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トピックス -企業家倶楽部

2005年08月28日

情熱を武器に高い目標につき進む企業家集団/西山知義を支えるスタッフ

企業家倶楽部2005年10月 レックス・ホールディングス特集第4部 



 一本気な大内、天才肌の福井をはじめ、西山を囲むスタッフは皆多彩で個性的である。しかし、その誰もが高い目標に向かい、あくなき挑戦を続ける企業家の心を持つ。そして時に本気で涙する情熱家でもある。西山の人間力に惹かれて結集した若き精鋭たちが、新しい食ビジネス創造に賭ける情熱を語る。(文中敬称略)

誠心誠意力を尽くす一本気な外食の実力者

レインズインターナショナル 代表取締役社長 大内勇一氏

 レックスの中核的存在であり、「牛角」など外食事業を手がけるレインズインターナショナル(以下レインズ)。社長の大内勇一と西山の出会いは、十五年前にさかのぼる。当時不動産建売業者に勤めていた大内が、転職の相談を上司に持ちかけ、紹介されたのが西山だった。「目的的というかせっかちというか、開口一番、『で、いつ来れるの?』と聞いてきた。思わず『いつでも』って答えてしまいましたよ。当時は結婚前で安定した生活を送りたかったのに、押されてしまって、つい(笑)」

 そうして九一年に入社した会社は、まるで組織の体をなしてなかった。皆が自分のために会社の器を使って勝手に稼ぐスタンスで、横領事件まで起こる始末。しかし、西山はそんな社風を「どういう会社にしたい?」と皆で話し合うことで変えていった。安い居酒屋で焼き鳥を片手に、理想の会社について語りあう日々。資本もスキルもなく、あるのは夢だけの小さな会社。それでも「夢を夢で終わらせない。付いてきてくれるお前たちに恩をかえす」と誓った西山に心を打たれ、大内は無我夢中で働いた。七輪(現・「牛角」三軒茶屋店)をオープンした際も、不動産屋の支店長の仕事を夜七時までこなした後、メニュー開発やマネジメントのために店舗にかけつけ、翌三時まで仕事をした。寝る暇すらなかった。「だからこそ、ジャスダックに上場した時の喜びはひとしおでした。初値で二百万円がついたのを見た瞬間、思わず西山と抱き合ってしまったんです。畳六畳から始まったこと、倒産しかけたこと・・・全てが走馬燈のようにめぐりましたね。そして何より、上場後のパーティーで、西山が『ケーキカットは僕一人でやりたくない。大内とやりたい』と言ってくれたのは、たまらなかった。付いてきてよかった、この会社で成長できてよかった。本当に誇りに思いました」

 そして現在、大内は西山の片腕として、縮小する外食市場に挑む。業態を多数揃え、FC展開で成長スピードを上げる「FC多業態戦略」がその要だ。今年五月には、低価格帯を押さえるべく、東京・新橋にカレー専門店「カレキチ」をオープン。ポークカレーが二百七十円といった値頃感が受けて滑り出しは上々、七月からはFC展開も開始した。小型の店舗で投資回収期間を早めて出店スピードを加速、今年中に百店舗達成をめざす。一方の高価格帯は、質を追求するために直営方式を貫く方針だ。

 とはいえ、ただ拡大を図りたいわけではない。大内は「レインズを日本一成功体験が積める会社にする」という夢も持っている。部下の人生を考え、部下を幸せにするために会社を経営する―そんな西山の人間味に、多くの人が付いていくのをつぶさに見ていた大内ならではの夢である。

「高い目標を掲げ到達することで、人は成長する。そんな機会を与えるのが会社の役割だと思うのです。あと、個人的には子供が父の会社を自慢するような会社にしたいですね。親戚の家を訪れた時、自分がトイレから戻ってくると、居間から『お父さんはレインズで、こんな仕事しているんだよ』『スゴーイ!カッコイイね!』なんて噂をしているのが聞こえてきて、陰で涙する・・・それってすごく幸せなことだと思いませんか?」

 身を乗り出して、懸命に語る大内。自身の夢と西山への思いをレインズに託する、一本気な男の姿がそこにあった。



異色の経歴を持つ実力派

レックス・ホールディングス常務取締役 福井克明氏

 レックスが七社目と異色の経歴を持つ。高校時代は偏差値八十を誇る秀才だったが、大学には進学せず、光通信に就職。抜群の成績を残し、営業所支店長を任されるが、学術的に経営を学びたいと関西大学に入学。大学に通いながら大手進学塾の講師や佐川急便の神戸支社のマネージャーを経験した。朝早くから昼過ぎまで大学の授業を受け、夕方から朝方まで仕事をする毎日だった。その後、学習塾チェーンの雇われ経営者になったり、人材派遣会社を創立したり、再び光通信で総務部長として働くなど、様々な業界を渡り歩く。だが三十歳を過ぎて、一つの企業に長く滞在し、何か大きなことを成し遂げるべきではないかと思った。その時出会ったのがレインズである。

