トピックス -企業家倶楽部

2010年02月27日

野坂と長い航海を目指す個性派集団/トレジャー・ファクトリーを支えるスタッフ

企業家倶楽部2010年4月号 特集第4部


野坂英吾を支える幹部スタッフは、ほとんどが他社で多彩な経験を積んだのち、入社を果たした経歴の持ち主だ。その個性はさまざまでありながら、みなどこか共通した雰囲気を漂わせる。それは野坂英吾や専務取締役である弟の淳と同じ、人に対する優しさや温かさ。野坂英吾を敬愛し、日々、顧客のために尽くす彼らのミッションと想いを聞く。(文中敬称略)


豊臣秀長のごとく兄の野坂を強く支える名参謀

専務取締役 野坂 淳 Jun Nosaka

豊臣秀長のごとく兄の野坂を強く支える名参謀


 専務取締役の野坂淳は、野坂英吾の2歳違いの弟である。野球一家に育ち、それぞれ野球に励んだ兄弟だが、淳によれば二人の性格はかなり違うという。

「兄は長男らしく子供の頃から堅実にコツコツ励むタイプ。私は次男だからか奔放に好きなことをする方。だから昔はソリが合わなかったですね(笑)」

 そう笑う淳の大学時代はモラトリアムの真っ只中。何をしたいかわからないまま、メキシコで海亀の卵を盗人から守り、孵化させて海に帰すボランティアなどをしていた。その一方、兄の店でアルバイトをするうち、仕事や兄に対する見方が変わっていったという。

「お客様が嬉しそうに商品を買ってくれる喜び、それは大きかったですよ。他にもアルバイト経験はありましたが、これほどの楽しさや、やりがいを感じた仕事はなかったんです。それに『今の一挙手一投足が未来の自分を作る』と考え、先を見て行動を起こす、経営者としての兄の姿は素直に尊敬できましたね。それで自然に入社したんです」

 淳は足立本店の店長を務めたのち、事業本部の責任者に。その後、専務取締役となり、上場時には責任者も兼任した。現在は営業部長とシステム部長を兼任する。営業に関しては日々の営業戦略を練り、店舗での客の迎え方、エリア担当の指導などに心を砕く。システムではPOSシステム、基幹システムのバージョンアップやWebなどに力を注いでいる。

「システムを外注せず、内製化しているのが他社との差別化であり、当社の強み。店も日々進化していくから、システムにもゴールはありません」

 そのシステムと並ぶトレジャー・ファクトリーの強みと考えるのが、総合的に推し進めてきた客の利便性である。そのためには客が買い取りに来てくれることを当たり前と思わず、満足してもらえる接客を目指すことを重視する。

「たとえば、お客様が持ち込んだものに対し、『傷がついているから、○○円にしかなりません』と言ったら相手は傷つきます。そうではなくて『傷はついているけれど、人気のブランドだから○○円になりますよ』と伝えるべきでしょう。そんな小さなことからお客様への気遣いを持つことが必要なんです」

 専務取締役として兄の英吾を支えるうち、淳の思いはさらに変化した。今は兄を「愚直」「真面目」と表現する。 「誠実に物事に取り組む人間だから、信頼できるのだと思います。創業当時の原体験を共有しているから、兄と考えの基本は同じですが、アプローチのしかたが違いますね。私は攻めで、兄は守り。行き過ぎそうになるのを兄に止められることもあるし、その逆もありますよ。性格が違うから、意見交換も逆にメリットがあるのでしょうね」

 そう語る淳が目指す人物像は、豊臣秀長。かの豊臣秀吉の3歳違いの弟で、兄を支えた名参謀である。

「実務に抜群の才能を発揮し、戦では負け知らず。この人がいなければ秀吉の天下はなかったと言われます。また秀吉の強烈なキャラクターに対し、人に信頼される人柄だったようですね」

