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トピックス -企業家倶楽部

1999年06月27日

【ぴあ特集】多くの幸運な出会いに支えられていまがある/ぴあ社長 矢内廣

企業家倶楽部1999年8月号 特集第3部 編集長インタビュー


学生時代に若者文化を象徴する情報誌「ぴあ」を発行してから二十七年。成功への途を一直線に歩んできた矢内廣。しかし、すべてが順調だったのではない。「あのとき、あの人に出会ってなければ、いまのぴあはなかったかもしれない──」そんな出会いに支えられ、ぴあは矢内とともに成長してきた。そして、デジタル・ネットワーク社会を迎えたいま、新時代をリードするデジタル・エンターテインメント・コンテンツ企業として、さらなる飛躍を図っている。二十一世紀に勝ち残るのは知恵のある企業。その知恵は現場の若手社員から出ると見ている矢内は、社員一人ひとりのやる気を高め、会社全体のベクトルを合わせることに力を入れている。
(聞き手は本誌編集長・徳永卓三)

 

 



「ぴあ」の社名はフィーリングで決まった

問 まず、ぴあという非常に珍しい社名の由来をお聞かせください。二十七年前につけた名前としては、ずいぶん斬新だったと思うのですが。

矢内 しかも、ひらがなでしたからね。ユートピアのピアですかと多くの人に聞かれるのですが、違うんです。それから英語のpierには埠頭という意味があるので、文化の架け橋という意味ですかとか聞かれるのですが、実は全然違うんです。私はタイトルに意味のある言葉を使いたくなかったんです。音声的に耳障りがよくて覚えやすい方がいいと思って、何の意味もなく「ぴあ」と決めたのです。

問 それは面白いですね。

矢内 当時の雑誌は、タイトルを見ただけで中身がわかるタイトルをつけるのが常識でした。当時の常識では、ぴあは「月刊プレイガイド情報」というタイトルになったんでしょうが、言葉には意味がありますから、将来に渡ってその意味にとらわれそうな気がしたのです。だから意味などなくていい、意味がなくても、その雑誌が多くの人に支持され、受け入れられるようになれば、逆に意味のないタイトルが意味を持ち始めるようになるに違いない。そうなるまでがんばろうと、自らを励ます意味も込めて、ぴあと名付けたんです。ノンノ、アンアン、るるぶといった名前の雑誌が出てきたのも同じ流れだと思います。

問 意味がないにしても、なぜ「ぴあ」だったんですか。

矢内 なぜでしょう。フィーリングで「ぴあっ」と出たとしか答えられないですね。

問 普通は「ピア」とカタカナにしそうですが。

矢内 ひらがながいいと思ったんです。ひらがなカタカナについてはこんな思い出があります。私は学生時代TBSでアルバイトをしてまして、その仲間とぴあをつくったんです。創刊当初、TBSではパックインミュージックという深夜放送番組をやっていて、パーソナリティーの方にぴあを宣伝してほしいと頼んだところ、じゃあやってやるよと、番組の中で延々と宣伝してくれた。「ご希望の方はぴあ希望と書いて応募して下さい、抽選で何名様にプレゼントします」とやってくれたんです。一週間ぐらいして二百通ぐらいのハガキが届いた。それを見たときに、アッと気がついて、パッと計算してみて「ぴあは八万部は売れるよ」と私は言い始めたんです。二、三千部しか売れてないときだから、みんなびっくりしたんですが、その根拠はまさにひらがなとカタカナの問題だったんですよ。

問 それはどういうことですか。

矢内 初めて「ぴあ」という音声を聞いた人はカタカナに聞こえる。ハガキを見るとほとんどの人が「ピア希望」とカタカナで書いているんです。ところが中には「ぴあ希望」ひらがなで書いている人がいる。むしろこっちの方が不自然だ。ひらがなで書いている人はきっと、既に何らかの形でぴあを知っている人に違いない。そう思って、ひらがなで書いた人を現在の読者、カタカナで書いた人を認知されれば購読してくれる潜在読者と想定して、比率を計算してみたわけです。すると、潜在読者は八万部という数字が出たわけです。本当に八万部を達成したのは、それから四年後だったんですが、あのとき言っていた八万部に達したかと思って、そのときはやはり、うれしかったですね。



