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トピックス -企業家倶楽部

1996年08月27日

【ジャストシステム特集】浮川和宣を支える五人のスタッフ/ジャストシステムを支えるスタッフ

企業家倶楽部1996年9月号 特集第4部

浮川の夢を技術力で実現させたエンジニア

代表取締役専務 浮川初子  

  「明日から女房がきます」ー創業第一号の注文を受けた浮川はさっそく、発注者に告げた。そして、やってきたのはまだ二十代のぽっちゃりした感じの女性だった。この女性が一人で手弁当をもって通いつめ、大企業の技術者をうならせる経営管理システムを開発したのだから、顧客企業の社長も舌をまいた。

 浮川初子のシステムエンジニアとしての才能は、オフコン販売店として創業した当初からジャストシステムの切り札だった。浮川が独立に踏み切れたのも、一太郎を開発できたのも、初子がいたからである。初子がいなければジャストシステムは存在しなかったと、はっきり言える。外向的な浮川が前面に出てはいるが、最初から夫婦の二人三脚で始まった会社なのである。

 二人の出会いは、愛媛大学工学部入学当初から始まる。浮川は電気工学科、初子はその年、新設された電子工学科に進学した。初めからプログラマーになると決めていたところからして非凡である。もともと論理が得意だったのに加えて、一本気で、思いこんだら徹底的に突き進む性格、女性的なきめの細かさが、ソフトウェア開発にぴったりだった。

 昼間、浮川が営業に出かけ、初子は事務所でコーディングする。夜、浮川がパンチを打って仕上げるという作業を続けながら、会社の下地をつくっていった。

 浮川がこれからは日本語処理だ、ワープロソフトをつくろうと言い始めたとき、なかなか耳をかさなかった。目の前の仕事に忙しく、売れるかどうかわからないものをつくる余裕はなかった。が、「日本語処理、日本語処理と耳にタコができるくらい」聞かされるうちに、やがてその気になった。夢を語る浮川に対して、初子は堅実で、実際的である。

  「そんなことできない」

  「それをできるように考えるのがきみの仕事だろう」

 ときには、そんな議論になるが、二人の個性の違いが、会社運営のバランスをとるうえで、うまく機能している。

 一太郎バージョン4のバグ問題で会社が傾きそうになったとき、落ち込む浮川を突き放し、売り上げ、バグ状況などの事務的報告を繰り返した。そうすることで、浮川を現実に引き戻そうとしたのである。

 女性が技術部門全体を統括するトップにいる会社は世界的にもめずらしいが、そこには男勝りの厳しさがある。開発部の社員研修を徹底的にやるのも、初子の方針だ。入社早々、夜中まで居残る新入社員はめずらしくない。自身がそうやってきたから、それを社員にも強いる。必要とあらば、夜中でも社員を呼び出す。尋常でない集中力を発揮し、やるときは徹底的にやる。そのスタイルをたたき込まれたスタッフは、野武士のように頼もしい技術者になる。

 想像以上に女性的な会社だ。社員の過半数は女性。マニュアル、サポート、インストラクター部門はほぼ全員が女性。社内結婚が多く、専用の保育所も完備している。働くママのために夕食の持ち帰りサービスまである。女性が働きやすく、強い会社なのは、初子の影響が少なくない。 「もともと夫婦で始まった会社だから、男と女ということをすごく意識している」と浮川が言うように、初子の存在自体がジャストシステムの社風をつくっているともいえる。



一太郎を開発した日本のビル・ゲイツ

常務取締役技術部ディレクター 福良伴昭  

 徳島大学歯学部の学生だったとき、アルバイトでジャストシステムにやってきた。プログラムのことを教わりたくて、事務所の隅にちょこんと座っていた。

  「これをやってみなさい」試しに課題を与えた初子は、この学生がものすごい才能をもっていることに気づいた。何かおもしろいターゲットを与えてやらなければと、日本語変換システムを手伝わせることにした。福良の加入で戦力を得たジャストシステムは、八三年夏に、最初のワープロソフト「JSーWORD」を完成させる。

