トピックス -企業家倶楽部

2007年02月27日

特集 第4部 SBIホールディングスを支えるスタッフ/「顧客中心主義」の北尾イズムを受け継ぎ、実現する企業家集団

企業家倶楽部2007年4月号特集第4部


「思いやりある人情家」「涙もろくて笑い上戸」「厳しく優しい“お父さん”」……。SBIグループ北尾吉孝を支えるスタッフ達の口からそろって飛び出すのは、従来の北尾の外面的イメージを覆す言葉の数々である。「徳」と「正義」を重んじ、何より顧客のために尽くす心優しき北尾イズムを彼らはどう受け止め、いかに己の事業に生かしているのか。6人が熱く語った。(文中敬称略)



偉大なる野村證券を抜き「参った」と言わせたい

SBIイー・トレード証券 代表取締役執行役員社長 井土太良

 イー・トレード証券はSBIホールディングスの中核証券会社であり、オンライン証券という分野における先駆者である。業界最低水準の手数料体系で業界最高水準の幅広いサービスを提供することによりシェアを拡大し、業界トップの座を勝ち得てきた。

 そのイー・トレードを率いる井土太良と北尾が出会ったのは野村證券東京法人部であった。ニューヨークから戻って来た北尾が井土の上席に座ったのであるが、当時の北尾が発した言葉を井土は今も覚えているという。

「『天網恢恢疎にして漏らさず(天の網は粗いように見えるが、悪人を見逃さない)』。当時から曲がったことが嫌いで、納得がいかないと上司ともやり合う人でした。そうした姿勢や勉強量、知識、努力……すべてにおいて野村の中でもひときわ目立っていましたね」

 そんな北尾と共に働きたい気持ちを常に抱いていた井土へ、当の北尾から「イー・トレードをやってくれ」という言葉が下る。ネットの証券会社には興味があったものの、大企業からの転進に家族も親も猛反対。それでも北尾とは楽天的なO型同士。「何とかなるやろう」との気持ちで、井土は転職を決意することとなる。

「当時は証券不祥事があり、山一證券、三洋証券もつぶれて、証券業界が大きく揺れ動いていた時期でした。それに証券マン自身が『こんな仕事、こんな会社がこのまま続くはずがない』とも思っていたんです。その頃はネットというよりパソコン通信が登場した時期。個人にとっては遠かった証券も、ネットというツールを得れば流行るだろうという思いがありました」

 すでに松井証券などが本格的にネット事業に乗り出す中、SBIは金融でネットのツールを使い、トータルサービスを行うための中核として現在のイー・トレード証券をスタートさせる。当時2~300万口座を保有していたアメリカのイー・トレードとソフトバンクのジョイント契約により生まれたオンライン証券であった。井土は98年6月末に野村證券を退職し、7月1日に入社。大沢証券も買収し、翌年10月にはネットが立ち上がった。だが現在まで貫かれる顧客中心主義の下、2001年に手数料を当時の2~3000円から800円へ一挙に下げたことにより、2~3年は苦しい時期が続くこととなる。

「その頃、改めて感じたのは北尾の腹のすわり方です。雑音もあった中、ネットの世界では手数料が一番強いという判断力と先見の明の下、大きな目で見守ってくれた。それがなければ今のイー・トレードはないでしょう」北尾の懐の広さ、井土らの奮闘により、2004年、イー・トレードは苦しい局面を脱却。2006年度上期(4-9月)の株式委託売買代金は42兆6千億円で全体の1割近くを占めて首位となり、第二位の野村とのシェア格差を前年同期より広げたのである。ネット取引の将来性を信じていた井土ですら「ここまでいくとは」と感慨を覚える成功であった。そんなイー・トレードの強みを井土はこう見る。

「やはり個人投資家の支持を得ていることでしょう。個人投資家の9割はネット経由ですが、3割強がイー・トレード経由。野村には圧倒的な法人営業の力と資金がありますが、個人投資家の支持はそれほど高くありません」だが個人投資家の支持を得続けるにはもはや手数料の安さだけではなく、トータルなサービスレベルを上げることが重要だと井土は考える。

