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トピックス -企業家倶楽部

2014年12月15日

戦争と環境破壊~第一次世界大戦から100年目に思う~/千葉商科大学名誉教授 三橋規宏

企業家倶楽部2014年12月号 緑の地平 vol.21

最大の激戦地ベルギー・イーペルを訪問

 サラエボ事件(1914年6月28日)がきっかけで始まった第一次世界大戦から100年目を迎えた今夏、欧州では、ベルギー、オランダ、イギリス、フランスなどの各地で開戦100年記念の式典が盛大に開催された。

 最大の激戦地のひとつだったベルギー南西部の小都市イーペルでは、6月26日、EU(欧州連合)加盟28カ国の首脳らが集まり、大戦の犠牲者の追悼式に参加した。式典は大戦で戦死した兵士らを追悼する記念碑「メニン門」で開かれ、首脳らはEUの公用語である24言語で「平和」の言葉を刻んだ「ベンチ」を寄贈した。

 キャメロン英首相やメルケル独首相、オランド仏大統領などが参列した映像が日本のテレビでも放映されたのでご覧になった方もおられたのではないか。

 たまたま、8月末、イーペルを旅行する機会があった。筆者は70年代後半、日経新聞のブリュッセル特派員として4年近くベルギーに駐在した。当時、イーペルと言えば、3年に一度開かれる「猫祭り」が有名だった。世界各地から猫好きが集まり、猫装束の子供や大人が入り交じって猫の縫いぐるみを投げ合って大騒ぎをするお祭りだ。だが駐在中、同地が第一次世界大戦の激戦地だったことは寡聞にして知らなかった。

 テレビでイーペルに集うEU首脳を見て、遅ればせながら現地を訪ねたい誘惑に駆られた。



3カ月の激戦で両軍合わせ50万人を超える犠牲者が発生

 ブリュッセルの中央駅からベルギー南西部にあるイーペルまで、急行列車(インターシティ)で1時間半ほどかかるイーペル駅で降り、町の中心グランプラスまで歩いて7、8分の距離だ。その一角に戦争博物館がある。小さな町にもかかわらず、博物館には地元のベルギー人の他にドイツ、オランダ、イギリスなどからの多くの見学者でかなり混んでいた。開戦100年という節目の年ということもあるのだろうが、ヨーロッパ人の第一次世界大戦に寄せる関心の強さに驚いた。

 博物館には戦争で使われた戦車、銃器などの兵器、軍服、戦死者の顔写真、さらに動画による戦闘風景などを見ることができた。イーペル会戦は3度にわたった。第一次会戦は14年11月、第二次会戦は15年1月、第三次会戦は17年7月。毒ガスが使われたのは第二次会戦だった。ドイツ軍陣地から風下に位置するイギリス軍陣地に黄緑色の塩素ガスが散布された。窒息状態に陥ったイギリス軍兵士はパニック状態に陥り、6キロメートルにおよぶ前線は崩壊した。追い打ちをかけるように、15年4月~5月には、史上最大規模の毒ガス(170トンの化学物質)が使われ、約5000名の兵士の命が数分内に奪われたと推計されている。

 第3次会戦は17年7月。イギリス、カナダなどの連合国軍とドイツ軍の3カ月に及ぶ激戦で、両軍合わせて50万人を超える犠牲者が出たと記録されている。ドイツ軍によるマスタードガスも初めて投入された。だがこの段階になると、イギリス、フランス軍はガスマスクなどの防護手段を整えたため、毒ガスの効果は激減、多大の犠牲を払ったにもかかわらず、結局ドイツ軍はイーペルを奪うことができなかった。

 イーペル市郊外には、大戦で戦死した兵士の墓が畑や街角の各所に設けられ、慰霊者からの花束が添えられていた。「毒ガスが初めて使われた場所」と表示がある場所も訪ねた。

 3度の会戦によって、徹底的に破壊されたイーペル市は、長年かけて昔の街並の復元、修復に取り組み、今では静かな中世の古都の趣をたたえていた。現在同じ戦争の被害(原爆)都市である広島市と緊密な友好関係を結んでいる。



ベトナム戦争ではダイオキシンを含む枯葉剤が大量に散布された

戦争による環境破壊は大きく二つに分類できる。一つは戦争行為そのものによる農地や自然環境、住宅や都市機能の破壊だ。日本でも戦国時代には農地や水田などがしばしば戦争の舞台になり、自然環境の破壊、それに伴うコメなどの農作物の収穫に大きな影響を与えてきた。太平洋戦争の時は、空襲によって東京をはじめ大阪や名古屋などの主要都市の機能が壊滅的な打撃を受けた。

 第二は戦争行為に付随する兵器の技術革新による環境破壊である。毒ガスなどの化学兵器、生物兵器、原爆などに代表される新型兵器の登場によって、人々の健康、人命が大きく損なわれ、有害物質の排出や破壊力の大きい兵器の登場によって生物多様性など自然環境の破壊も広範囲にわたり、修復に多大の時間が必要になっていることだ。

 太平洋戦争末期の1945年8月、米軍が投下した新型兵器、原爆で、広島市、長崎市を中心とする住民合わせて20万人近くの命(死者、行方不明者)が奪われたことは、私たち日本人には忘れることができない惨事として記憶されている。

 

 60年代初めから70年代前半まで続いたベトナム戦争では、米軍が上空から高濃度のダイオキシンを含んだ大量の枯葉剤を散布したため、ベトナムの森林、農村、田畑は広範囲にわたって汚染された。さらに戦後、ベトちゃん、ドクちゃんに象徴される多くの先天性障害を持った子供が多数生まれるなど多くの健康被害を招いた。

 また1990年8月のイラクによるクウェート侵攻で始まった湾岸戦争では、米軍が劣化ウランを含んだ砲弾を使用した。劣化ウラン弾は原子力発電所などから出る低レベル放射性廃棄物を使った兵器で、人の体内に入りガンや白内障の原因になる。さらに飛散した放射性物質は土壌や河川、地下水などを汚染し続ける。



悪魔の顔を持つ科学技術を封じ込める

 第一次世界大戦開始から100年、イーペルの古戦場に立って、過去100年を振り返ると、兵器の技術革新には改めて驚かされる。コンピューター、インターネットなども軍事技術としてスタートしている。これらの技術に支えられて、精度の高いミサイル、最近では無人爆撃機も実用化され、都市攻撃の重要な兵器として使われている。

 科学技術が人類の平和、健康、福祉、さらに経済発展に役立つために使われることは歓迎だ。だが、戦争の道具として使われるようになると、科学技術は途端に悪魔の顔に変わってしまう。悪魔の顔を持つ科学技術によって、今世紀も残忍で大きな殺傷能力を持ち、深刻な環境破壊を伴う新型兵器が続々と登場している。人間の持つ忌まわしい業を感ぜずにはいられない。人間の英知に支えられ、女神の顔を持つ科学技術が永久に支配する新しい時代の到来を祈らずにはいられなかった。



三橋規宏 (みつはし ただひろ)

経済・環境ジャーナリスト 千葉商科大学名誉教授

1964 年慶応義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、論説副主幹などを経て、2000年4月千葉商科大学政策情報学部教授。2010 年4月から同大学大学院客員教授。名誉教授。専門は環境経済学、環境経営論。主な著書に「ローカーボングロウス」(編著、海象社)、「ゼミナール日本経済入門25 版」(日本経済新聞出版社)、「グリーン・リカバリー」(同)、「サステナビリティ経営」(講談社)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「環境経済入門第4 版」(日経文庫)など多数。中央環境審議会臨時委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長など兼任。



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