 さて豊臣秀吉たる兄の英吾は家庭では3人の男の子の父親。秀長を目指す淳も二人の息子を持つ。息子たち同士、妻同士も仲がよく、年に一度は野坂家恒例の旅行を一緒に楽しむ。淳は兄の影響もあり、健康のためにマラソンを始め、昨年はフルマラソンを完走した。

「私は300年続く歴史に向けて兄が漕ぎ出した船に、一緒に乗り込みました。300年後の遠い未来は自分の目では見られませんが、そのために今なすべきことに打ち込んでいきます」

 かつて「ソリが合わず、仲が悪かった」という兄弟が今は力を合わせて船を漕ぐ。その船の速さは目覚ましく、兄弟と乗組員の表情は明るく、逞しい。



柔道で鍛え上げた体力と超プラス発想で邁進する

取締役 商品部長 澤田 卓 Taku Sawada

柔道で鍛え上げた体力と超プラス発想で邁進する


「自分は超プラス発想。だから何事も苦じゃないんです」

 澤田卓はそう言い切る。だから中学時代に始めた柔道も苦行ではなく楽しく頑張り、高校3年の時には県大会で個人優勝するほど強くなった。柔道推薦で入学した大学では全寮制のバリバリ体育会として腕を鳴らした。卒業後は2×4工法の注文住宅営業として働き始めるが、そこに急展開が待ち受ける。4月1日に入社した直後の15日に、何と交際していた女性の妊娠が判明!初任給で故郷・九州への航空チケットを買って彼女の元へ駆けつけ、6月には結婚式を挙げる。そして26歳にして転職を考えた時には、すでに2児の父であった。

「コンビニエンスストアなどにも応募していましたが、野坂と面接で話したことで、『この人について行こうかな』と思ったんです。でもコンビニと比べると給料は10万円ほども安い。悩んだけれど一瞬でしたね。でも問題は妻。根拠はないまま『半年働けば店長になれて給料10万円上がるから』って説明して切り抜け、入社したんです(笑)」

 かくして99年10月に入社を果たした澤田は当初、足立本店と草加店を行き来して働くこととなる。初めての小売業、接客業だったが、ここでも持ち前の超プラス思考を発揮。「とにかくすべてが新鮮でしたね。壁があれば苦にするより乗り越える方法を考える方ですから」と当時を振り返る。さらに専務・野坂淳の本店から本社への異動に伴い、店長選挙が行なわれた時は最年少にして立候補するのだから、まさにポジティブシンキングである。

「落選して副店長になりましたけどね(笑)。店長になったのは入社して7ヵ月半後、練馬店でのことです」

 練馬店では店長に加え、野坂が手がけていた法人バイヤーも兼務。それまでなかなか野坂に代わる人材が見つからなかったポジションである。

「僕は無趣味なので、自分の趣味や嗜好を入れずに商品にフラットに公平に接することができるんです。無趣味が功を奏したのかもしれませんね(笑)」

 その澤田はやがて法人からの仕入れを主に行なう商品部へ移り、現在は商品部長を務める。現在、最も注力するのは魅力ある商材の供給だ。特に今、お客の10人中10人がほしがる一点物の確保が急務である。「店舗は増えているのに、一点物の仕入れ先が増えていないのが現状。今まで営業活動をしたことはありませんでしたが、来期からは自分からほしい物を見つけに行くことが必要です。たとえば倒産案件やリース会社、リサイクルショップとしては全国で当社だけが加盟している動産・債権担保融資のABL協会などとコミュニケーションを取りながら、商品を探していきます」

 そう語る澤田にとって思い出深い出来事がある。ある時、骨董品を処分したいという法人が現れた。行ってみると、体育館のような倉庫いっぱいに兜や掛け軸の山。それを一週間で処分したいというが、もちろん値段にもこだわる。相談を重ねたあげく、澤田が金額を提示すると、「安い! でも気持ちよく言ってくれたから、それでいい」。

「金額は重要ですが、個人・法人問わず人間同士のコミュニケーションが大きいですよね。僕は駆け引きができず、気持ちで訴えるタイプなので、エイヤーで決めたというところですよ」