「私たちはネットブローカー専業という気持ちはなく、対面営業マンのいない総合証券。手数料が一般投資家の支持を受けて、だいたいフェーズワンが終わった今、次は投資銀行業務を整えたい。優秀な人材と財務体力を身につけて、野村など大手総合証券に挑戦したいですね。『野村を抜きたい。野村の連中に参ったと言わせてみたい』それが北尾の口癖。北尾も私も野村の偉大さを認めた上で、それを超えたいと思っているんです」



銀行からの出向任期満了以来、北尾と行動を共に

SBIホールディングス 取締役 執行役員常務 城戸博雅

「僕も中途入社ですが、ちょっと変わった経緯なんですよ」そう言って城戸は笑う。北尾との出会いは、第一勧業銀行(現みずほ銀行)の社員として出向したソフトバンクでのこと。「何をするのかもわからぬまま体一つで放り込まれた」と振り返る城戸は、当時株価も評判も低かったソフトバンクでIR室責任者となる。北尾と共に徹夜でプレゼン資料を作ったりと、直に接しながら働くこと2年間。一緒に海外出張に出かけたこともある。

「北尾とロンドンに出張した時、僕は胃潰瘍を患っていたんです。その時、ヒースロー空港で北尾がザンタックという薬を買い求め、『飲め』と手渡してくれました。部下思いで人情に熱い人だと改めて感じたのを覚えています」

 そして2年後、出向任期は満了となるが、城戸が銀行に戻ることはなかった。時は99年。ソフトバンクの管理部門がSBIの前身であるソフトバンク・ファイナンスとして独立し、北尾がトップとなったのである。北尾『ネットと金融をやるから残れ』。城戸『はい、わかりました。でも今後、出向の枠がなくなるかもしれませんよ』。北尾『それでもええ。一緒にやろう』。その会話で城戸の運命が決定した。

「ソフトバンクで初めて触れたネットに『これからはこの時代だ。このまま続けたい』と感じていました。その一方、金融からも離れたくない。その両方を一緒にやれるなら嬉しかった。それに北尾達と共に何かをやることが、人生のプラスになると思えたんです」

 立ち上げ当初はうまくいかないことも多く、辛い日々が続いた。「会社がつぶれるのでは…」という不安を抱えながら朝の3時、4時まで働く日々。だが城戸はそれを懐かしそうに振り返る。

「みんな一生懸命でしたよ。だから力を合わせる楽しさがあったし、絆も強まった。また北尾も現場に任せきりにせず、抜群の判断力を発揮していました。そうやって自分が判断したことについては、たとえ失敗しても自分でリスクを取って決して私達のせいにはしない。そこが心底、信頼できました」

 そう語る城戸は今、ファイナンシャル・サービス事業本部長。ネットでの保険比較サイトなど立ち上げ当初からのビジネスを手がけている。たとえば現在も代理店やディーラーを利用する顧客が90%以上という自動車保険でも、ネットを使って真に客に有益なものを提供するという姿勢で、前年対比5割、年々利用者増という成果を挙げている。

「私達は金融商品を発売しているわけではないから、製販分離でお客様にとって一番いいものを見つけて提供することができる。それをネットで行う旗手、ナンバーワンになりたいんです」

 本当にその顧客に合ったものを選び、提供することはSBIが一貫して掲げる顧客中心主義の実践にほかならない。

「すべてはお客様が使って対価を得るのが原則。特にネットはお客様に会うことがないから、そこを忘れると見向きもされない。確かにネットでお客様にCSを与えるのは難しいことですが、だからこそ情報の量だけでなく、その人に合った情報、サービスを選んで知らせてあげることが必要です。マスを対象にした1to1のコンシューマー・サービスは困難ですが、ネットならできる。たとえばグーグルの検索エンジンのような金融サービス。それを目指しています」

 城戸が今考えているのはローンや保険などあらゆる金融商品のサービスを横と縦の立体的に広げて提供することだ。たとえば紹介するという横のサービスに加え、契約や購入のケアなど縦のサービスを加えるといったことである。それをネットだけで補うのは難しいため、店舗や対面、電話など他の方法も考える必要がある。もちろんアクセス手段として、いかにモバイルを新しく取り入れていくかも課題だ。一方、新卒社員も増えてきた今、若い社員にやる気を持たせる教育の必要性も感じているという城戸は笑ってこう言った。

