トピックス -企業家倶楽部

2005年10月27日

特集4部 藤原洋を支えるスタッフ/強い信頼関係で結ばれた一騎当千の強者(つわもの)たち

企業家倶楽部2005年12月号特集第4部


IRIグループ企業の社長はそれぞれが企業家であり、「独立連邦型経営」の中で独立独歩の経営を行っている。誰もが藤原を慕い、IRIに馳せ参じた一騎当千の強者(つわもの)たちだ。科学者のような頭脳とまっすぐで揺ぎ無い信念、そして愛嬌ある人柄が彼らを魅了してやまない。藤原の優れたリーダーシップが、グループの固い絆となってIRIの急成長を支えている。(文中敬称略)



創業時からの心強いイコールパートナー

ブロードバンドタワー代表取締役社長 大和田廣樹

 九五年十月、JR系のシンクタンクに勤めていた大和田は、米・英を周るマルチメディアの視察団に参加し、藤原と出会った。そして二人で会社設立を決めるが、その計画は志半ばで頓挫してしまう。この会社に協力するために会社を飛び出したエンジニア四人を抱え、藤原と大和田は途方に暮れた。「それで、村井純さん(現・慶応大学教授)に相談に行ったら『商用IX(IX同士が相互接続を行う拠点)を作ったらどう』と言われたんです。これしかないと思いました」

 そして九六年にIRIを設立し、九七年には日本初の商用IX「JPIX」を誕生させた。さらにブロードバンドのインフラの設計・構築も手がけ、ネットバブルの波にも乗り、九九年十二月には、晴れてマザーズ上場を果たす。その際に調達した資金を使い、二〇〇〇年二月、グローバルセンター・ジャパンを設立、データセンター(インターネット用のサーバやルータなどを収容する棚と場所を提供する施設)事業を始めた。IRIが一一%を出資し、米アジア・グローバル・クロッシング社(以下AGC)が八九%を出資して作ったこの会社、すべり出しは上々だった。

 しかし、一年経たずしてAGCが倒産、グローバルセンター・ジャパンも、子会社化か売却かの岐路に立たされた。「子会社化には相当反対がありました。なんといっても、毎月一億円もの赤字を出していましたからね。けど、藤原と私は、絶対に子会社にしたかった。調達した資金も大して投入せず、全力で経営していないのに手放すなんて、本当に忍びなかったんです。それで結局、激論の末、IRIによる子会社化と、私の社長就任が決まりました。覚悟を決め、全ての仕事を投げ打ち、データセンターに集中しようと決意したのを覚えています。そして〇二年四月、社名も変更し、ブロードバンドタワー(以下BBタワー)が誕生しました」

 それから三年四ヵ月後の〇五年八月、BBタワーは、晴れてヘラクレスに上場した。〇五年六月期の売上高は四十八・六億円、経常利益は六・二億円となった。その成長要因は何か。「営業努力に加え、ブロードバンド時代の到来という追い風が吹き、稼働率が大幅に向上したことにある」と大和田は分析する。数回の拡張を経て、現在データセンターの稼働率は七一%を誇る。また、今年十月には日本最大級のデータセンターであるソフトバンクIDCと販売業務提携を行い、今後の需要拡大に備えた。

 好調なデータセンター事業に支えられ、新たに自らのインフラを利用してのブロードバンド配信事業も始めた。〇四年二月には、ライブドアらとともに、ネットシネマの企画・制作・配信・販売を行うブロードバンドピクチャーズを設立、「インターネットの夜明け」など、数々の作品を世に送り出した。また、今年十一月には、ライブドアと共同で液晶画面付きの清涼飲料用自動販売機にブロードバンド回線を引き込み、コンテンツを配信する事業も始める。今後、これらブロードバンド配信事業を売上高の三割にまで成長させる方針だ。

