トピックス -企業家倶楽部

2005年04月28日

夫婦の二人三脚が壱番屋の原動力になった/壱番屋会長 宗次直美

企業家倶楽部2005年6月号 壱番屋特集第4部 編集長インタビュー2

夫婦の二人三脚が壱番屋の原動力になった


 創業時から宗次徳二と二人三脚で壱番屋を育て上げてきた会長の宗次直美。夫の徳二が出店計画を担当し、妻の直美が資金繰りを受け持つなど、夫婦ならではの抜群のコンビネーションが壱番屋成長の原動力となった。「お客様第一主義」の社員教育を徹底的に貫く直美は、「夢は壱番屋で働くすべての人たちに、壱番屋で働けてよかったと言ってもらえること」と語る。(聞き手は本誌編集長 徳永卓三)

涙のプロポーズ

問 宗次さんと初めてお会いされたときは、どのような青年でしたか。

直美 十八歳のときに初めて出会ったのですが、パッと見る限りでは、生真面目そうで、いいとこのお坊っちゃん。実際は違いましたけれど、そのときは好青年に見えたんです。私は十歳で父親を亡くしているので、ぐいぐい引っ張ってくれる人が望みだった。だから彼とはまったく逆のタイプが好みでした。でもどういうわけか宗次と縁があって。彼は思いこんだら突き進む人ですから、私は考える余裕がなかったんです。

問 宗次さんの情熱にほだされたのですね。

直美 彼は私を家に送ってそれから営業に出る毎日で、最初はアッシー君みたいで便利だったんですけど(笑)、私もまだ十八歳でしたから、仕事が終わったら、先輩や同期の方とお食事とかしたいですよね。でも彼はそれすら許してくれず、私を独占するので、ふざけるな、と思いました。私は縛られるのが嫌いなので、彼と付き合うのが苦痛になり、もう別れようと思ったんです。

問 それがどうして結婚へと。

直美 彼が泣いたんですよ。一緒に車に乗っているとき、私は助手席から「今日でお付き合いはやめたい」と彼に言いましたら、私の右腕を袖が破れるくらいぎゅっと握って離してくれないんです。私が怖々と彼の顔を見たら、ボロボロと涙を流していました。「ちょっと困ったな」と思いましたけれど、彼は私の腕を握ったまま、私がイエスというまで離してくれなかった。

問 今で言えば、ストーカーですね(笑)。

直美 そうでしょう。本当に恐いですよね。ここ一年半くらいはなくなりましたけれど、以前は二、三時間おきに電話がありました。彼が会社にいて、私が出先に行っているときなどは必ず連絡を取ってきます。それは縛ることなので、大喧嘩したこともありますよ。彼は私の顔を見、声を聞くということで、ホッとするのでしょう。

問 まるで母親のようですね。

直美 自分の母親を私に重ねているのだと思います。たぶん幼少期のトラウマがあるのではないでしょうか。彼は根はシャイで照れ屋で、思ったこともあまり言えないタイプでした。私の性格は昔から変わっていなくて「謙虚は美徳」が好きではなく、自分の思ったことをどんどん言います。そういう自分にない面が魅力的に映ったのだと思います。

 だから私は結婚して喫茶店を始めるまでは、彼があれだけの粘り強さや自分への厳しさを持ち、休みもなくお客様のことだけを考えて突き進む人だとは知りませんでした。それまでは本当に影の薄い人で、別人と結婚したのかなと思ったくらい。講演なんて、とてもできる人ではなかったんですから。

問 何かきっかけがあったのでしょうか。

直美 人様に喜んでいただけるという体験を少しずつ大きくしていくなかで自信がついたのだと思います。自信がなければ、人様の前で年間百回も講演活動なんてできないですよ。

問 宗次さんの講演は、ユーモアがあって引き込まれます。いつも直美会長のことをお話しされますね。

直美 笑いのネタにされるんです。最近の講演では「僕はITが嫌いです。でもETは大好きです。ちなみに私の嫁さんはETみたいなんです」なんて言って、会場では受けて、本人は満足して帰って来るんですけれど、ふざけないでよって。けっこうオヤジギャグですよね。



社員教育と資金繰りは妻の役目

問 お二人の役割分担はどのようなものでしたか。

直美 彼はアイデアや出店計画を担当し、私は人の教育やお金を担当しました。彼は会社の資金繰りなどは考えずに「新規出店の土地を見つけたから、二千万円用意しておいて」と私に言うんです。「この間、銀行さんにお借りしたばかりなのに」と私は思いながら、銀行に走っていく。お金はすべて私が担当しましたから、彼は楽だったと思います。

問 宗次さんは幸せ者ですね(笑)。

直美 本当ですよね。彼は私に言えば、お金が降ってくると思っているんだから。資金繰りを考えたことがない人ですよ。

問 社長業としては資金繰りが一番大変なところですよね。銀行との交渉では苦労されましたか。

直美 私は一貫して「優良企業にはお金を貸さないと損だよ」というスタンスで銀行にお話ししてきましたから、何も引け目はありませんでした。「私たちが払う利息で、あなたたちのお給料を払っているんだから」って。小さな宗次商店でしたが、これまで銀行に借金を頼んで、ノーと言われたことはないですね。

問 これまで経営をされていて、一番大変だったときは。

直美 おかげさまで人の面では恵まれていました。水商売と言われている喫茶店の時代から、人に困ったこともありません。ただ創業から一年半ぐらいは資金繰りで苦労しましたね。でもシャッターを開ければ、現金商売ですから、なんとか大丈夫だって。

問 それはいつごろのことですか。

直美 二十五から六歳のころですね。二十四歳でお店を始め、最初の借金を十カ月分しか返済していないのに、二号店をつくるため、さらに一千万円を借りましたから、それはもう大変でした。