「常に新しいことをやらないといけないんです。泳いでいないと死んでしまうマグロみたいなものですよ(笑)」



儲かるだけの投資はしない信念を持って“産業”を作る

SBIインベストメント 代表取締役 執行役員 COO 中川 隆

「とにかく素晴らしく頭がいい。一を聞いて十を知る人だ」

 99年2月末。都市銀行に勤務していた中川隆が初めて北尾と対峙した時の率直な思いである。銀行の上司から「野村證券を通した金融知識をベースに、斬新さ、行動力を併せ持つプロ中のプロ。頭脳、ロジック、すべてを兼ね備えた数少ない経営者」として紹介されての初体面であった。その後知った北尾のスケジュールコントロールは15分刻み。「それなのに1時間もの時間を割いて、当時の私のような若造の話をしっかり聞き、自分が歩んできた道についても話してくれた。感動しました」

「この人と一緒にやれれば」との思いを抱いた中川は銀行を退職、4月1日に当時のソフトバンク・ファイナンスに入社して北尾と合流。アメリカのイー・ローン社とのジョイントベンチャーでゼロから新しいビジネスを立ち上げ、1年で黒字化に成功する。

 その後、SBIホールディングスを経て、現在はSBIインベストメント代表取締役執行役員COO。SBIグループの5つのコアビジネスの一つ、アセットマネジメント事業において、未公開企業、ベンチャー企業に投資する運用上の責任者である。ファンドの時価純資産合計は3041億円。1000億円分を主にIT、バイオなどのベンチャー企業へ投資していき、インキュベーション活動を行なう。投資先者数は223社(2005年12月末)、“卒業”したエグジット社数は84社だ。「『ただ儲かればいい』という投資はしません。私達はIT産業全体を作る“新産業クリエイター”。だから国内の企業のみならずアメリカのIT企業にも投資する。両方を手がける企業は唯一です。投資によって外資をも実際に日本に根付かせ、稼げる“産業”を育てることが、資源のない国・日本にとって非常に重要。言うなれば日本のネットの夜明けを作るファンドなのです」

 では儲かることだけでなく、何を見て投資を行なうのか。そこには常に価値基準を「自分が」でなく、「マーケットにとって、他者にとってどうか」に置く北尾の価値観が貫かれている。

「投資する場合も『この会社がどうなのか』でなく、『この会社のマーケットがどう伸びているか。そこにどのように独創的なアイディアを提供している会社なのか』ということを重視します」
 
 そう語る中川らは投資を求める企業の中身をチームで徹底的に精査するが、最後の最後に相手に必ず会い、投資判断を行なうのは北尾である。その判断基準は経営者の資質。いわゆる人物面談によるその判断は瞬間的だという。

「投資判断によらず北尾の判断、決断はどの経営者より早い。即断即決の裏にはもちろん全体力を上げての情報収集がある。それがSBIの強さです」

 その強さを武器に、SBIインベストメントは昨年7月4日付けの日経金融新聞のVC調査においてジャフコを逆転で抜き、第1位を獲得した。

「ジャフコなどは自分で事業をしたことがないでしょう。でもベンチャーである当社には私を筆頭に企業家が山ほどいる。だから企業を成長させる手法を知っています。それをこれほど大規模にできるのは当社だけでしょう。また人員と人件費をかけ、一社ごとに手をかける心意気があるし、上場したその日に売ったりはしないからつながりが強い。これが本当のハンズオン型の投資です。『甘い』と言われることもありますが、ちゃんと数字は出ているし、その上“産業”も作っている。好循環ができているんです」 

 ブロードバンド産業成長期であった2004~5年には535億円のSBIブロードバンドファンドと200億円のSBIビービー・メディアファンドを、モバイル&ワイヤレス産業成長期の2006年からは320億円のモバイルファンドを設立してきたSBIインベストメント。中川は今年後半を目標に次なるテーマを考えている。