 ネットワーク上を流れるデータの量は確実に増えており、データセンターはその重要度を増している。「おかげで売り上げは上がっています。しかし、ブロードバンドの料金値下がりに合わせて、データセンター自体の料金は下がっている。気を抜かず、IRI本体が手薄なコンテンツ事業を強化し、IRIグループの裾野を広げていこうと思います。それがチャンスをくれた藤原への恩返しなんです。創業時、藤原と私は本音で話そう、と約束しました。藤原と私は、何でも話し合える大切なイコールパートナーです。今後も藤原のために色々助言をするのが、私の勤めです」  



ユビキタス社会を見据えたモノ作りのプロ

IRIユビテック代表取締役社長 荻野 司

「気が付いたら、社長に納まっていたんですよ」そう、荻野は笑う。

 荻野が藤原に出会ったのは九七年。当時キャノンに勤めていた荻野が、アメリカのインターネット事業の視察団に参加した際、団長が藤原だった。藤原は荻野に、こと細かにインターネットの知識を教えた。

 そして時は経ち二〇〇〇年。荻野は国のインターネットの普及活動などを軸にすべく、キャノンの退社を決意。時を同じくして藤原に「IRIに籍だけ置けばいい。好きに仕事ができるよ。来ない?」と誘われ、IRI入社を決めた。「まさに渡りに船でした。けど、六月にIRIやキャノンによる合弁会社・インターネットシーアンドオーの社長が倒れた。それで急遽、藤原を中心とした関係者が、私を社長にしようと結託したんです。それで籍を置くだけのはずが、社長になってしまいました(笑)。話が全然違うじゃないですか。でもなぜか納得してしまいましたね」

 紆余曲折はあったが、その後の荻野の活躍は目覚しかった。シーアンドオーの社長を務め、二年間で黒字化。〇二年十月には、新たにユビキタス研究所を立ち上げた。そのユビキタス研究所が、楽しくて楽しくて仕方なくなった〇三年初夏、荻野の元に藤原から新たな使命が舞い込む。「『荻野さん、タウ技研を立て直してよ。モノ作りを経験した荻野さんにしかできないよ。やるしかないでしょう』なんて言うんです・・・それで、〇三年九月、タウ技研の社長に就任してしまいました(笑)」

 当時のタウ技研は、端末を作るファブレスメーカーとしての地位を築いていた。しかし荻野は、将来のことを考え、ネットワークの研究開発を行う企業への変革を決意する。タウ技研の社名をIRIユビテックに変更し、ネットワーク運用の技術を持つユビキタス研究所を移管。ネットワーク技術と端末を融合した製品を生む体制を整えて成長し、〇五年六月、晴れてヘラクレスに上場した。

 そして現在、IRIユビテックはユビキタス社会の到来を見据え、土台作りを急ぐ。松下電工と共同で、照明や空調設備をコンピューターとネットワークで管理する「ビルディング・エクスチェンジ」を開発。加えて、ワイヤレスのブロードバンドサービスに参入を表明したYOZANとともに、無線LANの新規格・WiMAX事業推進プロジェクトも開始した。「今後、ユビキタス市場が本格的に立ち上がれば、売上高百億円は一気に突破するでしょう」荻野は自らの打つ手に自信を見せる。

「今はすごく楽しいですよ。グループの社長は皆尊敬できるいい仲間だし、藤原さんも、私が嫌なことを言っても受け止めてくれる。『荻野さん、あまりケンカしすぎもよくないよ』と諭してくれる。すごく懐が深いんですよ。自然に人を納得させてしまうし、任せる時も白紙で任せてくれる。ただ、ガンコです。ユビテックが池袋から引っ越す時も、本社がある新宿野村ビルに来てと言い張った。野村ビルは家賃が高いから他に行きたかったのに。けど最後には『家賃が高くても、荻野さんが同じビルにいる方がずっと大切』なんて言いいだして、つい野村ビルに来てしまいました・・・いつも知らないうちにレールを敷かれて、はめられている気もしますが(笑)、何だかんだ言って、藤原さんを信頼しています」



