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トピックス -企業家倶楽部

1998年10月27日

【ディスコ特集】相手国の文化、習慣を尊重するのが真のグローバルスタンダードです/ディスコ社長 関家憲一

企業家倶楽部1998年11月号 特集第3部 編集長インタビュー


今や二十一世紀のけん引役として君臨するパソコンそしてデジタル通信機器。これらの心臓部には高性能な半導体がぎっしり搭載されている。その半導体製造に欠かせないダイシングソー(半導体切断装置)メーカーとして世界の頂点に立つ「ディスコ」。「切る・削る・磨く」を極め、「モノ作り大国日本」を守り続ける最強の技術とはいかなるものか。そのパワーの源泉はどこにあるのか。華やかな舞台の黒子として世界中の厚い信頼に応えるディスコの強さの秘密を探った。



脱皮しないヘビは死ぬ


問 ディスコは一九三七年、先代の関家三男氏により創業され、去年還暦を迎えました。企業の寿命三十年説があるなかで大変なことですね。

関家 還暦とは、干支(えと)が一巡し、もう一度新しく生まれ変わるという意味があります。海外子会社に行ったときも、外国人にそういう話をして、再出発しようと言ってるんです。社員にはいつも「脱皮しないヘビは死ぬ」と言ってます。常に新しい自分に生まれ変わる、チャレンジすることが大事だと思います。

問 新しい技術、経営に常にチャレンジしてきたから、いまのディスコがあるのですね。ところで、素人の私としては、厚さ〇・一ミリ以下の砥石で、固いものがよく切れるなと思うのですが、そこのところをわかりやすく教えてください。

関家 回転の力で切ると言う人がよくいますが、実際には関係ないです。砥石は非常に薄いものですが、刃先は数ミリしか出さず、両側をがっしり押さえているので、ぺらぺらの状態ではなく、カミソリの刃のようにピンとしています。刃は数ミクロン(一ミクロンは千分の一ミリメートル)のダイヤモンド粒子をボンドで固めたものです。

問 それにしても、髪の毛の断面を二十五分割できる世界は信じられません。

関家 あれは、うちでも一番薄い五ミクロン(〇・〇〇五ミリ)の砥石で切ったものです。通常のICを切るときは、その六倍、三○ミクロンぐらいの砥石を使います。

問 工業用砥石はもともと、どこから出てきたんですか。

関家 大理石、御影石など石材を切るところからです。厚い砥石が、さまざまな製法の工夫を経て、薄くなっていったのです。

問 五六年に一四〇ミクロン(〇・一四ミリ)の砥石を開発し、日本中の万年筆のペン先を切った。そして六八年に、厚さ四〇ミクロンの「ミクロンカット」砥石を開発。七五年に、半導体切断装置・ダイシングソーの第一号機ができた。そこから大きな転進を始めましたね。

関家 六八年の時点では、機械をつくるつもりはなく、砥石だけを売るつもりでした。ところが、世の中にその砥石を使える装置がないため、砥石がちっとも売れなかった。装置をつくってと、いろいろなところにお願いしましたが、どこも相手にしてくれない。それで失敗を繰り返しながら、徐々に内製化していき、最後に完成してしまった。ダイシングソーの第一号機は、東京・青物横丁の七十坪の貸し倉庫で完成しました。パソコン業界はガレージから始まった産業と言われてますけど、うちも同じようなことやったんです。

問 その間、七年もかかってますが、嫌になりませんでしたか。

関家 面白がってやってましたね。



切るノウハウと水平思考から生まれたダイシングソー

問 開発は副会長の弟さん(関家臣二氏)が担当されたそうですね。

関家 彼は技術者ではないのですが、新しいことを追究するのが好きで、水平思考ができるんです。ものをいろいろな方向から見ることができ、えっと驚くアドバイスを技術屋さんに提示できる。それによって、ブレイクスルーがどんどんできたんです。