  「もしあのとき、福良さんにゲームソフトをつくらせていたら、ジャストシステムはゲーム会社になっていたかもしれませんね」と初子に言わせるほど、ワープロソフト開発における福良の役割は大きかった。福良は初めから野心をもっていた。プログラムが好きというより、ビジネスをしたかったという。

 しかし、最初のワープロは思ったような評価を得られなかった。若かった福良はやる気をなくし、反抗的にすらなり、大学に戻ろうとした。浮川と初子が、入れ替わり立ち替わり、説得した。

  「もう一度やろうよ。今度こそ、もっといいものができる」

 福良を引きとどめたのは、浮川の夢だった。

 「ぼくらのワープロを、たくさんの人が使ってくれる日が、きっとくる。そのとき、ジャストシステムは日本一になるんだ」

 東京出張の夜、高層ホテルのレストランで、浮川は夜景を見ながら語った。そのときの情景を、いまでも鮮明に覚えている。

 一太郎バージョン3までは、コーディングに全面的に参加したが、バージョン4ではチーム全体を見ることが多くなり、その後は自分でコードを書くことはなくなった。現在は浮川、初子に次ぐナンバー3として、アプリケーション開発全体を統括している。

 開発部員の振り分け、製品出荷日と品質の見極めなど、頭を悩ます問題はたくさんある。創業当時といまとでは、社員の規模がまるで違う。製品の数も大きさも、ひとにぎりの人員では対応できないレベルになっている。集団の力をいかに発揮させるか。福良の責任は大きい。

 バージョン4がバグ問題で行き詰まったときは、二十数名のスタッフを連れて二週間の合宿を敢行した。昼も夜もないコード漬けの毎日を送り、苦難を乗りきった。

  「一つ一つの機能に対してこだわり、ものすごくしつこくやっています。人数が少なかったときと同じようなスピリットで、集団のものづくりができているところが、うちの強みです」。その強みを、社員千名を超えたいま、そしてさらに拡大するであろう今後も、持続していかなければならない。

 若いスタッフにいかにやる気を出させるか、いつも気を配っている。集団力といっても、個人の積み重ねである。知的作業はやる気次第で、効率に大幅な差が出る。

 「いっしょにやろうぜ」と、若いスタッフの兄貴分的な存在としてメッセージを送る。

  「いまは知識情報処理システムの研究をしています。将来はアプリケーションも、考える方向に向かうでしょう」。いつ製品化できるかはわからないが、とにかくやっているんだと、福良はひかえめながらはっきりと語った。



ものづくりに引かれてソフトバンクから転職

取締役販売推進部長 喜屋武博樹 

 「新しいワープロができました。どうぞ使ってください」ー浮川と初子が、ソフトバンクの仕入担当として大井倉庫にいた喜屋武にあいさつし、赤い箱を手渡した。八五年二月、JXーWORD太郎出荷日のことだった。

  「なかなかやる人たちだなあ」と喜屋武は思った。メーカー主導の傾向が強かった当時、社長自ら流通現場に出向くことなど考えられなかった。喜屋武は、マスコミや流通関係者に、製品を一生懸命説明して歩く浮川を、外部から見ていた。

 沖縄から東京に出てきて、学校を中退し、しばらく浪人した後、ソフトバンクに入った。ソフトバンクの創立メンバーにもかかわらず四年勤めて退社、ジャストシステムに転職した。

 「ソフトバンクは常に危機感をもっている会社でした。だから大きくなったと思うんですが、ぼくはものづくりがしたかった。決められた商品を店頭に置くだけの流通より、すべてを自分たちでつくり、決め、その結果が自分たちに返ってくる仕事がしたかったんです」

 とはいうものの、それほど大それた転職ではなく、徳島でのんびりするのもいいかな、ぐらいの気持ちだったという。八六年八月、初出社して、その実態に驚かされた。まったくなにもしてくれず、放っておかれたのである。何をしていいかわからず、居眠りする日々が続いた。そして、仕事は自分で見つけてやるというジャストシステム流を学び、広告、プロモーションに、自分の仕事を見つけた。