IRIの急成長を支える経営のエキスパート

IRIコミュニケーションズ代表取締役社長 持塚 朗

「わからなかったら、藤原先生に聞け」。CSK創業者・大川功は、CSKの子会社の役員だった持塚にそう言った。九五年頃、持塚がISP(インターネット接続サービス提供事業者)について調べていた時である。それがきっかけで持塚が藤原の元を訪れたのが、二人の出会いとなった。その後は目立った付き合いはなかったものの、〇二年、CSK本体へ戻った持塚が、とある企業の買収を持ちかけに藤原の元を訪れたことが縁となった。「後日、食事をしたんです。そしたら『その会社はどうでもいいけど、持塚君、うちに来ない?僕は経営に向いてないんだよね』なんて言う。この人何言ってるんだろうと思いました」当時、大川が亡くなったことで、CSKは大幅な方針転換を行い、大川を経営の師と仰いでいた持塚は、自らの支柱を失っていた。そして、迷った末に退社を決意。〇二年七月、IRIに飛び込んだ。

 CSKで営業・経営企画に携わった持塚と、技術者出身の藤原はバツグンの組み合わせだった。当時のIRI本体は、事業を別会社化したばかりで、売り上げも人材も乏しい。それに加え、いい技術者がいるのに、営業力が弱く収益に結びついていなかった。そこで持塚はIRIの最高執行責任者として、採用数を増やすなどして営業を強化。そして本体を立て直した後、〇三年十二月、サーバーの運用・管理を行うインターネットシーアンドオー(〇四年四月、IRIコミュニケーションズに社名変更)の社長に就任する。〇四年十月にはIX(ISP同士が相互接続を行う拠点)の運用を行うBBXと合併、IRI本体からもいくつかの事業を引き受け、新生IRIコミュニケーションズを誕生させた。

 現在は、IX運用(BBX事業)、ダイヤルアップ回線のインフラの提供(VAS事業)、IPネットワークの設計・構築(AdNI事業)、システムの管理・運用(MS事業)を行っている。加えて、今年八月からはISPに代わってスパムメール(迷惑な商用メール)の対策を行う「メールASPサービス」も始めた。また、コンサルティングから、日々のサーバーの運用まで一貫してセキュリティを請け負うサービスも立ち上げるべく動いている。〇五年六月期の売上高は七十九億円。今後はメールASPサービスとセキュリティサービスを収益の柱に育てる方針だ。

 唯一の懸念材料は、大口取引先の平成電電が民事再生法を申請したことだが、持塚は強気の姿勢を崩さない。

「このまま成長をしていきたいですね。二〇〇X年にグループ売上高一千億円を達成した後、一兆円にも挑戦したい。藤原は時に突拍子もない目標を出しますが、僕は藤原と一緒に、その目標を実現していきたいと思います」

 藤原に惹かれてやまない持塚。自身が惚れこんだ藤原と大川氏には、かなり共通点があると言う。「一番似ているのは、『夢と挑戦』という方針です。私は大川さんに、夢を持って挑戦することが人として一番大切だと教わったんです。藤原も夢が大きく、挑戦が好き。そんなところが合ってるのだと思います。あと、藤原も大川さんも、血液型がB型です。『O型はB型に勝てない』なんて一般論で言いますよね。私はO型なんですが、本当にかなわないんですよ(笑)。気まぐれだと思うこともありますが、結局『しょうがないなぁ』と許してしまう。また、夜が遅くて寝ないところまで似ています。五十一歳になるのに、本当にタフですよ。健康には気をつけて欲しいですね」

 時に苦笑いしつつも、藤原のこととなると終始相好を崩して語る持塚。IRIグループの要として、藤原を強力に支えている。



IPとGISを融合させ新産業を創出する

アイ・エックス・アイ代表取締役社長 嶋田博一

 二〇〇五年八月、IRIはアイ・エックス・アイ(以下IXI)をTOB(株式公開買い付け)により連結子会社化、藤原の唱える十兆円産業の創出に向け、IRIに力強い味方が加わった。嶋田はIRIグループに参画した理由をこう語る。

「前の親会社シーエーシー(CAC)では事業シナジーが少なく、新しい親会社を探していた矢先にIRIから話が持ち上がりました。IRIのIPを使ったプラットフォーム事業と、IXIのGIS(地理情報システム)技術、提案力の組み合わせは、シナジーという面では抜群ですし、何よりもお互いに話してビジョンを共有できました。こんな友好的な買収は珍しいと思います」

