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トピックス -企業家倶楽部

2003年10月27日

スケールの大きさに惹かれて集った一騎当千の幹部たち/折口雅博を支えるスタッフ

企業家倶楽部2003年12月号 グッドウィル・グループ特集第4部


スケールの大きさに惹かれて集った一騎当千の幹部

学生時代からビジネスを志していた創業メンバーの川上真一郎、日本介護サービスを創業し、3年で57支店を立ち上げた樋ロ公一、日本にいち早く社員支援プログラム(EAP)を持ち込み、自ら創業した奈良元壽、リクルートコスモスで上場から、リクルート事件の後始末までをやり遂げた金崎明、軽作業請負のラインナップを創業し年商70億円の会社にした大西幸四郎。グッドウィル・グループの幹部はいずれも一騎当千の創業経営者だ。よりスケールの大きい折ロに惹かれた彼らが異ロ同音に語る折ロ経営の特徴は決断力とスピードである。



折口はグッドウィル十訓を地でいく男

グッドウィル・グループ社長 川上真一郎

   川上真一郎と折口との出会いは、グッドウィルの前身にあたるサイク時代に遡る。折口が「ヴェルファーレの企画書を作ってほしい」と川上に依頼したのが、付き合いの始まりだった。一九九五年二月共にグツドウィルを創業するが、当時、折口は一九九四年に設立したヴェルファーレとの二足の草軽。「深夜すぎてから新宿にあったグッドウィルの事務所に顔を出していました。本当に忙しく働いてましたよ」と川上は当時を振り返る。

   人材ビジネスはスタッフへの給与の支払いと資金回収の時期にタイムラグがあるため、創業してすぐにグッドウイルは資金繰りに窮する。川上は「黒字倒産するんじゃないか」と危機感を強め折口に相談する。すると折口はその日のうちに四百万円持ってきた。

「これには助かりましたね」と川上、それから折口はグッドウィルへの関与を強める。折口は「このビジネスはいける、資金を調達して株式公開を目指そう」と自ら事業計画書を作成しベンチャーキャピタルに交渉して回る。まだアルバイトを含めて社員二十人ぐらいのときである。川上は折ロのスケールの大きさに驚かされた。

「まだスタッフに月末の給与を渡せればいいとい会社のときに、全国展開と株式公開を本気で考えていたんですから」

   そして興銀インベストメントなどからの資金調達に成功し、五年以内での株式公開を目指すことになる。

   川上のルーツはイベントの企画運営を行っていた学生企業家時代にある。この時期に人材ビジネスの走りであるラインナップでアルバイトをし、人材ビジネスのノウハウを吸収する。大学卒業後は三菱電機の販売代理店であるカナデンに入社、八年間のサラリーマン生活を送る。サイクを設立したのは一九九二年。当初はイベントの企画運営や市場調査、企画書執筆代行を主な業務としていた。

   イベントは開催のたびに大量の人数が必要となる。動員の手間を省くために工夫した結果生まれたのが、現在の人材ビジネスの原型である。

   その後、折ロには何度も驚かされたが、最近一番驚いたのはコムスンの買収。折口の「買ってきたぞ」との一言に驚愕した。

「本当に全く知らなかった。最近は九州に行ってるようだなと思っていたら、買収していつのまにか副社長になっていたんですから。前もって厚生労働省から情報を得ていたようですが、当時は介護の中心は公的セクター。コムスンにしても年商七億円程度で毎年赤字を出している会社でしたし、介護保険制度のスタートは二〇〇〇年でしたからね。

   それから川上は月に一回は福岡のコムスン本社に飛んで、黒字転換のためのプロジェクトに参加するが、本当にコムスンが成功するのか確信が持てなかった。しかし蓋を開ければ現在は二期連続の黒字、結果的に折ロに先見の明があった。

「経営に対する知識は相当あると思います。そして何よりも決断のスピードが早いです。コムスンの買収のように大胆な手を打つときでも、緻密に計算して人知れず根回しをやっている。敢えて言うならグッドウイル十訓を地でいく男でしょうね」

   川上は一九九九年七月に社長に就任する。

「モチベーションに関しては常に高いので何も言われませんが、戦略・戦術の面で間違いがあると色々注文がつきますね。要求されるレベルは高いですが、完全に任せてもらっているという認識はあります」