 そう言って笑う澤田が誰よりも尊敬するのが、もちろん野坂である。「以前、上場企業30社の社長と側近が集まる会合に野坂と出かけたことがあります。その時、30人の社長の中で野坂が郡を抜いて一番真面目だと感じました。かつて社内で率先して『“お客さん”でなく“お客様”と呼ぼう』と提案したのも野坂です。今、中学1年になった娘と小学5年の息子にも野坂は自分の“師”だと伝えたいですね」



野坂がこだわり抜く“ 人”の採用と育成に力を尽くす

人材開発部長 亀山 誠 Makoto Kameyama

野坂がこだわり抜く“ 人”の採用と育成に力を尽くす


 亀山誠が石油会社勤務を経てトレジャー・ファクトリーに入社したのは99年。自分と年齢がさほど変わらない社長が、実家近くに4号店にあたる春日部店を出すという。「面白そうだ」と面接を受けた亀山に野坂はこう告げ、握手を求めた。「うちの会社は経験や年齢、学歴など関係ない実力主義。必ず何とかするから、一緒に頑張っていこう」。

「当時、斜めから世の中を見ていた自分にとっては新鮮でした。『この志ある人となら働ける!』と感じたんです」

 入社後、春日部店に配属された亀山にとって仕事は面白かった。「こんなに面白い店ってない!」と客に喜んでもらうこと、リサイクルを通して世の中に貢献していると実感することは、働く喜びであり誇りだったと語る。その後、坪数にして5倍の練馬店の副店長となるとやりがいはさらにふくらんだ。

「正直言って一番楽しい時代でしたね。語弊があるかもしれませんが、学園祭前夜みたいにみんなで熱く盛り上がって仕事して。野坂や幹部も夜までかかってサポートしてくれました。その年の大晦日は『今年は働いたな』って充実感をかみしめて寝たのを覚えてます」

 さらに旧足立本店の店長になると亀山は予算達成のため、ますます精力的に突き進む。在庫がふくらんだ暖房器具一掃のため、店頭に“暖房器具祭り”のコーナーを作って見事に売り上げたこともあれば、革ジャンや毛皮を買い集めて展開し、12月過去最高の売上を達成したこともある。もちろん反面、ニーズが高いはずの家具を軽視したために過去最低の売上となってしまうなど手痛い失敗もある。

「やっぱり自己満足じゃダメなんです。そんな経験の中で鍛えられ、お客様のためという客観的な視点が磨かれるんですね。店舗でそれを痛感しました」

 そう振り返る亀山は人事部創設のため、本社へ移動。現在は人材開発部長を務める。幹部スタッフ全員が口をそろえて最重要課題の一つと語る“ 人材育成”という重責を担うポジションだ。「野坂も“人”には極めてこだわりがあり、今も最終面接は自ら行ないます。トレジャー・ファクトリーの採用や人材育成は、すべてはお客様のためを考えてのもの。能力よりもホスピタリティや優しさなど人間性重視です。いくら頭がよくても打算的な人や、他人を蹴落とそうとする人は必要としません。ただし、これは考え方の問題ですから、採用は“合否”ではなく“合う・合わない”で考えていますよ」

 もちろん採用のみならず、人材育成にも注力する。マニュアルやオペレーション化ではなく、自分で体験して学んでいかなければならないので、教育の基本はOJT。社内教育制度の“トレジャー・カレッジ”も近く復活させる。各階層職にレベル分けをし、責任者が講義を行なうなどして、マインド、スキル両方で体系的に教育を施す。

「会社は次のステージへ向かって行きます。その変化に対応する人材育成のレベルは高めていかねばなりません。そのレベルから考えると、今の私なら、昔の私を採用しないでしょうね(笑)」

 冗談めかしてそう語るが、その亀山を11年前の夏、見込んで握手を求めたのは野坂その人である。その野坂について亀山はこう語る。

「あの日の印象そのままに、誠実・実直・潔癖な人。ブレない人。そして大きい人。従業員としてはこんなに安心感が持てる社長はいません。この人となら何があっても最後まで大丈夫だと思わせる人なんです。心底従業員のことを考える野坂の思いを“翻訳者”として伝えることが、今の私の務めです」 