問 逆に、技術屋さんでなかったから、よかったのかもしれませんね。

関家 その原点は彼自身が「切る、削る、磨く」メカニズムを徹底的に体得しているところにあるんです。それがあるから切る装置をつくることができた。

問 単に切るといっても、奧の深い世界なんでしょうね。

関家 ものを切るには、いろんな組み合わせを考えなくてはいけない。砥石一つでも、ダイヤモンドやボンドにはいろいろな種類がある。砥石を使うときも、この砥石はこの回転数がいいとか、水をどの程度どんな角度でかけたらいいとか、切るスピード、押す力の強さをどうしたらいいかなど、その組み合わせは無数にあります。私なども理屈ではわかっても、組み合わせができない。副会長は独特のカンと体験で、それを手に入れてしまったんです。

問 どうやって体得したんですか。

関家 若いころセールスに歩き、お客さんに「切れない、壊れる」と、さんざん苦情を言われた経験からきている。副会長はそんなはずはないと思い、帰ってから、いろいろなものをひたすら切り続けました。あらゆる金属、コカコーラのビンから石ころまで、いつも切っていた。そういう中から、切るメカニズムを体得したのです。彼は直感的に行動するタイプですから、後方でまとめる方を私が担当しました。



兄弟経営を成功させる秘訣

問 御社は兄弟の絶妙のコンビで成長されたんですね。先代も自身が東京に進出し、弟たちに工場を任せたと聞きます。非常に難しいといわれる兄弟経営を二代続けている。兄弟関係を維持していく秘訣はなんですか。 関家 互いに立場を尊重して、譲り合うことです。私が弟に「俺はいつも譲っているんだぞ」と言うと、弟は「とんでもない、譲っているのはこっちだ」と言いますが(笑)。お互いに、自分は一生懸命譲っているつもりでもわからない面があるんでしょうね。それから互いの立場を尊敬すること。私は長男の性(さが)なのか、物事をきちっと維持していくタイプで、自分には弟のような突破力はないとはっきり認めています。いいところを認め合うことが大切です。

問 喧嘩はしましたか。

関家 若いころは、よくしました。一週間ぐらい、口をきかないこともあった。私が三十歳ぐらいのとき、かなり激しい喧嘩をして、それをきっかけに互いに手を握る契約をした。口論したときに、いまだに覚えているのは、「兄貴は三年先に生まれただけじゃないか」と言われたこと。ハッとした。先に生まれただけで、すべてを自分中心にできるわけではないと納得できました。

問 それまでは、俺が兄だから言うことを聞けという感じでしたか。

関家 何ごとも兄貴だから当然だという雰囲気が世の中にもありましたからね。

問 言われて、気づかれたのはさすがだと思います。

関家 学生時代までは、兄弟が仲悪くなるなんて想像もしないですよね。卒業するときに、ある人にあいさつに行ったら、君たち兄弟はいまは仲がいいけど、一緒に仕事をすると喧嘩するぞと言われた。そんな馬鹿なことないよなと言っていたものです。が、ここまでもったんだから、この兄弟は死ぬまで大丈夫でしょう。



相手国のルールを尊重し、甘えないのがグローバルスタンダード

問 御社は国際企業として有名ですが、外国のお客さんの比率はどれぐらいですか。

関家 装置の半分以上は外国で売れています。

問 顧客は何社ぐらいあるんですか。

関家 三百社。世界三十カ国にある約一千工場で、九千台の装置が稼働しています。

問 世界シェア八〇%ということは、ほとんどの半導体メーカーが使っているんですね。

関家 うちの製品が入っていない工場はほとんどないです。百五十人を超える海外拠点の社員はほとんどサービスマン。そのうち、日本人は十人しかいません。

問 早い時期から海外に出られて、世界市場を制覇したのは大変なことです。現地の人を使いこなすコツはありますか。

関家 結局、基本的にはどこの国でも同じです。同じ人間だというスタンスでいけば大丈夫です。東南アジアだから、アメリカだからどうだと考えるのでなく、まったく同じスタンスでいくべき。ただ、終身雇用的な考え方は、もともと向こうにはありませんから、社員に対して変な期待をもってはいけません。辞めてもらいたくない人間に対しては、それだけの待遇をする。それができなくて転職されるのは、しょうがないのです。日本の会社もこれからは、そういう考え方でいかなくてはいけなくなるでしょう。

