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トピックス -企業家倶楽部

2000年04月27日

【パーク24】ひらめきを生かすのは成せば成るのチャレンジ精神/パーク24代表取締役 西川清

企業家倶楽部2000年6月号 特集第3部 編集長インタビュー


「社長が天職で、それ以外にはやる仕事がない」という西川。独立後、駐車場ビジネスと運命的に出会い、以後一貫して駐車場問題に取り組んできた。駐車場会社の社長という居場所を見つけた西川は、その才能を20年近い時をかけて熟成し、50歳を超えてから爆発させ、10年足らずで東証一部企業にまで駆け上がった。そのドラマチックな歩みと、駐車場に対する洞察力あふれる提案、壮大なビジネス構想などを存分に語ってもらった。



パイオニア企業は強い

問 東証一部上場、おめでとうございます。

西川 ありがとうございます。おかげさまで、東証二部に上場して一年以内、最短で一部上場できました。

問 一部上場の狙いはなんですか。

西川 信用力をさらに高めて、地主さんから土地を借り安くすること。それから事業拡大のための資金を、マーケットから豊富に調達するためです。

問 八期連続増収増益が確実な情勢ですが、伸びている理由はどこにあるんでしょう。

西川 駐車場を的確につくり、お客さんの二ーズに応えていることが最大要因です。これまで放置されていた駐車場という巨大なマーケットを一つひとつ開拓してきたことが、成果につながっているのです。

問 ある面では駐車場ビジネスの入り口にやっとたどり着いたという感じでしょうか。

西川 ヨーロッパには人間が天秤棒で担ぐような大きなチーズがありますが、あのチーズに小さなネズミが一口かじりついた感じが、駐車場ビジネスにおけるわが社の現状だといつも言っています。

問 経常利益率も一〇%以上を維持している。それは駐車場ビジネスの特徴なんでしょうか。

西川 コスト意識を徹底して考えております。ですから、目標はあくまでもROE(株主資本利益率=税引利益を株主資本で割ったもの)二〇%です。

問 業界二位のリパークを大きく引き離してダントツトップにある強みは何でしょう。

西川 このシステムのパイオニアであることが最大要因です。それとサービス専門の子会社タイムズ24の存在が大きい。この会社が24時間体制で、しっかりとした駐車場の運営を行っていることで、計画どおりの収益が得られるのです。そういう子会社をつくったのも、パイオニアとして駐車場ビジネスを熟知していたからと言えます。



IT戦略に100億円を投資

問 駐車場にIT(インフォメーションテクノロジー)を導入する構想を聞かせてください。

西川 ここ三、四年で百億円規模の投資をしてタイムズのIT化をしていきます。それによってリアルタイムに満空車情報を提供したり、予約を受けたりできるようにし、駐車場の稼働率を上げます。稼働率が上がれば投資金はすぐに回収できます。そういうことも含めて駐車場の付加価値を高めていく。合計すると三十万坪あるタイムズの土地をもっと有効に活用するため、あらゆる二ーズに応えるシステムをつくろうと思っています。

問 たとえば、どんなことを考えているんですか。

西川 これまでのパーク&ライド(駅前まで車で来て、タイムズに駐車し、あとは電車で移動するシステム)は首都圏から五十キロ圏以上離れている駅を対象としていましたが、都心にもっと近づけて十キロとか十五キロ圏内に大きな駐車場を確保し、そこで車を乗り降りしてもらう。そして、その先の中心部は完全な電気自動車圏にするといったことも、視野に入れています。

問 満空車情報の提供はいつごろ開始する予定ですか。

西川 現在の構想では二〇〇四年ぐらいになりますけど、来年度中に一〇%ぐらいは実現したいです。それからドライバーの囲い込みをするため、ドライバーズネットという会社をつくりました。駐車場を基点にお客様の要求要望に即座に答えるカーサービスを提供することで、二年ぐらいで五十万人以上の会員を集めるつもりです。

問 IT化ではその他、どんな計画がありますか。

西川 携帯端末にも駐車場の満空車情報を配信し、簡単に予約ができるようなシステムをつくることが、今後のIT戦略の骨子になります。



六本木の地下に1200台の駐車場つくる

問 現状は駐車場のことを心配しながら車に乗ることが多いですから、それはありがたいシステムですね。帰りにお酒を飲んで、車を何とかしなければいけないときに、一時預かるとか届けてくれるといったサービスはあるんですか。