「どちらかというと売り上げ、利益を出すことに専念してきた」と話す川上は、社長就任後「経営に関する知識足りない」と思い立つ。そこで挑戦したのが、日本能率協会が英国経営者協会と提携した「役員認証試験」(プロの経営者を目指す試験)。猛勉強の結果、二〇〇一年の十二月に見事合格した。そのとき日本で唯一の合格者だったこともあり、経営者としての自信をつけた。

「まずは東証一部に上場することです。そしてコムスンとの連結売上高一千億円、次にはグッドウィルの単体売上高一千億円を順次達成していきたいですね」と当面の目標を語る。

   豪快で野性味溢れる人物。経験と勉強で身につけた実務能力を武器に、折口と息のあったプレーでグッドウィルの成長を支える。

34時間で決まった合併劇

コムスン社長 樋ロ公一

   九三年、叔父と一緒に創立した会社を退任した後、介護の勉強を始め、九六年十月に日本介護サービスを創業した。その後、事業を着実に成長させ、五十七支店、社員六百人規模の会社にしたが、二〇〇〇年四月から介護保険制度が施行されることが明らかになったとき樋口は思った。

   これからは企業競争の時代になる。本当にすぐれた経営者に率いられた企業しか生き残れないだろう。GE(ゼネラル・エレクトリック)前会長ウェルチの「経営者の最大の罪は、業界中位の地位に甘んじていることだ」という言葉が身にしみてもいた。従業員に対して満足な給料も夢も与えられないまま事業を続けることは、それ自体が罪悪と考えた。

   一九九九年十月下旬、樋口は折口を訪ねた。初対面でピンときた。思っていた通りの人だと感じた。

「日本介護サービスを買ってくれませんか」率直に切り出した。

   三十分の約束が二時間になった。午後二時から四時まで面談し、会社に帰ると、またすぐに折口から電話がきた。

「今日、夜の十一時半に全役員を集めるので、そこでもう一度説明してくれませんか」

   そこでもう一度六本木のグッドウィル本社に行き、役員たちのさまざまな質問に答え、会議が終わったのが午前三時頃だった。帰って寝て起きると、また折口から電話が入った。「価格などの条件を話し合いたいので、今夜十一時半に会えませんか」

   そこで樋口の会社が近い、目黒通りと山手通りの交差点にあるロイヤルホスト目黒店で会い、二十億円の株式交換という条件で、十一月一日に一緒になることに決まった。

   初対面から三十四時間後、電光石火の合併劇であった。

   「決まる時というのは、そんなものなんですね。折口会長に初めて会ったとき、バシッと感じるものがあった。志がある、この人なら将来を託せると思ったんです。最高の合併でした」と樋口は述懐する。

   コムスンと日本介護サービスは当時ともに売上高七億円程度であった。それが一年後、一気に百二十億円企業になった。日本介護サービスは創業以来一度も赤字を出したことはなかった。利益の範囲内でしか、事業を拡大しなかったからだが、そうしたタイプの経営者である樋口にとって折口のビジネス手法はまさに神業のように感じられる。

「折口会長の経営手法を表現するとき『たぐい希な資産財回転能力』と私は言っています。非常に潤沢な資金を集めてきて、思い切った投資をする。そのタイミングが抜群にいいんです。タイミングの天才です」

   折ロは頭の中にあることをずっと心の中であたためていてすぐには言わない。あまり早く言うとおかしいと思われるからだ。そしてベストのタイミングが来たとき、その半歩手前でどんと出してくる。樋口はそういう場面に何度も遭遇した。

「あとで、ああ、あのときからこれを考えていたんだなと、思い当たることがしょっちゅうありました」

   折口は人の使い方もうまい。怒るときは怒るし、褒めるときは褒める、そのタイミングも抜群。加えて判断が正確だという。

   樋口の使命はコムスンの最高執行責任者として、最高経営責任者である折口が決めたことを最も効率的に早く正確に徹底してやりきることだ。「最大のサービスは雰囲気だと会長は言っています。おむつが三ミリずれてもいい、それよりは明るい笑顔、愛する感謝の気持ちがある居心地のよさが大事なんです」