「2500~3000億円のボリュームで、すごいファンドをきちっとやっていきます。自信はありますよ」

 冷静に、だがきっぱりと言い切った。



経営がしたい―その夢に北尾はチャンスをくれた

SBIモーゲージ 代表取締役 執行役員 COO 円山法昭

 99年11月のある夜、東海銀行名古屋本部に勤めていた円山法昭は、知人と酒を酌み交わしていた。相手は経営コンサルティング会社A.T.カーニーの一人であり、当時のイー・ローン立ち上げのためCOOとして転職した人物。「銀行も飽きたしなぁ」「新しいことをやりたいなら、うちへ来る?」。そんな会話がきっかけとなり、円山は転職のため北尾との面接に臨むこととなる。

「会う前から北尾には怖いイメージがありましたが、実際会ったらやっぱり怖かった(笑)。バレてはいなかったと思うけど、遅刻して行ったしね。北尾に言われた言葉は『いろいろやってきてるな。おまえ、いつから来るんだ?』。それで転職を決めました」

 実は円山にはいつかは独立して自ら経営をしたいという思いがあった。そのため当時の人事部長に正直に「3年で辞めます」と宣言し、「アホか!」と喧嘩になったこともある。実際3年が過ぎた頃、辞めようと考えたこともあった。だがSBIモーゲージの立ち上げをはじめ、6年で5社の企業立ち上げを手がけたことから、SBIで仕事をする面白さにハマッていく。

「北尾はよくわかってるんですよ。僕が『辞めたいな』と思っていると『おまえがそれほど言うなら金を出してやる』と言ってチャンスをくれるんです。ふつうは起業したいと思っても、一生に1社か2社作るのがせいぜいでしょう。『お金欲より事業欲』の僕にとって企業の立ち上げは苦しくたって楽しい。たとえ失敗してもすべてが経験だし、逆にファイトが湧いてくるんです」

 そんな円山は、入社後すぐのある会議で、北尾から聞かされた言葉が忘れられないという。それは「ビジネスは正しいことを、正しくやって、正しく儲けるものだ」という言葉であった。

「僕がいた銀行業界ではお金なんかいらない人に融資し、お金がほしい人から巻き上げる。必ずしも正しいことが儲かることではなかったんです。そうでなく真正面から正直にビジネスをするのは苦しい。より安く、よりよいものを提供するのも苦しい。でも苦しいことに正しくチャレンジして成功するべきだと、北尾は言ったんです」

 その言葉に感銘を受けた円山率いるSBIモーゲージは日本初のモーゲージバンク。証券化を資金調達手段とした住宅ローン貸出専門の金融機関である。住宅ローンの貸出、取次業務にも、そんな北尾の信念が熱く脈打っている。

「住宅ローンにおいても長期固定金利が正しいに決まっている。従来の銀行のような変動金利なんておかしいし、国民の税金で住宅ローンをやるなんていけない。それを変えていこう。その思いから証券化のリスクを取り、長期固定金利しか扱わないという信念で、モーゲージブローカー、モーゲージバンクとしてスタートしました」

 立ち上げから経営まで、北尾は円山を信頼し、任せ切ってくれたという。

「もともと北尾は人に対して優しすぎるほど優しい。たとえだまされても人を信じる。だから人に任せることができるんですね。それに相手を能力だけで見ず、人間を見る。一度や二度の失敗では切り捨てたりしないから、安倍首相の言う“敗者復活、再チャレンジ”ができる。北尾ほどのいい先生はいませんよ。僕も北尾のようになりたい」

 そんな北尾の下、「ライバルはメガバンクと郵貯」と言い切り、「日本初、ナンバーワンでなければ意味がない」と高らかに宣言する円山。長期固定金利に加え、業界最低水準金利など、常に安くいいものを提供するための武器は証券化と最先端のファイナンス・テクノロジーだ。言うまでもなくSBIが誇るネットの力も強みであるが、それに加え、代理店をリアルに活用し、その数は来年度1000店舗を目指している。さらに現在、円山が最も注力しているのは商品開発力とイノベーション、マーケティング集客である。

