させれば顧客は必ず逃げます。顧客から支持を受けて利益を上げるためには、顧客満足度を最大化させる以外にない。突き詰めて考えれば、ビジネス化した方が顧客にはメリットが大きいのです。

問 その方がサービスの質がよくなるというわけですね。

折ロ それ以前の介護は公的セクターからの施しでした。ありがたいけれども、選択肢がなく、言いたいことも言えなかった。以前は施してもらっている感覚だったのが、今はお客さんとして言いたいことが言える。介護が明るいものになったんです。

問 今は業績はいいみたいですが、なぜ回復したのですか。

折口 介護保険制度が始まって以来、ずっとよくなる道をたどってきた。急によくなったわけではありません。初めに赤字が出たのは投資期間だからです。去年だって、コムスン単体で十三億円の利益を出している。実際はテレビ宣伝に七億円使ったので、本当は二十億円の利益が出ていたのです。そして今は認知度が上がったので、さらに成長しているんです。実際の要介護者の人数は三年前に比べて増えてはいないが、認知度が高まったのが大きいですね。

問 今の契約者数はどのくらいですか。

折口 三万五千人です。一年前は二万五千人でした。月一千人のペースで増えています。これは純増です。

問 コムスンは将来、どれくらい大きくなりますか。

折ロ 十年後、売上高二千五百億円、経常利益三百億円を見込んでいます。コムスンは人口統計をみればだいたいわかるんですよ。

問 折口さんはセコムをめざしているそうですが、十年後は今のセコムのような企業になっているのでしょうか。

折ロ サービス業ではセコムがトップの会社だと思っています。素晴らしい会社です。だから将来的にはセコムをめざし、さらにそれより上になりたいと思っています。人材に限らずに、サービス業でトップになりたい。サービス業のコングロマリット(複合企業)をめざしたい。

問 介護と人材サービス以外の事業にも、将来は進出するのですね。

折口 何をやるとは今は言えない。いろいろ探ってはいます。たとえば介護から出てきた介護タクシーはタクシー事業に近いし、施設介護の販売方法はマンションデベロッパーと同じなんです。グッドウィル・キャリアはカウンセリングをしているし、医療との接点もあります。

問 医療をやってもらいたい。セコムが挑戦していますが一社だと弱い。折口さんあたりが若い力で、ばーんと突撃していけば、セコムもやりやすくなるでしょう。

折ロ それを宣言しようものなら、大変なことになりますね。ただ介護は医療との接点がいっぱいあるのは事実です。介護しているとき、ヘルパーでは心細いからお医者さんに診てもらいたいこともある。そういうところから、医療業界と共存しながら、お医者さんの立場、やりたいことなどを勘案して何かできるかもしれません。

問 折ロさんにはぜひ医療分野を改革してほしいです。

折ロ 病院一つ建設するにも巨額な投資が必要です。しかし、医療分野は挑戦しがいのあるところではあります。



Profile

折ロ雅博(おりぐち・まさひろ)

1961年東京生まれ。76年陸上自衛隊少年工科学校入学。79年防衛大学理工学部入学。84年、同校卒業後日本ユニパックを経て、日商岩井入社。92年大型ディスコ「ジュリアナ東京」をプロデュースし、同年独立。94年「ヴェルファーレ」をオープンさせた。95年、軽作業請負サービスのグッドウィル・グループを設立。99年同社店頭公開。2000年グッドウィル・グループおよび介護子会社コムスンの会長兼CEO。日本一のサービス会社をめざす。



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