世の中には若者にしかわからない世界があると気づいて創業

問 矢内さんは大学四年で創業されましたが、就職することはまったく考えなかったのですか。

矢内 はい。大学三年ぐらいのときに、卒業後のことは仲間内で話題になりましたが、そのときはみんな「このままレールに乗ってサラリーマンになるのはしゃくだね」という話になる。「じゃあ、自分たちで仕事をつくればいい」という話になるんですが、最初は古本屋とかカレー屋とかしか思い浮かばず、だんだん悲観的になっていきました。でも、あるとき、ふっと気がついたんです。学生から見ると、世の中は大人によってつくられているように見える。ところが待てよ、と。大人がつくっている社会だけども、若者にしかわからない世界がこの世の中にはあるのではないかと気がつき始めた。

問 それがぴあにつながっていくんですね。

矢内 私は映画が好きで、映画研究会というサークルに入っていた。でも、おカネがないからロードショーは見れない。安くなるまで待って二番館、三番館で見る。この監督の映画を見たいけど、いつになったら安く見れるのかということが、当時の私の最大の関心事でした。けれど、それに答えてくれるメディアがないため、ついつい見たい映画を見逃してしまうことが度々あって、不都合を感じていた。では、映画情報を全部ひとまとめにした雑誌をつくってはどうかと思い始めたんですよ。また、たまたまTBSのアルバイト先で知り合った友人の中に音楽好きや芝居好きがいた。それでイメージが膨らんできて、映画情報だけではなくコンサート、芝居、美術館情報も入れよう。そういう雑誌があれば、少なくとも自分は買いたいと思ったんです。それでサンプルを自分でつくって、アルバイト先やサークルの学生たちに見せた。すると異口同音にこれはいいと言う。一冊百円だったら買うよという話になった。ハイライト七十円、セブンスター百円の時代ですが、これはいけるのではないかと思ったのです。

問 それで七二年に創刊号を出した。二十四ページのぴあを一万部刷ったそうですね。

矢内 大手印刷会社の納品書を見るとパンフレット一万部とあるので、パンフレットをつくった覚えはないと怒ったんですよ。



二極化現象が顕著になっている若者文化

問 そのころから誇りは高かったんですね。そして次はチケット販売に乗り出すわけですが、現在は年間一千万枚のチケットを発見しているそうですね。これは年々伸びているんですか。

矢内 微増状態が続いてます。市場はまだまだ大きくなる見込みですが、いま足踏みしているのは、バブル崩壊後、企業が文化・スポーツイベントへのスポンサードを控えるようになっているためで、それがなければもっと拡大すると思います。

問 チケット市場の中で伸びている分野は何ですか。

矢内 ここ数年で大きく伸びたのはスポーツですね。スポーツ観戦マーケットが社会的に大きく広がりました。そのけん引役になったのはJリーグですが、テニスやバスケットなど他のスポーツにも多くの人が見に行くようになりました。テレビの視聴率を見てもわかりますが、スポーツというものが国民生活の中に相当大きく広がっているのではないでしょうか。昔は野球の好きな人は野球ばかりだったけど、現在は野球もサッカーもバレーもテニスもやるという若い人たちが増えてます。そういう人たちがスポーツマーケットを拡大させているのではないでしょうか。