   豊富な経験と熱いハートで折口の構想を実現していく実務家である。

スピード感と人情溢れる経営者

グッドウィル・キャリア社長 奈良元壽

「理解力が優れていると同時に、素早い決断力にも驚かされた。とにかくスピード感があって、とどまることを知らない」

   奈良は、折口と出会った当時を思い出しながらこう語った。

   グッドウィル・キャリアは、ホワイトカラー向けの人材サービスを担う。専門性の高い人材の紹介、そして今後高い二ーズが予想される社員支援プログラム(EAP)を実施している。

   奈良が人材サービス業に興味を抱いたのは八九年ノースウエスタン大学ビジネススクール卒業後。きっかけは、在学中に出会ったEAPだ。EAPとは、心理カウンセリングプログラムのこと。職場でのストレスや対人関係、キャリアなどで不安を抱えた社員に、成功体験をイメージさせる、ストレス感情をコントロールする術を教えるなどして自信を与え、健全な状態に戻してあげることで、企業の生産性向上を図る。

   マッキンゼーアンドカンパニー、日本総合研究所に勤めた後、EAP事業をスタートさせるべく、九三年、フォーサイトを設立、経営コンサルタントとして独立した。当時、アメリカの大企業はほとんどがEAPを導入していたが、日本では知名度が低く、フォーサイトはEAP事業の草分け的存在であった。

   折口との出会いは、独立してから六年後の九九年。友人の紹介で、折ロに事業のプレゼンテーションを行う機会を得た。奈良は、日本ではほとんど知られていなかったEAPの説明に日頃から苦労を強いられていたが、この時は違った。折口は五分で内容を理解し、その場で二億円もの出資を決断したのだ。「時間の価値を知っている。行動力があり、プランよりもまず動く」奈良は折口のスピード感に魅せられた。

   同年九月、グツドウィル・グループの株式公開に合わせグッドウィル・フォーサイトを設立。翌々年には、グッドウィル・キャリアと合併した。

   合併後すぐに同社は、EAP業界で一位を目指すことを求められた。「折口は業績に関して妥協は一切ありません。仕事に対して本当に厳しく、その口癖は、『サービス業界の一位になりたい』です。あのスピードなら近い内に達成されると思います」

   折口の仕事に対する意欲は、ギャンブルよりも仕事の方がエキサイティングだと語っていることからも分かる。いつも真剣に勝負に挑んでいるからこそ、ビジネスに関しては本当に厳しい。しかし、一方で周囲を気遣う細やかな精神の持ち主でもある。

「六本木ヒルズに移転してすぐに、役員を一人一人呼んで役員室や会議室などを案内してくれたんです。『ここの壁は白くしたんだ』とか、実際に照明をつけて『間接照明にして室内の雰囲気に気を配ってみたんだ』と言いながら。自分の部屋のために、こんなにいろいろ考えてくれたのかと感動しました。

   新居をかまえた時にも、役員を呼んで奥様の手料理でもてなしてくれましたね。そして、部屋を寝室に至るまで見せてくれました。

   隅田川の花火大会の時には、屋形船を自腹でチャーターし、社員をもてなしてくれました。折口自身で歌ったりして宴席を盛り上げていましたね」

   また今年四月から十ニチャンネルで流れているグッドウイルキャリアのCMは折口自身が内容、BGMに至るまで企画した。

「さりげなく皆が気づかないところでいろいろな支援をしてくれているので助かります」

「『ブランドよりマインド』『意識百倍』。折口の言葉や行動の端々にこうした姿勢が感じられます。特に人事採用のとき。その人物の細かいことまで正確に覚えていて、マインドを見抜きます。折口自身が企業家であり、これまでに多くの修羅場をこえてきたからこそ出来ることなんでしょうね」そして、奈良は続けた。

「それは私たちを深く理解しているということでもあります。プレッシャーを与え、良き理解者でもある折口は、ビジネスに良い刺激を与えてくれる。これからも折口と思いを共有し、業界一位を目指していきます。質の高いサービスを提供して、お客様、社員みんなに喜んでもらいたい。成功して、折口に結果を見せ、『あいつにやらせて良かった」と思ってもらうことが本望です」