問 その状態でどうしてお店をどんどん増やそうと考えたのですか。

直美 拡大志向は、夫婦共通の夢でした。若くて怖いもの知らずでしたから健康であれば、睡眠時間が二~三時間でも、けっこうイケイケでいけちゃうわけですよ。ほとんどの方が商売を始めるときに、もし失敗したらとか、売り上げが上がらなかったらと悪いことを先に考えますが、私も彼もいいことしか考えなかった。それでも最初は苦労したので、商売というものを甘く見なくてすみました。甘く見ていたら、今の壱番屋はなかったと思います。

問 これまでで一番嬉しかったことはなんでしょう。

直美 創業の頃に、社員やパートの人に助けられたことですね。社員に当時十五~十六万円のお給料を一万円札で渡せなくて、千円札を集めて渡していました。それが半年くらい続いたんです。「ごめんね、千円札ばかりで。来月は一万円札で払うから」と言うと、社員が「そんなこと気にしなくていいですよ。お金をくずす手間が省けてよかった」と言われ、社員にすごく励まされたんです。社員が私の宝物ですね。ただ業者への支払いが遅れたことは一回もないし、不渡りも一度もないし、社員へのお給料も遅れたことはありません。自分たちはスッカラカンになっても、社員の生活を不安にさせてはいけません。



企業は人で育ち人で潰れる

問 会長が社員にしつこく言い聞かせること、こうやってくれないと困るんだというものはありますか。

直美 まごころを込めたお客様第一主義の接客を徹底することです。これだけ数多くのお店の中から、お客様は壱番屋を選んでくださるわけですから、憤慨して帰られると悲しいですよね。人間のすることですから、クレームはあっていいと思うんです。大事なのは、スピーディに対応すること。そうすればお客様はファンになってくださいます。対応がよくないと、よけいに不満を買ってしまう。

 そのためには社員教育が大切です。世の中の役に立つ人間になってもらわなければ、壱番屋が存在する意味がありません。企業は人で育ち、人で潰れます。壱番屋で働いてくれるパートさん、アルバイトさんを含めた人たちが、お客様第一主義をいかに徹底し、継続していくか。清掃であったり、スピーディーな接客であったり、注文されたカレーは十分以内に熱々でお持ちしたりすること。重箱の隅をつつくようなことばかりですが、誰にでもできる簡単なことを十年、二十年継続すること。カレーなんてどこでも食べられますし、箱モノやメニューなどはだれでも真似できることです。牛丼屋さんだって、居酒屋さんだって何千、何万件とあるわけです。そうしたなかで壱番屋がなぜ選ばれているのか。それを考えると、人的要因しかありません。カレー店のライバルが今日残っていないのは、人の教育という一番大きなポイントが真似できなかったからだと思います。

問 壱番屋は今後、何千店舗までいけそうだとお考えですか。

直美 私は四千店舗まで行くと思います。社長の浜島は二千店舗と言っていますので、えらい弱気だなって。愛知県一宮市は人口が二十七万人で九店舗ありますから、三万人に一店舗なんです。日本の人口を三万人で割れば、四千店舗はいけるはずです。
 もう一つの根拠は、ラーメン屋がご夫婦でしているところも含めて全国に約三万件あるんです。それを考えると、四千店舗はわけないなと。ラーメンとカレーは国民食ですから。
問 浜島社長はどんな方ですか。

直美 カッコいいでしょう。でも若いころは瞬間湯沸かし器で、よく切れていました。気が短いところがあります。

問 優しい印象を受けますけれどね。

直美 二倍くらいに太りましたから。ただ部下の信望が厚いですね。だから安心して任せることができます。あの人以外の社長は考えられません。

問 宗次顧問はイエロー・エンジェルの理事長として社会貢献活動をされていますが、なにか希望されることはありますか。

直美 彼はこの仕事を始めてから、今まで二十四時間三百六十五日、自分の時間はなかった。経営者ですから当たり前ですし、本当に楽しんでやっていることなんですが、側で見ている妻としては辛く感じるときもありました。それでも彼は熱を押しても頑張り、ぎっくり腰になっても車に乗れば大丈夫だからって杖をつきながら働いて、絶対に休まなかったんです。だから彼のこれからの人生でやりたいこと、喜ぶことは、全面的に協力していきたいと思っています。

問 七年前に社長を受けついだときは、どういう思いだったのですか。

直美 彼の後は私がしなくては続かないなと思いました。彼は私の言うこと以外には絶対に聞きませんから。私たちは夫婦なので、怒鳴りあおうが、喧嘩をしようが、大丈夫ですよね。でも他人同士なら、辞めてしまいますよ。それくらい彼は無理難題をやってきたし、社員にも要求しました。みんな、よくついてきてくれたと思います。彼はあまり人を褒めなかった。彼が社員をワーっと言って、私がフォローをするという関係でしたね。私がいたからこそ、彼も平気で社員を叱れたのだと思います。

問 直美さんのこれからの夢はなんでしょうか。

直美 壱番屋に関わるすべての人たちに壱番屋で働けてよかったと言ってもらえることです。そして、みなさんに「壱番屋さんで働いていたのだったら、すぐに採用したい」と言ってもらえるような、そんな企業にしていきたいです。

宗次 直美(むねつぐ なおみ)

1950年愛知県名古屋市生まれ。74年10月夫の宗次徳二とともに喫茶店「バッカス」開業。78年1月カレーハウスCoCo壱番屋を創業。82年7月壱番屋設立、専務就任。98年代表取締役社長、02年取締役会長に就任。宗次徳二と共に顧客第一主義の徹底で、全国1000店舗のカレー専門店チェーンを作り上げた。



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