問 チケット販売などを通じていまの若い人たちの傾向で、何か変化を感じることはありますか。

矢内 二極化現象がありますね。みんなが知っているものを自分も知らないと乗り遅れてしまうから、一つのことにわっと集中する。このところ音楽業界はミリオンセラーがすごく出てます。宇多田ヒカル、GLAYとか何百万枚というヒット出している。映画も「タイタニック」とか「もののけ姫」などに、みんなが一挙に集中する。その一方で、私はみんな違うというものを求めている。インディーズというメジャーでない人たちの音楽が非常に小さな輪の中でヒットしていて、当のミュージシャンたちも大ヒットなど狙わずインターネットなどで音楽を流して、好きな人が好きだと言ってくれればいいという。映画でも独立系の小作品映画を放映する映画館が増えているんですよ。そういう二極化現象が顕著になってますね。



チケットがインフォメーション・ツールになる

問 二〇〇二年にはワールドカップがありますが、ぴあさんにとっても大きなイベントになりそうですね。

矢内 アジアで最初のワールドカップですし、日韓共催ということで、いろいろな問題がありそうですね。

問 扱いはどれぐらいになるのですか。

矢内 日本と韓国で分けますから、百五十万枚ぐらいでしょうね。

問 チケット販売の一連の動きも、デジタル化によってずいぶん変わっているんでしょうね。

矢内 技術革新が進んでいますが、基本は一枚一枚のチケットの管理がきちっとできることなんです。グロスでこのチケットはここでは何枚売れればいいなんてことでは絶対駄目なんです。飛行機のチケットは一機当たり何枚と決まっていて、座席は当日カウンターで決まるんです。ところが、われわれは最初から座席の決まったものを売買しますから、コンピュータの処理能力も数段大きいものが必要です。技術革新でそれが簡単にできるようになると同時に、いろんなサービスができるようになるんです。従来チケットは入場料金を払った証としての紙切れでしたが、技術革新によりインフォメーション・システムのツールに変わっていきます。チケットぴあのチケットには既にバーコードが一枚一枚入ってますが、これは先のことを考えて入れているんです。

問 一枚一枚のチケットがコンピュータ・システムに対応すれば、いろいろなことが可能になりそうですね。

矢内 JRの切符のように自動改札にできるし、いま何人のお客さんが入場したのか、一瞬でわかるようになります。それがわかればコンサートでも、開演時間をあと五分ずらそうといった判断材料になる。自分の座席がどこかの案内も、チケットを差し込んだ瞬間座席の案内板に点滅表示できるようになります。チケットの機能がそういうふうに変わってくるわけです。

問 チケットが知能をもつのですね。これからインターネットが普及し、デジタル情報革命が起ころうとしてますが、チケッティング作業はどんな風に変わるのでしょう。

矢内 知恵の勝負になります。デジタルコンテンツの時代は知恵比べなんです。アナログの世界をデジタルの世界に単純に置き換えただけでは駄目で、デジタルを使えばこんな新しいことができるのかというものを出していかなければならない。そこの勝負でしょうね。



デジタル時代を勝ち抜く知恵は若手社員がもっている

問 そのために、いま何かやっていることはありますか。矢内社長ご自身もいろいろ考えていると思いますが、それだけでは追いつかない。若い人たちの知恵が必要になると思いますが。

矢内 この五月に大きな組織変更をしたのは、そこが狙いなんです。知恵はどこにあるかというと、現場の近くにいて、お客さんの要望に何とか応えたいと朝から晩まで悩んでいる若い人間から出てくるんです。その連中のモチベーションを高めて、いいアイデアを出したくなるような状況をつくってやることが一番大事だと思っているのです。一人の人間に頼っても限界がありますから。

問 若い人たちのやる気を高めるために、どんな工夫をしたのですか。

矢内 いままでの出版事業本部、チケット事業本部といった縦割りの区分けを全部なくしました。そしてエンターテインメント事業本部をおき、その中に映画事業部、音楽事業部、演劇事業部、スポーツ事業部というようにジャンル別に事業部をおいたんです。これまでは音楽プロモーターの方に、出版事業部からは編集の人間が取材に行き、チケット事業部からは営業マンが行っていました。相手にしてみれば、どちらもぴあの人間だから、チケットの話が終わってから雑誌の話をします。でも、チケットの営業マンは、それは編集部の人間に聞いて下さいと答えていた。お客さんからすると、ぴあさんは最近官僚的だと思われるし、仕事している方も、片腕を縛られているようなものです。だから、そうした縦割りを止めて、一人で全部やれるようにしました。出版とチケット営業の両方を一人でやれるとなれば、いろんな工夫ができますし、一人の人間がスタートから結果まで見ることになるので、モチベーションは高まるはずです。