そう語る亀山のオフのリフレッシュ法といえば誰よりハマっているゴルフ。「いや、リフレッシュでも楽しみでもないかな。のめり込んで修行僧のようにひたすら打つゴルフですから(笑)」



誰もが知っているブランドを目指す

店舗開発部長 大木 貴 Takashi Ohki

誰もが知っているブランドを目指す


「好きなことをやりたいようにできて、成長を実感できる。ベンチャーの醍醐味を存分に味わえるのがすごく楽しい」。店舗開発を担う大木貴はトレジャー・ファクトリーの魅力をそう語る。

 同社に入社するまでは、宝石販売会社の三貴やファミリーレストランのジョナサンで新店舗の立ち上げや運営を経験してきた。「その時のノウハウが今に活きている」と大木は言うが、三貴やジョナサンの時代は苦しくて大変だった。

 大学卒業後の1993年、三貴に入社した。3カ月目には店長に抜擢されるが、当時はバブル崩壊後で宝石も売れない。一時間ごとに営業報告が必要で、売り上げが悪いとその都度「バカヤロウ!」と上司に怒鳴られる日々。1年後には同期入社した約400名の9割が耐え切れずに辞めていった。だが大木は諦めなかった。特別セール時には1日数百件の電話攻勢で客を呼び込み、1日で1875万円の記録的な売り上げを成し遂げる。

 しかし三貴はやがて資金繰りに行き詰り商品も揃えられなくなった。客からの受注があっても売るに売れない。「ここは長くいる会社じゃない。潰れない会社に転職しよう」と考えた。

 95年、すかいらーくグループのジョナサンに転職する。社内で実績を積めばフランチャイズ制度などを活用し独立するチャンスに惹かれた。ジョナサンでは主に新店舗の立ち上げを担当、接客から厨房の仕事まで何でもやった。24時間営業のため、猛烈に忙しい日々が続く。そんなある日、耳が突然聞こえなくなった。体力と精神の限界で突発性難聴の病にかかり、2週間入院することになったのだ。

 ところがエリアマネージャーは「難聴くらいで入院するな」と大木に言い放った。「こんな身体を壊す状況で一生働くことは出来ない。のびのびと働けて、成長の可能性を感じる会社で働きたい」。その時出会ったのが、トレジャー・ファクトリーである。

「野坂は当時20 代後半で私より若かったのですが、真面目でしっかりした印象を持ちました。この人となら一緒にやれると思ったのです」

 2000年に入社後、練馬店で経験を積み、01年に新店舗の三鷹店店長に就任する。当時はマニュアルもまだ出来ていなかったが、三貴やジョナサンでの店舗運営の経験が活きてくる。値札を手書きからイラストレーターを使った綺麗なデザインに変えるなど改善策を次々と打ち出し、三鷹店を目標だった足立本店を超える旗艦店へと育て上げた。その実績が評価され、04年に営業部スーパーバイザー、05年に店舗開発部部長に就任。以後、得意の新店舗の立ち上げを担ってきた。

 店舗の運営では、「店長の力量が最大のポイントになる」と大木は言う。

「服が好きな店長は衣料品が主力の店舗を作るなど、店長の興味や強みを活かすことが重要です。店長の個性が光る店づくりが我々の強さですね」

 細かい工夫にも余念がない。例えば、看板の見た目。「とにかく分かりやすさが最重要。英語などの横文字を使うとオシャレにカッコよく見えるが、わかりにくければ意味がない」と大木は指摘する。看板の配置も周辺の人の流れを見て決めている。たとえ商圏の人口が多くても、人の流れがない場所に店舗や看板があっては目立たないからだ。