「住宅ローンをはじめとして、みんなが『あったらいいな』と思うもの、自分自身が『ほしいな』と思う日本初のものを提供したい。かっこいいもの、賢いものを提供できるライフスタイル・プロデューサーになりたいんです」



優しくて涙もろく、笑い上戸の北尾は父親のよう

SBIホールディングス 取締役 執行役員常務 相原志保

 かつてSBIホールディングスと提携関係にあった香港企業、イー・トゥー・ホールディングスに在籍し、当時の上司と共にSBIへ転職したのが相原志保である。入社面接で初めて会った北尾の印象は「厳しい人かと思っていたのに穏やか」。今も相原にとっては、冬になればベストを着てニコニコと執務室に座る北尾の印象が強いという。

 入社以来一貫して不動産関連投資事業、生活関連事業を手がけてきた相原は、メリル証券との事業提携をはじめ国内外の企業との提携にも携わってきた。入社2年目にはファンド投資していた企業に取締役としてたった一人で派遣されたこともある。そんな時も常に北尾は信用して任せてくれたという。

「メリルとの提携の仕事に際しても『やりたいなら、やれ』の一言で、あとは何も言わない。信じてもらった分、結果は出さねばなりませんが。北尾は属性や閨閥、学歴にニュートラルで、がんばった人間はがんばっただけ認めてくれるんです」

 そう語る相原が不動産事業において現在、集中的に投資しているのが中国、ベトナムである。双方とも将来的な伸びしろ、日本との近しい気持ちが魅力だと語る。またその一方で北尾と共に力を注いでいるのが、今年、北尾が理事を務めて埼玉県比企郡に誕生する予定の社会福祉法人「慈徳院」。虐待児の精神安定をはかるための情緒障害児短期治療施設である。

「『慈徳院』という名は北尾の亡父の戒名から取ったものです。北尾は本当に弱者への思いが強い人で、以前、個人的に私財を投じて援助した虐待児達から感謝の手紙を受け取って、泣いているのを見たことがあります」

 相原によると、北尾の情け深さは人間のみならず、植物などすべての命に注がれていることがわかる。

「北尾の執務室に花のついていない胡蝶蘭の鉢がいくつも置いてあるんです。『葉っぱがついて生きているから咲くかもしれない』と言って日の当たる場所に置いて水をやっているんですよ」

 そのように心優しく涙もろい一方で、実は北尾は笑い上戸でもあるとも相原は明かしてくれた。

「いつか私のくだらない冗談で北尾が涙を流して笑ったことがあります。その直後の会議で北尾と私の目が合ったとたん、北尾の笑いがまた止まらなくなって。その後、『おまえが目を合わせるからだ』と(笑)。そんなふうに北尾と私はよく笑い、よく怒られの仲ですね。でも叱る時もカラッとしているから嫌な気がしない。私にとっては“お父さん”みたいですね。また北尾は過去に縛られたり、とらわれたりせず未来を見る。これほど部下に愛される経営者はいないのではないでしょうか」

 その相原は北尾の下で働くようになって、仕事観が大きく変わったという。外資系企業で働いていた頃は完全な個人主義。自分のために働き、自分の価値を年収ではかっていた。SBIに入社した時も2年程度での転職を考えていたが、今ではすでに4年目となる。

「『2年単位で動くのも悪くないが、プレーヤーでなくマネジメントの立場でもう少し長く考えたらどうだ』そう北尾に言われたんです。そんな北尾と共に働くうちに、自分のためでなく会社のために働くこと、社会に役に立つ人間になることのほうが大切になってきました。今では会社のために生きる、会社の犠牲にもなれるという気持ちですね。だから自分の損得抜きに北尾を守り、会社に貢献したい。それによって社会に貢献していきたいんです」

 スーパーウーマンに見える相原だが、私生活では二児の母。毎朝5時に起きて子供達の弁当と朝食を作るが、昼間は「ママのこと忘れてね」と仕事に打ち込む。その代わり日曜日だけは、たとえ子供達が出かけてしまっても必ず家にいると決めている。