問 昨年、ネクスト(NEXT)という新規事業提案制度を始めましたが、これも社員のモチベーションを高めるためですね。

矢内 ネクストは社内から新規事業提案を募集し、審査を通過したビジネスの提案者には、そのプロジェクトの専従リーダーになってもらう制度です。そこに至るプロセスで事業計画書を出さなければいけなくなるのですが、たとえば新入社員が提案者だとしても、その段階になると、アドバイザーとして部長を指名できる。指名された部長は、それに対して拒否権がないようにしました。

問 上司を指名できるのですか。

矢内 そうです。事業計画書をつくるに当たって、あの部長にアドバイスをしてもらいたいと、指名できるんですよ。去年は九十八件の応募があって、今年既に動いている事業が一つ。やることを前提に詰めている案件が一つあります。

問 どんな新規事業が始まったんですか。

矢内 まだ言えないんですが。だいたい一番多いのはインターネットがらみのビジネスですね。インターネットと出版を組み合わせたビジネスとか。この五月から第二回目のネクスト募集が始まりまして、これをどんどん進めていこうと思ってます。

問 若い人たちは活気づいていろいろなアイデアを出してくるでしょうね。いまチケット販売のシェアは七割近いと聞いていますが、この圧倒的強さをどう分析されていますか。

矢内 雑誌ぴあの存在が大きいと思います。雑誌で培ってきた人間関係などがあって、そこから始まったビジネスですから。それと現実的には、チケットぴあのプロモーション的役割も雑誌が果たしますから、その相乗効果は無視できません。知らないうちにぴあというブランドがお客さんにとっては、ある種のクレジットマークになっているところがあるんです。

問 これからインターネットの時代になりますが、活字媒体であるぴあの役割は依然として大きいのですね。

矢内 デジタル時代になってもアナログが市場が小さくなることはないし、イメージ的にもシンボリックな存在だと思いますね。



多くの人の出会いに支えられてきた

問 二十七年間事業をやってきて、一番苦しかったというのはいつごろでしたか。

矢内 その渦中にあるときは、大変だと思う暇もないのですが、振り返って見れば、あのときあの人に出会ってなければ、いまのぴあはなかったと思うような幸運な出会いを何度もさせてもらってきました。一番最初の出会いが、ぴあを百店もの書店に紹介してくれた教文館の中村義治社長であり、その中村社長を紹介してくれた紀伊国屋書店の田辺茂一社長です。その後も、ぴあの相談役をしてくださった四人の方たち。日本精工の故今里廣記さん、故江戸英雄(三井不動産常任相談役。一九五五年三井不動産社長に就任後、同社を最大手の総合デベロッパーに育てた。九七年十一月、九十四歳で死去)さん、通産次官をやって、余暇開発センターの初代理事長をされた故佐橋滋さん、サントリー会長の佐治敬三さんという、すごい方たちとのありがたい出会いに支えられてきました。