西川 それは「パレットサービス」と呼んでいます。いわゆる乗り捨て。電話一本で予約して、乗り捨てられるシステムをつくっていくつもりです。

問 これは会員制度でやられるんですか。

西川 当面は会員ですよ。

問  PFI(民間企業が行政に代わって社会資本整備を行う制度)を利用して、ビジネスを拡大する構想をお持ちで、すでに福井県鯖江市で実現されたそうですね。

西川 おかげさまでこの四月、国内初のPFI活用駐車場を鯖江市で開業しました。

問 さらに東京・六本木の地下に大駐車場をつくる構想があるそうですね。

西川 これまでは、道路の地下、公園の地下、学校の地下などに駐車場つくらせてくださいなんて役所に言えば、頭がおかしいんじゃないかと言われたと思いますが、昨年七月にPFI法案が可決してから、実現する可能性が出てきたのです。特に六本木などは国際都市だというのに公共駐車場が全くなく、路上に車が氾濫しています。六本木の交差点から半径一キロ以内には約千五百台分のタイムズがあるんですが、これは賃貸契約による平面駐車場ですから、永久的にあるわけではない。いまでも不正駐車だらけなのにタイムズがなくなったら大変なことになる。だから私は外苑東通りの地下に、千二百台の駐車場をつくることを提案しているのです。民間の資本で駐車場をつくって、お役所の施設をわれわれが運営管理させていただく。そして投資資金回収後はお役所に施設をお返しする。行政当局は全く資金が要らないで、施設が手に入り、街には駐車場ができ、われわれも運営管理を任せてもらえる。一石何鳥ものメリットが得られる計画です。

問 資金はどれくらいかかるんですか。

西川 役所がつくると、一台当たり約六千万円かかるでしょうが、われわれはその半値でつくれます。

問 東京都も石原都知事になって、新しい試みが通りそうな雰囲気がありますから、期待できますね。

西川 われわれも大変期待しております。単に都心が混むから車に乗ってくるなではなくて、必要な交通システムと必要な受け皿としての駐車場は最低限必要だと思います。



トップでないと気がすまない性格

問 創業当時の話に戻ります。西川さんはサラーリマン時代から社長になるつもりだったそうですが、なぜそう思ったのですか。

西川 小さいときから、当時としては体が大きかったので、喧嘩には未だに負けたことがない。もう二十年やってませんけど(笑)。だから二人以上の人間が集まれば、必然的に自分が中心で、頂点にいないと気が済まない性格になっていた。ただ腕力は強いけど勉強はあまりできなくて、大学はようやく卒業できたという状況でした。しかも学校を卒業してすぐに結婚し、子供も次々と生まれたので、サラリーマン時代も、同僚とは目の色が違いました。第三番目の子供が生まれたときは市役所からの補助金を頼りに生活しているような状態でした。会社には九年間勤めましたが、辞める決心をしたとき、妻に「辞めていいかい」と聞いたら「いいですよ」と言われたので、こっちが拍子抜けしました。独立資金は妻の持参金百万円でした。半年間失業保険をもらいならが独立の準備をして七一年に独立しました。早くふんぎってよかったと思います。

問 奥さんも西川さんがサラリーマンでは収まらないとわかっていたんでしょうね。

西川 そのようです。私は勉強ができないとは言いながら、どんなハイレベルの学校に行っても中の上をとれる。偏差値の低い学校へ行っても中の上、東大に行っても中の上でしょう。だから、ちょっとがんばればトップだという余裕、自信を持っていた。実際はそうはいかないかもしれないけれども、そう自分でも信じ込んでいたんです。妻の実家は銀行一家で、日銀や三井銀行の偉い人が親族なんです。妻はどこの馬の骨かわからない私と結婚したので、一族の中で、あなただけが心配ねと言われていたんですよ。これが一番癪に障りました。妻の実家から、就職先を紹介してやると言われたんですが、冗談じゃない、ふざけるなと思って、自分で日本ドライブイットという小さな会社を選んだ。というか、そこしか入れなかったんですが、いまに見ていうという気持でしたね。その小さな会社では、出られる身分でもないのに役員会に出席して、社長に大きなことを言ったり、やりたい放題をしました。もちろん、仕事は一生懸命やりました。その意味では、あの会社に入ってよかったと思っています。