「面接でレインズの多数の幹部と会ううちに、経営理念に筋が通り、諦めずに邁進する彼らの姿を感じ取ったんです。西山との最終面接では入社したいという気持ちでいっぱいでした」

 二〇〇二年十一月、三十一歳でレインズに入社。〇三年二月、経営企画室の室長となる。時同じくして、BSE問題が勃発、レインズの時価総額は約百億円に下落した。レインズの実力に比べ株価が極めて低いと感じた福井は、積極的なIR活動を開始。時価総額五百億円まで一気に上昇させる。その功績が認められ、〇四年三月、取締役に就任。一%以下の可能性と言われたam/pmの買収を成功させたり、新卒の四半期採用を始めるなどユニークで新しい制度を導入し、数多くの実績を残す。秀才でありながら自由奔放な発想をする実力派の福井だが、西山には教えられることばかりだという。

「西山はとにかく成長欲がずば抜けて高いんです。彼に満足という言葉はありません。感動創造の水準をどこまでも上げていこうとします。もっと成長したい。もっとお客様に感動してもらいたい。その熱い情熱を持っている上に行動は科学的で冷静沈着。西山から『もっといいやり方はないのか』を考える癖を学びました」

 西山の口癖は「弱みに気付こう」である。弱みを真摯に受け止め、強みに改善しなければならない。

 現在の福井は中期経営計画の立案や社内活性化のための環境作りに力を入れるが、課題は大きく二つあると感じている。一つは優秀な人材を継続的に生み続けられる仕組みを強化すること。そして何より経営計画を完膚無きまでに徹底してやりきることである。三年後のあるべき姿に対して日次管理ができる状態にしていきたい。

 今年で三十四歳になる福井は、「四十歳までしかビジネスをやらない」と表明している。

「小説家になりたいんです。『平成の夏目漱石』と言われたい(笑)。全世界の人たちに小説を通して感動創造してもらうのが将来の夢ですね」



目的を達成するための執着心を学んだ

成城石井社長 四方田 豊氏

「良い意味でギラギラしていました。迫力やオーラがあり、臆することが一つもないのです」

 二〇〇〇年、四方田はレインズの最終面接で西山社長と向かい合ったときの第一印象をそう語った。

 転職組として入社後、牛角の店長となったが売り上げは上がらず、散々だった。店長会議に参加した四方田は西山に業績の悪さを指摘される。

「人材が入らず、接客のレベルが上がりません。人件費をもっと使わせてください」と四方田は苦し紛れに言った。西山は答えた。

「人がいないことが本当に原因なのか。他店舗と比べたのか。四方田の言っていることが本当に正しいなら、人件費を出してもいい」

 四方田はそのとき初めて他店舗と比較した。すると自分の店よりはるかに低い人件費で高い顧客満足度を誇る店舗があった。四方田はハッとした。自分がいかに何もしていないかを思い知った。その話を西山に伝えると、「これからその差を埋めていけばいいんだ。その間は人件費を使ってもいい。その代わり数ヵ月後には成長したことを示してくれよ」と言ってくれた。

 それから四方田は店に泊り込んでは、朝からチラシを配る毎日を送った。そんなある日の朝、五名ほどのアルバイトが店の前で待っていた。

「店長、僕たちもチラシを配ります!」当時のパートナーは暴走族のリーダーなどの柄の悪い連中ばかりが集まっており、「メンズ牛角」とも呼ばれていた。そんな彼らが苦労して呼び込んだ客に笑顔で接客し、誰もが一生懸命に働いた。その頑張りが奏功し、オープンから数カ月後には売り上げが一気に倍々で伸びていった。

「西山から学んだことは、目的を達成するための執着心です。できない理由を並べている暇があるのなら、挑戦すればいい。かりに失敗しても、その失敗を分析してもう一度チャレンジすればいいことを教えられました」

 その後、鳥でん町田店やam/pmを渡り歩き、昨年十一月一日、成城石井の社長へと異動した。

「牛角と成城石井の最大の違いは、お客様の動機でした。牛角に行くことは『非日常』ですが、成城石井やam/pmに行くことは『日常』です。しかし外食であれ、スーパーであれ、最も大切なことは一人一人のお客様に期待を超えられる接客ができることなのです」

 成城石井がレックスのグループ入りを果たすことで、変化したことが二つあると四方田は分析する。ひとつは社員が主体的に動き、自分たちで判断し始めたことだ。

「社員は『スーパーマーケットを何も知らない人間がいきなり来て大丈夫か』という不安はあったはずです。こんな素人の社長に任せていいのかと(笑)。その結果、誰もが自分達でやるしかないと決意してくれました」

 二つ目の変化はレックスが培った経営管理のノウハウを導入したことだ。牛角やam/pmの物流システムを活用しコスト削減を図ったり、覆面調査を取り入れたりした。こうして成城石井が長い歴史の中で培ってきたブランドイメージをより強めていきたいと考えている。