 逆に言えば、人の流れさえ掴めれば商圏人口が少なくても成功する。東京の南大沢店では商圏人口が半径2キロで6万人と少ないが、近くの大型アウトレット店の顧客層を取り込み、成果を出した。徒歩圏内でなくても、車を使う客を呼び込めば、買取も増やせるし、売り上げも上がる。「何事も挑戦が大切だ」と大木は言う。「今の課題は知名度・認知度です。有名なコンビニやファーストフードのように、看板を見ただけで誰もが『あ、トレジャーファクトリーがある』と分かってもらえる。そんな強いブランドを作っていきたいですね」



継続的な成長のための仕組み作りに全力投球

管理部長 小林英治 Eiji Kobayashi

継続的な成長のための仕組み作りに全力投球


 大学卒業後、コンサルティング会社に勤務していた小林英治には折々によぎる疑問があった。曰く「外から会社を見て、ああだこうだと言うことに対する懐疑心」。そしていつしか「実業の会社で働きたい」という思いが芽生えた。その頃届いた一通のリクルーティングメール。「社長の右腕になりませんか?」とのキャッチコピーに心引かれながらも、一時は保存フォルダへ。そして「いよいよダメだ」との思いが高まった時、小林はその保存メールを引っ張り出す。それが02年、トレジャー・ファクトリーとの出会いであった。「面接での野坂の第一印象は“信頼できる人”。確たる自信を持ちながら驕った風がなく、この人にならついていけると感じさせるオーラがありました」

 そう語る小林が望んだのは「店舗に勤務して店長になり、商売を覚えてから会社経営にステップアップすること」。その願い通り、浦和店立ち上げに参加。右も左もわからないまま無我夢中で仕事に励む。ここで学んだ商売のしかたこそがトレジャー・ファクトリーの強みだと今も感じているという。

「まさに経営理念である“喜び・発見・感動”の通りワクワク感がありながら、きれいで安心できる店作り。そしてコミュニケーションを大切にした接客。それが強みであり、他社との一番の違いだと思います。リサイクル業界に以前はなかったその文化やDNAを今後も伝え続けていくことが重要ですね」

 その小林は1年後、本社へ。経理責任者を2年間務めることとなる。初めての経理業務で必死であったが、勉強しながら取り組んでみると面白い。だがその最中、上場を目指しながらも会社は業績低下という危機に見舞われる。

「その頃、一緒に飲みに行った大学の先輩に言われたんです。『お前が経理やってるから悪いじゃないの?』って。その時は『オレが悪いんじゃない!』と反発したけれど、経理とはそう思われて当然のポジションなんですよね。数値を握って管理し、会社の業績を崩さないことが役割だと気づいたんです」

 以来、小林は新店に関しては出店基準の定量化や物件の評価、項目での点数付けなど客観的な数値周りの役割に注力。それまで甘かった店舗の業績管理も徹底した。予算達成状況や目標を数値化して店舗へ投げかけると、店も目標や問題がはっきりと見え、確実に取り組むことができるようになった。現在は管理部長として経理、財務、IRを担当する。上場後の継続的な成長のための仕組み作りだ。仕事は信頼して任せきる主義のリーダー、野坂からは「今年も強くしていってくれよ」と言葉少なに期待を託されている。

「今も経理として数値をまとめるのがミッションの一つ。それをどう提言するかも重要です。“経理”とは『“経”営管“理”』ですから。また1年前と今の状況が大きく違うことを実感し、成長をダイナミックに感じられるのが私の仕事の醍醐味。その一方、現在の約40店舗から50店舗へ、さらに70店、80店と拡大した時をも見据えたリスクヘッジや、組織や仕組みの進化、導入に全力で取り組まねばなりません」

 その小林は最近、ランニングを開始、3月にはハーフマラソンにも挑戦した。もちろん野坂の影響だ。

「口では言いませんが、『やりなよ』という暗黙のすすめを感じて(笑)」と小林は笑う。

「マラソンに象徴されるように、常に自分の目の前にちょっとやそっとでは無理な目標を掲げてチャレンジし、それを普通のことにしてしまえるのが野坂の経営者としての強み。だって100キロマラソンを普通の人にとってのフルマラソン以下にしちゃうんですよ(笑)。それに加えて持っている、人としての優しさや思いやり。それが野坂という人間の大きな魅力でしょうね」