パークロックを見て閃く

問 駐車場と出会ったきっかけはなんですか。

西川 失業保険をもらっていた時期に、これからは車の時代だとは思っていました。といっても自動車メーカーは無理だから、店の前などに置く駐車禁止の看板に目をつけた。メーカー出身なので物がつくりたくて、一セットニ千六百円の看板をつくったら結構売れました。『西川の駐禁プレートはあなたの門番です』というコピーをつくって、オーダーメイドで注文を受けるシステムにした。一セット三十キロあったので、十セット売れば三百キロ、百セットで三トン。一人でやっていたから完全な肉体労働です。ただ当時は体重が百六キロあったので、体力的には問題ありませんでした。

問 その看板を売り歩いているときに、タイムズで使っているパークロックを目にしたんですね。

西川 これだと思いました。駐車問題に取り組んでいたおかげで閃いた。すぐにメーカーの日本信号に行き、代理店として売りたいから取り引きしてくれと頼んだけど、けんもほろろ。そのときの担当者はいま日本信号の幹部ですが「よくもあのとき、俺をあんなに冷遇したな」と、いまでもクレームつけてますよ。そのパークロックは日本信号がつくってはみたけど、全然売れないので、中華料理屋に頼んでサンプルとして置かせてもらっていたものだったんです。私はそれを見た瞬間、これはもっていく場所が悪い、駐車料金がタダで不正駐車が多い病院に置けばいいじゃないかと気づいた。それでカタログを持って行って、ものの一、ニカ月で聖路加国際病院、順天堂病院など日本で有数の病院に売った。パークロックは瞬く間に売り切れ、生産が間に合わない状況になった。それで独立初年度の売り上げが二千五百万円、二年目五千五百万円、三年目一億三千万円と、まさに倍々ときたわけです。いい商品にめぐり合い、的確な場所に売ったことで成功したのです。日本の病院とホテルの駐車場を有料にしたのは間違いなく私なんです。

問 有料化の発想はどこから生まれたのですか。

西川 病院の駐車場には朝から晩まで同じ車が止まっていて、利用者の迷惑になっていたからです。そこで病院の駐車場に、定点カメラを据えて一時間ごとにシャッターを押し、その現状を病院の庶務課長のところに持っていった。こんなにひどいですよと言うと、そんなことは知っていると言う。なぜ放っておくのかと聞いたら、面倒だし、有料なんかにできるわけがないと言う。そこで、こんないい機械があるんですよ、と売り込んだのです。

問 不正駐車を発見した観察眼はすごいなと思います。経営者には現場の観察眼というか、閃きが必要なんでしょうね。

西川 以前から閃きはありましたね。われながらどうしてこんなに悪知恵が働くのかと、自分が嫌になった時期もありましたよ。「こんなものが欲しい」と言われると、アイデアがひとりでに滑り出して、結果的に商品的なものができあがる。何か問題や障害があるとき「じゃあこうすればいいんじゃん」という提案が得意です。この機械が売れない。原因はなんだ。高い。じやあ安くすればいい。重たい。じやあ軽くすればいい。そんなことは当たり前だと思う。いま盛んに経営にはスピードが大事だと言われてますが、私はサラリーマン時代からスピードはありました。独断専行ですぐにやる。失敗したら謝ればいい。ぐずぐずして後でほぞを噛むぐらいならやってしまえということです。私はアレンジャーなんですよ。何か元になるものがあって、それをトレンディーなものにしたり、日本に合ったものにアレンジするのは、そんなに下手じゃないと思います。

問 既存の概念にとらわれないから、いろいろなアイデアが出てくるんでしょうね。

西川 考え方が真面目な人は、真面目にしか考えられないんですよ。正面から行ってダメなら、なぜ横から、裏から行かないんだ、と思うのですが、私にとっては当たり前のことが、真面目な人には当たり前ではない。私は最近「そんなことでは、いつまでたっても金持ちにはなれないよ」と、社員にも辛辣なことを言目つんです。豊かな老後を送りたかったら、人ができないこと、人がやらないことをやりなさい。とにかくアクションをおこせ。それができなければ、金持ちになんてなれるはずがないよと、何十年も言い続けています。



公開をめざして第二創業を実行

問 その後やや停滞した時期があって、五十歳を過ぎてから発奮されたんですね。

西川 会社を二回やったようなものです。まさに第二創業ですよ。

問 株式公開を志したきっかけは何だったのですか。

西川 結局、漠然たる将来への不安ですね。サラリーマン当時から比べれば食うのに困ることはなくなったけれども、リタイアした後も健康で長生きしたら、年金だけでは足りない。このままでは、自分が社長の間は大丈夫だとしても、体力がなくなったらどうなってしまうのか。なんとかもう少し安定した会社にしなければという漠然たる不安が出てきたときに、もう一回創業期の精神に戻ってやろうと考えたのです。