ワクワクするような新時代のコンビニをつくる

am/pmジャパン 専務取締役 最高執行責任者(COO) 松宮 秀丈氏

 レインズに入ったのは六年前、「牛角の店長募集」という情報誌を見て転職してきた。面接で初めて西山に会った時「純粋な人だな」と思った。「CS(Customer Satisfaction、顧客満足度を最大化すること)とは言葉ではみんな言うけれども、本気で成し遂げようという思いを感じたからです」と言う。

 こうして牛角笹塚店で一カ月研修を受けた後、祐天寺店の店長になった。当時は三十四歳、仕事を覚えるのに夢中だった。
 
 福岡県出身。高校卒業後、地元のホテルで二年間ケーキづくりを学んだ。その後上京し、東京の企業でケーキづくりやアイスクリームの開発などに携わった後の転身であった。

 翌年の六月、社長室に呼ばれた。西山と大内がいたので何だろうと思っていると「来週から人事・総務部ね」と言われる。「えっ、できません。やったことがないので、何をやっていいか全然わかりません」と言うと「俺だって社長をやるまで社長をやったことはなかったんだ」と西山に言われた。そこで人事・総務を三カ月ほどやり、商品開発、物流、新業態、業態改善などさまざまな仕事をした。

 レインズでは毎年、社員のMVP「レインズマン」を選出し、表彰しているが、第一回目のレインズマンに輝いたのが松宮だった。これまでレインズマンになった人間は全員役員になっていることから、この受賞は役員への登龍門と見なされている。

 二〇〇四年三月、am/pm買収に当たって、まずはフランチャイジーとして一店舗を運営してみせることが条件になる、という話が出た。「誰を店長にするか決めてくれ」西山に指示され、松宮を含めた役員たちがそれぞれの部下を推薦し、話し合って決めた。西山に報告すると怒られた。

「社運を決める重要なことなのに、一般の社員に行かせる気なのか!」

 そこで役員同士で再び話し合った結果「それなら松宮しかいないよな」ということになった。こうして二〇〇四年四月一日からam/pm赤坂店の店長になった。四、五、六、七月と店長を務めた。そして八月、am/pmの買収が決まり、最高執行責任者(COO)に任命された。

「お前がいたからコンビニをやったんだよ」と西山に言われた。

「圧倒的なサービスホスピタリティをめざし、楽しい、ワクワクが融合したコンビニにしたい」という目標に向かって、今邁進している。



物流事業で1000億円めざす

コスト・イズ社長 緒方 智氏

 食品メーカーなどを経て二〇〇〇年四月に、一般の試験を受けてレインズに入社した。自分で店を持ちたいという夢を実現させるため、大手の外食企業を数社受けた。その中で、提示された給料はレインズが一番低かったが、西山の魅力に惹かれ、自分で何かをするには一番いい会社だと思った。

「西山社長には最初からオーラを感じました。面接の時に、牛角は飲み物が高いと言ったら、いまだに『こいつは生意気だった』と言われるんですよ」

 牛角の店長としてスタート。FCのトレーナー、本部仕入、物流、メニュー開発などに携わる。二〇〇二年には商品部部長を兼務しながら、同年二月にレインズの一〇〇%子会社になったレッドロブスタージャパンの常務になった。二〇〇四年の初めにレインズのマーチャンダイジング本部長として物流、調達、仕入を担当。その仕事を切り離し、コスト・イズをつくった。それもこれも緒方が「やりたい」と手を挙げたからだ。

「やりたいと言って、西山にダメと言われたのはハワイ店の店長になりたいと言った時に『ふざけるな』と言われた時だけですね(笑)」

 それまで仕入、物流を商社にアウトソーシングしていたところ約三億円のコストがかかった。自分でやればこのコストを一億円でできますと提案して二〇〇四年四月、コスト・イズの社長になった。同社はグループの商品調達を一手に引き受ける他、外部の仕事もとってくることを期待されている。

 二〇〇五年の売上高は三百五十億円。その九〇%はグループ内の売り上げなので連結決算では相殺されるが、二〇〇八年には売上高千億円、経常利益五十億円をめざす。

 西山については、海外出張であんなに働く社長は知らない、と言う。

「一日八食食べるんですよ。朝から晩まで働き、夜十時頃ホテルに戻ると、今度は部屋で反省会が始まる。『朝、食べたパンケーキのソースなんだけどさ』と西山に言われ、ぎょっとしました。全然覚えていなかったんです。それ以来、海外で食事をするときは、気づいたことはすべてメモを取るようにしています。ハワイに滞在中の一週間で、現地で会社をつくって帰ってきたこともあります。日本に一週間いた時以上に成果を上げないと気がすまないみたいですね」

 西山に対する思いを聞くと、緒方は最後にこう言った。「いつか抜いてみたい男です」



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