 藤原、嶋田、CAC社長の島田俊夫の三人で初めて食事をした際、「これでいきましょう」ということで、スムーズに話が進んだ。CACは事業のリストラクチャリング資金を欲し、IRIは「ホームランドセキュリティ構想」を実現させるため、IXIのGIS技術を欲していた。IRIは東京中心、IXIは大阪中心と顧客開拓にもシナジーがある。

 IXIの創業は一九八九年、GIS(地理情報システム)技術を核とした情報系システムの企画・設計・開発に強いコンサルティング会社として、二〇〇二年、ナスダック・ジャパン(現ヘラクレス)に株式上場、二〇〇四年には東証二部に上場した。「同じ山を右と左から登っていて、めざすところは同じだったのです」と話す嶋田。創業前、事業領域を模索していた嶋田が渡米した際、ワシントンのペンタゴン周辺で目の当たりにしたのが、米国流「ホームランドセキュリティ」であった。当然、藤原との初対面で、「是非、一緒にやりましょう」と意気投合した。

「今はパラダイムシフトが起きている時代です。だから合流しました。それを加速させる必要があります。利益を上げるのは当然のことで、プラスアルファでやるべきことをやるという信念がないといけません。藤原さんは新しい産業を創出することをめざしている。それにみんなが加担しているのです。そして私がやりたかったことにも加担してもらっています」

 今後は、得意とする位置情報、時間情報、空間情報を活用した分散拠点向けソリューションを、IRIグループ企業と連携させることで、GISエンタープライズ市場の開拓を担う。具体的には、物流、環境、福祉、防災といった面で新たな展開が考えられる。その先陣を切るのが、某飲料メーカーと提携しての新プロジェクトだ。

「シナジーのでるところで、世の中に早く見せれる形で出したい。それもアメリカの焼き直しではなく日本オリジナルなもので」との藤原の要望に嶋田は応えた。イメージとしては街中にある自動販売機が、災害や犯罪予防装置になり、また平時は情報端末として機能する、といったモデルである。「欧米とは違ったセキュリティモデルを構築したいです」と話す嶋田、数年後には社会的に影響力のある事業に発展させたい。

「藤原さんと私の経営スタイルは対極です。だからこそ補完できる。技術から産業創出を起こそうとする藤原さん、私は社会のニーズに合致した技術を選択し、構想を描くことが得意です。グループ企業の社長の中では、付き合いは一番短いでしょうが、藤原さんは基本的には信念の人だと思います。これからも今まで通りのスタイルで、自分の信念を貫いてもらいたいですね」



IRIの技術を基盤にEC、メディア事業を抑える

IRI コマースアンドテクノロジー代表取締役社長 宮川洋

 共にアスキー出身の宮川と藤原。とはいえ、宮川は出版部門、藤原は子会社のグラフィックス・コミュニケーション・ラボラトリーズでMPEG(画像圧縮の世界標準)を作る研究開発を行っており、仕事上での接点はなかった。そんな二人が出会ったのは、九五年前後。宮川の上司が藤原と飲み友達だった関係で知り合い、会社近辺の飲み屋でたびたび酒を酌み交わすようになっていた。その頃から藤原は宮川に言っていた。「NTTの売り上げ約六兆円のうち、一%を獲っただけでも六百億円になる。もし世界の通信産業全体の一%を獲れれば、ものすごい数字になるよね」。世界市場を視野に入れて切り込もうとしている藤原に、宮川は舌を巻いた。

 また、藤原の説得力にも脱帽したという。二人の出会いとほぼ時を同じくして、アスキーに深刻なお家騒動が勃発した。約四百名もの社員を集めた総会が行われるものの、社長の西和彦氏に反発して会社を離れた役員が会場に現れ、総会は大混乱、暴動寸前に陥った。そんな中、司会を任された藤原は、興奮状態にある社員たちに「君たちの裏切りは誰の得にもならない」と語りかけ、その場を沈めた。「藤原さんがいたからこそ、アスキーは分裂せずにすんだのだと私は思います。」