問 そういう人たちと、どのように出会われたのですか。

矢内 最初に出会ったのは佐橋さんです。よく新聞に「余暇開発センター調べ」という記事が載るので、創刊当初から、ぴあと近い団体ではないかと気になっていたんです。するとあるとき、余暇開発センターの名刺をもった若い人が勧誘に来たので入会した。二カ月に一度懇親会があり、そこで初めて佐橋さんと名刺交換しました。その後チケットぴあを始める少し前ですが、勧誘に来た若者が面白かったので、ぴあに引き抜こうとしたんです。すると彼は一つだけお願いがあると言うんです。佐橋理事長には学生時代からお世話になってきたので、お許しを得ないわけにはいかない。一緒にあいさつに来てもらえないかと。そこで初めて理事長室に入り、佐橋さんに用件を話すと、佐橋さんはじっと聞いて言いました。「いい話じゃないか。人間一人、一生の中で、人に請われて仕事を変えるなんてことは滅多にないことだ。行って来い」と。彼は「ありがとうございました。ご用のあるときは、いつでもはせ参じますので」と深々と頭を下げて、転職は成立しました。その後、懇親会に出ると「うちから行ったあいつは元気にやっとるか」と聞いてくれるようになった。それでチケットぴあのシステムがデモンストレーションできるところまできたとき、佐橋さんに見ていただいたのですが、そのとき、こんなことを言われました。「うん、世の中変わるんだな。これからのぴあは、いままでとは違うつき合いをして行かなければならない、そのためには応援団がいるぞ」と。私は意味がよくわからなくて聞くと、チケットを売ることは興行の世界に入ることだから、その筋の人たちとのつき合いも出てくるのではないかと心配してくださったんです。実際にはそういうことはなかったのですが、そのためには、後ろ盾があった方がいいということで今里さん、江戸さん、佐治さんという、それまで会ったこともない偉い方たちに紹介状を書いてくださったのです。

問 年上の有力者の方に目をかけられるというのは矢内さんの徳なのかなと思いますが、何かコツみたいなものはあるんですか。

矢内 何も知らないから、疑問に思ったことをストレートに話すからなんでしょうか。ちょっとわかりません。どれほど偉い方なのかよくわからないでいるわけですよ。その四人の方たちを招き、年に一回相談役会を開きますと、忙しい中をみなさん来てくださいまして、禅問答みたいな会になりました。三人の方は亡くなってしまいましたが、いい機会を与えて下さったなと思いますね。



社員のモチベーションを高め同じ方向を向くことが大事

問 いいお話ですね。最後に、デジタル情報革命を勝ち抜くに当たっての方策、心構えを聞かせて下さい。

矢内 マーケットのサイズとしては、アナログのサイズと同じぐらいのデジタルマーケットがこれから出来上がろうとしていると思うので、そこでどう自分たちの強味を生かしてビジネスをつくれるかということなんでしょうね。ただ新しいマーケットに、いままでの財産、ノウハウが通用するという保証はなにもない。誰も踏み入れたことのない世界に入ろうとしているわけですから、そういう気持ちに社員一人ひとりがなってもらわないと戦いにならないと思います。もちろん戦略は大事だと思いますが、戦略をいかに正しく構築できたとしても、それを現実に進めるのは社員一人ひとりですから、その気持ちが一本化できてなければ、パワーは半減してしまう。その意味で昨年、ぴあアイデンティティーを発表したんです。一人ひとりの気持ち、意識が同じ方向を向いていくこと。モチベーションを大事にしたいです。やる気とか、そういうものがまずベースにないと、いかに環境変化を正確に予測し、正しい戦略を立てられても、企業としての力は出ないと思っています。

問 これから築きたいぴあのブランドはどんなものでしょう。

矢内 デジタルネットワーク社会においても通用するエンターテインメントを中心としたソフトコンテンツの世界を代表するブランドにしたいです。

問 矢内さんはNBCの副会長をやられたり、同友会でベンチャー企業を育成するための提案をされたり、いろいろな社外活動をしていますが、日本の若手企業家にメッセージをお願いします。

矢内 というより、これから学校を卒業して、世の中に出ようとしている人たちが、いままでのように寄らば大樹の陰で大企業を求めるのでなく、もっと自分たちで自分たちの仕事をつくってほしい。そういう気概がある若者がもっと増えてほしいと思う。数年前に比べたら格段にやりやすくやっているのですから。

問 同感です。どうもありがとうございました。



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