 広告、カタログのコピー書き、デザイナーとの打ち合わせ、写真撮影の立ち会い、すべてを一人でやった。発売前に雑誌広告を打ったり、店頭にポスターを貼り、飾り付けをするなど、販売推進のさまざまな手法を、試行錯誤しながら実行していった。

 現在は販売推進部長として、年間数十アイテム出る製品群を、どんなスペックと価格で、どんなタイミングで売るかといった売り方の枠づくりをしている。

 年間一製品しか発売してなかった入社当時に比べて、仕事の量も密度も急激に拡大していった。これに対して、ジャストシステムのとってきた対応法は、とにかく人をつぎ込むだけ。仕事をどんどん押しつけて、とにかくやりなさいと放り出してきた。それで生産性を上げてきたのは事実だが、落ちこぼれる人間も出てくる。そういう人間をどうやって引き上げていくかが、今後の課題だと思っている。最初は、放っておかれて困惑した喜屋武だが、いまでは会社とつかず離れずの関係が心地よいという。

 「家族主義的な面と個人主義的な面があり、プライベートには干渉してくれないんです。助け合いがないわけではなくて、求めると手を貸してくれるけれど、なにも言わなければ、放っておいてくれる。その関係が心地よい」。それでも徳島に家を建てたときには、社長と専務はものすごく喜んでくれた。

 営業の現場では、いま現在も熾烈な闘いが演じられている。とくにマイクロソフトは、一太郎の牙城をつき崩そうと、攻撃的なまでに仕掛けてくる。

  「うちには日本語という武器がある。向こうの営業マンがいくらがんばっても、こういう変換ができますと宣伝はできない。ワープロでは負けませんよ」。受けて立つ喜屋武も負けてはいない。



ポテンシャルをもった人材を探し求める

総務部長 山原芳男  

 高松市に本社のある地方銀行に勤めていた山原は、銀行員として各地を回っていた。取引先としてジャストシステムを担当したのは八四年だった。まだ十数人の会社だったが、その経営者は、これまで見てきたどの社長とも違っていた。

  「中小企業の経営者は、サラリーマン社長か自営業社長に色分けできるんですが、浮川はすべてが違いました」。夢とビジョンを語る浮川に、ものすごいパワーを感じ、すごい人物だと思った。

 銀行員を十年以上やって、いつもなんか違うと感じていた。硬直した組織のなかで、根性だけの勝負をしている。誰がやっても同じ仕事に身が入らなかった。

 ジャストシステムを訪問するうちに、コンピュータ会社の経営面に興味をもち、またそこに閉塞状態を打ち破る明るい未来があるような気がした。この経営者だったら間違いないと思った。

 八六年春、銀行を退社し、社員三十人の会社に飛び込んだ。そして現在、山原はジャストシステムの人事、採用部門を全面的に担っている。

 資料の作成、セミナー開催など、採用にはお金をかけている。

  「いわゆる市場ですから、いかに魅力ある商品であるかを訴えて、学生にわれわれを買うか買わないかを決めてもらう」

 マインドとポテンシャルを、採用のポイントにし、逆のベクトルに働くような人間を採らないように注意している。

 「技術や経験より可能性を重視します。染まってしまっている人でなく、場所と方向を与えてやればどんどん伸びていくような人を探しているんです」

 そういう人材を集めていれば、人事管理などしなくていい、と山原。きちんとした環境さえ与えてやれば、人は一生懸命働くものだという性善説の考え方をとっている。仕事はたくさんあるんだから、集めた人間をどんどん放り込んでいけばいいと、過激なまでに楽天的だ。

 浮川の考えに共感しながら、銀行員時代の経験をふまえて、組織はどうあるべきかを考えている。たとえばジャストシステムには人事部はなく、総務部がその仕事を担っているが、そんなことにこだわる人もいる。