 その後、藤原はIRIを立ち上げ、宮川はアスキーでEC(電子商取引)を行う子会社の役員に就任する。しかし、アスキーは多数の編集者を抱えるものの、技術者不在で、サーバーの構築などシステムを他社に完全に委託していた。その莫大なコストにより経営危機に直面した宮川は、決意した。「ECを行うには、技術を知り、コストを下げないといけない。技術を知るためにIRIで勉強しよう」。そして、九九年十二月にIRIに入社した。

 一年間はBBタワーの営業を行い、データセンターのノウハウを始め、システムについて学んだ。そして二〇〇〇年、IRI内でECを行うIRIコマースアンドテクノロジー(以下IRI-CT)の立ち上げに関わり、〇二年十月、社長に就任した。そして現在、ブロードバンドに関する情報サイト「RBB TODAY」、自動車ニュースサイトの「レスポンス」といったメディアを運営している。ネット広告、コンテンツをまとめた書籍などが主な収益源だ 。加えて、〇五年八月には市場調査会社のイードを約四億五千八百万円で買収、自動車業界向けのインターネット調査事業を強化した。

 IRI-CTの一番の強みは、技術屋集団であるIRIのバックグラウンドである。データセンターなどECに必要なサービスは全て、グループ内のものを活用している。「他社に任せるより、断然融通が利きます。グループでのシナジー効果を感じますね。IRI-CTは、IRIのEC、メディア担当として、今後続々とメディアを増やしてく方針です。〇五年六月期の売上高は七億円、来期は九・三億円を見込み、上場も視野に入れています。すでにブロードバンドのインフラはほとんど整い、今後はそのインフラを利用したビジネスが主流になるでしょう。今後が楽しみです。それにしても、藤原さんは本当に自由に任せてくれますね。私も含め、任せてもらうことで奮起できる人にとって、IRIは最高の会社だと思います」



次世代メディアをプロデュースする

プロデュース・オン・デマンド代表取締役社長 菊池頼

「こいつは、怪しい…」

 菊池は藤原を見て、そう思った。一九九九年、菊池はフジテレビで「報道2001」などのヒット作品を手がける名プロデューサーとして名を馳せていた。そのなかで次世代メディア産業の未来像などを思い描くことも多く、その構想を描いた文章が、人手を経て、慶應義塾大学SFC環境情報学部助教授(現・民主党・参議院議員)の鈴木寛に行き渡った。「次世代メディアを大学で本格的に研究しないか」と、鈴木に話を持ちかけられたが、そのときどこからかタイミング良く現れたのが、藤原である。

「研究なんかしてないで、一緒にビジネスしようよ!」

 藤原からの突然の誘いだった。藤原はインターネット上で起こる通信と放送の融合に興味を抱いていた。それは菊池の描くメディアの未来像と同じだったのだ。藤原は菊池に「IRIとジョイント・ベンチャーを作ろう」という話を持ちかけたのである。

「普通のサラリーマンから見ると、一緒に起業しようなんて人は、怪しい人に見えますよね。藤原さんは純粋無垢なサラリーマンを騙すペテン師だと思ったんです(笑)」

 だが、菊池は藤原と具体的に会社の立ち上げの話をするなかで、おのずと藤原の人間性に触れることになった。「この人は、信頼のおける人だ」。フジテレビの社員という安定的な地位を捨てても、独立しよう。そう決意できたのは、藤原のおかげだった。プロデュース・オン・デマンド(PoD)誕生の瞬間である。

「藤原さんは京大で宇宙物理を研究されていたそうですが、藤原さんの思考を色濃く特徴づけているのは、その宇宙物理だと思うんですよ。つまり、この世界は決定論ではなく、確率論の世界だという認識なんです」

 確率論とは、決定的なものは存在せず、すべては相対的な確率の問題であるという認識方法だ。例えば、ある会社の技術がほしい場合、百億円があれば、買収することで、確実に手に入る。だがその資金がない場合は、提携や針の穴を通すような可能性の低い手段を活用することもある。藤原にとって重要なのは、手段に関わらず、目標を達成することなのだ。