どんな厳しい状況でも必ず解決策を出すリーダー

グツドウイル・グループ常務取締役管理本部長 金崎明

   八四年、監査法人で上場を目指す企業の株式公開支援をしていた金崎は「これはあくまで支援でしかない。今度は自分の働いている会社を公開させたい」と感じていた。ちょうどその時、リクルートコスモスが公開の準備をしているという話が舞い込み、リクルートに入社した。さっそく公開の準備を始め、八六年にはリクルートコスモスの株式を店頭公開した。「これで私の役割が終わった」と思っていたところに、思わぬ大事件が起こった。リクルート事件である。

   八八年、リクルートコスモスの未公開株が政財官界に譲渡されていたことが発覚。社会問題にまで発展し、信用が一気に失われた。信用が回復すると、今度はバブル崩壊が追い打ちをかけた。不動産会社は次々と潰れるなか、金崎は「この状況で辞めることは責任を放棄することになる」と、リクルート事件から不動産関係のバブル処理まで後始末をすべて行い、結局十二年リクルートグループで働いた。「これで本当に私の役割は終わった」と同社を退社した。

   九九年九月、金崎は親しくしていた大和証券の人を通じ折口と出会った。折口の評判は元々聞いてはいたが、実際に会って話をすると「次の時代を担うのはこの人だ」と実感した。「株式を公開する業務をしたい」と話す金崎に、東証も含めて株式公開を考えていた折口は、二つの返事で了承した。こうしてグッドウィル取締役管理本部長に就任した。

   二〇〇一年四月、グッドウィル・グループは、連結対象会社の「選択と集中」を行い、二十三社を四社にまとめた。

「まず子会社も含め二十三社の経営状態を把握しました。次にグッドウィルの経営方針に照らし合わせて『選択と集中』を行いました。経営方針が違うと、この厳しい時代に生き残れません。当社の強いところをどう生かしていくか。その視点で検証しました」と金崎は語る。その方法は多岐にわたった。理念が一致すれば、M&A(企業の買収と合併)などをした。経営方針が食い違えば、MBO(マネジメント・バイ・アウト)などの手法で売却した。

   だが、あるM&Aの手続きでは行き詰まることもあった。当初の予定では一ヵ月で実現するはずだったが、法律の手続きなどで実際は三ヵ月必要だとわかった。

「時間が必要であることを説明したら、すぐに納得してくれました。折口は、その必要性が証明されれば、ためらいなく取り入れてくれます」

「折口のすごいところは、仮に計画がうまくいかなくても、人のせいにはしないで全て自分で責任を取ることです」と金崎。それは会議においても同じである。会議では、問題を解決するための議論をし、次のアクションを具体的に決める。「折口は、批判めいた発言を一切しません。会議で提案されたアイディアをどん欲に取り込み、どんな厳しい状況でも必ず解決策を示していきます」

   折口は強烈なリーダーシップで引っ張っているという印象をよく持たれるが、そうではないと金崎は言う。実際は人の意見をよく聞き、吸い上げ、考えて、実行する。「しがらみのない会社であり、意見の言いやすい環境を与えてもらっています。大切なことは、いい情報であれ、悪い情報であれ、正確に伝えることだと教えられました」

   もちろん厳しいときは厳しい。「その人が何を考えて発言しているのか。それを常に見ていますね。いい加減な気持ちでは必ず見抜かれます。生半可な提案では、聞いてくれません」一番厳しいのは、実績を残さなかったときだ。グッドウィルには実績を残す文化がある。

「チャレンジした上での失敗は許されますが、同じ失敗を繰り返すことは許されません。折口の場合、相手になにを要望するかは具体的ではっきりしています。それをしっかりやらないときの視線は厳しいですね」

   しかし折口は叱るのではない。次はこうしてみよう、この新たなやり方で挑戦すれば、いい結果が残せると、必ず次の行動に結びつく方法を提案するのだ。「だからやる気になります。社員の自己実現を行いやすい環境を作っています」