経理も総務も一から作り上げた熱き知性派

総務部長 関根喜之 Yoshiyuki

経理も総務も一から作り上げた熱き知性派


 かつて生命保険会社の資産運用部門で働いていた頃、仕事で勉強した法律に興味を持ったという関根喜之。「法律で食べていきたい」と2年3カ月で退職し、司法試験を目指す。2年間の猛勉強の末、短答式試験には合格したが、論文試験で失敗。父親が急逝したこともあり、再就職を決意する。そんな時、目に止まったのがトレジャー・ファクトリーのスカウトメールであった。

「以前、客として草加店でテレビ台を買ったことがあるんです。それが物はいいのに、ものすごく安くてね。そのことが強く印象に残っていたんです」

 当時、トレジャー・ファクトリーは上場を目指していた時期。経理や法務でキャリアを積みたい、何かスキルを身につけたいと願っていた関根は興味を持った。03年2月のことである。

「それに若くて伸びている会社でした。ここならやりたいことができるかもしれないと思ったんです」

 とはいえ経理は初めての仕事だ。誰かに教えてもらうつもりだったが、教える者などいない。それどころか「何もなかった」と関根は振り返る。

「上場準備前のことで、とにかく何もない。会計監査法人に契約書や領収書を持って来るよう要求されても、ない。探しても、ない。何でも口頭のみで、文書を交わすカルチャーがなかったんです。その何もないところから整理し、ルールを作っていったんですが、当時はよく悪夢にうなされてたらしいですよ。

『(売り掛けが)合わね?』って(笑)」

 その何もないところから作っていくことも面白くてたまらなかったという関根だが、1年で小林英治に経理を引き継ぎ、総務へ異動。「ここも整っていないことだらけだった」と笑う関根は、当時すぐに上場基準に合う社内規定の整理などに着手。上場に向けての最大のネックであった労働法にも立ち向かい、社会保険労務士の資格も取得した。

「すべてを整え、すべてを変えるには抵抗ももちろんあります。でも、そこは上場という“錦の御旗”があるから強く出られる。それに持ち前の鈍感力で乗り切ったという感じですね」

 かくして無事、上場も果たした今、関根は自らのミッションを「上場後も未だ至らない点の整備」と語る。

「パーツはそろっているが、精度をアップし、ミスをなくしていくことが必要です。また部内の人間を育てることも重要。自分の頭を使い、自分で企画し、おかしいことはピンとくる人間を育て、全社的な仕事をさせたいですね。幸い、部下は優秀で恵まれていますよ」

 その関根は自分にはない野坂の細やかな心配りを尊敬していると語る。

「私は学生時代、空手をしていたこともあって、すべて『オス!』(笑)。でも野坂は言葉の遣い方がわかっていて、人の気分を害さずに動いてもらう術に長けているんですよ。人への話の伝え方にとても気を配るんです。感情の起伏もなく、穏やかだしね。だから従業員にも好かれていますよ。『人を束ねるにはこれなんだな』と実感しますね」

 また関根はその野坂から全従業員に共通する“真面目さ“ ”誠実さ”こそがトレジャー・ファクトリーの強みと見る。たとえば、上場準備の頃から、お金の動きに関しては社長も役員も特権があるわけではなかった、と関根。 

「本当に冗談が通じないくらい、みんな真面目なんですよ。だから飲み会も年に3回くらいしかないしね(笑)。それに従業員をアセスメントすると、『人との和を大切にするタイプ』が多数。これも社風を表していますよね」

 社労士のほか中小企業診断士の資格も持つ関根は、この言葉からもうなずける通り、現在、趣味で心理学を勉強中。そのほかにもセミナーへ通うなど、司法試験に挑んだ頃と変わらぬ勉強家ぶりを誇る総務部長なのである。



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