問 株式公開は言うの簡単ですが、実現できる会社はほんの一部です。

西川 すべてが奇跡的にうまくできたのです。私は得意分野に関しては頑固ですが、不得手な分野に関しては人の意見を聞く方なんです。あの当時はずいぶん高いなと思ったけど、コンサルタント会社に三千万円近く払って、当社がどういう戦略で、どんなことを実行すれば、何年後に店頭公開できるかを調べてもらったんです。そのとき出てきた報告書には、二百人の社員が必要と書いてありました。私は百二十人もいればいいんだと言ったけど、店頭公開した時点ではちゃんと二百人集めていました。まだバブル経済の余韻が残っていて人が集まらない中で、よく組織づくりができたと思います。

問 収益を上げながら人を増やしていくのは大変でしたでしょうね。

西川 営業に関しては自信があったのですが、店頭公開をしようと思ったら、設備や機械をつくるだけではダメなんですよ。システムをつくらない限りは、何年にもわたって収益を上げ続けることはできない。だから十数年前に病院で成功したシステムを街の中に持ち込まざるを得ない。病院には必ず患者が来るという保証があるけど、集客能力がないところに駐車場をつくって大丈夫かなという不安は確かにありました。けれど、いろいろなリサーチをしたところ、そうではないことがわかったし、二百メートルマーケット説が頭に浮かんだのです。

問 ドライバーは二百メートル以上離れた駐車場には車を置かないという説ですね。確かに、そんなに歩くなら、車に乗る意味はありませんからね。

西川 駐車場のマーケットはたった二百メートル。公共駐車場が二千台あると言っても、千台の駐車場がニカ所あるだけでは、使われないからダメなんですよ。満車になるのは、イベントがあるときだけです。なんの集客能力もないところには、五台から十台の駐車場でいいんです。それをたくさんつくればいい。わかりやすい例としては都内に二千六百カ所ある公衆トイレです。公衆トイレもまんべんなくつくらなければ意味がない。駐車場も同じなんです。



一極集中の駐車場は意味がない

問 西川社長の話を聞くと、駐車場ビジネスの奥深さを感じさせられます。

西川 駐車場は少ないと思われていますが、総数で言うと、世の中に結構あるんですよ。うちのシェアはまだ一%なんです。ただその駐車場が一極集中だから何の役にもたっていない。池袋駅のホームから半径二百メートル以内には四千六百台の駐車場があるんです。デパートの駐車場、公共駐車場、企業の駐車場などがたくさんある。ところがさらに二百メートル先に行くと、いきなりゼロ台になる。池袋駅から四百メートルといったら大変な人口密集地ですよ。ここに用があるドライバーは四百メートル先の駅前に車を置いて、そこから歩くでしょうか。そんなことは絶対にしません。そこに顧客のニーズがあるんです。それから新宿西ロの高層ビル街には膨大な駐車場が眠っている一方で、東ロの歌舞伎町にはほとんどない。特に休日は、オフィス街の駐車場はガラガラ、隣接した繁華街は路上駐車で溢れている、といったアンバランスが激しい。そこをうまく調整すれば、新しいビジネスが生まれます。東京二十三区内にある商店街が衰退していくのは、駐車場がないからです。駐車場は行政がつくることになっているけど、道路のように財源がないのでつくらないんですよ。だから、PFIに期待しているんです。



駐車場はサービス産業


問 駐車場をサービス産業と捉えると、これまで気づかなかったさまざまなビジネスが見えてくるのですね。

西川 ホテルニューオータニの駐車場も、ホテルオークラの駐車場も汚くて、暗くて、臭い。歩いて来る人やタクシーで来る人はきれいな正面玄関からもてなしを受けて入れるのに、ロングドレスを着てステータスの高い車で乗り付けて来る人に、なぜあんなに汚くて、暗くて、臭いサービスを提供するのでしょう。サービス産業がなっていないじゃないですか。駐車場の入口がメインエントランスであると考えるべきです。これは本当に一部の話ですけど、駐車場のビジネスには、まだまだ気づかれていない部分があるんです。