「でも実は日曜の夜が一番楽しい。『明日は会社に行ける!』とワクワクするんです。だってこの会社にいると毎日がドラマティック。1週間で一生分のドラマが何度も起こるんです。やっぱり私にとって趣味は仕事、なんですね」



SBIと住信両社の強みを融合したネットバンクへ

SBI住信ネットバンク設立準備調査会社 代表取締役副社長 川島克哉

 昨年4月、SBIホールディングスと住友信託銀行が共同で設立した株式会社SBI住信ネットバンク設立準備調査会社が誕生した。それに先立つ3月、SBIホールディングスのネットバンキング部ネット銀行設立プロジェクトの担当となり、現在はSBI住信ネットバンク設立準備調査会社副社長を務めるのが川島克哉である。

 野村證券法人部でソフトバンクを担当していた川島は、北尾を次長として約2年、部長と仰ぎ見て3年半、計5年以上共に働いた。当時の北尾の印象を川島はこう語る。

「野村の中でも間違いなく一番の部長だと感じていました。勉強熱心で馬力があり、やることなすことすべてが大きい。その一方、人情味もある。北尾がソフトバンクへ転職したのを機に、私も追って転職したのは、ソフトバンクの将来性よりも、北尾と共に働きたいという意識が強かったからです」

 95年のソフトバンク入社後、川島が命じられた仕事はネットワーク営業。「ネットって、ランって何?」というゼロの状態から勉強し、必死に営業をこなした。その後、広報部長や孫正義氏の秘書を経て、ソフトバンク・フロンティア証券(現SBI証券)代表取締役社長、モーニングスター代表取締役社長、イー・トレード証券副社長などを歴任し、現職に至ることとなる。

 現在は銀行開業に向けての準備に全力を尽くす日々。まずは金融庁から免許を得られるよう事業計画を精緻に練りながら、システムや商品、条件などを積み重ねている。その指針となるのはイー・トレード証券の成功だ。イー・トレードは従来のリアルな証券では与えられなかったサービス、だが実は客が真に欲していたサービスを実現し、オンライン証券として地位を確立した。川島はそれを銀行サービスに生かそうと考えている。

ことなのか? 既成概念、固定概念を打破し、SBIの柱である顧客中心主義を徹底して、お客様のニーズに応えていきます。お客様の感覚を見失わないように、社員の中から生まれる『こんなサービスがあればいい』という思いや素朴な疑問、若手社員のアイディアを生かしていくことが重用だと思っています」

 北尾から特別厳命されていることはないが、「どうあるべきかはわかっている」と川島。任されているのは相当な資本を投入した大規模な仕事。その金銭的資本と人的資本を生かすも殺すも、自分達の努力と知恵次第だと心に刻む。
「証券よりも銀行口座のほうがずっと数が多い。いつの日かこの銀行があまねく多くの日本人に認知され、口座を開いてもらえるようにしたい。それがSBIの認知につながるのです」

 川島自身が認めるとおり、ネットバンクとしては最後発。スタートが遅れているのは事実である。そこで必要となるのはイー・トレード証券が実現したようなスピード感。川島曰く「集団として体にしみついている」というそのスピード感をフルに発揮して、最短でのキャッチアップを狙う。

「個人的なイメージとしては銀行業よりネット業。銀行出身者だけでなく証券、保険、そしてネットのサービスのプロがそろっています。SBIの強みと、住友信託銀行が長く培ってきた銀行業のノウハウや歴史という両社の資源を融合し、最大限に活用して、客に喜ばれるサービスを提供していきます」

 その川島は転職後の11年を振り返り、自分と北尾の変化をこう語る。

「私も自分なりに成長、進歩したと思いますが、それに比べて北尾の変化率ははるかに大きい。朝から晩まで常に優しいわけではなく、厳しく優しくフェアな人ですが、人への思いやりや情は昔よりさらに奥深くなった。雑談の中でふとした親の話などをちゃんと覚えていて、『最近、お母さんはどう?』と気にかけてくれたりするんです」

 そして川島はもう一度、繰り返した。

「本当にすべてがより大きくなられた」



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