問 御社を特集するにあたって、テーマはグローバルスタンダードしかないと思ったのですが、関家さんの考えるグローバルスタンダードとは一体なんなのでしょう。

関家 アメリカの文化やルールがグローバルスタンダードではないのです。どこの国に行っても、その国の文化・ルールを尊重しながら、主張すべきは主張してやっていくことが、グローバルスタンダードではないでしょうか。アメリカ人が日本にアメリカのやり方をもってきて、これがアメリカのやり方だと言っても、それが日本人に馴染まなかったらグローバルスタンダードとはいえません。自分の国の文化をもちながら、相手国の文化、習慣を尊重して、やっていくことではないでしょうか。ただ一ついえることは、民主主義は絶対的なものだということ。納得のいく説明をするといったことは民主主義の基準。それがグローバルスタンダードです。

問 アメリカの実力主義社会がよく話題になりますが。

関家 アメリカで、俺は経営のプロだ、俺がやってやる、という人間を何人か採用しましたが、駄目ですね。化けの皮がはがれます。われわれはチームワークが大切だということをアメリカ人にもいってます。日本のサポートがなければ成立しない仕事ですから、少なくともチームワークの思想がないと、うまくいかないのです。

問 どこの国でも俺が、俺がという人は信用できませんね。

関家 アメリカには多いです。逆にドイツ人は、非常にチームワークを重視します。

問 だから日独同盟があったのかもしれませんね。

関家 ドイツ人とパートナーシップをとったことがありますが、話が通じやすかったです。

問 気持ちが通じやすいお国柄の国はありますか。

関家 それはまったくドイツです。ドイツ人とは気脈が通じます。ただ、どこの国の人でも、話が通じる人は通じるし、通じない人は通じない。私がパートナー選びの基準にしているのは、話が通じる人かどうかです。

問 相手の気持ちがわかる人ということですね。

関家 外国人と机を叩いて議論してきましたが、意見の対立はいいんです。喧嘩しながらでも、やっていける。わかりましたといって、何もやらないのは一番困る。外国人の場合、打ち合わせて別れたら、半年ぐらい会わないですから、信頼関係がないとやっていけないです。

問 日本の政治家や官僚の答弁みたいに、検討しますといって何もやらないのは、一番困りますね。

関家 さっきのグローバルスタンダードですが、甘え構造がないというのが重要な要素でしょうね。ビジネス、雇用関係においても、最初から、こういうことが起こるかもしれないと考えておけば、そんなに驚かないです。頼んだのだから、その通りにやってくれて当然と思っているから、その通りにいかないとき、あわてたり、失望してしまうのです。いま日本の産業界で規制緩和が話題になってますが、外国で事業を行っている会社は、とっくにやっていることです。半導体業界は特に新しい産業ですから、規制の中で甘える構造がまったくなかった。それがすごくよかったと思います。今ごろ規制問題が大きく取り上げられている新聞記事を見ると、日本の産業界はなんと甘えてきたのかと思いますね。生意気なことを言うようですが、外国に出ていったら、誰も助けてくれないのが当たり前なんですから。



お客様に本質的な満足を提供する

問 そういうなかで事業を成功させたポイントは何だったのでしょう。

関家 お客さんが本当に求めているものを提供したことです。当時の社是は「お客様に本質的な満足をお届けする」でした。切る機械においての本質的な満足とは、切った結果です。とにかく結果を出すことを目指してきました。最初のころは英語のマニュアル(技術手引書)もなく、そんなことでは御社の機械は買えないと言われました。でもこの機械を使えば、こういう結果が出ると、結果を示せば納得される。そこから始まるのです。

問 本質的な満足を提供することに徹底して注力した結果なのですね。

関家 日本はソフトウェアに弱く、当時アメリカの機械が電子回路を使っていたときに、うちの機械はリレー回路を使っていた。しかし、電子回路がいくらよくても、切れなければしょうがない。そういう形で攻めた。その代わり、壊れたら徹底的に修理しますということで、海外にサービス拠点をおいていったのです。

問 半導体業界は新しい産業だから、いいものをつくれば買ってくれるという土壌があったのですね。

関家 だから、日本の名もない会社の機械が売れたのです。



半導体不況は装置業界にも押し寄せている

問 現在は半導体業界も厳しいそうですが、どんな状況ですか。

関家 九八年三月期の売上高は三百十五億円、経常利益は五十八億円と過去最高を記録しましたが、今期の売上高は通期の見込みで二百五十億円、経常利益は二十六億円と発表してます。連結では三百五十億円、三十九億円となり、かなり外国ががんばってますが、やはり厳しくなっています。