問 具体例を少し挙げて下さい。

西川 将来、若者は狭いワンルームマンションなんかにはいないと思う。きれいなワゴン車の中にあらゆる情報端末機を備え、夏は海で、冬はスキー場でバイトと、好きなところに移動しながら過ごす。シャワーとトイレさえあれば、それでいいわけでしょう。さらに会社だって車に乗り換えますよ。営業マンは狭いオフィスなんかにいないで、車で移動しながら本社からの指示を受けて動けばいい。本社は車の位置情報が確認できるんですから、そこで休憩したりレポートを書いたり、発信したりする基地をつくってやればいい、ということにもなりますよね。そうするとこれからは、もっと多目的な駐車場が必要になります。手前味噌ですが、そういう流れが、われわれとって大きなビジネスなるのです。

問 西川さんは『社長になりたい君へ』という私にとっても大変参考になる本を書いてますが、社長の面白さと辛さとは何でしょう。

西川 社長は私の天職で、これ以外にやれと言われても仕事がない。だから楽しいも辛いもそれが全てであって、全部楽しいし、考えによっては全部辛いかもしれません。ただ昔から干渉されることが嫌いな人間ですから、社長になってよかったのは、会社に電話をかけたとき「いまどこにいるんですか」と聞かれなくなったことです。どこにいようが俺の勝手だ、と言いたくなる人間ですから、これは大変嬉しい。最近は自分で位置情報が瞬時にわかるセンサーの時代だと言っておきながら、矛盾したことを言ってますが、それが唯一の収穫です。辛かったのは、倒産の危機が常にあった創業時です。企業にはやはり山谷がありますけど、谷になったとき私は楽天的ですから、命まではとられない、なんとかなるという感覚でやっていましたが、そうは言いながら資金手当てがはっきりしない二、三ヵ月先のことは、やはり頭から離れなかった。そんな状況が続くのは、身も細る思いだと思っていたわけですが、当時の体重は百キロ以上あった。倒産の危機がなくなったいまの方が八十四キロで痩せている。これはどういうことなのかなと思いますがね。

問 人材育成は社長業の一番重要な仕事だと思いますが、西川さんの人材養成のこつは何でしょう。

西川 若手にもくどくど文句を言う方ですが、本人には「言われているうちが花だぞ」と言っています。三十歳前後の社員たちが順調に育ってくれると非常に楽しみな会社になると期待しています。私はみんなに「なんで給料なんかもらっているんだ。年俸契約にして、この会社の中で自分が社長になった気分でやってみろ」と言っています。大げさ言えば自分の給料で二、三人採用してもいい。社長の何倍もの給料をとっても一向に構わない。それがエキスパートとしてのこれからの生き方じゃないか、と。会社から与えられた給料で満足するのでなく「とんでもない、おまえなんかにそんなに払えるか」「いや俺はこれだけの仕事をしたんだ、これだけよこせ」と丁丁発止の交渉をやろうよと言っています。

問 そういう社員が何人かいるんですか。

西川 暖簾分けして独立したのが二人、年俸契約をしているのが三人います。係長以下のクラスにも来年度から年俸契約を希望している社員が七、八人いますから、これからはどんどん移行していこうと思っています。

問 それは面白いですね。

西川 私が社員だったら、絶対年俸制ですね。給料なんてとんでもない。年俸制にしてボーナスを十倍もらう方法を考えますよ。

問 座右の銘は何ですか。

西川 「成せばなる」です。チャレンジすれば必ずできる。できなければ、できるようにやればいいという考えです。

問 十年後のパーク24はどうなっているでしょうか。

西川 はっきりしたことはわかりませんが、少なくとも売上高一千億円は達成できるでしょうね。




西川清(にしかわ・きよし)


1938年6月7日、東京品川区生まれ。62年法政大学経済学部経済学科卒業後、日本ドライブイット(外資系工業ファスナーメーカー)入社。営業マンとして活躍する。71年同社を退社し、ニシカワ商会を設立。無人駐車管理機パークロックの販売で事業を拡大する。85年パーク24を設立。92年タイムズ24を設立。93年パーク24とニシカワ商会を統合。株式公開に向けて本格的な第2創業期に入る。96年日経BP社「ベンチャー・オブ・ザ・イヤー」受賞。(ニューサービス部門第1位)ニュービジネス協議会「アントレプレナー大賞」受賞。(ニュービジネス協議会会長賞)。97年、念願の店頭公開を実現。日経BP社「ベンチャー・オブ・ザ・イヤー」受賞。(新規公開部門第1位>99年東証2部上場。2000年4月、東証1部上場。新たな駐車場ビジネスの開発に情熱を燃やす親分肌の経営者。趣味は音楽鑑賞、旅行など。競走馬イーグルカフェ号の馬主でもある。

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