「IRIで最もインテリなのが、藤原さん。僕と持塚さんがいなくなれば、IRIグループは知的レベルのかなり高い役員構成になると思います(笑)」

 菊池が率いるPoDは、インターネット上で流す動画コンテンツの制作支援から配信までをワンストップで提供、特にビデオ・オン・デマンドやコンサートなどライブ放送の動画配信を支援するプラットフォーム事業では国内最大級を誇っている。二〇〇五年六月期は、売上高四億四千六百万円、経常利益五千七百万円を計上、今後とも業績の拡大が見込まれ、株式上場も視野に入った。

 現在、USENの手がける無料のブロードバンド放送「GyaO」が視聴者数二百五十万人を突破し、新時代のメディアとして大きな注目を集めているが、それを支えているのが、PoDの提供する配信技術なのである。菊池は「GyaO」のコンテンツ総責任者も務めている。

「動画コンテンツをさらにスケールアップするには、派手な成功事例が必要だと考えています。『GyaO』はその先駆けになると思うんです。IRIグループもIT企業の先駆けとして日本社会に必要とされる企業になっていきたいですね」



ITと医療は融合していく

ファイバーテック代表取締役社長 三池神也

「御社をM&Aしたい。我々とともに、ぜひ一緒にやりましょう!」

 藤原は三池を前に突然、そう切り出した。時は二〇〇三年、東大で開かれた医療画像無線伝送産学連携コンソーシアムでのこと。医療用の極細径内視鏡を開発・販売するファイバーテック社長の三池は、コンソーシアムのなかで同社の事業内容と戦略をプレゼンテーションしていた。IRIはコンソーシアムの事務局を担当しており、藤原はそのプレゼンを聞いていたのだ。常々、「IP技術を医療分野でいかしたい」と思っていた藤原にとって、ファイバーテックはまさに理想の提携先だった。

「あまりに突然でビックリしましたが、藤原さんの提唱する連邦政府型経営が非常に面白いと感じました。我々にとってもメリットがある話だなと。それ以上に、藤原の考え方に共感したんです。私も藤原さんと同じように、『ITと医療分野は融合していく』と考えていました。医療はIT化が最も遅れている分野なのですが、医療こそIT技術を必要としているのです」

 二〇〇四年十月、ファイバーテックはIRIとの株式交換でグループ入りする。同社の主力事業は医療で使われる極細径内視鏡の開発、製造、販売である。光ファイバーを使用した内視鏡は、製造可能最小外径が〇・三五ミリと世界で最も細く、身体への負担が限りなく小さい。そのため心臓血管や眼球、涙道など、通常の内視鏡ではとても見られない部分も診察することができる。現在、極細径内視鏡で九〇%以上の圧倒的なシェアを誇っている。

「我々のビジネスモデルは、何もないところにマーケットを作り、育てることです。自分たちでマーケットを作れば、そのシェアは百%になりますから」

 今後は予防医学に注力していく方針だ。医療分野は介護も含めて二十兆円規模といわれているが、そのうちの半分は予防医学が担っていくと三池は見ている。藤原もホームランド・セキュリティにおいて医療の占める重要度は高いと考えている。

「藤原さんは考え方が非常にダイナミックです。ホームランド・セキュリティは十兆円の規模になるなんて言っていますからね。そんなことはないだろう、と普通は思いますよ。でも、きっと実際にそうなってしまうのが、藤原さんの先見性なのだと思います。まあ、振り回されないように、頑張っていますけど(笑)」

 三池は藤原を「科学的な経営者」と評する。藤原は膨大な情報や知識の中から、最も重要なポイントを見つけだす。その着眼点が天才的であり、科学的な計算から導き出されたひらめきが経営にも研究にも生かされているというのだ。

「知らないことは知らないとおっしゃいますが、次に会うと、もう知っているんです。好奇心が旺盛で、大変な勉強家ですね。担ぎたくなる人ですよ」



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