「当面の目標は、売上高一千億円、経常利益百億円を達成することです。そして入社当時からの夢である東証一部への上場を目指したいですね」



記念すべき元旦の朝、電話をくれたスケールの大きな経営者

グッドウィル・グループ取締役相談役 大西幸四郎

「大西さん、ラインナップをグッドウィルに売ってくれませんか」

   一九九八年、折口が初対面の際に大西に放った一言である。大西は面食らって「しばらく待ってください」と返事をしたが、直感的に「この男とは将来一緒に仕事をするだろうな」と感じた。その後、事業の相談も含めた親密な付き合いが始まる。

「そのうち田園調布に必ず家を建てます。そして本社を六本木ヒルズに移して、役員室をそこに置くので是非、大西さんも一緒にきて下さい」とも言われました。そうした話をして自分のモチベーションを高めているんでしょうね、と大西。

   大西は一九八三年、日本初の軽作業請負を行う創実社を創業。一九八九年にはラインナップを設立するなど業界の草分け的な存在であった。現グッドウィル・グループ社長の川上、常務取締役の神野などは学生時代にラインナップでアルバイトをしていたという経緯がある。ラインナップは年商七十億円強、支店は全国に五十ヵ所あり、業界三位の規模を誇っていたが、大西は一大決心を行う。

「中小企業では次の経営者にどのようにバトンタッチするかが最も重要です。長くトップにいることの弊害と、二代目以降の経営者が会社を駄目にすることを危惧していました。私は家族や社員に譲るよりも自分より能力の高い人に会社を譲ろうと考えたのです」

   二〇〇一年九月、グツドウィルは新株発行を伴った株式交換でラインナップを完全子会社化する。その時点でグッドウィルがラインナップ株を一〇〇%取得し(時価総額で約四十億円)、大西が増資されたグッドウィルの株を引き受けた。ラインナップは専門的なスキルが必要とされる建築、内装、SP(セールス・プロモーション)に強みがあり、グッドウィルは物流に強みをもつ。両者の合併は大きなシナジー効果が期待できた。フルキャストとの合併は考えなかった。経営者の器、スケールの大きさが違うと考えたからだ。

   グッドウィルと、法人として正式に合併した二〇〇二年一月一日、この日は大西にとって感慨深いものになった。午前十時ごろ目を覚ました大西は、一時間ほど前、電話が入っていたことを知る。「誰だろう」と伝言を聞いてみると折口だった。

「グッドウィルとラインナップが合併した記念すべき年の元旦なので電話しました」というメッセージが入っていた。ここまで気にとめていてくれたのか……。

   今やリーダーとしての折口に大きな信頼を寄せる。「人を見極める能力があり、例え一度失敗した社員にでも再びチャンスを与えます。事業面では決断のスピードの速さ、事業に対するスケールの大きさを感じる。決断する際にネガティブにならない。『リスクをとらないことがリスク」だとの信念をもっている。だから会議は即断即決です。お世辞ぬきにして、同じ会社で同じ役員として一緒に仕事ができてラッキーです」

   現在の大西の役目は折口の参謀役。業界を幅広く見渡し、大局観をもって事業のさまざまな局面で同業他社の状況を折口にアドバイスする。頻繁にくる「会社を売りたい」という話に対して、整理して折口に伝えるのも大西だ。また子会社のソアの代表取締役も兼任し、イベントの運営やSP事業を統括する。

「全国に同業者が六百三十社ありますが、システム化してやっているのはトップ10の会社だけです。これからは中間はなくなって上位三社と、専門性をもった小さな会社しか残らないと思います。グッドウィル・グループに優位性があるのは確かですが、気を抜かずにやっていきたいですね。また将来的な海外展開を踏まえ、いろいろと試行錯誤をしています。まだマーケティング的な出店ですが、台湾にも事業所をもっています。お隣の中国の潜在市場はとてつもなく大きいのですが、制度が難しくてこっちのビジネスモデルをそのまま向こうに持ち込めない、いろいろと思案を巡らしています」

   自ら業界そのものを切り開いた先駆者である。折口にとって大西がいつも隣にいることは心強い。

「今後は単純な人材の供給から専門性の高い人材の供給にシフトさせていきます。自分が培ってきた経験を随所に生かせればと思う」と大西。穏やかな言葉の奥に秘めた闘志を感じさせた。












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