問 シリコンサイクルの波ですか。

関家 昔のシリコンサイクルはオリンピックと同じ四年ごとでした。家電が売れるとICもたくさん使われ、みなさん設備投資をする。すると、過剰になり商品がだぶつき、その世代のICがどんと値下がりする。すると、おもちゃにまで使われるようになり、次の世代が出てくるという繰り返しでした。が、今回のシリコンサイクルは四年より長かった。世界不況と合わせて、さすがのハイテクも不況です。これはつくりすぎも影響しています。

問 いつ頃から悪くなったんですか。

関家 半導体そのものは九七年の最初ぐらいから厳しい状態だった。装置業界は早いところは九七年の秋ぐらいから悪くなった。うちは九八年三月までは最高で、なかなか気配が見えないなと思っていたが、五月頃から勢いが弱まってきました。この状態はしばらく続くでしょう。装置メーカーにとって大きな痛手は、次世代のLSI用素材である、直径三百ミリのシリコンウェーハに対応する装置を開発してしまったことです。九九年には一斉に装備するといわれていたのに、二〇〇〇年以降になりそうです。ダイシングソーの場合、開発投資はそんなに大きくないが、前工程の装置メーカーの打撃が大きいと思います。



会社の存在意味を徹底的に議論する

問 二十一世紀のディスコについて、どんな展望をもっておられますか。

関家 ディスコでは売上高、規模、シェアなどで、将来のビジョンをつくることをやめたんです。ROE(株主資本利益率)、経常利益率など、量よりも質を重視するビジョンを去年の十二月に発表しました。さらに、収益以上に大切なことがあるという企業理念をつくっています。九五年からディスコの将来のあり方を決めるプロジェクトを立ち上げ、そこでディスコバリューズをつくりました。

問 企業の価値はどんなものですか。

関家 会社とは価値交換の工場であると考えられます。社員にとっての会社は、労働力を提供して給与などを得る価値交換の場。株主にとっては投資により、配当やキャピタルゲインを得られる価値交換の場。お客様にとっては、おカネを払って商品を得る価値交換の場です。価値交換の工場ですから、その生産性を上げることが大切だと考えます。

問 ディスコの存在意味を徹底的に煮詰めているのですね。

関家 すべての人間は幸せに生きる権利と義務をもっている、というところから始まるディスコのバイブルづくりをしているといえます。

問 条文の例を一つ挙げてください。


関家 わかりやすくいうと「嘘をつかない経営」を謳っています。決して収益が第一ではないということがここに表れています。


問 それを会社の理念として表明するのは、大変勇気のいることです。

関家 松下幸之助さん、稲盛和夫さんなどは自分独自の哲学で、社員を引っ張っていけますが、われわれ凡人が個人の哲学を会社に定着させるのは簡単ではありません。むしろ、次世代の人間も交えて、二十一世紀はどういうディスコでありたいか、どうしたらみんなが働きやすく、みんなの力が最大限に発揮できる会社になるかを目指して哲学づくりをしていく方がいい。われわれのバイブルはそうやってつくったものです。

問 技術開発競争が激しいなかで、組織経営の開発にも力を入れているのは立派なことです。

関家 理念づくりによって、集団の力は強くなる。強い集団ができれば、どんな場面に直面しても戦える。そう考えて、組織経営の開発に力を入れているのです。

問 ますますの発展を期待しております。どうもありがとうございました。



関家 憲一(せきや・けんいち)

1938年3月5日、第一製砥所の創業者関家三男氏の長男として、東京で生まれる。小学校から大学卒業までは神奈川県大磯町で過ごす。1960年、慶應義塾大学経済学部卒業。同年4月、第一製砥所(現ディスコ)入社。63年取締役。70年取締役副社長。84年代表取締役副社長。85年代表取締役社長。94年科学技術庁長官賞受賞。同年5月(社)発明協会理事に就任。同年7月SEMI役員に就任。97年5月藍綬褒章受章。98年7月代表取締役会長兼社長に就任。慶大時代は空手部に所属。全日本級の選手だった。現在の趣味はゴルフ、マリンスポーツなど。庭いじりも好きだ。

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