 「組織図があって組織があるのでなく、仕事の結果としての組織でしょう。ガチガチの組織をつくって、仕事がうまくいくでしょうか。高度成長期の時代はそれでよかったかもしれないけど、いまはまず仕事ありきというわれわれのやり方が時代を先取りしていると思います」

 組織と人間、働くとはどういうことなのか。よく考える。自らを縛ってしまう組織の弊害を抑えて、組織をうまく機能させるにはどうしたらいいのか。

  「モラルや環境、リーダーシップなど、本質的なところだけをきちっとして、あいまいな部分を広くとった組織が考えられます。ものづくりはいろいろな部署に関わってますから、重なっている部分は、能力や時間のある人、やりたい人がやればいい」

 実際的な難しい問題はたくさんあり、ジャストシステムはいまも、新しい組織形態を模索している。しかし、会社がどんなに大きくなっても、社員を信じて自由にしてもらうという基本的な文化は変わらないと信じている。



日本語を技術で支えるATOKリーダー

技術部 開発マネージャー 阿望博喜  


 「一瞬、ジーンとして、そのあと、怖い気がしました」

 初めて担当した日本語変換システム「ATOK5」が、パソコン誌で変換効率が高いと評価されたとき、阿望はそう感じた。

 ベストセラーワープロの日本語変換システムをつくっていることは、日本語文化に直接影響を与えることになる。その重責は怖いくらいだが、それ以上に「もっといいものをつくりたい」という意欲がわいてきた。

 早大理工学部で応用物理を学んだ阿望は、物理研究者を志望していたが、実家が電気店を営んでいた関係で、徳島に帰った。それがジャストシステムと出会うきっかけになった。八五年夏、家業を手伝っていた阿望に、会社説明会の案内が届いたのである。

 出向いてみると、浮川は二十人ほどを前に、こういうことをやりたい、やるんだと滔々と話していた。そしてなぜか、阿望に声をかけた。ちょっとおいでーー。

 会社に案内するから、いっしょに行こうよと誘われた。浮川がものすごく気さくで、おもしろいので、オフィスを見てみることにした。その翌日には入社を決めていた。業界のこともわからないまま、「瞬間的に洗脳されたようなもの」だった。

 当時のジャストシステムは鬼の住処みたいだった、と阿望。

 「個性豊かな、ものすごい人たちが集まった、エネルギーの塊みたいでした」

 そうしたなかで阿望もまた刺激を受け、自分の仕事を見つけた。ATOK5を任されると、異様な操状態になり、家に帰るのも忘れるほどコードの世界に集中した。日本語を、自分で規則をつくって成立させていくのは、世界を方程式化する物理学の世界に通じるところがあった。

 阿望はそれ以来、チームのトップとして、ATOKを進化させていった。ATOK7では、ワープロ文書は漢字が多すぎるという反省から漢字を減らした。ATOK8ではAI変換を実現し、変換効率を飛躍的に高めた。ATOK9ではユーザーのタイプミスを検知し、「きっって」を「切手」と変換してくれるまでになった。

 いかに一発で、正しいかな漢字文を出すか。そして、ユーザーに違和感を感じさせない操作性を実現するか。あいまいな日本語を処理するには、非常に微妙な調整が要求される。例外だらけの言語を自然に表現するには、開発者が一つ一つの例外を潰していくしかない。その闘いは果てしない。しかし、どんなに複雑な規則や斬新なアイデアを組み込んでも、ユーザーにそれを感じさせてはいけない。

  「水道と同じです。ひねると水が出るのが当たり前で、それに感動する人はいない。日本語変換システムもきちんと変換できて当たり前なのです。おせっかいなことをするより、基本をきちっとすることが大事です」

 新聞記者、雑誌ライター、作家、ビジネスマン、あらゆる職種の人々がワープロを使っている。電子社会においても、美しく多様な日本語文化を維持できるか。“縁の下の力持ち”的存在として、その一翼を、阿望率いるATOKチームが担っている。

 9月発売予定の「一太郎7」では、ATOK10が搭載される。パワーアップしたATOKが、いまから楽しみである。



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